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戦艦<ヤマト>を撃沈せよ  作者: 池田 和美
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戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・②

 前振りも終わって、そろそろ本格的に火葬が進みます。陸海空と戦場は色々ありますが、まずは陸から行ってみましょうか。

 ドイツ国防軍で陸戦と言えば、誰に訊いても「タイガー戦車」をはじめとする機甲師団だと思います。インド亜大陸で戦うに当たって、もちろんタイガー戦車を出しましょう。しかもタイガー2を。え? 最近じゃタイガー戦車って言わないの? ほら和美が見ていた戦争物の映画だと、山田康雄さんの声で「ドイツ陸軍の切り札タイガー戦車」みたいな感じで頭に刷り込まれているから。

 かつては昼下がりに関東ローカルのテレビで戦争映画を流していたんですよ。それの影響かな。

 ということで、ドイツ軍の切り札タイガー戦車に、どう対抗するのか、ご覧あれ。



●インド国グジャラート州アーメダバード近郊:1947年9月15日1025(現地時間)(注50)



「伝令!」

 けたたましい音と共にBMW・R七五は排気音をさせて、国道脇に立っていたハルス・レーナー親衛隊中尉(オーバーシュトルムフューラー)の横に止まった。R七五に跨っているオートバイ兵はシュタールヘルムにゴーグル、顔の下半分をハンカチーフで包んで顔は見えなかったが、耳の上に貼られた武装親衛隊のデカールが、彼を味方だと示していた。

「先行していた偵察隊が敵の抵抗拠点にぶつかりました。増援として中尉の隊があてられます」

 オートバイ兵はしわくちゃになった命令書を差し出した。たしかに師団の先頭を進む第一SS装甲偵察大隊に協力しろと、自分たちの親分である第一SS戦車連隊連隊長のパイパー親衛隊中佐(オーバーシュトルムバンフューラー)のサインがあった。

「了解」

 オートバイ兵のいい加減な敬礼に、SS将校らしくちゃんと右手を挙げて送り出したレーナーは、自分の愛車を振り返った。

「出番だそうだ」

「そいつは丁度良かったのか、悪かったのか」

 砲手のバーデン親衛隊曹長(シュトルムシャールフューラー)が溜息のような声で言った。

 国道脇には鋼鉄の塊が鎮座していた。Sdkfz一八二。対峙したイギリス陸軍が勝てない相手と目していた<タイガー戦車>のさらに上を行く重戦車ということで<ロイヤル・タイガー>と呼んだ鋼鉄の猛獣である。今ではその呼称を逆輸入してドイツ軍内部でも<孟加拉虎(ケーニッヒス・ティガー)>(注51)と呼ぶようになっていた。

 ぶ厚い装甲が組み合わされた車体には、レーナーの部下が上っていた。彼の愛車である二二〇号車は今朝からエンジンの調子が今一つで、この国道脇に見つけた木陰で上面にあるエンジンルーバーを開けて整備していたのである。ドコをとっても重装甲な戦車であるから、ルーバーを開け閉めするのだって大の男が二人がかりでやらないと動きやしないのだ。

 たったいま、その整備が終わってガニ股になったハルメル親衛隊伍長(ウンターシャールフューラー)とモーンケナ親衛隊上等兵(シュツルムマン)がルーバーを閉めようと手をかけたところだったのだ。

「足挟むなよ」

「そっちはどうだ?」

「問題なし」

「よし、おろせ」

 無事に二二〇号車の準備はできた。気分よくレーナーが車体に上がり、周囲を見回した。

 現在、彼の小隊は木陰に身を寄せるようにして休んでいた。本来ならば四両で編制される重戦車小隊であるが、ラジエターが壊れて二二二号車は後方送りになっていた。

 二二一号車と二二三号車は、二二〇号車の整備が終わるまで燃料や冷却水の補充を行っていたはずだ。

 木漏れ日を見透かすように上空を確認する。雨季が終わろうとしているが、まだまだ雲が多かった。湿度も大ドイツとは比べ物にならない程に高い。毎日の最高気温が三〇度もあり、欧州の気候に慣れた将兵たちの体力を、何もしなくても奪っていた。

 雨季の名残であちこちに洪水の痕が残っていたが、幸い地面の硬さは戻ってきており、難渋したロシアの春秋季に比べれば遥かにましだった。

 雲の間に見える青空を確認する。敵の物も味方の物も航空機は飛んでいなかった。これならば突然空襲を受けることも無いだろう。<ケーニッヒス・ティガー>は全ての面を重装甲にしているとはいえ、正面装甲に比べれば上面装甲は薄くできている。そこを攻撃して来る航空機は、戦車の天敵なのだ。

「よし、配置に就け」

 砲塔に手をついていたレーナーが声をかけると、部下たちはそれぞれ自分の受け持ちのハッチへと滑り込んでいった。

 レーナーが愛車にしている二二〇号車は、前から三番目のサイドスカートを外したままにしていた。ここから転輪へ足をかけ、履帯からツインメリットコーティングがされている砲塔へ上がるのが「近道」なのだ。

 全員がハッチに入ったことを確認してからレーナーも自分用のキューポラのついた車長用ハッチへ体を滑りこませた。

 戦車に乗ったからといって体の全てを装甲の下には入れない。だいたい全てのハッチは開けっ放しだ。理由は簡単、暑いからだ。みんな最低でも首はハッチから出していた。

「よし。機関始動」

「頼むぜ」

 ヘッドセットをインターホンに繋いで操縦手であるハルメルに命じる。ハルメルは神だか悪魔だかに祈るように始動スイッチを入れた。

 ちょっと子供がしゃっくりをするような音を立ててセルモーターが回り始め、やがて複数の獣が吠えるようなエンジン音が聞こえ始めた。

 しばらく回転数を安定させるために空噴かしをさせる。どうせ予備運転をしないと走り出せないのだ、その間に乗員は各部の点検を行った。

「照準器よし」

「通信機は真空管が温まるまで待ってください」

「駐退器よし」

「回転数安定してきました。もう一〇分下さい」

「よし、モーンケナ。偵察隊に繋げ」

 彼らが所属する第一SS装甲師団<ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー>は第六装甲軍、ひいてはインド攻略を担っているB軍集団全体の先頭に立っている部隊だった。武装親衛隊らしく装備の充実度が高く、総統への忠誠度も高い。それらが組みあって士気は旺盛で、アーメダバードの占領を後から続く装甲擲弾兵師団に任せ、迂回して首都デリーに続く街道を進撃していた。

 つまりこの戦役全体の最前線を任された精鋭部隊である。

「偵察隊にはシュルツの小隊が加勢していたはずだ」

 戦車は単体で攻撃することはあまりない。普通は装甲擲弾兵(装甲兵員輸送車に乗った歩兵)や装甲砲兵(自走砲を装備した砲兵)などと一緒に行動する。師団の先頭を、敵情を探りながら進んでいる第一SS装甲偵察大隊も立派な八輪駆動のSdkfz二三四/二<プーマ>装甲車を装備している。<プーマ>は五センチ砲を搭載した砲塔を持っているため、敵軍の偵察車両と出くわしても、その脅威を単独で打ち払える能力を持っていた。

 その偵察隊に戦車連隊からSdkfz一七二、V号中戦車<パンターⅡ>が増援としてつけられて臨時の戦闘団を編成している。これで敵戦車が現れても対処は可能なはずだ。

 さらにパイパー連隊長は、指揮下に入れた第五〇一SS重戦車大隊から一個小隊を加勢させていた。万が一<パンターⅡ>が対処できない敵戦車が出現した時のための保険である。

 派遣される一個小隊は何日か置きの交代制で、今日はシュルツ親衛隊中尉が指揮する小隊が加勢しているはずだ。

 最近ではこういう風に戦車や装甲車、装甲擲弾兵に装甲砲兵を適時組み合わせて戦闘団を編成する戦い方が一番効率的なのだ。

「偵察隊とは繋がりません」

 まだ真空管が温まっていないのか、モーンケナが報告して来た。

「シュルツ中尉とも無理なようです」

 なにせレーナーの小隊長車がエンコして二時間ぐらい無駄にしている。その間も偵察隊は進撃していたはずだ。まさか装甲車の出せる最高速度(舗装された道路で時速八〇キロ)で突進していたとは言わないが、常識的な速度(時速三〇キロぐらい)で進んでいたとしても、もう六〇キロ先に進んだことになる。いくら無線でも無限大に通信が届くわけではないのだ。

「中隊本部を呼べ」

 彼が所属する第五〇一SS重戦車大隊には三つの中隊がある。大隊丸ごとを一ヶ所に集めることも可能だが、パイパー連隊長の采配は分散配置であった。

 大雑把に言って第一中隊が右翼。第三中隊が左翼。そしてレーナーの所属する第二中隊が街道を進むことになっていた。

 ここアーメダバード近郊は緩やかな起伏しかないほぼ平坦な土地である。欧州と同じように林があちこちにあり、平らな箇所はだいたい綿花か煙草(たまに芥子)の畑となっていた。

 いまレーナーたちが休んでいた小さな林を抜けると、街道の両側は綿花が栽培されている畑となるようだ。中隊本部は街道上を偵察隊の後方に続くように進んでいたはずだ。

「こちら中隊長車」

 中隊長車の通信士が無線に出た。

「こちら第二小隊のレーナーであります。中隊長は?」

「いま替わります」

「レーナーか?」

 すぐに音声が切り替わった。若い兵士の声からそれなりに戦場で歳を重ねた落ち着いた声になった。間違いなく第二中隊長のベリル大尉である。

「レーナーであります。二二〇の小整備を終えていつでも動けます」

 自信たっぷりの報告にベリル中隊長は満足そうな笑みを含んだ声になった。

「その様子だと命令書は届いたようだな」

「拝見いたしました」

「まあ、そういうわけだ。固いパンを口に入れて泣き言言っている偵察隊に加勢してやってくれ」

 まるで本当に保育園で泣いている園児の世話を頼むような口調である。ついレーナーは噴き出してしまった。

「了解であります」

 レーナーの余裕ももっともであった。なにせ彼らの進撃を止める戦力をインド陸軍は持っていないのだ。重機関銃や迫撃砲で武装した特火点がせいぜい関の山で、そんな抵抗は重戦車どころか、装甲擲弾兵師団に配備されているSdkfz一三八/二、三八式軽駆逐戦車<ヘッツァー>を改装したStuH四二/二、四二/二式突撃榴弾砲(注52)の一撃で吹き飛ぶのだ。

 重戦車の出番と言ったら対戦車戦闘であるが、インド軍が所有している戦車は、英国植民地軍が治安維持のために持ち込んだ軽戦車が主力であった。たまに装備が良い部隊が現れても、植民地時代に英国植民地軍が使っていたビッカース・アームストロング<バレンタイン>歩兵戦車ぐらいだ。<バレンタイン>程度ならば戦車連隊の<パンターⅡ>でも対処可能なはずである。(注53)

「気をつけるのだ、レーナー」

 軽い気持ちのレーナーに冷や水を浴びせるような硬い声になったベリル中隊長が忠告して来た。

「は?」

「右翼の第一中隊が、昨日の夜に正体不明の新兵器を装備した連中に襲撃されたそうだ。おかげでギースラーを右翼に預けることになった」

「新兵器? でありますか?」

 そんな情報は初耳であった。新兵器とは穏やかな表現ではない。しかも第一中隊だって装備している戦車は同じ<ケーニッヒス・ティガー>なのだ。比較的に装備が貧弱な国防軍の装甲擲弾兵師団に所属する戦車連隊に残っているSdkfz一六一/二、Ⅳ号戦車H型ならば遅れを取る事もあろうが、<ケーニッヒス・ティガー>は砲塔の正面装甲が一八〇ミリも厚みがある重戦車だ。成形炸薬弾などを使う特殊な対戦車砲などでない限り止める事すら不可能なはずだ。

 だが、現在のインドは世界中から支援を受けている立場の国だ。欧州を手に入れた大ドイツに嫉妬した各国が、インドの戦時国債の購入はもちろん、燃料や食料に至るまで惜しみなく送り込んでいた。その支援品目の中には、もちろん戦車を含む様々な兵器もあった。

 レーナーはまだ出くわしたことは無いが、ボンベイから東のカルカッタ方面に進撃した部隊は、そういった供与されたと思われる戦車と戦ったという情報が届いていた。

 特に警戒すべきは東部戦線で革新的な性能を見せつけたソビエト連邦の中戦車T三四である。大型砲塔に乗せ換えたE型(注54)も十分脅威であるし、さらに主砲を対空砲である八五ミリ砲に乗せ換えた型が最近開発されたようだ。こいつは<ティガーⅠ>に匹敵する能力があると目されていた。

 もちろん条件さえ悪ければ<ケーニッヒス・ティガー>だって討ち取られる可能性がある相手だ。

 ウラル山脈以西を失ったソビエト連邦は、太平洋側の沿海州も失陥しており(冬季に凍結する北極海を別にして)完全な内陸国となっていた。そんな土地で残された産業というのが、欧州戦争で疎開に成功した兵器工場で生産する武器、特に戦車であった。

 いまだにウラル山脈を挟んで小競り合いを続けているソビエト連邦は、どのような形でも外貨を求めており、大ドイツの進攻を受けたインドに戦車を売っていてもおかしくはなかった。

 さすがに鉄道を使用するとはいえオムスクから長距離輸送する事が叶わないのか、より脅威度が高いKV重戦車は輸出されていないようである。

 他にインドに戦車を渡しているのは、合衆国である。ドイツ戦車にアフリカ戦線でボロ負けしたM四<シャーマン>中戦車の在庫が大量に存在しており、国内に出来た「国境線」に貼り付けてもなお余っているのであった。

 まあ<シャーマン>は強くないので、よほど油断しない限り討たれる事はないだろう。また<ケーニッヒス・ティガー>を倒せるという噂のM二六<パーシング>重(中)戦車が輸出されたという話しは聞いた事が無かった。

 あとは戦車の発明国である英国陸軍が戦車を持っているが、彼らがすったもんだした末に大英帝国から離脱したインドに協力するとは考えづらかった。ただし老獪な彼の国であるから警戒するに越したことは無い。

 いちおうカナダに疎開した工場で戦車の生産を再開しているようであるが、情報はまったく届いていなかった。レーナーが持っている情報は、自身が英国本土で戦ったボクスホール・モーターズ<チャーチル>歩兵戦車とレイランド・モーターズ<クロムウェル>巡航戦車までで、それ以降の英国製戦車がどのように発達しているのかの情報は更新されていなかった。

 その内<チャーチル>歩兵戦車の重装甲(最大一〇二ミリ厚)は脅威であったが、なにせ兵装が弱い(五七ミリ砲)ので気を付けていれば恐い相手ではない。<クロムウェル>巡航戦車に至っては徹甲弾ではなく榴弾ですら撃破できる「戦車のような物」でしかなかった。

 それにカナダは西海岸防衛で手一杯のはずだ。西海岸を警戒しながら兵器を輸出できる合衆国がおかしいだけである。

 あと世界で戦車を自国生産して保有している軍隊は、イタリア軍と日本軍があった。いまだ同盟関係が濃いイタリア軍を除くとなると、日本軍が怪しいことになる。

 だが、彼らの戦車は中国大陸やマレー半島、フィリピンで「ブリキ缶」と呼ばれたほどの列強で一番弱い物のはずだった。(注55)

 いちおう情報部からの回覧で九七式中戦車<チハ>と呼ばれる日本陸軍の主力戦車の写真は目に入れてはいたが、良くてイタリア軍のカルロ・アルマートM一五/四二程度の実力しか無いように見えた。イタリア軍の戦車は素晴らしい。さすがに自家用車を生産している国だけあって走行装置はなかなかのものだ。なにせ変速ギヤが前進一速に後進が五速もあるのだから。

「その新兵器が中央に配置されていないと考える方が不健全だろう。なるべく早く偵察隊に合流してやってくれ」

「了解であります」

「通信は以上だ」

 中隊長の考えを聞けてレーナーは納得できた。相手が連合国製の戦車だろうが、東部戦線で散々戦ったT三四であろうが、この<ケーニッヒス・ティガー>に乗ってさえいれば勝てる自信があった。万が一…、いや億が一、インド軍が独自開発した新型戦車という可能性も無きにしも非ずだが、インドは農業国で工業はそれほど発達していなかったはずだ。

 やはり注意すべきは空からの脅威であろう。いくら重装甲の<ケーニッヒス・ティガー>でも車体上面は弱点なのだ。戦闘爆撃機(ヤーボ)だけは戦車の天敵なのだ。

 そして独立前から存在するインド空軍の練度は馬鹿にできない水準であり、そこへ連合軍や日本軍から購入したりや供与で得た航空機が配備されていた。それは機甲師団の前進を唯一止めることができる戦力であった。

 ただこちらのドイツ空軍も遊んでいるわけではない。今回の戦役にあわせて創設された第七航空艦隊には最新鋭のジェット機すら配備されており、欧州戦争で見られなかったような偏音速での戦いが空で繰り広げられていた。(注56)

「車間距離一〇〇メートル。戦車前へ(パンツァー・フォー)

 二二〇号車を先頭に、番号順に街道を走りだす。路面は舗装されておらず赤土が剥き出しであるが、戦車を走らせるにあたってじゅうぶんに踏み固められており、安心して進ませることが出来た。

 もちろん最高速度なんて出さない。そんな事をしたら偵察隊に追いつく前に<ケーニッヒス・ティガー>が故障してしまう。卵の上に乗った精密機械と表現した戦車兵が居るぐらいに、隅々まで配慮を欠かさなかった者が、この猛獣を乗りこなせるのだ。

「戦車中速」

 おそらく偵察隊が進撃しているのと同じぐらいの速度を指示する。湿度が高くて暑いが、走るにしたがって吹き付ける風が顔に心地良い。ハッチから上半身を出したまま、それでも周囲に視線を送る事は忘れなかった。他の乗員もハッチから顔を覗かせて外の風を楽しんでいた。

 林を抜けると、やはり綿花や煙草を栽培している畑が続いた。遠くを見ると、まるで海のうねりのように土地に勾配がついているが、実感は平らな大地である。

 舗装されていない街道を右側通行で小隊を進ませる。周囲には補給品を積んだトラック…、オペル社の<雷光(ブリッツ)>や、装甲擲弾兵を乗せたSdkfz二五一D中型装甲兵員輸送車も走っていた。ただし同じ方向へ走る車ばかりではない。おそらく積み荷を降ろして空になった<ブリッツ>だったり、戦場救急車に改装されたSdkfz二五一Dが、野戦病院が開設されているアーメダバード近郊の村へと向かっていたりした。

 戦場が近づいている証拠であるから、そういった光景は見慣れているはずだった。だが、どうせ補給品を取りに戻るなら負傷者を乗せて行ってくれとばかりに、包帯を巻かれた傷病兵を満載した<ブリッツ>などとすれ違うと、気が滅入って来るものだ。

 ブーンと羽虫のような音が聞こえた気がしてレーナーは車長用ハッチに取り付けられた対空機銃を点検した。いまだに地上攻撃機の多くはレシプロ機であり、低空飛行で接近されたら目で見るよりも先に音が聞こえてくる方が早いからだ。

 しかしレーナーの警戒は杞憂だったようだ。味方連絡機であるフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>が街道に沿ってレーナーたちを飛び越していった。

 警戒を怠らないのは、こちらの前線を迂回して敵戦力が侵入している可能性は全くないとは言えないからだ。もう最前線はすぐそこだし、なにより今のように飛行機の心配もしなければならなかった。

 一時間ほど走るとまた林があったので、小隊は再び国道脇に停車した。故障ではなく、履帯の調整である。気温やら動かしたときの摩擦やら色々な要因で、鋼鉄で出来ているはずの履帯は、けっこう伸び縮みする物なのだ。こうして調整してやらないと、最悪転輪から丸ごと外れてしまうことだってあった。

 エンジンをアイドリングに入れたまま調整を素早く終わらせる。故障無しで前線に進出しただけで「快挙」と記録された事もあるぐらい、重戦車という物はただ動かすだけでも難物な代物なのだ。

草原砲(グラスカノーネ)はどこらへんに居ますかね?」

 食いしん坊のファルクがボヤくように言った。ファルクは瘦せた体格をしているくせに大食いで、油断をしているとレーナーのパンまで横取りされるぐらいだ。

 まあ彼はまだ若いし、戦場では食べるぐらいが娯楽であるから、ある程度までは致し方ない事だろう。だが食べ物の恨みはけっこう恐かったりする。

 ちょうど中隊本部を追い越す時間に昼ぐらいだろう。さすがに中隊長も飯を食わさずに前線へ行って来いとまでは言わないはずだ。

「モーンケナ。食堂はどこで開店中か確認しておいてくれ」

 ファルクに言われたせいではないが、小隊全員を空きっ腹で戦わせるわけにもいかない。出世も良いが、一台の戦車の事しか考えなくて済んだ少尉時代とは違って、色々と些末な事が増えた。

 幸い給食車は進行方向で給食を開始しているようだ。国防軍の擲弾兵師団などでは馬曳きの野外炊事車(つまり馬車)だったりするが、機甲師団や装甲擲弾兵師団では<ブリッツ>の荷台に野外炊事の全てを乗せている給食車がそれを担当した。まあ馬車の物と同じようにシチュー鍋を大砲に見立てて「草原砲」と同じ綽名で兵士たちは呼んでいるのであるが。

 ちょうど次の履帯を調整する時間ぐらいに、給食車に追いつくことができた。白いエプロンをかけた担当者が車内でシチューをかき混ぜている風景が平和に見えた。

 履帯の調整を先に終わらせる。言うまでも無いがいつ奇襲があっても対応できるよう準備は怠れないからだ。<ケーニッヒス・ティガー>の背部にある拳骨みたいなナットに、冗談みたいな大きさをしたボックススパナを差し込んで履帯の張りを調整する。もちろん左右ともだ。あまり余裕が無いので、そろそろ新しい履帯と交換時かなとレーナーは思った。整備小隊と今夜あたり打ち合わせが必要かもしれなかった。

 食事の間も交代で歩哨に立つ。食べる順番が後回しにされるファルクは、いつも不平を漏らす。まあ五人の中で階級が一番下であるし、これから出世して食事の順番ぐらいは好きに選べるように頑張ってもらうしかないようだ。

 給食車は戦車小隊だけでなく、中隊本部から整備小隊や補給小隊の分まで食事を作る。だから歩哨に立ったからといって食事自体が無くなるわけでは無いが、食いしん坊の彼には苦行なのだろう。まあ先に食事を摂らせてやって他人の分までに手を出した実績もあることだし、我慢してもらおう。

 歩哨を順番に交代させてレーナー自身は周囲を歩き回った。別に散歩しているわけではない。いちおうそういう風に装っているが、自分の小隊に所属する他の<ケーニッヒス・ティガー>の様子を知りたいし、同じ中隊に所属するが別部署の者と情報を交換するためだ。

 近くに大隊本部に付属する自走対空機関砲小隊が分派されていた。見ようによっては給食車とそれに付随する食糧輸送班の<ブリッツ>たちを専属で守っているようにも見えた。ちょっと中隊の外の情報を得るには適任の相手だ。

 煙草一服分の価値はあったようだ。どうやら中隊長が言っていた事は本当で、右翼は昨夜の襲撃で後方に居た部隊と交代しなければならないほどの損害を受けたらしい。装甲擲弾兵や装甲車はまだまだ予備が控えているが重戦車だけは気安く調達できないので、独立大隊の中でやり繰りして戦力を抽出し、右翼に当てているそうだ。第二中隊からはギースラーの小隊と、中隊本部の護衛小隊が派遣されているようだ。

 ただでさえ故障で脱落している<ケーニッヒス・ティガー>も居るというのに、これでは予備戦力は全て出払っていると考えた方がよさそうだ。

 こんな状態で未知の新兵器と戦わなければならないのは、不安だけが膨らんでいく状況だ。

 部下たちに昼休憩を取らせた後は、もちろん仕事にとりかかる。燃料は八分、弾薬は規定量という申し分ないコンディションだ。戦車も人間と同じで満腹だと身体が重くなって動きが鈍るのは同じだ。

 再び街道に出て進撃を開始するが、周囲を走るトラック類に変化があった。もう一緒に前へ進む車両はおらず、故障して道端で整備兵に面倒を見てもらっている<パンターⅡ>やら、戦車回収車で牽引されている戦車駆逐車などとしかすれ違わない。たまに伝令のオートバイ兵が合間を縫うように飛ばしていくだけだ。

止まれ(ハルト)!」

 林を抜け、再び綿花畑の中を進み、また次の林に入ったところで、街道上で手に持った四四年式突撃小銃(シュツルムゲベーア)(注57)を掲げた擲弾兵に止められた。

戦友(カメラード)どうした?」

 車長ハッチから上半身を出していたレーナーが訊ねると、その擲弾兵は側面に回ってきて彼を見上げた。

「この先で林が切れるが、そこからはもう戦場だ。敵の弾が飛んで来るぞ」

「そうか、ありがとう。モーンケナ、将校偵察だ。後ろの各車に待機を伝えろ。ハルメル、銃を取ってつきあえ」

「了解」

 砲塔内の壁面にかけられた突撃小銃を手にしてレーナーは操縦手のハルメルと一緒に<ケーニッヒス・ティガー>を降りた。

「君、すまないが案内してくれるか」

 警告してくれた擲弾兵へ丁寧に頼む。シュタールヘルムに貼られたデカールはSS装甲擲弾兵連隊の物に間違いなかった。

「気を付けて下さい中尉どの」

 レーナーの階級章を一目で見分けた擲弾兵が、前へ振り返りながら忠告してくれた。

「敵の狙撃兵は腕が良いですよ」

 ハルメルと三人で国道を進む。もちろん道の真ん中を歩くなんて無謀な事はしない。脇の茂みの中を中腰になって進んだ。

 程なくして林の切れ目に来ると、もうそこは最前線だった。

 ここから道は緩い丘を目指して真っすぐと登っている。周囲は空き地となって見通しは最高だ。おそらく元は綿花畑だったのかもしれないが、いまは戦車や装甲車に踏みにじられて見る影もない。そして重要な事は、こちらから見えるという事は、向こうからも丸見えと言う事だ。

 そこから丘の斜面に向けて、レーナーには同僚となる戦車部隊が屍を晒していた。

 どうやら林から出て丘に向けて進撃したところを、丘の上から対戦車砲で撃たれたようだ。その距離は目測で二〇〇〇メートルはあるだろう。

 丘の上から林がまた続いているが、いかにも敵が潜んでいる気配がプンプンした。

 擱座している戦車の姿形はレーナーの乗る<ケーニッヒス・ティガー>に似ているが大きさが違った。あれは戦車連隊が装備している<パンターⅡ>だ。

 平均的なインド陸軍が装備しているオードナンスQF六ポンド対戦車砲だと、装弾筒付徹甲弾を撃たれると砲塔前面だと防御力ギリギリだが、車体だとちょっと厳しい距離である。

 だが破壊された様子を観察すると、もっと大威力の兵器が使用されたように見えた。東部戦線で敵に鹵獲された味方の八八ミリ対空砲に狙われた事があるが、あれと同じかそれ以上の威力があると思われた。

「中尉」

 トンと後ろからハルメルに肩を叩かれた。目だけで振り返ると、彼はやけに青ざめた顔でレーナーがチェックしていた国道右側とは反対方向を指差していた。

 その延長線上に一台の<ケーニッヒス・ティガー>が擱座していた。車体を撃ち抜かれた後に燃え上がったようで、真っ黒である。

 砲塔にある車長ハッチから、一人の戦車兵がうな垂れるようにして上半身を晒していた。まったく動きが無い。

「…シュルツ…」

 砲塔に大書された数字でそれが同僚のシュルツ中尉が使っていた二一〇号車だということが分かった。そして<ケーニッヒス・ティガー>は乗員の一人につき一つの乗車ハッチがあるから他のハッチを使う事はあまり無いのだ。

 狙撃兵に撃たれた後に焼かれたのか、それとも敵の対戦車砲に撃たれた時に弾片にやられたのか。砲塔後ろの脱出ハッチが開けっ放しだということは、彼の部下は生き残ったようだ。

「夜になるまで回収は無理ですよ」

 ここまで案内してくれた擲弾兵が、お悔やみを言うような声で言った。彼だって所属は違うが、同じ戦場で戦う戦友をあんな姿で野晒しとしているのは気が引けるのであろう。

「他の<ケーニッヒス・ティガー>は?」

 周囲を見回しながらレーナーが訊ねると、どうやら彼は情報を持っていないようだ。だが丘の斜面を登り切った戦車がいないということは、そういう事なのだろう。

 彼をなんとかしてやらなきゃいけないのはもちろんだが、今は別の事に気が向いた。重装甲の<ケーニッヒス・ティガー>を二〇〇〇メートルの距離から撃破した敵の新兵器である。

 どうやら車体を撃ち抜かれて破壊され、車両火災を起こした様子である。弾薬が誘爆しなかったのは幸運か、偶然かのどちらかだろう。

「ウソだろう」

 実際に目にしていても信じられない光景であった。

 なにせ<ケーニッヒス・ティガー>の車体正面装甲の厚みは一五〇ミリもあるのだ。インド軍が持っている六ポンド対戦車砲では絶対に無理な芸当だ。しかも被弾経始を最大限に生かすために装甲は五〇度の傾斜を取り入れたデザインをしている。ただ垂直に置かれた装甲より二倍以上の防御力を発揮するはずだ。

 それをやすやすと撃ち抜く新兵器とはどんな化け物だろうか。

「いま砲兵が準備しています。ウチの迫撃砲も加勢することになっていますが」

「了解した。偵察隊の責任者は?」

「大尉どのでしたら森の中に居ます」

 どうやら軽偵察中隊の中隊長がこの最前線の指揮を執っているようだ。

「ここで見る物はもう無いだろう。大尉どのの所へ案内してくれ」

 三人は後ずさりするようにして茂みを後にした。

 国道から離れた森の中に中隊本部が開設され、そこに将兵が集められていた。

 簡易テーブルに落書きのような地図が広げられ、周辺に存在する彼我の戦力が兵科記号で示されていた。

「君は?」

 地図を難しい顔をして眺めていた将校がレーナーに顔を向けた。徽章類で相手が第一SS装甲偵察大隊の親衛隊大尉(ハウプトシュトルムヒューラー)であることが分かった。

 ハルメルと揃って踵を鳴らし、右手を挙げて敬礼した。

「第五〇一SS重戦車大隊のレーナーであります」

「五〇一…、<ケーニッヒス・ティガー>か。それは心強い」

 親衛隊大尉がお世辞を言うような調子で歓迎してくれた。

「相手はどうやら装備の良い連中らしい。丘の稜線に壕を掘っていて、生半可な砲撃じゃあビクともしない。すでに午前中に一回、空軍に掃除を頼んだが効果は薄かったようだ」

 地図の上に偵察機から写したと思われる航空写真が散らかっていた。丘の稜線で再び林が始まるが、木陰に隠れるようにしてWの形を繰り返しているような塹壕が掘られているように見えた。

「パイパー団長にお伺いを立てたところ、師団砲兵の重砲を回してくれるようだ」

「砲撃だけで参る相手でしょうか?」

「そこで君たち戦車の出番だ。砲撃が始まると同時にウチの迫撃砲で煙幕を張る。敵の視界が利かない内に稜線まで駆け上ってくれ」

「中隊長」

 通信士の徽章をつけた将校が指を二本立てていた。どうやら二か所と連絡がついたという事のようだ。

「いま装甲砲兵と連絡もつき、さらに空軍の前線統制官とも話しはついた。空軍の爆撃が攻撃開始の合図だ。何か質問は?」

「突撃は我々五〇一だけで?」

「いや。少尉!」

 中隊長は外れに立っていた複数の人影に声をかけた。その中からちょっと土で汚れた四四年式迷彩服を着た少尉が右手を挙げた。

「第一SS戦車連隊のマイツェル親衛隊少尉であります。お噂はかねがね」

「うわさ?」

 答礼しながら自分が他の部隊で噂されるようなことをしたかなと顔を曇らせる。

「<ケーニッヒス・ティガー>による五〇両撃破章一番乗り、おめでとうございます」

「ありがとう」

 ああ、そういえばそんなタイトルを獲得したことがあったなとレーナーは自分の保有する撃破章を思い出した。ちなみに一〇〇両撃破章の一番乗りは第一〇一SS重戦車大隊の戦車エースが持って行った。(注58)

 敬礼を交わした手で握手も交わす。マイツェルは自分より少し若いように見え、好青年という印象の将校だ。それでは指揮を執るのに威厳が足りないと考えているのか、鼻の下に髭をたくわえていた。

「ウチの中隊も、中尉の隊に同行します。速度ではこちらが上ですから、先に丘の上で待っていますよ」

「中隊?」

 少尉が率いるには少々不釣り合いな戦力である。だが森の向こうで複数擱座していた<パンターⅡ>を考えると、正規の中隊本部は全滅して彼が先任順で中隊指揮を代行している事が察せられた。

「煙幕がちゃんと張られれば、恐いのは敵の盲撃(めくらう)ちだけですから、<パンターⅡ>でもじゅうぶんだと思いますけどね」

「たまには敵を撃たせてくれよ」

 レーナーは掛け値なしの本音を言った。なにせインドに来てからこれまで重戦車が必要とされる場面は巡って来なかったのだ。いちおう突撃砲の真似事のように特火点を八八ミリ砲で吹き飛ばしたことはあるので、まったく撃っていないわけではないが。

「<ケーニッヒス・ティガー>は三台ある。中央が私の小隊で、両脇を少尉の方で固めてくれると助かる」

 一番、弾が飛んで来る可能性が高い位置に、防御力が一番高い戦車を配置するのは当然の事だ。頭の片隅に撃破されたシュルツの小隊長車がよぎらなかったと言えばウソになる。

「ウチの隊も撃ち減らされて、一五両ほどしかありません。注意点は迫撃砲の煙幕ですか。森の中から撃つとなると、ちょっと届くか心配ですね」

「我々も自前の煙幕を張ろう。丘の中腹あたりで薄くなってきたと各自が判断したところで使うというのはどうだろう」

「それが一番ですね」

 マイツェルは納得しているように何度も頷いた。

「それでは仕事に取り掛かりましょうか」

「そうだな。勝利のために(ジークハイル)

「ジークハイル」

 敬礼を交わすとそのままレーナーは本部を後にして自分の小隊へと戻った。隙の無いハルメルは偵察隊との通信に使う電波帯の打ち合わせを終わらせていた。

 街道に止めた二二〇号車に戻ると、小隊に所属する各車長が勢ぞろいしていた。今まで集めた情報を整理しながら各車長へと伝えた。

「横並びに車間距離は一〇〇メートルでどうだろう。私が中央、二二一号車は右、二二三号車は左」

「やれやれ。左は私だけですか」

 二二三号車のハンス親衛隊少尉が他人事のように言った。彼はいつもそんな話し方なのだ。

 インド国内の道は、車両は左側通行であった。これは大英帝国であった頃の名残だ。だが大ドイツ占領下に置いた地域では右側通行に変更していた。

 レーナーの小隊長車が中央という事になったが、おそらく地雷等が仕掛けられている国道の真ん中を走るわけにはいかないだろう。すると道を外れて走ることになるが、そうなると自然と道の右側へ出ることになる。道の左側はハンスの二二三号車一台ということだ。

「まあ連隊の<パンターⅡ>も来ることだし、寂しくは無いと思うよ」

「徒競走で<パンターⅡ>に勝つのは難しいと思いますが、一番は貰いますよ」

 ハンスは最後までいつもの調子であった。

「<ケーニッヒス・ティガー>の威力を見せつけてやりましょう」

 そういってニヤリと笑うのはミューラー親衛隊少尉だ。普段から言葉の少ない彼が発言する時は、いつも難局という場面ばかりだった。今回も難しい仕事になるだろう。

 二人と敬礼を交わして別れた。

「全員乗車」

 レーナーが号令をかけるまでもなく、各部点検を終えていた乗員はすべて配置に就いていた。

 レーナーも車長ハッチに下半身を入れ、インターホンを接続した。

「それでは行くぞ。林の中へ入れろ」

 余分にエンジンを噴かさずにハルメルが国道右側の林の中へと小隊長車を入れた。そのままそろりそろりと慎重に林の中を移動していく。途中で何台かの<パンターⅡ>とすれ違った。どうやら国道の左側で待機するグループのようだ。

 向こうの車長たちもハッチから上半身を出していたので、手を振り合って挨拶とした。

 森が切れるまで、あと数本の木という位置で二二〇号車を停めた。もういつ始まってもおかしくはない。

「二二一号車配置につきました」

「二二三号車、同じく」

 無線で部下たちも準備完了を知らせて来る。

「よし、ハッチ(ルーケ)閉め! 戦闘準備!」

「砲手よし!」

「操縦手よし!」

「通信手よし!」

「装填手よし!」

 部下たちの反応が、小気味がいいほどだった。

 その時だった。遠くから空気を切り裂く音が聞こえて来た。シュルシュルという音は田舎に居た時に地元の駅を通過する急行列車がよく発していた音だが、戦場では違う。大抵は砲兵が行う仕事の前触れであることが多かった。が、今日は違った。

 空気を切り裂く音に続いて、何かが高速で回転する音に、耳鳴りが酷くなったような音が続いた。

 レーナーは梢の間から空を見上げた。雲が多めの空に数本の飛行機雲を発見する。この戦役ですっかり馴染みとなったジェット急降下爆撃機のヘンシェル一三二C<(シュパッツ)>である。欧州戦争で地上部隊を空飛ぶ砲兵として支援したユンカース八七<スツーカ>の後継機であり、円筒形の胴体の上にジェットエンジンを背負った姿をしている。ハインケル一六二B<火蜥蜴(ザラマンダ)>に似た姿をしているが、あっちよりも一回り小型で、さらに爆弾を一発抱え込んでいた。(注59)

 数機の<シュパッツ>は上空に姿を見せたが、すぐには攻撃を始めなかった。すると遠くからドコドコドコと太鼓を連弾する音のような物が聞こえ始めた。

 どうやら丘の向こう側に対空機関砲が隠されていて、防御砲火を撃ち上げているようだ。

 普通のレシプロ機ならば脅威であっただろうが、そんな前時代的な火線に捉えられるようなジェット機はいない。撃たれながらも華麗に回避し続けた。

 どうやら砲兵の準備ができる時間を稼いでいたようだ。それまで優雅に飛んでいた<シュパッツ>は、キラリと陽光を反射させると、七〇度ぐらいの角度で丘の稜線へと突っ込んでいった。

 あっという間に半埋め込み式に搭載されていた五○○キロ爆弾を放り出す。それと同時に背後から遠雷のような物が聞こえ<シュパッツ>の物とは質の違う空気を切り裂く音が聞こえて来た。

 師団砲兵による支援射撃が始まったのだ。すぐに林のアチコチからコルク栓を抜く時のようなポンという音が連続して聞こえて来た。迫撃砲も仕事を始めたようだ。

 景気の良い祝い事の席のように軽い音が次々に聞こえてくる。数が多ければ多いほどこちらも視界が奪われるが、安全の度合いは増えるはずだ。

 丘の稜線付近が湧き立つようにして爆発が連続した。師団砲の着弾だ。狙いは正確である。それでもなお二射目には修正が入ったらしく、砲身の角度を変える程度の時間が開いた。

 その時間に、今度は林から丘までの空き地に、複数の迫撃砲弾が落ちて来た。地面や擱座していた友軍戦車で撥ねると小さな爆発を起こして、辺り一面を真っ白な煙で覆い隠した。

「よし今だ! 戦車前へ(パンツァー・フォー)!」

 小隊全車に繋がっているはずのマイクに、レーナーは大声を入れた。同時に自身の上半身もハッチの下に入れた。ただし完全に閉める事はせずに、ハッチをまるで帽子にしたかのような位置に回して、隙間から戦場の観察を続けた。

 戦車は陸上戦闘で無敵な存在であるが、一度中に籠ると周囲の様子が分かりづらい物なのだ。だから少しでも周囲の観察をする努力を怠ってはならなかった。

 小隊長車は、まず放置されていた<パンターⅡ>の影に隠れるように走り出した。周囲が煙幕で視界が悪いため衝突の危険もあるが、敵の盲撃ちが運悪く当たらないとも限らないからだ。

 だがいくら専用のペリスコープが操縦席に装備されているとはいえ、限定された視界である。それを補完するためにもレーナーは車長ハッチから外を観察する事を続けなければならなかった。

「ハルメル! 右だ。右に舵を切れ」

 見渡す限り白く見える視界の中から黒い塊が浮かび出るように見えて来た。レーナーの指示もあって、小隊長車は衝突することなく動かなくなっている<パンターⅡ>の横に出た。

「そろそろ向こうの弾も降って来る頃だな」

 敵の砲兵に撃ち込まれて黙っている部隊は無いだろう。よほど深刻な弾薬不足でない限り、向こうの砲兵も射撃を始める頃合いだった。

「ハルメル、全速前進! 一気に丘を登り切れ!」

「了解!」

 ハルメルがアクセルを踏み込んだのだろう。二二〇号車のエンジンが頼もしい音を上げ、こんな重戦車だというのにグイッと後ろに引かれたかのように感じるほどの加速を始めた。

 もちろん後で足回りの整備に泣くことになることが想定されたが、いまはそんな未来の心配をしている場合では無かった。

 と…。

「何の音だ?」

 外から赤ん坊が悲鳴のような鳴き声を上げているような音が聞こえて来た。さすがに隙間からだけでは分からなかったので、レーナーはハッチを回して空を見上げた。

 戦車の高さ以上に煙幕が張られているので空が全て見えたわけでは無いが、上空をまるでドラム缶のような物が複数、丘の方向から森の方向へ飛んでいくのを視認する事ができた。(注60)

「なんだありゃ」

 今まで見たことのない飛翔物にレーナーは唖然とし、まるで初めてクリスマスマーケットを訪れた子供のような声を上げてしまった。

「なにが見えるのですか? 中尉」

 普段は聞けない上官の素っ頓狂な声に好奇心が刺激されたのか、ファルクがインターホン越しに訊いて来た。

「バケツが空を飛んでいるぞ」

「なんですそりゃ?」

「あれが敵の新兵器…、というわけでは無さそうだ」

 その空飛ぶ魚雷のような物は、尻から白煙を引いて空き地を次々に飛び越していく。目標はレーナーたちの戦車隊というより、後方から支援砲撃を続けている砲兵隊のようだ。いわゆる対砲兵射撃(カウンターバッテリー)である。

 砲兵たちには悪いが、目標が自分たちでなければ無視するに限る。音は不気味だが、耐えられない物でも無かった。

 空き地から丘の斜面に取りついた。相変わらずハルメルはアクセルを全開にしているようだが、さすがに自分の重さで加速が鈍る。横の二二一号車との間に<パンターⅡ>が割り込んで来たのが見えた。

 向こうは中戦車なので<ケーニッヒス・ティガー>とは違い物にならないほどの走行性能を持っている。F型までの<パンターⅠ>とは違い、複列転輪になった足周りはこちらの挟み込み配置の転輪よりも軽快だ。いちおう<ケーニッヒス・ティガー>の転輪と同じ物を使用するようにするなど改良が続けられているが、本国では次世代の戦車を開発する「E計画」がそろそろ動き出すと聞いていた。それによれば中戦車と重戦車の違いはほとんど無くなるほどの部品共通化がなされるらしい。(注61)

 二二〇号車に<パンターⅡ>が履帯で跳ね上げた泥がかかる。(まさ)しく後塵を拝するという奴だ。

 だが煙幕に加えてこれでさらに向こうはこちらを視認し辛くなったはずだ。

(そろそろ煙幕が薄くなってきたな)

 煙幕はその性質上、低地に留まるように薬品が配合されている。よって高台へ向かっている今はその恩恵を自ら捨てに行っているような物だ。戦車連隊のマイツェル親衛隊少尉と打ち合わせた事を思い出した。

 煙幕弾発射器は<ティガーⅠ>の時は砲塔前部の左右に装備されていたが<ケーニッヒス・ティガー>には装備されていなかった。ではどうするかというと、砲塔天蓋に装備されている「パチンコ(シュライダ)」と綽名がつけられた近接防御兵器を使用するのだ。普段は肉薄してきた歩兵に対する簡易迫撃砲として対人地雷を撃ち上げる装置だが、煙幕弾も準備されていた。

「シュライダよーい」

 砲塔に配置された乗員は、車長のレーナーは敵情観察で忙しいし、砲手のバーデンは主砲の照準器から離れるわけにはいかない。こういう時は雑用担当の装填手であるファルクの出番だ。

「弾種、煙幕」

「煙幕弾準備」

 復唱して砲塔後部にある近接防御兵器の弾入れから、弾種ごとに色分けされた近接防御兵器の弾を掻きまわし、白く塗られた缶詰のような物を取り出した。

「適時、三連射」

「了解。三連射」

 三発撃つ根拠なんてありはしない。ここら辺は勘という奴だ。

 砲塔内部から撃ち上げるために、一発撃つごとに近接防御兵器をバラさなければならない。よって三連射と言ったって間の抜けた発射になってしまう。

 まず一発目が撃ち上げられた時だった。

「警報! 戦車!」

 隣の二二一号車からの警告だった。どうやら敵も戦車で決着をつける気になったようだ。

「主砲発射用意。弾種徹甲」

「弾種徹甲」

 装填手のファルクは大忙しだ。いったんバラしていた近接防御兵器を脇に置き、砲塔の弾丸ラックから重い主砲弾を装填しなければならない。閉鎖器を開けて弾頭を入れると、あとは拳骨で押し込む。すると自動で閉まるのだが、この時に指を伸ばしていると閉鎖器に「食われて」しまうので注意だ。

「装填良し!」

 これでいつ敵戦車が現れても怖くなくなったわけだ。すぐにファルクは煙幕弾の発射に移った。

 その時、いつもより雑音が多めの無線が入った。

「二二一号車戦闘不能。戦車を放棄します」

「クソッ! 幸運を祈る!」

 重装甲の<ケーニッヒス・ティガー>は敵に撃破されても乗員は負傷程度で済むことが多く、すぐに脱出して後方に下がることができた。優れた乗員が揃っていれば、代わりの戦車さえ持って来るだけで、すぐに戦線に復帰が出来る。

 前方を行く<パンターⅡ>が突然爆発した。一人あたり一つずつあるハッチだけでなく、砲塔後面にある円形の非常脱出ハッチも開いて、中から乗員が零れ落ちるように出て来た。

 どうやら正面方向から撃たれて撃破されたようだ。噂の新兵器であろう。レーナーはよく見ようとキューポラから顔の半分を外へ出し、正面を見つめた。

 すると一〇〇〇から一五〇〇メートル先の坂を上った丘の稜線に、敵の特火点が複数あるのを視認する事ができた。砲口や銃口から噴き出す発砲炎で対戦車砲なのか、それとも小火器なのかの見分けがついた。

 ほぼ正面に太くて長い筒のような物が見えた気がした。

「対戦車砲だ! 一時の方向!」

 レーナーは指示を出しながら、先ほど<ケーニッヒス・ティガー>の主砲に徹甲弾を装填したことを悔いた。主砲弾は一度装填すると抜き出すことが出来ないのだ。そして徹甲弾だと着弾しても爆発が小さいので、歩兵が扱う対戦車砲には効果が薄いのだ。

「連射するぞ、次弾は榴弾」

「了解」

「よし停車!」

 レーナーがハルメルに命令し<ケーニッヒス・ティガー>が停まったところで、照準の修正を終えたバーデンが発射ペダルを踏みこんだ。

 レーナーの顔上半分をひっぱたくようにして主砲発射の衝撃波が駆け抜けた。よほど近くに命中しないと効果が無いと分かっているが、こちらも撃っていると落ち着いて来るから不思議な物だ。

 ほとんど直線に飛んでいく徹甲弾を目で追えることができた。砲弾は敵の対戦車砲のすぐ脇に着弾し…、そして弾き返された。

 斜め上に回転した砲弾が空中で爆発した。

「次弾装填待て!」

 もう少しでファルクが榴弾を主砲に装填するところだった。普通の対戦車砲ならば徹甲弾が弾き返されるなんていう異常事態にならないはずだ。

 その時、敵の塹壕が爆発したように見えた。

 しかし実際は違った。下から盛り上がるようにして何かが地面の下から姿を現したのだ。

「なんだアレは!」

 三一年前、彼らの大先輩がソンムの塹壕で味わった恐怖と同じ物をレーナーたちも感じていた。

 地面から現れたのは、四角い車体の上に大きくて平らで丸まった砲塔を載せている見たことのない装甲車両で、<ケーニッヒス・ティガー>よりも幅の広い履帯が地面を耕すようにして回転していた。

「敵の新型戦車だ! ファルク! とっておきを使え!」

 ドイツ国防軍では貴重なタングステンを使った、とっておきの徹甲弾Pzgr四三を各戦車に数発ずつ供給していた。並みの相手なら必要無いが、アレにはそれが必要だと確信させる物があった。

 だがファルクが装填する前に、敵の新型戦車の発砲の方が先であった。

 衝撃を受けて目が回った。どうやら被弾したようだ。エンジンはその衝撃で停止し、二二〇号車の全てが沈黙した。

試合終了だ(ノーサイド)脱出(アウスボーデン)!」

 車内に火を見たレーナーは素早く判断し、部下たちに命令した。すぐにファルクが砲塔後部の脱出ハッチから外へ出るのを確認した。

 バーデンは砲手席でぐったりして動かない。どうやら衝撃をくらって気絶してしまったようだ。

「助けてくれ!」

 車体の方から悲鳴が聞こえた。声からして車体右側の通信席に座っているモーンケナであることは間違いない。

 やたらと顔がべたつく感じがするが、レーナーは素早く砲塔から体を抜くと、そのまま車体前へと動いた。敵戦車の機銃が唸るが、そんな物は危険の内に入らなかった。

 車体上面にあるハッチの内、右側が開いており、そこから両腕が差し出されていた。中からは地獄の釜を焚くような火煙が立ち上がっていた。

「待っていろモーンケナ!」

 装甲の表面で機銃弾が弾けるが、フェイントを入れて照準を外し通信席のハッチへと駆け寄った。差し出された両腕を取って引っ張り上げた。

 隣の操縦席のハッチからハルメルが出てくる気配は無い。モーンケナを抱き上げたレーナーは、そのまま転がるようにして擱座した<ケーニッヒス・ティガー>の横へと落ちた。

 二人分の体重で想像していたのよりも激しく脇腹を打ったが、敵の車載機関銃から身を隠すのには最適の動きだった。

「うああああ」

 全身に火傷を負っているらしいモーンケナは痛みのせいで絶叫が止まらない。そこまで行って顔の下半分がべたつく理由がわかった。レーナーは被弾の衝撃でどこかにぶつけたのか鼻血を流していたのだ。

「すぐに衛生兵に診せてやるからな」

 レーナーは彼の体を担ぎ上げた。頭が右肩、足が左肩、そして腹を後頭部で支えるやり方だ。実家で羊の放牧を手伝っていた時に、よく足を痛めた子羊をこうして担いだ事があったから慣れてはいた。

 すぐに動こうとしてから思い直し<ケーニッヒス・ティガー>の影から周囲を窺った。

 敵の新型戦車が爆音を立てて丘の斜面を駆け下りてくるところだった。暗い緑と茶色の二色で全体が迷彩されていた。やはり何度見返しても見たことのない戦車だった。

(まさかインド軍オリジナルの戦車なのか?)

 肩にモーンケナを乗せたままレーナーはよく観察した。砲塔脇に白く四角く標識のような物が小さく書いてある。白い長方形の中に描かれているのは、赤い円であった。

(日本軍だと!)


 レーナーが出くわしたのは、この戦役に積極介入を決定した大日本帝国の帝国陸軍第七戦車師団であった。千葉は津田沼で編制された日本陸軍にしては装備の良いこの師団は、はるばるベンガル湾まで海路で運ばれた後、カルカッタで陸揚げされて最優先にアーメダバード方面に鉄道輸送された部隊だった。(注62)



●日本戦車の発達

 戦車(注63)に限らず兵器と言う物は、好敵手(ライバル)がいる開発競争がなされると、爆発的に進化する。

 事実、T三四を代表とする手ごわい戦車を多数抱えていたソビエト連邦の労農赤軍と戦ったドイツ戦車は爆発的進化をし、ペラペラな装甲しか持たない訓練用のⅠ号戦車で始めた欧州戦争を、連合軍に破壊が困難と言わしめたⅥ号戦車<ティガー>を装備して終わった。

 島国で、陸戦と言えば中華民国の軍閥程度の弱い相手しかいなかった日本陸軍が、重戦車を開発する動機も能力も無いはずだった。

 だが、開発競争の相手が居たのである。

 それはビルマ経由で連合軍の戦車を手に入れていた中華民国ではなく、マレー半島に駐留していたイギリス陸軍でもなかった。

 その相手は、なんと同じ日本の帝国海軍だったのである。(注64)

 事の発端は、一九三九年のノモンハン事変に始まる。

 この「事変」が日本陸軍にもたらした経験は色々であったが、一番大きな物は「日露戦争の時代と違って、いまのソビエト軍は強い」という事実であった。

 だが事実上敗北していようが、対外的にも国内的にも「大勝利」を演出しなければ、陸軍の面子が保てない。戦死者を八〇〇〇名以上出したのに「負けました」とは言えないのが当時の情勢だったのだ。(とは言ってもソビエト連邦が事実上崩壊した後に漏洩した数々の資料を紐解くと、ソビエト側も日本側と同じぐらいの損害を受けていたことが分かったのだが)(注65)

 よって国内向けの新聞報道には華やかな見出しが並ぶことになった。

 歩兵がただ歩いている写真には「神兵ハルハ川を進軍、敵を総嘗めとす」

 休憩中と思われる部隊の写真に連隊旗が映り込んでいれば「戦いの間の小休止、はためく連隊旗」

 第一次世界大戦後に開発を始めてようやく国産が軌道に乗った戦車の写真には「陸上戦艦の前に敵なし」(注66)

 この「陸上戦艦の前に敵なし」という報道に、海軍が横槍を入れたのだ。

 曰く「戦艦と名のつく物は、たとえ陸にあっても海軍が管理運営する物であるべきである」(注67)

 つまり南洋庁方面に権益を得ていた海軍は、大陸方面にもある同じような権益にもツバをつけたいと思っていた。報道写真の見出しを口実に、これ幸いと難癖をつけて、大陸のそういった甘い果実の分配を求めようと画策したのだ。

 ここで陸軍側が「あれは民間の新聞報道だから」など穏便な方法で海軍の介入を拒絶すれば大きな事件にならなかったのだろうが、水と油と例えられる関係の相手である。「海軍が陸の兵器を扱うことができるとは思えない」と強く拒絶してしまった。

 この強弁な態度に闘争心を煽られた海軍は「それならば自前で作ってしまえ」とばかりに、陸上戦艦=戦車の開発に乗り出すことになった。

 こうしてノモンハン事件の翌年、一九四〇年に特〇(とくゼロ)式内火艇という名前で海軍横須賀工廠が戦車を作ってしまった。

 だが、これはハッキリ言って失敗作であった。

 まずお手本としたのが、当時ドイツ軍がさかんに無敵の戦線突破用戦車と宣伝をしていたNbFz<新造戦車(ノイバウファールツォイク)>を選んでしまったことだ。(注68)

 この<ノイバウファールツォイク>は中央に戦車砲を装備した砲塔を持ち、その前後に機銃を装備した銃塔を持つ多砲塔戦車だったのである。

 たしかにシルエット的には「陸上戦艦」に相応しい姿をしており、ドイツ宣伝相ゲッペルスが勇ましい文言を並べ立てて褒めちぎっていたが、現用の戦車で多砲塔の物が絶滅状態であることから、色んな事を察して欲しい。

 特〇式内火艇もお手本にした<ノイバウファールツォイク>と同じように多砲塔戦車とされた。前後に機銃を装備した銃塔を持ち、中央に旋回しない司令塔と名付けた構造物を立て、旧式戦艦から外した本来ならば水雷艇撃退砲である四七ミリ砲を装備するという不格好な姿であった。

 また足回りは「マネできるならマネしてみろ」とばかりに陸軍から供与された九五式軽戦車のままと言っていい代物であった。

 九五式軽戦車よりも長くなった全長に合わせて継ぎ足されていたが、複数の砲塔を乗せて重くなった車体には、いかにも貧弱な走行装置であった。

 実際のところ路外走行能力どころか、舗装された道路上でも自重で舗装を叩き割って引きはがし、現れた土の中へとめり込んでいくという物となった。

 さらに「内火艇」という名前の通り、ボートとして水に浮くように設計してしまった。が、戦車の大半がただの河川を渡る時に丈夫な橋が必要なことで分かるように、基本的に鋼鉄で造られた物が水に浮くわけがないのである。戦艦が海に浮いていられるのは、それなりの設計であるからだ。特〇式内火艇もいちおう外見は船のような形に整えられていたが、多砲塔に弱々しい走行装置を乗せた車体を浮かべるだけの浮力は無かった。

 後の実験で、いちおう浮くことは浮いたが、(さざなみ)がよせただけで浸水するような喫水であった。

 つまり特〇式内火艇という物は、海軍が陸軍の鼻を明かそうとして造った「何か」ではあったが、何でも無いただのガラクタだったのである。(注69)

 これがせめて入念な試運転の末に公開された物ならば、まだ失敗作と分かった時点で闇に葬るなりできたであろう。が、完成の報告に喜んだ時の海軍大臣ヨシダ(注70)が、まだ試運転すらしていない状態で陸軍や各新聞社に公開してしまい、その衆人環視の下でいわば自壊するような形で上記の失態を晒したのだ。

 もちろん国中から笑い物である。陸軍からは「海軍は海の事だけをやっていればいいのだ」と再度言われるし、新聞社からは国民の血税を無駄にするなと叩かれた。

 だが陸軍は特〇式内火艇を笑い物にするだけではなかった。装備した四七ミリ砲の威力など見るべき点があることは素直に評価していた。

 すぐに自分のところで量産している九七式中戦車<チハ>の改良にも乗り出した。さすがにあんな物の後に、海軍が本物の戦車を超える車両を開発するとは思っていなかったが、砲の威力でガラクタに本物が負けるわけにはいかないのだ。

 最初は戦車小隊の小隊長車用として新型砲塔を開発した。この砲塔は一式四七ミリ戦車砲を装備しており、元の九七式五七ミリ戦車砲よりも成績が優秀だったことから、全量産車の武装がこれに切り替えられた。(注71)

 それまで装備していた九七式五七ミリ砲も対歩兵用としては申し分なかったが、トーチカなどの硬い目標に対して貫通力の不足が、現場から苦情として上がっていたのである。

 またすでに配備されていた<チハ>も、後から生産された新型砲塔を乗せ換える形で改修されていった。

 この流れはさらに改良型である一式中戦車<チヘ>の開発に結び付いた。

 砲塔を交換したことにより攻撃力が上昇した。今度はその攻撃力に見合った防御力というわけで、装甲の厚みは倍の五〇ミリとされた。(注72)

 帝国陸軍は、この新型砲塔に換えた九七式中戦車<チハ改>と、防御力も改善した一式中戦車<チヘ>の二つの中戦車で、太平洋の戦い…、日本側呼称『大東亜戦争』に突入した。

 マレー半島やフィリピンで、装甲の弱さから「ブリキ缶」と揶揄されたのは、これら二車種である。なにせ連合軍が持ち込んでいた「軽」戦車であるM三<スチュアート>の主砲に一番厚いはずの正面装甲を貫通されるぐらいだったからだ。

 だが、この時点(一九四一年)でのドイツ軍の主力戦車はⅢ号戦車の前期型である。「ブリキ缶」に比べて、主砲威力も装甲の厚みも、そう差が無い物だった。(Ⅲ号戦車の前期型では主砲が三七ミリ砲、最大装甲厚三〇ミリだった)

 特〇式内火艇で笑い者にされた海軍の方であるが、主任設計者が切腹による自殺未遂事件を起こすなど、ゴタゴタが起きた後、正常な精神に戻った。

 そう特式内火艇という言葉に釣られて水陸両用の戦車を造ろうとしたのが間違いだったのだ。

 今度はただの戦車だ。(いや名称は特式内火艇のままだったが)

 失敗したから中止にしようとならなかったのは、笑われて潰された面子を取り戻すというよりも、一度確保した予算は消すことができないという、いかにも官僚的な理由であった。

 特一式内火艇と名付けられた海軍の戦車が完成したのは、南雲機動部隊が単冠湾を出港した直後であった。

 すっぱりと浮航を諦めた車体は、八八艦隊を計画設計した時に学んだ傾斜をつけた装甲で覆われ「決戦距離では自分の攻撃に耐えられる装甲」という戦艦の思考で与えられた装甲の厚みは、最大で一一〇ミリを超えていた。そして中央に一つきりとされた砲塔には、艦船用に採用されたばかりの九八式八センチ高角砲(通称、長八センチ高角砲)を改造した主砲が装備されていた。

 一式八センチ内火艇砲(うちびていほう)と名付けられたこの砲は、実径が七六・二ミリであり、砲身の長さは六五口径、つまり五メートル近くあった。

 足回りも自重に見合った幅をした履帯を持ち、エンジンは航空機用の水冷エンジンが搭載されて路上で四五キロ以上の速度を出すことができた。

 今度は入念に試運転を繰り返した後、開戦に沸く国内へ発表された特一式内火艇は、陸軍に衝撃を与えた。なにせ現在彼らが装備している戦車どころか、これから開発しようかとしていた戦車を上回る性能だったのだ。(注73)

 海軍はこの「陸上戦艦」の量産を宣言していた。これは陸軍にとって恐怖である。もしクーデターなどが起こって両軍が相まみえることになったら、陸軍の戦車は、海軍の戦車に片端から討ち取られること間違いなしである。逆に陸軍の戦車は海軍の戦車に勝つことは難しい。なにせ装甲の最大厚は改良型の一式中戦車<チヘ>でも、向こうの半分である五〇ミリしかないのだ。

 慌てた陸軍は、急遽「重戦車検討委員会」を立ち上げ、委員長には香港攻略予定の第二三軍にて参謀職に就いていたクリバヤシ少将をわざわざ内地に呼び戻して任命した。彼は騎兵として国の内外に名が知れた軍人であった。(戦車は多くの国で騎兵科が担当していた)(注74)

 前線から呼び戻されたクリバヤシ少将は、その足でさっそく特一式内火艇を見学した。海軍側は量産を開始していると言ってはいたが、当面はこれから始まる対米戦のために、生産は一向に進んでいる様子では無かった。クリバヤシ少将に挽回する時間はあった。

 対する陸軍は、大東亜戦争を戦い抜くために戦費を充当される身である。

 時間があり、予算がある。後はやる気である。特一式内火艇に対抗できる重戦車の開発に障害は無いと思われた。

 まず彼が取り掛かったのは、既存の戦車の改良であった。九七式中戦車<チハ>から一式中戦車<チヘ>に進化していた中戦車は、新型の仮称<チト>へと進化しようとしていた。

 が、それより先に七五ミリ砲である九〇式野砲をベースに、これを戦車砲とした三式七センチ半戦車砲Ⅱ型を搭載する新型砲塔が開発された。

 この新型砲塔を搭載した<チヘ>を三式中戦車<チヌ>と名付け、陸軍の主力戦車と位置付けた。(注75)

 さすがに装甲の厚みが薄い九七式中戦車<チハ改>を再改造するには無理があり、そちらは砲戦車や自走砲の車台へと転用されることになった。これらは主に一式砲戦車<ホニ>となり、戦車連隊の砲戦車中隊に配属された。(注76)

 次に新規の重戦車が設計された。こうして生み出されたのが二式重戦車<オニ>である。(注77)秘匿名称の「オ」は言わずものがな「重い」の「オ」である。その後にイロハ順につけられる略称がいきなり「ニ」なのは、過去に「イ」~「ハ」の語を試作車で使用していたからである。(陸軍にも<オイ>という黒歴史があったのだ)(注78)

 またこの秘匿名称から、戦後の児童書などでは「鬼戦車」と呼ばれる事になる。

 二式重戦車<オニ>は、あらゆる性能で特一式内火艇を超えることが求められた。

 装甲は全面的に被弾経始こそ取り入れられなかったが、厚みは一二〇ミリを超えた。もちろん材質の方だって当時最新の冶金技術が用いられた。

 動力は伝統的なディーゼルエンジンで、九七式中戦車<チハ>の一五〇馬力から一気に四倍の六〇〇馬力にした。これは開発に成功していた統制型と呼ばれる、一種の工業規格に沿った発動機開発の成果であった。

 それまでの工業製品は、同じ製品であっても寸法が違うのは当たり前であり、修理どころか整備するのにも職人の技が必要だった。自らの近代化にあたって機械化を推し進めていた陸軍にとって、これは大きな障害となった。そこで取った部品共通化が統制型と呼ばれる物であった。後の世では当たり前になる工業部品の規格化である。規格化されたネジ、シリンダー、ピストン、クランクから生み出されたのが新型の統制型二式発動機であった。

 そして主砲は「向こうが実径七六・二ミリならば、こちらは上を行く八〇ミリだ」とばかりに九九式八センチ高射砲(実径八八ミリ)をベースに設計した一式八センチ戦車砲(こちらも実径は八八ミリ)を搭載した。(注79)

 この時、海軍側も新しい特式内火艇(後の特二式内火艇)を開発していることを陸軍側も掴んでおり、半ば恐怖に駆られて急造された試作車は、皇居外苑にて公開される事になった。

 同時に公開された特二式内火艇<カミ>は、海軍が「今度こそは本物の水陸両用戦車を」と考えて作った九五式軽戦車の水陸両用車版といった物だったので、実物を見た陸軍側が胸を撫でおろす一幕もあった。(注80)

 この特二式内火艇は、特一式内火艇と区別するために<カミ>と略称をつけられる事になった。特一式内火艇の方は<カタ>である。これは内火艇と言いながらも陸上の「カタピラ(キャタピラ=履帯のこと)」だけの運用であるという理由と説明された。が、実際は「陸軍に勝った車」の「かった」を訛らせたのが事の真相である。特〇式内火艇には略称はつけられなかった理由は推して知るべし。

 翌年、一式中戦車<チヘ>から三式中戦車<チヌ>へ改造するために下ろされて、陸軍では廃棄処分となった一式四七ミリ主砲装備の砲塔を利用して、海軍により特三式内火艇<カチ>が製造生産される。(注81)

 これは特二式内火艇<カミ>が太平洋の要衝ガダルカナルを巡る戦いで、その低い性能が原因で活躍ができなかったからである。ただしマタニカウ川を巡る戦いでは海軍陸戦隊が揚陸に成功していた<カタ>三両が活躍して、ガダルカナル飛行場(合衆国側呼称ヘンダーソン基地)の再占領を遂げていた。(注82)

 この陸軍が廃棄した砲塔を海軍が回収し再利用した事にも実は裏の話しがあったようなのだが、関係者が揃って口をつぐんでいるために、ここでは割愛する。

 大東亜戦争の終結を意味するサンフランシスコ講和条約(注83)の締結がされた一九四四年になっても、両軍における戦車開発競争は終わらなかった。口の悪い将兵が「陸軍と海軍で争って、その余力で戦争する」と言っていた事は半ば事実だった。(注84)

 海軍が特四式内火艇<カツ>を開発しているという情報を掴んだ陸軍は、四式中戦車<チト>を完成させた。(注85)

 これは九七式中戦車<チハ>の正統後継車として陸軍が長年開発していた車両であり、当初予定していた長砲身四七ミリ試製戦車砲の搭載を、特一式内火艇<カタ>の登場で長砲身五七ミリ試製戦車砲へ変更。さらにそこから進化して長砲身の五式七センチ半戦車砲搭載にした物である。

 もちろん単独で特一式内火艇<カタ>と戦うには力不足であるが、二式重戦車<オニ>も同時に改良型を開発して、四式中戦車<チト>の支援にあたる戦車とすることにした。

 これが二式重戦車改<オニ改>である。(注86)

 生産性を考えて二式重戦車<オニ>と使われている部品が共通化され、ほとんど変更はない。が、車体デザインには被弾経始を取り入れられ、実質の防御力は上がっている物とされた。

 陸軍は四式中戦車<チト>でさえまだ中途採用の物とした。次に開発している、より高性能の五式中戦車と名付けられる予定の試製<チリ>を本命と考えていた。(注87)

 そんな新型戦車完成で安心していた陸軍は冷や水を浴びせかけられることになる。

 たしかに海軍は特四式内火艇<カチ>を開発した。これは本当に内火艇に履帯をつけたような代物だった。ガダルカナル島の戦いで物資揚陸の困難さを思い知った海軍が、内陸まで走っていける内火艇が欲しいとして開発した物だったから、至極当然だった。

 つまり物資運搬用の車両であるから戦闘能力は無きに等しい。(装備している武装は九三式一三ミリ機銃が二挺だけである)(注88)

 だが、ほぼ同時にもう一両、海軍工廠が開発した車両があったのである。

 特五式内火艇<トク>(注89)

 被弾経始を取り入れた重装甲はもちろん、エンジンはやはり航空機の物を転用した大馬力のガソリンエンジンを搭載していた。

 問題となったのは搭載していた砲である。前任の特一式内火艇<カタ>が長八センチ砲だったから、今度は同系列でさらに大きな砲だというわけで、長一〇センチ高角砲の通称で知られる九八式一〇センチ高角砲を改造した四式一〇センチ内火艇砲(うちびていほう)を搭載したのである。

 さすがに六メートル半を超える砲身をそのまま搭載する事ができずに五メートル強ほどに短縮はしていたが、その威力は凄まじい物があった。有効射程距離に四式中戦車<チト>の車列があったとしたら、一台目を貫通して、後ろにいる二台目を破壊できる程であった。

 この大威力砲をさらに「まるで戦艦のように豪華だ」と言われた砲塔に搭載した。この砲塔後部には戦艦の主砲塔と同じようにステレオ式測距儀まで搭載されていた。(注90)これにより初弾で敵を撃破できる確率は一段と上がっていた。

 唯一の弱点を上げればガソリン駆動な点だった。燃料タンク等に被弾すれば火災になりやすいというのがガソリン駆動の弱点だった。

 しかし<トク>ならば、敵弾は装甲で弾くか、もしくは強力な主砲を相手の射程外から撃ち浴びせればいいのだから、致命的欠点とは言い難かった。しかもステレオ式測距儀を装備しているので初弾命中率が高いのだ。

 この海軍の重戦車<トク>を知った陸軍上層部はパニックとなった。なにせ一〇センチ砲である。野砲ならいざ知らず、戦車砲としては試製の物ならば陸軍も同じサイズの物を幾つか持ってはいたが、量産には程遠い物であった。

 五式中戦車<チリ>の計画は全面的に中止され、二式重戦車改<オニ改>を当面の間、主力戦車に格上げとすると発表されたが生産数などは未定とされた。

 そして新たな六式中戦車の開発を開始したところで、物語は唐突に終わる。

 一つの国の陸軍と海軍で戦車の開発競争をしているという、誰が聞いても愚としか言えない事を諫める存在の登場である。

 一九四五年夏。大東亜戦争戦勝を記念して「大阪湾凱旋観艦式」が行われた。

 これは同年中に予定された陸軍の特別大演習が関西地方であったため、天皇陛下に余分なご足労をかけないよう配慮して例年の横浜沖ではなく大阪湾で行われた物だ。(注91)

 合衆国海軍太平洋艦隊を打ち破った南雲機動部隊を始めとする航空母艦が全て艦首を揃えるという壮大な艦列が売り文句であった。参加艦艇は合計一六〇隻。その上空を航空機が八〇〇機も飛び交うという物であった。

 堂々たる艦列が明石海峡から順番に大阪湾へと進撃し、お召し艦の目の前で変針し、順番に紀淡海峡から出て行く様は、規律の整った連合艦隊を国の内外へ喧伝するのに最適の演出であった。

 ただ観艦式が始まる前、お召し艦となった戦艦<長門>艦上で小さな騒動が起きた。

 港からゆっくりと動き出す<長門>の甲板上から風景をご覧になられていた陛下が、桟橋に一隻の船を認められた。

 小さい船体に平らな全通甲板を持つ、まるで航空母艦のような船である。ただ海軍軍籍にある船ならば艦尾旗竿に掲げているだろう軍艦旗が無い。代わりに半旗にされているのは日章旗であった。(陛下がご座乗されている<長門>に対する敬礼としての半旗である)

 空母が全て参加とお耳にされていた陛下は当然の如く、あの艦は参加せぬのかと問われた。運悪く答えたのが堅物で知られる連合艦隊参謀長のクサカ中将であったのが災いした。(注92)

「あれは陸軍の空母でございます」

 陛下が指差されたのは陸軍特種船<あきつ丸>(注93)だったのである。見た目は航空母艦そのもので、実際対潜用に三式指揮連絡機(キ七六)などを運用する能力があった。だがあくまでも陸軍の船である。海軍の行事である観艦式に参加の予定はなかった。

 クサカ中将の答えに、陸軍が空母とはどういうことかと陛下は問いただされた。

 これが洒落物のゲンダ大佐(注94)あたりならば機転を利かせて「陸軍が南の島へ飛行機を運ぶ船なのです」などと誤魔化したことだろう。(航空機運搬船も飛行機を運ぶのに有利なように飛行甲板のような平らな全通甲板を持つことが多い)

 だが頭は良いが機転の利かないクサカ中将にそれを求めるのは酷と言う物だろう。さらに付け加えるなら、目の前で萱場製作所のオ号観測機(オートジャイロ)が発着していたそうだから、誤魔化すにも限度という物があった。

 陸軍が空母を持つと知って陛下は激怒なされたと聞く。普段は温厚な陛下がお怒りを顕わにされるとはよっぽどのことだ。

 宮城(きゅうじょう)に戻られた後に開かれた御前会議にて、並ぶ重鎮にむけて心情を吐露された。

 空母は空母。それには陸軍も海軍も無かろうということである。もし陸軍が空母を作戦で使いたければ、海軍に頼めばよいではないか。それが出来ない程に、両軍には溝があるというのかと、自身が怒る理由を諭された。(とはいっても、この時期の日本陸海軍は本当にそれぐらい仲が悪かったのではあるが)

 陸海軍の仲が悪い事は知ってはいたが、空母を別々に持つほどまで仲が悪いとは知らなかったと嘆かれ、同時に「改善」を要求された。

 陛下のご意向である。すぐに特別軍需委員会が立ちあげられ、陸海軍の将兵がその場に出向する形で話し合いが始められた。

 これにより翌年から軍事改革が断行された。両軍で重なっている軍備などを見直す大規模な物である。その中身は、陸軍航空隊と海軍航空隊基地部隊の統合といった大きな物から、別々に生産していた同じ設計の水冷式発動機という技術的な物、支給品の褌のような小さなものまで多岐にわたった。(注95)

 この軍事改革により、陸軍航空隊と海軍航空隊基地部隊は統合され、大日本帝国空軍が発足した。同じように陸軍水上部隊と海軍陸戦隊が統合され大日本帝国海援隊(後に大日本帝国海兵隊へ呼称変更される)に、陸軍艦艇部隊と海軍連合艦隊旧第三艦隊が統合されて海軍護衛総隊となった。(注96)

 この荒波に、陸軍戦車部隊と海軍陸戦隊特式内火艇部隊も呑み込まれた。戦車開発は両軍で統一された戦車研究委員会で行われる事となり、海軍は特五式内火艇<トク>以降は開発に直接関与しない事となった。海援隊は水陸両用の車両のみ装備する事とし、戦車が必要な場合は陸軍の支援を受けることとされた。(この原則は後に崩れ、帝国海兵隊も戦車を装備する事になるが、それはだいぶ未来のことだ)

 この改革により生み出されたのが、七式戦車<オカ>であった。(注97)この戦車は陸軍の戦車と海軍の特式内火艇の良いところを集めて造られた。陸軍の戦車は攻撃力が不足し、海軍の特式内火艇はガソリンエンジンのため火災に弱かった。そのお互いの欠点を補った車両の開発である。もっと簡単に言うと、試製五式中戦車の車体に<トク>の砲塔を載せた戦車であった。


 アーメダバード近郊でドイツ軍の進軍を止めたのは、この七式戦車<オカ>であった。

 当時のドイツ陸軍が装備していた主力戦車はV号戦車<パンターⅡ>である。初期生産型である<パンターⅠ>のD型からF型へと発達した過程で解明した全ての欠点を改善した車両だ。傾斜された前装甲は一一〇ミリの厚さを持ち、ガソリンエンジンで最大時速五〇キロを出す。そして主砲は七〇口径七五ミリ砲。連合軍の中戦車でまともに戦えるのはT三四ぐらいしかなく、連合軍の戦車を欧州や北アフリカから叩き出した戦車だ。

 しかしそんな歴戦の勇でも、相手が悪かった。この頃にやっと生産が軌道に乗り始めていた七式戦車<オカ>は、最大装甲厚一九五ミリに達し、主砲は五三口径一〇〇ミリ砲。弱点と言えば最大出力六五〇馬力のディーゼルエンジンで時速三五キロ程度しか出せないことであった。(これには懸架装置がホルストマン方式という古い設計も影響した)

しかし守備陣地に居座って押し寄せるドイツ機甲師団を撫で斬りにする分には、速力はあまり重要では無かった。

もちろん日本陸軍の戦車が全て<オカ>であったらより良かっただろうが、数の上での主力は中戦車の四式戦車<チト>であった。こちらは性能的に言うと、名もなき前線の兵が残した言葉が全てを表していた。曰く「寝不足のパンテル戦車だ」と。

 攻防走ともにドイツ陸軍のV号戦車<パンター>に、いまいち足りない性能だったのだ。

 だがこの戦場に、九七中戦車<チハ>で立ち向かわずに済んだことは僥倖だというのが、日本陸軍の戦車兵の共通した認識だった。



●紅海バブ・エル・マンデル海峡付近、上空七〇〇〇メートル:1948年3月10日1025(現地時間)



 雲一つない蒼穹を一機の飛行機が飛んでいた。

 淡いライトブルー一色に塗られた機体に、黒い十字の国籍マークが描かれていた。これはドイツ空軍の艦上機部隊を意味する塗装であった。(注98)

 ユンカース社製液冷エンジンであるユモ二一三が快調にプロペラを回していた。

 飛行に何も問題は無さそうである。

 複座の機体名はユンカース一八七。あの欧州戦線で機甲師団が見せた怒涛の進撃を、空から急降下爆撃で支援して有名になったユンカース八七<スツーカ>の後継機として開発された機体だ。

 ユンカース一八七の方は新しい急降下爆撃機ということで<ネオ・スツーカ>という愛称がつけられたが、いつの間にか呼び慣れている<スツーカ>という名前が定着してしまった。

 まあ旧式(アルター)となったユンカース八九、新型(ネオ)に対して<アルター・スツーカ>とでも呼ぶべき機体は、もう国内では訓練部隊にしか残っていない。実戦部隊ならば供与や輸出した先の外国でしか見ることも無くなっていたので、実質名前で混乱するなどの問題が起きる事は無くなっていた。

 この新しい<スツーカ>であるが、試作機はトンデモギミック満載の物だった。なにせ後部にある遠隔式油圧駆動連装銃座の射界を広げようと、離陸して主脚を引きこむと同時に、機体の後部にある垂直尾翼が機体上部から下側へ移動するというのだ。(注99)

 よくある技術者の暴走というやつだ。彼らは理論が先走り、現場で使用する兵たちのことまで考えが至らないことがある。この垂直尾翼移動ギミックだって、ちょっと考えれば戦場で無駄な物だと分かるはずだ。

もちろん機関銃の射撃に邪魔となる尾翼が無いのは戦闘では有利であろう。だが、それが毎回確実に動作するように整備できる環境に、前線基地が保たれている保証は誰がするのだろうか。

 作動しないならまだしも、離陸の途中で移動が止まったら、最悪不時着である。

 この技術の暴走であるが、量産機では油圧式銃塔と共に取り止めになった。確かに重量増と引き換えに、装備するはずだった連装銃塔の性能は素晴らしい物だった。搭載していたならばたとえジェット戦闘機に追われたとしても、やり返せるぐらいの性能があった。しかし最前線に兵士が持って行きたがるのは、電気湯沸かし器ではなくただのヤカンである。最前線に電気があるとは限らないし、ヤカンならば薪でも炭でも湯を沸かせる。そういう理屈だ。

 だが、より実践的な改良が施されたのには大きな出来事があった。

 あの<(アルター・)スツーカ>の後継機である<(ネオ・)スツーカ>の試作機が出来たと聞いて、見学に来た東部戦線の英雄が一目見るなり注文をつけたからだ。

 曰く。

「操縦性に癖があったらコロス。

 機銃の一発や二発で動かなくなるヤワな機体はお断り。

 弾丸と燃料はメッチャ積んで長く戦えるようにしておくように。

 墜落時のために飲料水と浄水器を多く搭載するコト。

 イザという時に軟着陸できるように手動で脚が下せるように。

 片翼がたとえ取れチまっても安全に不時着できること」

 この戦術爆撃機としてちょっと考えれば真っ当な注文(注100)を受けて、ユンカース一八七<(ネオ・)スツーカ>は極真っ当な急降下爆撃機として改修され、量産が開始されたのだ。

 なお戦術爆撃機としては他にもジェット機であるヘンシェル一三二C<(シュパッツ)>、戦闘機というより万能機のフォッケウルフ一九〇<百舌鳥(ビュルガー)>の地上攻撃型、小型で取り回しが良いヘンシェル一二九<空飛ぶ(フリューゲル)缶切り(ドーゼンナフナー)>など複数の機種が存在したが、ドイツ空軍自体が戦術空軍として生まれた性格上、多機種が並列して存在することに疑問を抱く者は少なかった。(注101)


 試作機に注文をつけたのは、いま操縦桿を握っている操縦士であり、欧州戦争の東部戦線にて英雄となったハンス=ウルデリッヒ・ルーデル大佐その人であった。(注102)

「ルーデル、始まるぞ」

 声をかけたのは、後席に座る軍医のはずのドクトル・エルンスト・ガーデルマン少佐である。(注103)欧州戦争では後席にエルヴィン・ヘンシェル兵長(当時)が座っていたのだが、彼はモスクワ陥落後の休暇中、水の事故で亡くなってしまったのだ。

 一時期は整備兵に後席を任せていたのだが、ルーデルの超人的な敢闘精神について行けずドロップアウト。それ以来、趣味が同じという事で仲良くなったガーデルマンが相棒を務めているのだ。(注104)

「どれだけ戦えるかな?」

 いささか懐疑的な声をルーデルは漏らし、彼らの足元に広がる紺碧の海を見おろした。

 青い布を敷き詰めたような中に、緑色の四角い札が一枚置いてあるように見えた。

 だが現在の高度からして、ただの札がそんな大きさに見えるわけがなかった。

 緑色の濃淡と、薄い茶色、そして無鉄砲に書かれた黒線のような迷彩は、前の戦争で同盟国として戦った大日本帝国海軍が航空母艦に採用しているはずのパターンだった。(注105)

 だが今、彼らの足元を行く艦は帝国海軍の空母ではない。綺麗に帝国海軍の迷彩を再現しているが、これだけは譲れないとばかりに飛行甲板の前の方に白い円が描かれ、その中に彼らの国章である鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれていた。

 艦名は<ドクトル・エッケナー>という。前大戦で「ドイツ唯一の敗北」と言われた『北大西洋海戦』で沈んだ<グラーフ・ツェッペリン>とは準同型艦となる。いや<グラーフ・ツェッペリン>の悪いところを直した艦級なので改グラーフ・ツェッペリン級と言って差し支えないだろう。(注106)

 彼女は、ルーデルが率いる空母航空団の空襲練習用に、標的役を務めるために日本空母に似せた緑色を基調とした迷彩に塗られているのだ。おかげで艦隊からは<(グリュン)>と綽名されていた。

 彼女の左右から、海上をミズスマシのように迫る黒い影があった。南の太陽の日差しを遮るものが高速で接近している証拠だ。ドイツ空軍が空母艦上機用に開発した単発三座の偵察雷撃機フォッケウルフ一六七の襲撃だ。

 前の大戦でフィーゼラー社が開発した複葉機ではない。同じ番号ではあるが、任務が同じなために番号を流用しただけで、機体はまったくの別物である。なにより単葉機であった。

 搭乗員から優雅に滑空するように飛行する姿を鳥に例えられて<信天翁(アイバトス)>と愛称がつけられていた。(注107)

 緩い傘形陣形になった編隊から、白い筋が伸び始めた。航空魚雷を<ドクトル・エッケナー>に向けて投下したのだ。

 魚雷投下を終えた機体は、飛行甲板ギリギリを掠めて反対舷へと飛び去って行った。

 ルーデルはそちらの方ではなく、<ドクトル・エッケナー>へと伸びる白い魚雷の航跡を注視していた。

 どうやら<ドクトル・エッケナー>艦長のモルド・ヴォルフ大佐は全てを回避できないと悟ったらしい。より被雷が少ない方と判断したのだろう。<ドクトル・エッケナー>は舵を左へ、つまり取舵を切って雷跡をかわそうとしていた。

 右舷だけで一二本、左舷は少し多くて一六本。両舷あわせて二八本の雷跡の内、六本が<ドクトル・エッケナー>の舷側と交わった。

 が、爆発やそれに伴う水柱が上がる事はなく、そのまま白い航跡は反対側へと伸び続けた。

 当たり前だ。これは訓練である。雷撃機の襲撃訓練の度に空母を沈める海軍はどこにも存在しない。

 仕掛けは単純である。魚雷が進む深さを<ドクトル・エッケナー>の艦底よりも深くしておけばいいのだ。

 そうすれば魚雷は<ドクトル・エッケナー>の艦底をくぐってぶつかることはない。もちろん万が一のために弾頭は訓練用の砂が入った物に取り換えてある。

 投下した魚雷の方は、事前にわかっている射程距離からだいたい到着する位置が分かる。燃料が尽きて推進力が無くなれば、気室の浮力で海面に浮かび上がってくる。後は航空団の要請を受けた魚雷回収船が拾いに行くだけだ。

「六本命中と」

 どうやらガーデルマンはちゃんとメモを取っているようだ。改グラーフ・ツェッペリン級を模したイラストに、本番ならば魚雷が命中していたはずの箇所へ、矢印を書き込んでいた。

「次が来たぞ」

 飛行中は周囲に視線を走らせることが癖になっているルーデルが呟くと、ガーデルマンは慌てて顔を上げた。

「どのくらいいけるかな?」

「見てのお楽しみだ」

 彼らの乗るユンカース一八七と同じ艦上機型であるC型の編隊が、右舷後方から迫っていた。

 だがルーデルたちよりも高度がちょっと低い。というより訓練を見るため、こちらが高めの高度を飛んでいるので当たり前であった。

 全部で一六機の<スツーカ>たちは、一本の棒のように整列した。

 相対速度があまりないので、のんびりと追いついてきたような雰囲気であったが、急に変化した。

 先頭の指揮官機がヒラリと翼を翻すと、緑色の飛行甲板へ向けて急降下を開始した。二番機、三番機と続く。まるで見えないローラーコースターのレールが空中に敷いてあるようだ。全機が同じ場所で(いや普通の飛行機ならば、必ず前へ進んでいるので、同じ場所ではなくルーデル機から見て相対的に同じ位置という事になるが)急降下を開始した。

 その角度は七〇度ほど。(注108)本当は九〇度という無茶苦茶な角度で急降下爆撃できるが、相手は地上に置かれた固定目標ではないのだ。艦尾から引いている航跡の長さから、全速力である三五ノット(約時速六四・八キロ)で進んでいると思われた。いま見えている場所へ垂直に降下しても、攻撃高度へ下りるわずかな時間までに進んでしまって、あるのは航跡がある海面だけということになる。

 よって前進速度を加味した角度で<スツーカ>たちは追いかけるようにして急降下して行った。

 対する<ドクトル・エッケナー>の方も黙って取舵で進んでいるわけではなかった。針路を戻しながら、右舷に寄せて設けられた艦橋の前後に装備した対空砲が動き始めていた。ガチャガチャと対空砲や対空機関銃の砲身が上を向き、突っ込んで来る<スツーカ>に筒先を向けた。

 チカチカと光っているのは発砲炎ではなく、探照灯である。こちらは対空砲火を打ち上げているつもりなのだぞと言う合図だ。

 軽く逆向きのガルウィングとされた主翼の下に装備された抵抗板(ダイブブレーキ)が開いた。空気を切り裂く耳障りの悪い金属音が上空でも聞こえてきた。

「よくはないな」

 空母に向けて飛び込んでいく中隊を見おろして、ルーデルは不満のある声を漏らした。

「そうか? 彼らはよくやっていると思うぞ」

 一直線に空母へ飛び込んで行った縦隊は、高度四五〇メートルほどで機首を引き上げた。

 急降下爆撃の訓練なのに、何も落としたりしない。たとえ砂袋にしろ、命中したらただでは済まない威力で落下するので、襲う振りをするだけなのだ。実際に訓練弾を使う時は、無人の艀に向かって行う。もちろん実弾なら相手は敵だ。

 今度は逆に見えない上向きのローラーコースターのレールがあるように、一本の棒のまま巡航高度まで戻って来た。動きが丸写しなのは訓練の成果ではない。<スツーカ>にも<アルター・スツーカ>に搭載されていたアスカニア社製の自動引き起こし装置が装備されているからだ。その自動操縦装置のお陰で、高G環境に置かれた操縦士が、たとえ気絶しても、機体は巡航高度へと戻って来られるようになっているのだ。

「ルーデル、やめておけよ」

 そこは女房役が長いだけあって「スツーカ大佐」の異名を取るルーデルのことは分かっているガーデルマンなのであった。彼が何かやる前に釘を刺しておくのは朝飯前だ。

「急降下というものは、こうやるのだ」

 だが分かっていても止められない物は止められない。二人の乗った<スツーカ>は、<ドクトル・エッケナー>に前方から突っ込んでいった。

 高度が一〇〇〇を切る頃に、やっとダイブブレーキを開き減速するが、逆に角度をそれまでの七〇度から九〇度へと急にした。

 高度警報装置のブザーが鳴った。

「投下!」

 ここからならば命中確実という位置で号令をかける。もちろん、この機体にだって何も積んでいないので爆撃する振りだけだ。

 艦橋に立つ<ドクトル・エッケナー>の乗組員たちが引き攣った表情をしているのが確認できる。先ほどの編隊による模擬攻撃は、後方から追いすがるようにして行われた。よって艦からは、比較的動きが鈍く見えたはずだ。

 対するルーデルの急降下は、艦の前方より行われた。ルーデルの<スツーカ>自体の速度もあるが、<ドクトル・エッケナー>だって訓練とはいえ戦闘速度を出している。よって相対的にお互いの速度が合成された速さで接近したことになるのだ。

 あの顔を青くしている艦橋員には、ルーデルが機体ごとぶつかるつもりに違いないと見えたはずだ。

 演習に参加した<スツーカ>各機と違って、自動装置を切ったままでいたルーデルは、自分の腕力で操縦桿を引いた。機首はその操作に従って真下からググッと水平まで持ち上がるが、慣性の法則でそのまま機体は落下を続けた。

 海面高度二〇〇メートルほどでやっと進むべき方向を取り戻した<スツーカ>は、そのままの高度で演習海域を離れた。



 大日本帝国陸軍の介入でインドの首都デリーに向けた進攻が止まったドイツ陸軍を、ドイツ空軍は空から援護した。開発が一段落した最新式航空機…、ジェット機を惜しみなく投入し、前線で粘る帝国陸軍最新鋭戦車の七式戦車<オカ>を、精密な爆撃で攻撃した。

 だがそれは、彼らが独自に開発したネ二〇から発達したターボジェットエンジン(注109)を装備した日本側のジェット機を呼び込むことになった。

 お互いの本土から離れた空で、独日空軍はジェット機同士で鍔迫り合いを繰り広げることになった。

 もちろんドイツ海軍も遊んでいるわけでは無かった。

 機甲部隊と言う物は、既述したとおり物資を大量に必要とする。

 ドイツ本土からボンベイやゴアへ大量の補給物資を運ぶ手段は、輸送船団をもって他は無い。ドイツ本土から陸路なり海路なりで地中海まで運んだ後は、高速輸送船に積んでスエズ運河を南下、紅海を抜けてアデン湾に浮かぶ元フランス領ソコトラ島に中継地として一旦集める。そこからアラビア海を一気に横断して両地へと運ばなければならない。

 インド洋に面した東アフリカ帝国エチオピアのマッサウ港も、新生ローマ帝国が戦後に取り戻していた。マッサウ港は中継地として最適なのだが、この「紛争」には新生ローマ帝国は中立を宣言していたため使用はできなかったのだ。(注110)

 地中海に覇権を得た新生ローマ帝国…、いやムッソリーニ統領は、それで満足してしまったのか、大ドイツの世界戦略とは、お互い齟齬が生じるようになっていたのだ。

 アラビア海横断の距離は凡そ一〇〇〇キロ。しかも真っすぐ進んでの距離だ、短い距離ではない。そして古来より敵の補給線を叩くのは戦争において常道とされる。

 日本の潜水艦による襲撃をかわしてその距離を進むのには、輸送船だけでは無理であった。

 欧州戦争では大英帝国に対して行った潜水艦による補給路破壊戦が、まさかこんな形で自分に返って来るだろうとは、ドイツ海軍も神では無いので分からなかった。

 ボンベイから機甲師団がデリー目指して北上を始めるのと時を同じにして、ドイツ側の輸送船の被害隻数が急カーブで上昇し始めていた。

 ルーデルが紅海で部下たちを鍛えていたのは、そういう理由からだった。

 このままでは補給が続かなくて陸のインド進攻軍は敗北してしまうのだ。取り敢えず大規模な輸送船団で、新たな機甲部隊を最低は一個師団ほどボンベイに送り込まなければならない。もちろんそれに纏わる物資も運ばなければならない。それでやっとインドで戦う国防軍は一息つけるだろう。戦争に勝利するにはまだまだ補給戦を続けなければならないが、大規模輸送作戦の一回目だからこそ成功させなければならない。

 そして、その状況は大日本帝国側も重々承知であった。

 一回目だからこそ補給を成功させてはならない。よって太平洋に敵なしとなった連合艦隊がインド洋へと振り向けられることになった。

 さらにルーデルには、ヒトラー総統から直接依頼された任務もあった。

 内容は簡潔である。「戦艦<ヤマト>を撃沈せよ」という物だった。(注111)

 そして、ルーデルが空軍情報部からもたらされた事前情報には、もちろんインド洋に派遣された日本艦隊の情報があった。その艦隊に戦艦<ヤマト>が含まれていたのであった。


 ということで、和美の都合のいいように世界改変を行って、ドイツ国防軍には止まってもらいました。とは言っても日印連合軍はそんなに強くないから、遅滞戦闘でズルズルと前線を押されていくと思いますけどね。そこで敵の輸送路を狙うのが戦略というヤツですよ。

 ルーデル閣下にはドイツ側の主人公みたいな役をやってもらおうかな、と思ってます。もちろん本人に会った事すら無い和美ですから、人となりは想像で書いています。つまり「この世界のルーデル」ということにしておいてください。悪しからず。

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