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戦艦<ヤマト>を撃沈せよ  作者: 池田 和美
11/13

戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・⑪

 さあ大詰めですよ。一隻また一隻と仲間を失っているドイツ機動部隊ですが、最後まで頑張ってもらわないと。

 もちろん、これまでに登場したルーデル閣下だって、まだまだ元気ですから。他にも登場人物いますしね。

 彼らの顛末は果たして…。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>:1948年4月20日1900(現地時間)



 日没は一五分ほど前であった。あたりには暗闇が忍び寄っており、西側にある明るさは残照である。

 あれから旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>は二回の空襲をしのぎ切った。アイムホルン艦長の操艦術は素晴らしく、三桁に及ぼうかという爆弾を避け切った。

 結局、被弾は三番砲塔天蓋部の一発のみであった。魚雷も数多く避けたが主計科の者が途中で数えるのを止めてしまったので、二〇本以上という事しか分からなかった。

 被害と言えば至近弾により罐室に若干の浸水があった程度だ。もちろん応急処置と排水ポンプの活躍により、いまでは異常は無く全力発揮が可能だった。

 機動部隊より先行した空母<ドクトル・エッケナー>とは連絡が取れなくなっていた。「行動の自由」を確認後に通信が断絶したのだ。それまでは戦闘の詳細な報告が送られて来たのに、突然の通信不能で、機動部隊首脳部は困惑するばかりであった。

 首脳部は、連絡が無いのは停電して通信機が使用不能になったと推定した。電気が無ければ通信機はただの箱だ。もちろん別の可能性もあったが、あえてそちらには目をつぶった。首脳部スタッフの無事であって欲しいとの願望が混じったかもしれない。

 最後の通信には<ドクトル・エッケナー>に敵艦隊が接近中ともあった。よって首脳部は敵中にあって<ドクトル・エッケナー>が動力を失って漂流中と判断した。

 ならば上部組織としてやることをやらなければならない。つまり生存者救出のために動くことにしたのだ。

 もし敵が居たとしてもこちらは戦艦である。巨砲一吼、鎧袖一触で蹴散らしてしまえばよい。

 ただ、残念なのはもう一隻大破した<フォン・リヒトホーフェン>の方である。空襲が一段落した直後に、沈没地点と思われる座標へ向かったが、残骸一つ見つけることができなかった。

 もし、あの大爆発を生き残った者がいたとしても、発見できないのであれば救助のしようがない。しばらく見張員が目を皿のようにして周囲を捜索したが、しかし海面に浮いている油の膜のような物以外に発見する事はできなかった。

(既述の通り<ドクトル・エッケナー>はこの時点で自沈していた。日本側の記録によると一六五三時であったという。また<フォン・リヒトホーフェン>の生存者は、この時無事だったカッターやランチに分乗して漂流していた。後日、八六〇余名が帝国海軍に救助されることとなる)

 ということで日没により空襲が止んだ現在<ウルリヒ・フォン・フッテン>は単艦で<ドクトル・エッケナー>の姿を求めて東へと針路を取っていた。

「どうかな?」

 機動部隊司令であるハイデンハイム中将が、四角い顔にアイパッチという強面のアイムホルン艦長に訊ねた。

 暗闇が迫っている今は肉眼で探し物は見つけにくい状況になりつつあった。こういう時には対水上捜索レーダーが役に立つはずだ。しかし…。

「芳しくありませんなあ」

 アイムホルン艦長は残念そうに報告した。日没を迎えてからレーダーの調子があまりよろしくなくなっていた。使用不能になってはいないのだが、どうも虚探知と呼ばれるありもしない影を多く受像するようになっていた。

 だが、ある程度は予想されたことだ。太陽という巨大な電波源が海の向こうへ隠れることになる夕方から夜にかけては、地球の電離層に変化が訪れる。そのせいで電波の届く距離なども大きく変化する時間帯なのだ。電波状態の変化によって起きる電波兵器の不調は許容しなければならない問題だった。(注287)

「しかし、こうも突出すると、敵艦隊の真っただ中へ突っ込む可能性があります」

 先ほどから海図台と行ったり来たりしている参謀長が不安げな顔を隠さずに言った。

 なにせ<ドクトル・エッケナー>は、ただ東方へ先行したわけではない。敵の攻撃隊を誘引する目的があった。そして、その敵の攻撃隊は海の中から突然湧いて出たわけではない。航路を辿って行けば敵空母へ、すなわち敵艦隊へと行き着くはずだ。

「まあ<バイス>を置いてきて正解でしたな」

 これはアイムホルン艦長。もし日本艦隊と出くわしたとしたら、兵たちに<(バイス)>と綽名がつけられた空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は足手まといにしかならないはずだ。大破した空母<ペーター・シュトラッサー>から<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へ将旗を移した航空団司令のルーデル大佐はついて来たがったが、彼は空軍の人間であり、海軍艦艇への命令権は所持していなかった。

「まあ、目と鼻の先に居るはずですから」

 アイムホルン艦長はこの状況を楽しんでいるような口調だった。なにせ世界最強の戦艦を自認している<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦長なのだ。ここで敵戦艦と相まみえるならば、むしろ本懐と言えるだろう。

 東側に居るはずの日本艦隊には、戦艦が一隻しかいないことは、何度も攻撃を仕掛けた航空団の報告からして間違いない。そして、その戦艦こそが彼らが沈めよと総統から命令された<ヤマト>なのも間違いなかった。

 アイムホルン艦長には<ヤマト>と一対一(タイマン)で戦って勝つ自信しかなかった。

 なにせ<ウルリヒ・フォン・フッテン>は四八・三センチ砲戦艦だ。攻撃力が四八・三センチ砲ならば、防御も四八・三センチに対応した重厚な物となっている。それに対して日本の戦艦はどれも四〇・六センチ砲と聞いていた。八センチもの差がある戦艦と撃ち合って負けるはずがない勝負なのだ。(注288)

 気になるのは昼間の間にその<ヤマト>を守るために輪形陣を敷いていた巡洋艦や駆逐艦たちである。

 さすがにこれらの軽艦艇に包囲されると、ちょっと厳しい戦いになりそうだ。

 彼らが持っている砲は大きくても一五センチ砲だろうが、多数の魚雷を抱えているはずだからだ。魚雷はまずい。海中を突進してきて艦腹へ穴を開ける魚雷は<ウルリヒ・フォン・フッテン>に致命傷を与える可能性があった。

 だが、昼間の空襲で航空魚雷を回避し続けた成功体験が彼にはあった。雷撃機の魚雷が避けられたのだから、軽艦艇の魚雷も避けられるに違いないと考えてもおかしくはなかった。

「では警戒を怠らないようにしよう」

 うむと頷いたハイデンハイム司令は、アイムホルン艦長と正対すると、声のトーンを変えて命令した。

「艦長。水上打撃戦用意」

「了解しました。乗組員を戦闘配置に就けます」

 大仰に敬礼したアイムホルン艦長は、艦橋伝令に向かって「戦闘配置」を下令した。艦内は空襲が一段落した後に、少しでも乗組員を休ませてやろうと警戒直と呼ばれる態勢に切り替えていた。そのおかげで乗組員は右舷直、左舷直の順に半分ずつ休むことができたはずだ。

 艦長の命令が伝えられた途端に艦内が騒がしくなった。非番で休憩中だった乗組員が持ち場へと戻る足音や、水密扉が水防のために固く閉められる音などに加え、揚弾筒が作動して砲側に弾薬庫から砲弾が挙げられる音や、機関砲に弾倉が入れられて初弾を送る音など勇ましい音が重なった。

 それも一〇分程度で静まり、各所から準備よしの報告が艦橋へと上がって来た。

 主砲、機関、信号など、各長からの報告の後にアイムホルン艦長は艦橋の中を見回し、大きく頷いた。

「司令。全艦戦闘態勢よし」

「うむ」

 ハイデンハイム司令が満足そうに頷いた時だった。

 艦橋から見える前方の水平線に閃光が見えた。パッと光って消えたので積乱雲が発生させる雷のようにも見えた。それがわずかな時差で六回続いた。

「なんだ?」

 前を見ていた将校が訝し気な声を上げた。ハイデンハイム司令を除いて半袖半ズボンの防暑服だらけの艦橋にあって、他の者とは違う開襟シャツのような軍服をまとった将校であった。その正体は空母航空団のルーデル大佐から「雑事」とばかりに、海軍との連絡将校役を押し付けられたフィッケル少尉であった。彼は旗艦に乗組んだことで臨時の航空参謀という肩書でハイデンハイム司令の参謀団に加わっていた。いくら海軍の機動部隊司令部に詰めていようが、彼はドイツ空軍に籍を置くために、空軍の白い夏用軍服を身に着けていたのだ。

「遠雷か?」

 これはハイデンハイム司令。たしかに南洋特有のスコールを暗い海で見るとああいった風景に見えることがある。

 しかし、今回は違った。

 遠雷かと思った閃光を確認した約二分後に<ウルリヒ・フォン・フッテン>の右舷に白い柱のような物が立ったのだ。

 三本が<ウルリヒ・フォン・フッテン>から見て二時の方角に固まっており、残りの三本が五時の方角であった。(注289)

「違う! 戦艦だ! 見張りは何をしている!」

 ハイデンハイム司令の叱責の言葉を受けて、艦橋両脇のスポンソンに装備されている水上見張り用の双眼鏡がグルリと旋回して前方を向いた。

 その頃には次の閃光が水平線付近に生まれていた。戦艦の砲撃だとしたら第二射を放ったという事だ。すでに夜空の下に居る敵艦隊を見分けることは難しい技であった。逆に<ウルリヒ・フォン・フッテン>は残照を背負っている状態だ。敵からは丸見えのはずだ(注290)。

 一分強の時間の後<ウルリヒ・フォン・フッテン>は水柱に囲まれた。右舷の離れた位置に一本。左舷の離れた位置に一本。もう一本はそう離れていなかったので、水しぶきが甲板へ降り注いだ。

 第二射にて夾叉を受けたのだ。(注291)

「退避だ!」

 ハイデンハイム司令の叫び声にアイムホルン艦長はすぐに反応した。

「面舵一杯! 煙幕を張れ」

 航海長の反応も顕著だった。すぐに操舵員へ面舵を命令し、艦橋伝令は煙幕を張るように機関運転室への電話を取った。

 わざと主罐を不完全燃焼させることで、煙突から黒い煙がモクモクと湧き始めた。

 その頃になってようやく色々な報告が艦橋へと上がり始めた。

「逆探に強い反応。日本軍の射撃用レーダーと思われる」

「水上レーダーに感あり。方位〇・九・〇、四万メートルに大きな反応!」

「東方に敵艦隊。中央にいるのはヤマト級戦艦と思われる」

 不調だったレーダーはともかく見張りはどこを見ていたのかと怒鳴りつけたい気分で一杯だった。だが部下に対して感情を見せずに超然とした態度でいられたのは、ハイデンハイム司令が幼いころから受けた武人(ユンカー)としての教育の賜物だった。

「はっはっは」

 ハイデンハイム司令の横にアイムホルン艦長が並んだ。彼は余裕たっぷりに笑っていた。

「四万メートルで射撃開始とは、撃ち急ぎましたな」

「だが、夾叉されたぞ」

 ハイデンハイム司令はなるべく声を抑えて言い返した。戦艦同士による遠距離砲戦というのは公算射撃法というやり方になる。これはなるべく多くの主砲を相手へ向けてより多くの砲弾を撃ち込み、どれだけ弾着がずれたかを観測し、修正していく撃ち方である。よって敵を着弾による水柱に囲む「夾叉」という状態になったら、後は当たるまでその照準で撃ちまくることになる。

 そうすればいつかは命中弾を得られ、戦艦ならば凡そ一五発で使い物にならなくなると考えられていた。(注292)

「どうしますか?」

 参謀長の言葉にハイデンハイム司令は簡潔に答えた。

「まず味方に敵艦隊の位置を知らせるのだ。通信文の内容は任せて構わないかな?」

「ヤー」

 通信参謀が直立不動の姿勢を取って答え、通信文を起草するために艦橋から出て行った。

「方位二・七・〇」

「針路固定。舵戻せ」

 ちょうど一八〇度回頭したところで<ウルリヒ・フォン・フッテン>は舵を戻して直進を開始した。

 いまの転針で日本側の射撃計算はやり直しのはずである。とりあえず一息つける状況になったというところか。

「このまま逃げてもいいですが、あまり面白い事ではないですな」

 アイムホルン艦長は不服そうだ。

 西へと艦首を向けた<ウルリヒ・フォン・フッテン>であるが、この先に居るのは、やる気だけはある<エーリッヒ・レーヴェンハルト>と、大破している<ペーター・シュトラッサー>の二隻である。彼女らを守る盾は他に無い。

 そのことに思い至ったのかハイデンハイム司令はアイムホルン艦長をじっと見た。

「戦って勝つ自信はあるかね?」

「それしかありませんな」

 アイムホルン艦長は強面な顔をほころばせて言った。戦艦の艦長である。戦艦と戦うのは、むしろ望んでいる事であった。

「よし、それでは敵に向かおうか」

「残念なのは…」

 航海長へ再び面舵一杯を命令したアイムホルン艦長が肩を落としてみせた。

「完璧な奴と戦いたかったということですか」

 昨日からの航空攻撃にて、大ドイツ側は<ヤマト>へ複数の命中弾を与えていた。航空隊の報告を全て信じるならば、爆弾が八発以上、魚雷二本以上、そして空軍の『秘密兵器』が一発命中しているはずである。

 だが一発でも命中すれば轟沈確実の『秘密兵器』を受けて<ヤマト>が浮いている事からも、だいぶ眉唾な戦果報告だという事がわかる。

 だが何発かは確実に<ヤマト>へ損傷を与えていた。攻撃隊が攻撃終了後に撮影した写真も、それを物語っていた。(注293)

 どうせ戦うなら完璧な相手と。それはスポーツマンシップに似たような何かであった。

「針路〇・九・〇」

 操舵員が声を上げる。航海長が何かを言う前に、アイムホルン艦長が口を開いた。

「司令。このまま突撃すると、後部砲塔の射撃員たちが居眠りを始めるかもしれませんな」

 遠回しにアイムホルン艦長が変針の要求をした。この針路だと<ウルリヒ・フォン・フッテン>は敵に向かって真っすぐに進んでいく態勢となる。これだと後部に二基ある主砲塔が敵に向けられないことになる。解決策は簡単だ。右か左へ舵を切ればいい。そうすれば艦の横腹を敵に向ける事で、前後両方の主砲塔が使用可能となるのだ。

 右(南)へ切るか、左(北)へ切るかの判断は、艦隊司令の職能の範囲だ。南にはずっと先に南極大陸がある。だが、その前にコロンボから直接ソコトラ島へ向かっている日本艦隊とぶつかるかもしれない。北にはゴア、ボンベイとドイツ軍が占領した港がある。連絡は取っていないが、海面下に潜む味方の助力があるかもしれない。

「艦長。針路を北へ」

「ようそろ。取舵!」

 アイムホルン艦長の号令を航海長が復唱し、操舵員が舵輪を左へ回した。

 その途端、再び<ウルリヒ・フォン・フッテン>は水柱に囲まれた。艦からは離れていたが、また夾叉であった。だが、再度の転針で日本側の照準はまたやり直しになるはずだ。

「針路〇・〇・〇」

「針路固定」

「当て舵一〇度のところ」

 航海科のやり取りの間に、別の声が割り込んだ。

「上空、敵機!」

 今度は何も見逃さないとばかりに、スポンソンの見張員が報告したのだ。

 暗くなってきた空からブーンとプロペラの音が響いてきた。

 艦橋の中から見ることができなかったので、フィッケル少尉はスポンソンへと出て上空を仰ぎ見た。航空機は彼の専門分野だから、なにかハイデンハイム司令へ助言できるかもしれない。

 十字形をした影が複数、周辺を舞うようにして滞空していた。

「攻撃機かね?」

 舷窓越しにハイデンハイム司令がフィッケル少尉へ訊ねた。

「いえ。一機は<マート>…、偵察機に見えます。もう一機は水上機ですね。おそらく<パウル>かと」

 見ているだけだとのんびり飛んでいるように見える影には、浮舟と思われる物がついていた。ドイツ軍では<パウル>という符牒をつけているが、連合軍が<ポール>とつけた符牒が元ネタだ。その正体は日本海軍が水上観測機として採用して戦艦に搭載している四式観測機E一六A<ズイウン>だ。(注294)

 当初載せていた零式観測機…、連合軍の符牒は<ピート>で、ドイツ軍の符牒もそこから来て<ペーター>…、の性能が陳腐化したので新しく採用された機体だ。

 日本側が水上機を飛ばしている理由はすぐに分かった。超長距離射撃において、戦艦の艦上から弾着を観測する事は難しい。どの水柱が敵艦の向こう側にあって、どの水柱が手前側ぐらいなら分かるが、その細かい距離までは分かりづらい。

 だが解決策は科学技術の発達と共に現れた。戦艦の檣楼からの観測が難しいのであれば、もっと高いところから観測すればいいのである。

 当初は曳航式の飛行船が使われた。だが敵の攻撃に脆弱な飛行船による観測はすぐに廃れ、航空機…、海上で扱いやすい水上機による観測へと発達した。

 上から見おろせば、自軍の弾着が前後左右どちらへ寄っているのかは、一目瞭然である。

 ただし、そのためには絶対の制空権が必要だ。そうでなければ空中戦の苦手な観測機は、敵の戦闘機に撃墜されてしまうだろう。

 大ドイツ側の空母が一隻を除いて使い物にならなくなっているからこその贅沢な使い方であった。

「弾着観測機か…」

 ハイデンハイム司令はわざわざ舷窓へ歩み寄って空を見上げた。とても羨ましそうである。水上打撃戦において観測機が居るのと居ないのとではだいぶ命中率が変わるから当たり前である。

 ちなみに<ウルリヒ・フォン・フッテン>にも弾着観測をやらせるための機体が載せられていた。フレットナー二八二A<コリブリ>という一人乗りのヘリコプターである。普段は対潜哨戒に使用する機体だが、こうした局面では観測機として活躍するはずの物だ。

 だが、こんな敵中にあって飛ばしたら、いくら運動性の優れる<コリブリ>といえども撃墜される事は火を見るよりも明らかだ。分かり切っている事で部下の命を粗末に扱いたくはなかった。

 反対側のスポンソンから空を見上げたアイムホルン艦長が戻って来た。

「小癪な蠅め。こちらの射程圏外を飛んでいやがる」(注295)

「<ヤマト>回頭します」

 見張員が大声で報告を上げた。

「どっちだ?」

 短くアイムホルン艦長は相手がどちらへ舵を切ったのか訊ねた。

「針路三・五・〇。速力二〇ノット。現在の距離四万メートル」

 わずかだがこちらへと近づいてくる針路を取ったようだ。こちらとしても願っても無い態勢である。二匹の海獣は北へ向かって突進しながら、お互いを鋼鉄の塊で殴り合う態勢となったと言える。いつかはインド亜大陸へ衝突するコースとも言えるが、その前に決着がつくのは間違いなかった。

「右舷砲雷撃戦用意」(注296)

 アイムホルン艦長が嬉々として命令を下した。艦の前後にある主砲塔が旋回し、右舷に三基ある副砲塔と、昼間に大活躍した機関砲群も敵を求めて旋回を始めた。

 だが照準を合わせても発砲はしない。撃ち急いだ日本海軍とは違って、ドイツ海軍は命中力の低い超遠距離射撃を考慮してない。よって主砲の取れる仰角も三〇度しかない。最大射程は三万メートルだが、実際はもう一割ほど近づいてから射撃開始とすることとなっていた。

 再び日本側の水柱が<ウルリヒ・フォン・フッテン>から見て左舷前方に三本立った。わずかに遅れて右舷前方にも立つ。

「しかし四万メートルとは。よく届かせますね」

 いまだスポンソンにいるフィッケル少尉は感心した声を上げた。彼は右舷側の、つまり敵艦隊が居る側のスポンソンにいるので、敵味方の情勢を知る事が出来た。

 艦橋の高さからだと、ほとんど敵艦隊は見ることができなかった。横の海軍将校が貸してくれた双眼鏡で、わずかに白く塗られた敵艦の頂部が目に入るだけだ。

 再び水平線に閃光が見えた。すると、あの距離から<ヤマト>は射撃を続けている事になる。

 その閃光の前に<ヤマト>が放った砲弾が、成層圏から落下して来た。

 六本の水柱の内、四本が遠弾…、つまり<ヤマト>とは反対側の左舷側へ虚しく水柱を上げた。問題は右舷側の二本であった。

 グシャと何か潰れる音がしたと思った途端に、フィッケル少尉はスポンソンの手摺へと衝突していた。

 直撃はしなかったが至近弾を喰らったのである。

「なんだ! この威力は!」

 被っていた制帽をどこかにやったアイムホルン艦長が怒鳴り声をあげた。前甲板からジャラジャラと小銭を掻き混ぜるような音がし、後方からは何か擦れるような音がした後に機械音が少し小さくなった。

「錨鎖庫へ浸水! 右主錨が落下!」

「右舷一番推進軸損傷。一番停止します」

 次から次へと艦橋の根元にある司令塔に設けられた防御指揮所へと報告が集まって来る。被害を纏めた防御指揮官である副長が艦橋への電話を取った。

「四〇センチ砲なんていう威力じゃないぞ」

 被弾の瞬間にどこかへぶつけでもしたのか、額を割って流血している航海長が声を上げた。

「まさか…」

 ハイデンハイム司令は<ヤマト>のいる方向を睨みつけた。

「まさか四〇センチ砲以上なのか?」

 たしかに海軍情報部は戦前に「四五・八センチ砲搭載の可能性あり」と報告していたが、その後の諜報活動において「ヤマト級が搭載する主砲口径は四〇センチ」と訂正していたはずだ。

 だが四五・八センチ砲ならば四万メートルから射撃を始めていてもおかしくはない距離であった。

「痛たたた」

 こちらも被弾の瞬間にぶつけたのか、右肩のあたりを(さす)りつつアイムホルン艦長が、それでも笑ってみせた。

「やりますな、敵さんも」

「艦長…」

 舷窓越しに不安そうな顔をするフィッケル少尉を見ると、豪胆に笑ってみせた。副長からの報告はすでに艦長へと届いていた。

「今の至近弾はさすがにやられたと思いましたが、こちらは四八・三センチ砲戦艦ですぞ。運悪く柔らかいところに当たってしまったというところですな」

「はやくこちらも撃ち返さないと」

 フィッケル少尉が言い返すと、アイパッチをした顔を少し曇らせてアイムホルン艦長は頭を横に振った。

「こちらの弾はまだ届かない。そういうように建造したのでね」

「では、撃たれ続けるということですか?」

「残念ながら。司令。如何為されます?」

 アイムホルン艦長の悪人面がハイデンハイム司令に向いた。また変針をして真っすぐ敵艦へ<ウルリヒ・フォン・フッテン>を向け、一刻も早くこちらの射程圏内に収めるか否かの判断を求めたのだ。ただし四軸あるスクリューの内、一基が停止したので全力でも三〇ノット(時速五五・六キロ)ほどまでしか出せなくなってしまった。

 変針すれば、また射撃諸元の計算をやりなおさなければならなくなるので、日本側の攻撃を遅らせることができるはずだ。だが艦首を敵に向けるという事は、後部主砲塔が使えなくなるという事も意味した。

 どうせ撃てないなら、後部砲塔の事を考えなくてもいいかもしれないが、射程圏内に収めた時の態勢を考える必要もあった。

「もう少し敵側へ近づこうでは無いか。右舷へ一〇度転舵でどうだろうか」

「ようそろ。面舵。針路〇・一・〇」

 艦長が航海長へ命令した。舵輪が回されるが八万トンを超える艦体が動き始めるのには時間が必要だった。

 そこへ日本側の斉射が降って来た。

 このうち五発はただ虚しく水柱を上げるだけだった。せいぜい海中を伝わった爆圧で、機関の復水器を不調にした程度だった。

 だが最後の一発は、前甲板にて<ヤマト>に砲口を向けていた第一主砲塔天蓋へと命中した。

 同じ装甲厚のある第三主砲塔は日本軍の急降下爆撃により命中した一トン爆弾に耐えたが、今度はそう行かなかった。(注297)

 真っ二つに叩き割られた天蓋装甲は片方が海上へと飛び、もう片方は錨甲板へと落下した。<ウルリヒ・フォン・フッテン>には三万メートルで撃ちあう事を前提にした装甲が張り巡らされていた。こんな超長距離の戦闘は考えられていなかったのだ。

 三万メートルで四八・三センチ砲を撃ちあうと、その弾道はほとんど水平に飛んでくることになる。そのため天蓋に徹甲弾が命中したとしても鋭角に命中するはずだ。それならば避弾経始も相まって実際の厚みよりも高い防御力を発揮してくれる。

 また鈍角に命中しても四〇センチ砲の砲弾に耐えられるだけの厚みがあったはずだ。

 それを容易く撃ち抜いた<ヤマト>の主砲弾は、やはりそれ以上の口径であることは間違いなかった。

 砲塔天蓋の装甲を撃ち抜いた徹甲弾は、砲塔後部にある揚弾筒を駆け下りて弾薬庫まで到達し、そこで腹に詰まった爆薬を炸裂させた。

 これが普通の戦艦ならば弾薬庫が誘爆して一巻の終わりだったが、大ドイツの戦艦は弾薬庫の中まで間接防御を考えられて造られていた。

 一番誘爆しやすい推薬はわざわざ一つずつ容器に入れられて保存され、砲弾も安全装置が確実にかけられた状態で保管されていた。

 それでも起こった爆発に、艦橋の舷窓は残らずダメージを受けた。割れた物も数枚あったし、残った物にもヒビが入った。

「なんと」

 さすがにハイデンハイム司令からも血相を変えた声が出た。

「ヤツめ。四八センチ砲以上の砲を搭載しているのか?」

 さすがに主砲塔を一撃で叩き割られて、アイムホルン艦長も声色が変わっていた。

 彼は、いや全世界がこの時まで知らなかったのだ。戦艦<ヤマト>は四六センチ砲戦艦として生み出され、大改装時に後から建造された<キイ><オワリ>と同じ主砲…、つまり四五口径二式五十一糎砲の連装砲塔へ換装を済ませていた。装甲厚を弄ったという情報も、四六センチ砲にしては過大であった厚みを修正した時の物で、大改装後は耐五〇センチ砲の装甲とするために、主装甲の外側に副装甲を重ねてあった。(注298)

 太平洋の戦いで戦艦の出番は無く、空母と軽艦艇でアメリカ太平洋艦隊に勝ってしまったため<ヤマト>の実戦射撃はこれが初めてであった。逆説的に<ヤマト>の…、いや日本戦艦の能力が初めて世界に示された時であった。

「第一火薬庫に注水。火災は起こしていないようです!」

 壁に取り付けられた艦内電話に取りついた伝令が、悲鳴のような声で報告した。

 きっかり一〇〇秒後。次の<ヤマト>が放った砲弾が降って来た。

 今度は艦後方で爆発が起きた。

 再び艦橋員がよろめくほどの衝撃が伝わって来た。

「第四砲塔大破!」

 スポンソンに立っている見張員が、目撃した事実を報告した。第一主砲塔と同じである。天蓋に命中した<ヤマト>の砲弾が装甲を叩き割り、内部を破壊したのだ。

 第四主砲塔は厚紙で作った箱を踏み潰したように真ん中から凹み、二本ある砲身は左右別々に、まるで降参して手を挙げるように上を向いていた。

 残りの五発は全て遠弾…、<ウルリヒ・フォン・フッテン>から見て左舷へと水柱を立てた。

 これで<ウルリヒ・フォン・フッテン>の攻撃力は半分になってしまった。だが戦えなくなったわけではない。主砲が全滅したとしても副砲もあるし、それがダメならば対空機関砲だってある。戦えないわけではないのだ。

「司令。これでは…」

 参謀長がセリフの後半を呑み込んだ。どうやら撤退を進言しようとしていたのだろう。たしかに戦闘力が半分の戦艦で、同等かそれ以上の戦艦と戦うのは無謀かもしれなかった。

「ダメだ」

 だがハイデンハイム司令は断言した。

「いま逃げ出してもジリ貧だ。せめて<ヤマト>に一太刀浴びせてからでないと、逃げるに逃げられん」

 二人が相談している間にも<ヤマト>の砲撃は続いていた。次は<ウルリヒ・フォン・フッテン>の変針にあわせて砲弾を撃ち込んでくるはずだ。

 次の<ヤマト>の射撃は、この日で一番の成績だった。一発が第二砲塔の正面装甲(前盾)に命中し、第二砲塔を前から叩き潰した。

 そこは決戦距離で自分の持つ主砲に撃たれても弾き返せるだけの厚みを持っているはずであった。その性能を持たせるために厚みは三八〇ミリにも及んでいた。

 しかし<ヤマト>の主砲弾はそこを貫通し、内部で炸裂した。弾火薬庫まで被害は及ばなかったが、主砲塔最上部の砲台にあった四八・三センチ砲は基部が破壊され、左右両方とも最大仰角以上に上を向いてしまった。

 他の五発も<ウルリヒ・フォン・フッテン>に襲い掛かった。一発は後甲板に落ち、舵機を破壊。三つあった舵の内、右舷の副舵が面舵を取るように傾いて止まった。

 残りの四発の内三発は近弾、つまり<ウルリヒ・フォン・フッテン>の右舷側に水柱を立てたが、ただ虚しく海水を噴き上げただけではなかった。

 日本海軍の秘密兵器である一式徹甲弾は、海面に突入した衝撃で被帽が取れ、平弾頭になるように造られていた。そうすることで水中に入った勢いのまま、徹甲弾はまるで魚雷のように海中を突進し、敵の艦腹を抉るようになっていたのだ。

 欧米でも知られていた水中弾効果を最大限発揮するように考えられた仕掛けであった。

 三発の水中弾は並んで<ウルリヒ・フォン・フッテン>へと突進し、中央部から後部にかけて突っ込んだ。

 同時に三発の魚雷を受けたのと同じだけの威力があった。

 これは戦後判明する事だが、ドイツ戦艦の水中防御は第一次世界大戦レベルの物しか備わっておらず、喫水下の装甲は一七〇ミリという薄い物で、しかも範囲はごく限られていた。(注299)

 水中を突撃して来た主砲弾が突破するには、あまりにも容易い相手であった。

 砲弾の全てが主罐室の外側に並べられたディーゼル機関室へと飛び込んだ。

 右舷外舷器を担当する第一、第三機関室は、推進軸の不調から運転を止めていたため大きな二次災害は起きなかった。が、そこで爆発した砲弾の威力で破口はさらに広げられ、浸水範囲は大きくなった。

 艦内で連続した爆発で全ての乗組員は足を掬われた。どんな嵐でも乗り心地に変化が無かった<ウルリヒ・フォン・フッテン>が、こんなに大きく揺れたのは初めてだった。

 乗組員のある者は配置に就いていたスポンソンから落下し、そのまま海面へと消えた。ある者は壁に強く叩きつけられて骨を折った。そして艦橋の中に居た者たちも足を掬われて転ぶ者が多くいた。

「ぐっ」

 スポンソンに出ていたフィッケル少尉は、胸を手摺に打ち付けて息を詰まらせた。だが東部戦線で対空砲火を喰らって不時着した時よりは遥かにマシであった。

 自分を痛めつけた手摺を両手で掴むと、足を踏ん張った。

 そうしないと立っていられない。なぜならはっきりと分かる程に<ウルリヒ・フォン・フッテン>は右舷へと傾いていた。

 機関室に大量浸水したことにより左右のバランスが崩れたのだ。

 だが防御指揮所に詰めている副長は、それが予定されていたかのように各所へ応急班を派遣、指揮した。

 右舷が破壊されて浸水したので、左舷バルジにある注排水区画への注水を命令。面舵になって止まった右舷副舵を人力操舵で是正。もしそれも叶わない場合は舵軸の爆破切断。二番主砲塔の弾火薬庫の安全を確保。同時にやることがいっぱいだった。

 だが、その応急処置が効力を発揮するには時間が必要だった。その間も<ウルリヒ・フォン・フッテン>は最大出力で戦場を駆けようとした。スクリューが回る分だけ水圧が増し、右舷機関室への浸水する威力が増した。

 機関員たちは被害を受けた区画から逃れて隔壁に設けられた水密扉を固く閉めたが、海水はその努力をあざ笑うかのように押し寄せた。まるで柔らかいゴムでできているかのように鋼鉄で造られたはずの隔壁が膨らみ、水圧に耐えかねて破けた。

 機関員たちは次の隔壁まで下がって再び水防に努めようとしたが、すでにその水密扉は固く閉められたどころか、一分の隙も無いように応急班が溶接を始めていた。

 人の腕力で開けられるはずもなく、激しく救助を求めて叩くが、それも無視された。

 押し寄せる海水に抗いつつ爪を立てて扉をどうにかしようとするが、野獣でも鋼鉄でできた扉を破ることはできないのであった。

 スポンソンに立っているフィッケル少尉は周囲を見回した。<ウルリヒ・フォン・フッテン>は明らかに右へ傾き、がっくりと肩を落としたように力を失っていた。戦闘力と呼べる物は第三主砲塔のみとなり、それすらまだ射程の関係で沈黙していた。

(こいつは…)

 東部戦線で何度も()いできた危険というやつが嗅覚を刺激する。空に居ようと陸に居ようと、この臭いを感じた時は死が迫っている状況と言って間違いなかった。その死が自分に対してか周囲の者に対してかは、事態が進展しないと分からないのであるが。

 どちらにしても出来ることをやらなければならない。とは言っても空軍将校として機動部隊司令部へ出向している身に出来ることなど限られているのだが。

 周辺を見回す。身を隠す方が安全なのか、それともすぐに退避できる位置に居た方が安全なのか、その判断をつけようとした時だった。

 一分半が経過しており次の<ヤマト>が放った斉射が落下して来た。

 砲弾はガックリと速度を落として右へ向いていた<ウルリヒ・フォン・フッテン>が、本来ならば進んでいた位置に落下した。

 これが極端に違う位置ならば全ての砲弾が外れたのだろうが、一分半では移動できる距離にもそう差が無かった。

 砲弾は全て水柱を上げた。<ウルリヒ・フォン・フッテン>から見て左舷に一つ、そして右舷に五つ。その内、何発が水中弾として彼女を襲ったのか分からなかったが、少なくとも二発以上は<ウルリヒ・フォン・フッテン>の右舷前部へと喰い込んだ。

 そのダメージは彼女を救おうとする応急班の努力を無に帰して、そして今まで以上の浸水をもたらした。


 気が付くとフィッケル少尉は海面に居た。

 さっきまでスポンソンの手摺を掴んで立っていたはずだが、気が付いたら海中に居たのだ。

 どうやら不幸な水兵のように、着弾の衝撃で振り落とされてしまったようだ。

 インド洋の真ん中である。力が及ぶ限り泳いだとしても、陸地に辿り着けるわけがない。

(ここまでか…)

 口の中の塩辛さに辟易しながらも、せめて何か掴まる物は無いかと周辺を見回した。

 その視界に赤い鯨のような物が入った。意外に近いところに浮いていた、その赤い鯨には夕陽の残照をキラキラと反射する物がついていた。

 金色に輝く四枚の羽を持つ風車がグルグルと回っており、それが順番に太陽の名残を反射していたのだ。

(違う! 鯨では無い!)

 その風車と思われた物の正体に気が付いたフィッケル少尉は唖然としてその赤い鯨を見ていた。

 全長三〇〇メートルを超える八万三〇〇〇トンの巨体を三二・二ノット(時速五九・六キロ)で走らせていた原動力である。

 まだ、その意思が残っているのか、はたまた別の何かの作用か分からなかったが、海水の代わりに今度は空気を推して進んでやるとばかりに回っているのは<ウルリヒ・フォン・フッテン>の左舷外舷器であった。

 もう一本内側に存在するはずの左舷器が見えないのは、舵が損傷した場合に備えて大き目に設計された艦尾材が張り出しているからだ。一発の魚雷で全てのスクリューと舵を損傷しないように、盾の役割を持たされた艦尾材は、内側のスクリューと主舵を守るようになっていた。舵を全損した場合でも、その大きさが艦の直進性を担保する役割も担っていたはずである。

 そうした細工も、転覆してしまった今はまったくの無意味であった。

 つまり極短期間に右舷へ集中した水中弾の被弾に寄り<ウルリヒ・フォン・フッテン>は足払いをかけられたように時計回りで転覆したのだ。そして艦橋右舷スポンソンに立っていたフィッケル少尉は、その回転が生み出す遠心力を受けてか、海中へと放り出されて、巨大な艦体の下敷きにならずに済んだというわけだ。

 やっと現状を理解したフィッケル少尉は、黒い重油が広がり出した海面を見回した。

(ハイデンハイム司令は? アイムホルン艦長は? 航海長や参謀長をはじめとする司令部のみんなは?)

 しかし空は残照を失って黒く、海面は<ウルリヒ・フォン・フッテン>から漏れ出した重油でこれまた黒く染められて行き、視界には何も入ることは無かった。


 転覆した<ウルリヒ・フォン・フッテン>が海面下へ姿を消したのは、それから一五分後だった。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊本隊:1948年4月20日2230(現地時間)



 雨はすっかり上がっていた。しかし厚い雲は相変わらず艦隊の上にあるらしく、南の星々を見ることは叶わなかった。

 風も静かで波も穏やかなインド洋に、四角い黒い影が二つあった。

 なにも不思議な物では無い。二日前に輸送船団と別れ、そして今日は三隻の僚艦を失ったドイツ海軍機動部隊の生き残りである二隻の空母であった。

 艦長のヴェバー大佐の強運(でなければ雨男っぷり)に助けられ無傷であった空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は、たった一発の被弾で大破してしまった空母<ペーター・シュトラッサー>の左斜め後ろに続くように波を切り分けていた。

 まるで歩くことがままならない怪我人を心配して付き添っている家族の様でもある。まあ同じ改グラーフ・ツェッペリン級として建造された姉妹艦であるから「家族」と呼んでも言い過ぎでは無いだろう。

 五月雨式に分かれた僚艦の運命を、この時は二隻の乗組員は把握していなかった。

 司令部に「行動の自由」を確認した同型艦の空母<ドクトル・エッケナー>を通信で呼び出しても応答が無かったし、旗艦と共に彼女を救援に向かった航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>もなしのつぶてだ。旗艦である戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>も、日没前後から通信が断絶し、命令を受けようと発信したいくつかの電文は虚しく電離層に反射しただけであった。

 五隻中、三隻が行方不明という事態だ。

 これが普通の商船であれば、海に生きる者の情けというやつで、捜しに行くところだ。しかし、ここは戦場でお互いが軍艦であり、さらに敵艦隊が近傍に居る事すら把握していた。

 三隻の最期がどうなったのか想像するしかないが、おそらく彼我の位置からしても日本艦隊と交戦して大きな損害を受け動力を失ったか、それとは別の運命を辿ったかのどちらかであることは間違いなかった。

 普通の指揮官が部隊を統率していたら、根拠地へ撤退することを優先する局面であった。いや基本的な行動はそれに向けて動き出していると言って間違いなかった。

 だが機動部隊の航空機を統率している航空団司令のルーデル大佐は「やる気」であった。

 敢闘精神の塊である彼は、手元にあるまともな空母が一隻となっても戦い続けるつもりであった。

 東部戦線の英雄である彼に必要なのは「スツーカ」と「敵」であったからだ。

 よって一応は二隻の針路を二・七・〇つまり真西に向けてはいたが、好機を捉えて反転し、東方から追撃して来る<ヤマト>を含む艦隊か、昨日の午後に(まさ)しく横槍を入れて来た南側にいるらしい別の日本艦隊か、どちらかへ攻撃隊差し向ける準備に余念は無かった。

 欠乏した弾薬を一旦集積し、各機へ再配分する。航空魚雷はもう数えるほどしか残っておらず、雷撃機であるフォッケウルフ一六七<アイバトス>は高空からの水平爆撃にしか使いようがなかった。

 それでも七〇〇〇とか八〇〇〇メートルから投下する爆弾は、巡洋艦の主砲程度の威力を発揮するはずだ。

 不安な点があるとすれば、水平爆撃に使用する予定の爆弾が、弾薬の不足から対潜爆雷を改造した物で徹甲弾ほど高威力でない事と、水平爆撃の命中率の低さだ。

 またドイツ空軍のお家芸とも言える急降下爆撃の方も些か頼りない状況だ。

 急降下爆撃機ユンカース一八七<スツーカ>は昨日からの酷使で、作戦に耐えうる機体数を極端に減らしていた。

 おそらく明日使用できる機体は一個中隊も無いだろう。しかも<アイバトス>と同じように使用できる爆弾は、爆雷を改造した物だ。

 敵艦の煙突など極めて限定的な目標へ放り込まないと効果を発揮してくれそうもなかった。爆撃の威力が水平爆撃ほどでない急降下爆撃では、相手の急所を攻める必要がある。だがルーデルの鍛えた急降下爆撃乗りたちは、そのぐらいの芸当は朝飯前のはずだ。

 また彼らを護衛する予定の戦闘機も寂しい限りだ。

 機関砲や機関銃の弾丸はまだ豊富にあるのだが、世界最高峰の性能と今でも将兵が思っているジェット艦上戦闘機メッサーシュミット二六二F<カイヤン>の姿は一機も無かった。

 全てが撃墜されたわけではない。ジェット機を運用するには高性能のカタパルトと、強化された着艦制動索が必要なのだが、二隻ともそれを持ち合わせていなかったのだ。

 それらは本国において先に改装された<ドクトル・エッケナー>の専売特許であったので、彼女なき今の艦隊はジェット機を運用する能力を失っていた。

 機動部隊から先行する<ドクトル・エッケナー>が敵の攻撃を受けて飛行甲板が使用不能になった直後から、空にあった<カイヤン>は機動部隊本隊上空へと飛来し、防空任務を手伝ってはくれた。しかし無限に飛べる航空機は無いのである。全ての機体が燃料切れを起こし、海上へ不時着水した。操縦士は空母に積まれたヘリコプター、フォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>により救助された。

 その中に<カイヤン>部隊を率いた第一六七実験航空団第五飛行隊第一三飛行中隊のフィッシャー少佐は無かった。列機(ウイングマン)である彼の部下の証言によると、燃料切れを起こして運動が鈍った瞬間を敵機に撃たれたようだ。

 だが他の三種類の戦闘機がまだ残されていた。

 現在ドイツ機動部隊航空団において主力艦上戦闘機であるタンク一五二T<テレーザ>と、次世代の艦上戦闘機として試験配備されていたメッサーシュミット一五五<バジリカ>がある。さらに搭載している機上レーダーが頼りになる駆逐機ドルニエ三三五C<プファイル>だって残っていた。

 もちろん直掩任務としての役割もあるので全ての機体を攻撃隊へ振り分けることはできないが、それでも護衛隊を組織するだけの数は残っていた。

 そんな状況の、たった二隻の機動部隊である。そのまだまともな方…、<エーリッヒ・レーヴェンハルト>から一機の航空機が飛び立とうとしていた。

 なにもこんな真夜中に攻撃隊を発進させて夜間攻撃を企んだわけではない。機種はフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>である。陸軍でも連絡機として便利に使用している軽快な航空機だ。機動部隊では連絡や小輸送など本来の使用目的の他に、対潜哨戒任務にも使っていた。

 本来ならば<ゼー・シュランガー>の役割なのだが、昼間に不時着水した搭乗員の救助に酷使したため、どの機体も草臥れ果てており整備が必要になったのだ。その代打である。

 対潜哨戒と言ったって<ゼー・シュランガー>だって専用の探知機を積んでいるわけでもなく、結局は昔からの捜索方法、目視に頼っているのだから飛べる機体ならば何でもいいのだ。

 余裕がある時は、一人で捜すよりは二人、二人で捜すよりは三人ということで<アイバトス>が哨戒任務に就くが、いまは攻撃隊へ一機でも多くの機体を振り分けたかった。

 よって比較的暇な<シュトルヒ>に雑事が回って来たというわけだ。

 カタパルトすら使用せずに、まるで気球のようにフワリと宙に浮く。そのままアルグスAs一〇エンジンに牽かれるままに空を飛び始めた。

 出力は二四〇馬力と、昼間に大活躍した艦上機たちに比べたら十分の一しか無い、とてもか細いエンジンであるが連絡機としての性能はじゅうぶんである。

 操縦桿を握るのはヴァルター・トラウトロフト軍曹である。本来ならば<アイバトス>の操縦士なのだが、彼が乗る分の<アイバトス>はもう無かった。

 本国から愛用して来た機体は、昨日の索敵行で大破して使用不能となった。そして今日の昼間に操縦桿を握った<アイバトス>は、攻撃隊の誘導任務を仰せつかり、日本艦隊の直掩機に追い回されるという酷い目にあった。

 そちらの機体も機関砲に撃たれて穴だらけとなり、大破判定でもう空を飛ぶことはできなかった。

 だが暇になった操縦士を遊ばせておくほど空母航空団の台所事情に余裕は無かった。

 機体の方はローテーションをうまくすれば二四時間隙間なく当番へ割り当てることができるが、操縦士の方はそうはいかないのである。操縦士だって人間だから食事も睡眠も必要だ。疲労の蓄積した者に操縦桿を握らせて、事故を起こして大事な機体を失うわけにもいかないのである。

 ということで、三人一組で搭乗する<アイバトス>の搭乗員たちの内、機長役が重傷を負ってしまったトラウトロフトに、対潜哨戒任務のお鉢が回って来たのである。

 だが不思議な事が一つある。対潜哨戒任務だというのに、潜水艦を攻撃するための武装を積んでいないようなのだ。もとより爆弾などを吊り下げるための懸架点が設けられていない機体であった。(そういう「贅沢」な機体は本国の機甲師団へ回されていた)

 積むとしたらロープで縛り付けることになる。もし敵を見つけた時は、そのロープをナイフなどで切って投下するという、第一次大戦の時のような古い(ただし確実な)方法を取る事になる。

 ただ空荷で飛んでも潜水艦を発見さえすれば、空母側や他の航空機に任せるなど、やりようはいくらでもあるのだが。

 実戦機に乗っていた者には心細いほどの音で二翅プロペラが暗闇で回っていた。

「無駄に揺らすな」

 暗いコクピットキャビンに非難する声が響いた。

「なにか言ったかい?」

 簡易な計器しか並んでいない操縦席からトラウトロフトは振り返った。縦列の後部座席には一緒に<アイバトス>で砲火をくぐったゲルハルト・リッパート軍曹が、自分では無いと一生懸命に首を横に振っていた。彼の本職は<アイバトス>の通信手である。対潜哨戒ということで、目が多い方が良いだろうと同じ組を組んでいたトラウトロフト機に同乗したのだ。

 ちなみに後方上部に向けて装備することができる機関銃も、この<シュトルヒ>は載せていなかった。書類上は工場から出荷された新品のはずだが、キャビンの中の汚れやら計器盤の掠れなどから判断するに、おそらくどこかの陸軍部隊の中古品である。機関銃もこちらへ回される時に外されたのだろう。

「じゃあ、気のせいだな」

「気のせいじゃないぞ!」

 再び怒鳴り声が響いた。黙って顔を見合わせた二人は、疲れたように溜息をついた。

「おいリッパート。煩かったら下のパネルあたりを蹴っておけよ」

「ヤー」

「なんだと! お前がこんなところへ押し込んだんだろうが!」

 元気のいい文句がかえってくる。もちろん幽霊などでは無い。<シュトルヒ>は負傷兵を後送できるように、機体の中に担架を収容できるようになっているのだ。

 そこに彼らの機長であるマックス・シュリクティング軍曹が収められているのである。

 昼間の誘導任務でシュリクティングは重傷を負った。なんとか<エーリッヒ・レーヴェンハルト>に着艦した後は、臨時の医務室として片付けられた上級将校用の食堂へ運び込まれた。そこで適切な治療を受けた彼だが、深夜だというのに組んでいる二人に担架に乗せられ連れ出されたのだ。

 空軍旗艦を務めていた<ペーター・シュトラッサー>であったが、昼に受けた爆撃で全艦が火だるまとなった。このままでは航空団司令部としての役割が果たせないと、指揮系統は無事な<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へと避難した。

 だが専用の機材や暗号書などの重要書類を回収できなかったため、やはり航空隊の指揮を執るならば<ペーター・シュトラッサー>の方が便利であった。という事で攻撃隊を直率したルーデルを含め、空軍の首脳部は<ペーター・シュトラッサー>へと戻っていた。

 そしてルーデルの相棒であるガーデルマン少佐も一緒に移動していた。ガーデルマンはルーデルの後席を務められるというだけで稀有な人材であったが、もともと軍医である。

 同じ診てもらうなら海軍の軍医よりも、空軍の軍医に。ということで深夜の対潜哨戒任務を引き受ける代わりに、シュリクティングの移送を許可してもらったのだ。

「なんにも見えませんね」

 先任順でリッパートが三人の中で一番下という事になっているので、言葉遣いも丁寧だった。

「そうでもないかな」

 トラウトロフトが否定したのには、ちゃんと根拠があった。

 頭の上には蓋をしたような暗い雲。おかげで月も星も見ることができなかった。明かりが無ければ沖では何も見ることはできない。そう思っていたのだが…。

「ほお」

 リッパートはトラウトロフトの肩越しに前方の風景を目に入れた。

 真っ暗な海面に、一段と黒い長方体をした塊がある。間違いなく<エーリッヒ・レーヴェンハルト>の左前方を進んでいる<ペーター・シュトラッサー>に間違いない。

 そして、その平らな飛行甲板の中央線をなぞるように、三つの明かりが灯っていた。

 こんな深夜だというのに着艦誘導してくれる整備員たちが置いた懐中電灯の明かりだ。

 たった三つの明かりでも距離や角度、飛行甲板に対する高度など、必要な情報が読み取れる。

 右舷にあるアイランド最後部のお立ち台と呼ばれる場所には、赤と白の明かりがあった。

 あれは誘導員が持っている手持ちの信号灯であり、昼間に着艦誘導する時と同じに航空機と飛行甲板の傾きの差を教えてくれているはずである。

 そういったポツポツと灯っている信号が褪せるほどの光が<ペーター・シュトラッサー>を包んでいた。

 青い蛍光色の光が<ペーター・シュトラッサー>の喫水線に纏わりつくように灯り、スクリューで掻き混ぜられた航跡がそのままの色で長く引きずるように光っていた。

 この戦いで死んだ英霊がまだ生者のいる艦艇へと縋りついている…、わけではない。南洋の海面に広く分布している原生生物であるヤコウチュウが、空母の艦体にぶつかった衝撃や、スクリューの刺激などで発光しているのだ。

 振り返れば<エーリッヒ・レーヴェンハルト>も艦首から航跡にかけて青白い光を曳いていた。(注300)

 その淡い光にも助けられながら、トラウトロフトは<シュトルヒ>を着艦最終段階へと持っていった。

 三つ並んだ明かりが縦に重なるようにすれば、飛行甲板とほぼ同じ高さと言う事になる。

 頑丈な主脚が燃えて黒くなった飛行甲板へキスをするように触れた。すぐさまエンジンを止め、トラウトロフトは<シュトルヒ>を滑走するままにした。

 おそらく<ペーター・シュトラッサー>は原速の一九ノット(時速三五・二キロ)で直進していたはずだ。それに対して<シュトルヒ>のこれ以下の速度では墜落するという失速限界速度は四〇キロ台であった。人間が歩いているほどの速度でコロコロと転がる機体に整備員が取りつけば、それがブレーキ代わりとなる。

 最小限の改造で空母艦上機とするために着艦フックすら省略されていたが、実際は必要が無いほどに「遅い」機体なのだ。だが、その遅さがこうした連絡任務などには最適であった。

 すでにシュリクティングの移送は連絡済みであったため、わらわらと集まって来た整備員たちが<シュトルヒ>の右側胴体を大きく開いて、中から助け出すようにして担架を担ぎ出してくれた。まあ、このまま任せても安心であろう。

 他の整備員は、ある者は燃料の補給を、ある者は機体下へさっそく爆雷を縛り付け始めていた。

 全艦が火だるまになった<ペーター・シュトラッサー>であったが、艦底にある弾薬庫や燃料庫まで火が回ったわけではない。そこまでの事態になると弾薬や燃料が誘爆を起こして沈んでしまうはずだ。

 よって幾ばくかの弾薬や燃料が<ペーター・シュトラッサー>に残されていた。トラウトロフトの操る<シュトルヒ>も、こちらに来てから爆雷の搭載をすることになっていた。

 まあ担架の寝かされたシュリクティング分の重さを積んで、さらに爆雷を吊るすとなると重すぎることもあった。か弱い<シュトルヒ>の倒立エンジンに、そんなに仕事を期待する方が酷という物であろう。

 燃料の補給にも、爆雷の取り付けにもそんなに時間はかからなかった。担架を出すために開いた右側面を元に戻す方に時間がかかったぐらいだ。

 その機体だってジェラルミンなどの金属でできているわけではなく、布製なのだ。骨組みだって鋼管である。

 実戦機の搭乗員をやっている二人からすれば、オモチャのような機体である。

 機体が飛べる状態になった事を確認し、トラウトロフトは再びエンジンを始動させた。

 飛び立つのに難しいことは無い。カタパルトすら使用せずに、行きたいときに行けば、そのまま空へと舞い上がってしまう。操縦に難しいところは無い。

 ゴロゴロと車輪が回り始めアイランド脇を通り過ぎる。出入口の辺りに山積みになっているのは、明日の攻撃に使用する予定の爆雷改造の小型爆弾だ。

 艦底の弾薬庫から揚弾筒で飛行甲板へと上げ、整備員総出で信管を取り替えている最中である。明かりを灯すと敵の潜水艦や夜間攻撃機の目標になる可能性があるので、真っ暗闇の中での作業であった。あれらは翌朝〇六〇〇時までに仕上げなければならない。攻撃隊の発進時間までに終わらせていないと、攻撃隊は空荷で飛ぶ破目になりかねないのだ。

 攻撃隊の半分は夜明け前から<エーリッヒ・レーヴェンハルト>から<ペーター・シュトラッサー>へと移動して弾薬と燃料を受領する予定なのだ。

 機体の速度が上がり、尾輪が飛行甲板から浮き上がった。水平になったところで、またフワリと機体が宙に浮いた。普通の草原でだって五〇メートルも滑走すれば離陸できるのに、いまは飛行甲板が…、<ペーター・シュトラッサー>自体が速力を出しているので、そんなに滑走はいらないのだ。

 全長二四二メートルの飛行甲板の中ほどからトラウトロフトは<シュトルヒ>を舞い上がらせた。

 後は遊覧飛行のような物だ。残念ながら曇天なので見晴らしが悪く、暗い中を飛んでいくだけなので面白くはなかった。

 たまに海面が光ることがある。うねりの中に混じった三角波にヤコウチュウが刺激されて光るのだ。

 それだって、しばらくすれば消えてしまう。あとは厚い雲に暗い海面だけ。深夜という時間のせいで、一番の大敵は襲ってくる眠気であった。

 トラウトロフトはある程度<シュトルヒ>を直進させてから左旋回へと入れた。右でも良かったのだが操縦桿を右手で握っていたため、そのまま横へ押して針路を左にしたのだ。

 後ろに置いて来た二隻の空母は、また黒い直方体に戻っていた。ただヤコウチュウの明かりがボウッと灯っており、存在が消え去っていない事を教えていた。

 二隻から目測で一五〇〇メートルの円を描くように<シュトルヒ>を飛ばす。いくら暗夜でも機上レーダーを積んだ航空機ならば攻撃が可能だ。油断してはいけない。しかし、この距離で周回していれば接近してくる敵機を発見できるかもしれない。無線で警告を上げれば空母にも対空砲がある。撃墜できないまでも攻撃を逸らせる効果ぐらいは期待できるはずだ。

 同じ方向ばかり見ていると風景を見慣れて見落としがあるかもしれない。トラウトロフトとリッパートは交互に左右を見おろして、お互いの視界をカバーしあった。

 周回の間、異常はなさそうであった。海面の確認をしながら空母の後ろを飛び抜け、北側へと回り込む。風景は相変わらずで、ヤコウチュウの航跡が空母の位置を教えていた。

 半ば寝ているような気分になってきた頃合いだった。

「ん?」

 後席のリッパートが溜息のような物を漏らした。

「どうした?」

 空母との距離を推測していたトラウトロフトは、声だけでリッパートに訊ねた。彼は空母の方を向いているトラウトロフトの死角を補うために、外側を見ていたはずだ。

「あれは、おかしくないか?」

 言われて振り返ると、今までと同じ風景が広がっていた。頭を抑えつけるような暗い雲に、それを映し出すような黒い海面。波で刺激されたヤコウチュウが光る筋。

 だが、一本の真っすぐとした線があるのにトラウトロフトも気が付いた。見る間にスゥッと、その一本線が伸びるのを止めた。海面に残るのは一本棒のような光の筋だけだ。

「潜望鏡だ!」

 トラウトロフトはエンジンの回転数を上げながら声を上げた。潜航中の潜水艦が潜望鏡を上げていたのだ。海面を覆うヤコウチュウが潜望鏡にぶつかった刺激で光ったのだ。

 そして味方の潜水艦ならば浮上すればいいのに、潜水したままという事は敵である可能性が高かった。

 おそらくトラウトロフトたちの乗る<シュトルヒ>が接近してきたことに気が付き、慌てて潜望鏡をおろしたのだ。

「爆雷攻撃をするぞ。リッパート、ロープを頼む」

「ヤー」

 機体を上昇させて急降下するだけの高度を稼ぐ。光の筋の伸びた方角と速度から目見当で潜水艦がどのあたりに居るか判断する。

 間違いなく潜水艦は空母へ艦首を向けて接近中のはずだ。

 急な右旋回から回復させて、機体から張り出したキャビンから海面を睨む。暗い海面には目印は何も無いが、あの下に間違いなく潜んでいるはずだ。

 最高速度で(と言っても時速一七五キロだが)機体を降下へと入れた。

「いまだ!」

 正式の懸架方式でないことを考え、トラウトロフトは早めに合図を出した。リッパートは機体に乗せていたナイフを掴むとキャビンから差し出し、頑丈な主脚へ爆雷を縛り付けているロープへ刃を立てた。

 一度刃が入れれば、後は爆雷自体の重さが手伝って、切れ目がどんどんと広がっていった。そして機体が前進するに従って発生する強い風に捥ぎ取られるように、爆雷は<シュトルヒ>から落下した。

 ドーンと上がる水柱を確認しつつ、機体を上昇させる。だがトラウトロフトは分かっていた。潜水艦だって馬鹿では無い。今まで進んできた針路から未来位置が予想できるのは基本中の基本だ。潜航と同時に右か左に舵を切ったに違いない。しかし、本来居たはずの未来位置へと投下しておけば、敵の攻撃を妨害できる可能性が残されている以上、トラウトロフトは別の地点を選択する事は出来なかった。

 爆雷に伴う水柱でヤコウチュウが明るい光を発した。空母の艦橋員たちが居眠りをしていなければ、トラウトロフトたちの乗る<シュトルヒ>が敵の潜水艦を発見したことに気が付いたはずだ。

 しかし皮肉にも、その水柱の根元から光る筋が伸び始めた。今度のすぅーっと伸びる光は潜望鏡では無かった。一本だった筋が二本に分かれ、二本が四本になった。

「魚雷だ!」

「狙いは?」

 リッパートの悲鳴にトラウトロフトが反射的に訊き返した。

「<(バイス)>だ!」

 裏返った声で報告しながら、リッパートは無線のスイッチを入れていた。空母へ警告を発しなければならない。

(間に合えばいいが)

 魚雷を追いかけるように機体を持って行きながらトラウトロフトは臍を噛んだ。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。空母<ペーター・シュトラッサー>:1948年4月20日2317(現地時間)



 ドイツ空軍インド洋機動部隊空母航空団司令ルーデル大佐は、自分のベッドで目を覚ました。狭い空母とはいえ航空団司令の彼には個室が与えられていた。

 ソコトラ島泊地を出港して以来、空軍旗艦であり現在は海軍側の臨時旗艦ともなっている空母<ペーター・シュトラッサー>は、昼間の攻撃で全艦が火だるまになった。

 煙路を逆流した火炎が各部屋の排気口からも噴き出し、燃える物があった船室に延焼した。

 とはいえ煙突から離れた船室は無事であったし、全ての部屋が火事になったわけでも無い。ルーデルが私室として使用しているこの部屋も、排気口周辺は焦げたが、火事にならなくて済んでいた。

 航空団司令ということで豪華な調度品が揃っているわけではなかった。潜水艦の艦長室に比べればマシな程度の床面積に、ベッドが一つ。ベッドの下に物を入れておく鉄製の行李が一つ。あとは事務作業のための机と椅子ぐらいなものだ。(注301)

 飛行服を壁にかけ、ほぼ下着姿でベッドに転がっていたルーデルであったが、なにやら部屋の外が騒がしくなっていた。

 目を開いてからの行動は、さすが東部戦線で弾雨をくぐって来た歴戦の勇者といったものだった。机の上に置いた腕時計で時間を確認すると、すぐに飛行服を着用し、なにかに備えた。

 壁にかけられた鏡を見ながらネクタイを締めているところで、やっと遠慮がちなノックの音がした。

「入りたまえ」

「失礼する」

 ドアを開いたのは長年コンビを組むガーデルマン少佐であった。

 二人は親友と言っても間違いない仲であるが、それでも上官と部下という立場から、右手を挙げる大ドイツ独特の敬礼を交わしている間に、ルーデルは相手の目が泳いでいる事に気が付いた。

「どうした?」

 様式美を終わらせれば、後は親友であり大事な片腕である相棒とは、気の置けない仲へと戻る。ルーデルの笑顔混じりの質問に、ガーデルマンは残念そうに伝えた。

「ルーデル。気落ちしないで聞いて欲しい。明日の攻撃は不可能になった」

「なぜ?」

 予感があったためか、ルーデルは声を荒げることなく訊き返すことができた。

「<(バイス)>が大変な事になった」

「<バイス>が?」

 ガーデルマンが言っているのは<バイス>と兵たちが綽名をつけた空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>に違いない。二日間に及んだ海空戦でも無傷でおり、生き残った攻撃隊を収容し、明日の攻撃のために整備補修をしているはずであった。

「事故か?」

「潜水艦だそうだ」

 ガーデルマンの言葉に、ルーデルは足音高く走り出した。廊室を抜けてラッタルを上がり飛行甲板へと飛び出た。昨日の戦闘で弾片を受けた足の傷なんて気にならなかった。

 外は深夜で真っ暗であった。月も星も見えないことから曇っていると分かった。

 真っ暗闇の中で、人々が一列になっているのが分かった。どうやら飛行甲板の左端に並んで海を見ているようだ。

 ルーデルもその列に加わることにした。

 飛行甲板の一段下には取り囲むようにスポンソンが設けられ、対空機関砲が装備されている。その射撃員の一人が嘆き声を上げた。

「ああ、聖母さま(アーベ・マリーヤ)

 その願いが届いたのか、厚い雲が動き月光が海面へと差し込んだ。

 満月まであと二日という大きな月は、ちょうど中天にあって、その光景を一同へともたらした。(注302)

 アイランド側を下に<エーリッヒ・レーヴェンハルト>が傾いていた。その角度は急で飛行甲板の右端は海面へと触れているほどだ。飛行甲板上に並べられていたはずの各種艦上機が、坂道を下るようにして次々に海中へと落ちて行くところだった。

「どういうことだ?」

 いまいち状況が呑み込めていないルーデルは、近くに立つ整備員に質問した。月明かりの下で相手の見分けがつかなかったのか、その若い整備員は砕けた様子で答えてくれた。

「潜水艦らしい。右に三本も喰らってあのとおりさ」

「救助は?」

 矢継ぎ早の質問に、整備員は肩を竦めてみせた。

「無理だろう。止まったら次はコッチがやられてしまう」

「カッターがあるじゃないか」

「それだって、降ろす時は止まらなくちゃならない。そこを狙われたら、こちらも…」

 そこまで口にしてようやく自分の話し相手が誰だったのかに気が付いたようだ。その整備員は慌てて敬礼するために右手を挙げた。

「し、失礼しました。暗いため同僚かと」

「気にするな。いまは緊急事態だ」

 周囲の者も慌てて追随して手を挙げるが、多少の無礼は気にしない彼の性癖が出た。もちろん公式の場所では問題になるだろうが<エーリッヒ・レーヴェンハルト>が沈みかけているここは戦場だ。何よりも優先する事がある。

 それでもルーデルが答礼すると、やっと整備員たちは手をおろした。

「おい、貴様たち」

 黒い山のように見えるアイランドの方向から声がかけられた。

「この爆雷をもとに戻すぞ。もう爆弾としては使わないだろうからな」

 おそらく整備長の声と思われる物に、整備員たちが疲れた顔をしてみせた。夜明けと同時に飛び立つ予定だった攻撃隊は、もう弾薬の受領に来ないことが明白であった。それよりもこれから消費するだろう爆雷の準備をしなければならない。せっかく小型爆弾として使用できるように改修したこれらを、もとの爆雷に復元するには手間よりも精神的な物の方が手を重くしそうであった。

「やれやれ。手加減してくれよ」

 聞き慣れた声に振り返れば、ようやくガーデルマンが追いついて来たようだ。彼は肋骨を骨折しているから、足に怪我をしたルーデルよりも走ることができなかったのだ。

 月光に照らされて海面上に停止した<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は、まるで絵画のようにも見えた。

 飛行甲板からは全ての機体が滑り落ち、そこに描かれた着艦の指標となる中心を示す白線がはっきりと見えた。

 僚艦の被雷を受けて<ペーター・シュトラッサー>は全速を出しているようだ。飛行甲板を吹き抜ける風が凄い事になっていた。さらに舵を左に…、取舵に切っているようだ。高速で動き回っていれば魚雷を受けることはないはずだ。よって<ペーター・シュトラッサー>は動けなくなった<エーリッヒ・レーヴェンハルト>を中心にして円を描くように動き始めた。

「助けなければ」

 ルーデルは断言した。

「どうやって?」

 困り顔のガーデルマン。

 飛行甲板を見渡しても、こちらの飛行甲板には何も駐機していなかった。彼らを運んでくれたヘリコプター、フォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>は、おそらく周囲に潜んでいる潜水艦を見つけるために飛び立っていた。飛べる機体はもう一機、連絡機であるフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>だけである。そちらも潜水艦を見つけるために<エーリッヒ・レーヴェンハルト>上空に居た。

 他の機体は全て<エーリッヒ・レーヴェンハルト>にあったはずだ。昼間に攻撃隊が帰還してきた時に使用可能だった艦は<エーリッヒ・レーヴェンハルト>と、行方不明になった航空戦艦の<フォン・リヒトホーフェン>二隻だけであり、<ペーター・シュトラッサー>は火災のため飛行甲板が使用不能だったのだ。

 その後、鎮火にあわせて一足早くルーデルたち空軍首脳部は<ペーター・シュトラッサー>へと<ゼー・シュランガー>に乗って帰艦していたが、肝心の機体は置いて来てしまった。

 そして航空団司令であるルーデルの目の前で、全ての機体がいま海没してしまった。

 たとえ残り一機だけになろうとも敵艦隊…、いや<ヤマト>攻撃を諦めるつもりは無かったルーデルであるが、これには参った。

 残されたのは対潜哨戒ができるヘリコプター一機と、連絡機が一機の合計二機だけだ。

 この内、潜水艦の制圧が終われば<ゼー・シュランガー>は溺者救助に働かなければならないだろう。<シュトルヒ>の方は残った<ペーター・シュトラッサー>を潜水艦から守らなければならない。

 さすがに飛行甲板へと座り込んだルーデルは、夜空を仰いだ。

 東の空には有名な十文字の星座が輝き、静かな光が世界へと降り注いでいた。わずか二〇〇〇メートル先で二〇〇〇人あまりのドイツ人が襲い掛かる海水と命がけで向き合っているとは思えない程の静かさだった。



 結局、ルーデルはこの海戦で黒星をつける事となった。

 旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>は機動部隊司令のハイデンハイム中将と共に行方不明。後日、亡失と判定された。日本艦隊に救助された乗組員の証言により、海戦二日目の夕方に<ヤマト>へ海上打撃戦を挑み、力及ばず撃沈されたことが伝えられた。なお救助された中には空軍のフィッケル少尉も含まれており、帰国後に昇進して中隊を任されることになる。

 旗艦に随伴していた赤い艦体が特徴の航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>の末路は、<ウルリヒ・フォン・フッテン>の乗組員と、辛うじて転覆した同艦から脱出し半壊した短艇などで漂流した乗組員たちの証言で最期が判明した。

 空軍の『秘密兵器』として用意された<ミステルフィア>の誤爆を受けて大破炎上後、日本機動部隊の攻撃により被弾四発以上、被雷二本以上を受けて転覆。誤爆から一〇分ほどで沈没した。

 短艇などで脱出した副長以下八六六名は翌日から三日後にかけて日本側に救助された。

 艦隊から先行し、最新式のジェット機母艦として活躍した<ドクトル・エッケナー>は、日本機からによる雷爆撃を受けて動力を喪失、敵中に孤立した。

 第二艦隊第一水雷戦隊に包囲された同艦は、自沈処置後に降伏。戦闘で直接戦死した者を除いて大多数が日本艦隊に収容された。

 日本機動部隊による攻撃時、運よくスコールに隠れることができた<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は、夜になってから日本海軍第六艦隊第三潜水戦隊に所属する<イ四一〇>の追跡を受けた。結局、雷撃を許してしまい魚雷を右舷に三本以上受けて大破した。被雷後に傾斜角二〇度という大傾斜を起こした<エーリッヒ・レーヴェンハルト>であるが、防水処置をしようにも全艦が停電してしまい復旧が叶わなかった。

 沈没までの時間が短かったのにも関わらず、犠牲者は最小限で済み(飛行甲板から滑り落ちた航空機の搭乗員一名)短艇で脱出した同艦の乗組員は<ペーター・シュトラッサー>に拾い上げられた。

 最後に残った<ペーター・シュトラッサー>であるが、昼間の日本軍機による空襲において大破し、一時は放棄も検討される程の大火災を起こしたが、消火に成功した。

 四つある機関の内、一つを除いて動力は全滅したが、復旧後は一九ノット(時速三五・二キロ)を出すまでに回復した。

 遅い輸送船団を連れている日本艦隊の追撃が無かった事により<ペーター・シュトラッサー>は逃げおおせることに成功した。

 ソコトラ島に迫る日本艦隊から逃走するために、重傷者を陸上の病院へ残して即日、地中海方面へと後退した。


 被害状況から見て、どう言い繕ってもハイデンハイム司令が率いたドイツ機動部隊は全滅であった。



●インド西岸ポルトガル領インド、ゴア首府パナジ。パナジ港、旅客岸壁:1948年4月21日1730(現地時間)



 町には薄い煙が立ち上がっていた。一ヶ所だけではない。駅の操車場や飛行場など軍事施設やそれに準じると思われる箇所は全て、昼間に繰り返された日本機動部隊による空襲により焼き払われてしまった。

 逆に民間施設などには一発も爆弾を落とさなかった事から、日本軍の練度の高さを示していた。もちろん民間人の死傷者は最低限だ。(注303)

 空が紅色に変わりつつある現在、北ゴアにあるパナジ港の旅客岸壁に複数の人影があった。彼らは人待ち顔で海を眺めていた。

 警備の兵たちに囲まれている将官の中で一人だけ開襟シャツに普通のズボンという、明らかに軍人では無い男が混ざっていた。

 他の高級将校がジャラジャラと勲章やら褒章やらを下げているなかで、いっそう地味さが目立っていた。

 彼がポルトガルの海外領土に責任を持つポルトガル共和国領インド、ゴア総督のホセ・シルベストル・フェレイラ・ボッサ植民地大臣であった。(注304)(注305)

 その行いから「イベリア半島の賢人」と呼ばれるアントニオ・デ・オリベイラ・サラザール首相が、ドイツ軍にゴアの基地を使用させることを決定したことを受け、ポルトガルの権益を最大限に守るために、中立国の航空機を乗り継いでやって来ていたのだ。

 権威を嵩に威張り散らす人物でない証拠に、思慮深そうな眼差しは水平線近くにチラチラ見える影へ注がれていた。

 他に並んでいる軍人たちは、陸軍旅団、海軍の東洋艦隊、陸軍航空隊、そして共和国国家警備隊と、ゴアに居る四軍のそれぞれ司令官であった。

 大ドイツに進駐を許した後は軍事組織とは名ばかりで、ポルトガル領インド内で警察活動程度までその活動を制限されていた。

 各軍の装備は、同じ欧州ということで大ドイツに範を取っていた。大は装甲車から航空機、小は個人携行の小銃や拳銃まで、大ドイツの装備を輸入または国内生産した物であった。

 だが、ここにいる司令官たちは丸腰であった。埠頭の警備に立つ歩哨たちが手にしているのも旧式の九八年式騎兵銃であった。

 なにせドイツ軍は燃料から弾薬まで全てを持って行ってしまったのだ。海軍がインド洋で敗れ、日本軍の上陸が避けられないと分かった途端に、まるで強盗のように全てを持ち去った。

 陸軍の留守番部隊と、空軍の地上員、それとわずかな海軍将兵は、ゴア北部にある鉱山へと移動した。首都パナジなどの市街地で戦う選択肢も彼らにはあったのだろうが、そうなると民間人への被害が相当な物となるのは自明の理であった。ドイツ軍の指揮官はそれを避け、籠城に適した鉱山へと移動したのだ。

 もちろんポルトガル側の責任者であるボッサには歓迎すべき状況であった。ドイツ軍が立てこもる鉱山を別にし、首都パナジを含むゴア全土に無防備都市宣言を出し、余計な犠牲を出さないように努めることができるからだ。

 交易港として、そして鉱物の積み出し港として盛況だった港には、今は数隻の中立国船籍の船舶しか停泊していなかった。他の船は、ドイツ軍に接収された物や、今朝の爆撃で港内にて撃沈された物もあった。

 数隻いたポルトガル海軍の水雷艇や砲艇などもドイツ海軍に奪われた。それらは元からドイツ海軍に所属していた魚雷艇や潜水艦と一緒になって、無謀にも接近する日本艦隊へと突撃を敢行した。戦果は日本の駆逐艦数隻へ損害を与えた程度だったようだ。

 彼らは帰港後に自沈した。それらの乗組員は逮捕し、捕虜として陸軍敷地内に監禁してある。

 日本海軍は太平洋の覇者となっただけあって、大艦隊が狭い湾内へ入って身動きを取れなくなるなんていうみっともない真似はしなかった。

 彼らは沖で遊弋しており、ポツンと新たな島が生まれた様に見える姿がひとつ水平線にあった。鋼鉄で造られた彼女が持つ砲身は、全てこちらに向けられているようだ。

(あれが<ヤマト>か)

 ボッサは遠くに見える戦艦から発せられる存在感につばを飲み込んだ。

 水先案内人を乗せた駆逐艦一隻だけが港内へと進入してきていた。昔は国際航路の船長だった男に、いまボッサが待っている桟橋へ誘導するように言い含めてあった。

 太平洋の荒波を乗り切れるように、日本刀のように鋭くとがった艦首。前甲板の砲塔の後に艦橋、煙突、魚雷発射管と続く。灰色に塗られた艦体はどこもピカピカで、まるで新造艦のようだ。

 甲板に装備された対空機関砲に射撃員が配置されていた。彼らが気まぐれを起こして砲口をこちらに向けても、ボッサには何もできない。乱射でもされたら、まともな死体すら残さずに桟橋に血だまりだけが残るだろう。

 だが射撃員たちはにこやかに手さえ振ってみせた。友好的な様子であった。

(これならば我が共和国の中立は維持できるかもしれない)

 本国は指導者として有能なサラザール首相の治世により安定していた。これに海外からもたらされる富が足されて一〇〇年は安泰だろう。特にゴアにある鉄鉱山は質の良い鉱石を産出し、位置も欧州と極東を結ぶ絶妙な場所にあるので、貿易の中継港としても有望であった。

 欧州戦争では大ドイツを中心にした枢軸側と、大英帝国を中心にした連合側と、双方にバランスよく交渉する事で中立を保てたポルトガルであった。今回の戦役もうまく立ち回り中立を維持しなければならない。軍事的に強大になりすぎた列強の間で生き抜くには、それはとても大切な事だった。

(まずドイツ軍進駐の件は半ば強制的であり、軍事力の乏しい共和国には断ることが難しかったことを強調せねば)

 これより日本側との交渉を控えて、ボッサは頭の中で要点を整理していた。

(幸い我が共和国と日本との間には、長い歴史がある。なにせ、このゴアには日本に布教活動へ行った宣教師フランシスコ・ザビエルの墓すらあるのだ。太平洋の戦いでも開戦当初に東ティモールを占領されたが、戦後に共和国へ返還してくれたではないか。よほどのヘマをしない限り、この局面もうまくしのげるだろう)(注306)

 水兵たちが甲板から投げる(もやい)を岸壁に居た港湾作業員たちへと投げた。やる気が無さそうな現地人が受け取ってボラードへとかけた。

 舫綱は甲板にあるキャプスタンによって巻き取られ、短くなった分だけ舷側が岸壁へと寄って来る。防舷物を甲板員たちが垂らし、他の者が追加の舫を投げていた。

 艦の中央部では他の乗組員たちが、最上甲板に寝かされていた舷梯(げんてい)を岸壁との間にかけた。普段は客船が停泊するので海面よりも高さがある岸壁なので、ほぼ水平になって橋のようになっている。日本人たちは船乗りとして優秀なようで、上に木の板を渡して手摺を取り付け、海に慣れていない者でも渡りやすいように整えた。

 その手際の良さに感心していると、正装をした将校が出来たばかりの舷梯を渡って来た。他の将兵が薄いカーキ色をした防暑服の中、真っ白な軍装であった。

 腰に吊ったサーベルが余分なところにぶつからないように抑えながら下船して、高級将校が固まっているこちらまでやって来た。

 民間人であるボッサですら見惚れる程の敬礼をすると、日本の将校は口を開いた。

「自分は大日本帝国海軍連合艦隊所属駆逐艦<ウラカゼ>航海長のシライシ大尉であります。ボッサ総督はこちらに?」(注307)

「ボッサは私だ」

 軍人たちが顔を見合わせている間に、ボッサは一歩前に出た。

「それと私は軍人では無いが閣下と呼ばれる身分である」

 進駐して来た大ドイツの将兵たちとは英語でコミュニケーションを取っていたので、すらすらと話すことが出来た。

「こちらに並んでいるのは、この地の陸軍、海軍、陸軍航空隊、国家警備隊、各軍の責任者だ」

「そうでありますか。ならば、ご同席されるが良いでしょう。艦内にて当地の中立に関する話し合いをするために、同盟軍の将官が待っております」

 促すようにシライシ大尉は掌を<ウラカゼ>の方へ翻した。

「どうぞ閣下。我が<ウラカゼ>はご一同を歓迎いたします」

 彼を先頭に、かけられたばかりの舷梯を渡った。

「なにぶん狭い艦なので、頭をぶつけないように気をつけられますように」

 水密扉をくぐる時には、わざわざ声をかけてくれた。

 艦内に入り廊室を抜けたところにある高級将校用の食堂が交渉のテーブルだった。

 ボッサは入室して初めて自分の見通しが甘かったことを思い知った。

 艦内には真っ白な軍装をした日本海軍の将官。カーキ色の開襟シャツの軍装をした日本陸軍の将軍、そして明らかにインド軍の将校も待ち構えていたのだ。

 独立なったインド政府は、共和国にこの地の返還を求めていた。インド軍の将校がこの場に居るという事は、少なくとも占領行政はインド軍が行うのだろう。戦役が終わった後に彼らがおとなしく撤退する保証はどこにもなかった。そして欧州から離れたこの地に大兵力を派遣できるほど、共和国に力はない。つまり共和国領土からこの地が失陥する事を意味していた。(注308)



●インド西岸元英領インド、ボンベイ:1948年4月25日0618(現地時間)



 その部屋には靄がかかっていた。いや霞では無い。この部屋にいる一二人の紳士が今晩消費した一三オンスの高級煙草の成れの果てだ。(注309)

 ここはボンベイ市内にある銀行の特別室である。室内に詰めているのは地元の名士と呼ばれる紳士ばかりだ。彼らはこの商業都市ボンベイで色んな物を扱って来た。貴金属、絹、香料、羊毛、小麦、綿糸、そして阿片までも。

 だがさすがに今回の商品は難物であった。やはり「戦争」ともなると手に余るようで、このインドの地で繰り広げられている大ドイツと、インド独立派とそれを支援する大日本帝国との戦役において、ボンベイがこれから取る道を話し合っていたのだ。

 会議の議長を務めているのは口髭の似合う紳士、サー・エリス・ヴィクター・サスーン準男爵であった。大英帝国臣民にしてインド立法議会の議員だった紳士である。(注310)

 もちろん欧州戦争にて大英帝国が瓦解し、インドが独立した現在は「かつてそうだった」程度の肩書でしか無いが、彼の持つ財力は本物であった。

 彼の祖父はアヘン戦争において荒稼ぎをし、現在に至る財を築いたのだ。

 その積出港がこのボンベイであった。

 現在の彼は上海に居を構えているが、自分の地盤が揺るがされる事は看過できずに駆け付けたというわけだ。

 何重にも重ねてかけた窓のカーテンに隙間を作るようにして外を確認する。

 明るくなった空に星が溶け込んでいく。戦時下とは思えないほど静かな朝であった。

 日本軍の戦略爆撃機が無差別爆撃を企んでもおかしくない状況である。もちろん彼の人脈を駆使して日本側へ働きかけはしていた。「国際戦時法において民間人への攻撃は禁止されている」とか何とか言い繕ったが、本音は彼の祖父が築いた財閥の基盤を守るためであった。

 会議室で疲れ果てている紳士の一人がベルを鳴らした。給仕の一人が疲れた顔一つ見せずに現れて頭を下げた。

「目が覚めるようにコーヒーを」

 注文に対して無言のまま頭を下げて退出して行く。サスーン家に仕える者に不調法な者など存在しないのだ。

「やはりドイツ軍には出て行ってもらわないとな」

 その方法が決まらないので徹夜するはめになったのだ。

 ここから南方にあるゴアは、昨日の段階で日本軍の上陸を許した。駐留していた大ドイツの三軍は素直に首都パナジから撤退し、北方の鉱山に籠城する事を選んだ。

 いまは上陸した日本陸軍の一個師団と麓の村で睨みあっている状態だという。市街地の占領はインド陸軍に任された。元から駐留していたポルトガル軍はインド軍の占領に抵抗しようとはしたようだが、ドイツ軍に武器も弾薬も、糧秣さえ奪われた後ではできるはずが無かった。

 問題はボンベイ駐留のドイツ軍が同じと限らないところだ。駐留軍の司令官であるヘルムート・オットー・ルートビッヒ・バイトリング陸軍大将は、ボンベイ市街で抵抗戦をする気満々であり、鼻薬を嗅がせた副官のハンス・レーファー大佐を通じて降伏か撤退を勧めてはいるが、考えを翻す様子はなかった。(注311)

 市街戦が始まれば市民(顧客及び従業員)に死傷者も出るだろうし、町(倉庫と収められた商品)も焼かれるであろう。ヴィクターには耐えがたい損出だ。

 さらに不吉な情報も耳に入っていた。

 彼の友人には大英帝国秘密情報部の者も居たので、裏の裏に隠された情報も耳に入るのだ。彼によると陛下から殺人許可証を得た「七番目の男」がワイマールで暗躍し、大ドイツが開発していた『新型爆弾』を自爆させたらしい。(注312)

 その結果、研究開発陣だけでなくワイマール市民二〇万人が丸ごと巻き添えになった。三年経った今でも爆心地には危険な放射線が満ちて近づくことは出来ないという。

 せっかくの新兵器を壊された大ドイツ側も黙ってはいなかった。欧州一危険な男と呼ばれたオットー・ヨハン・アントン・スコルツェニー親衛隊中佐(オーバーシュツルムバンフューラー)が率いる特殊部隊の工作で、大英帝国と合衆国の共同で開発していた同型の『新型爆弾』を自爆させられ、こちらも研究開発陣もろとも蒸発させられたそうだ。

 巻き添えを食った市民には気の毒ではあるが、ヴィクターからすれば「ざまを見ろ」といった感想しか湧かないニュースであった。サスーン家はバグダディ系ユダヤ人であり、同胞を迫害する両陣営が苦しむのに同情すら湧かなかった。それから失った物を取り返そうと両陣営は努力を続けているらしいが、なにせお互いの中心人物が文字通り蒸発してしまったので成果は上がっていないようだ。

 だが…。

 列強の中で大日本帝国のみが、その『新型爆弾』の開発製造に成功したようだ。それを自分に向けるのであれば高みの見物とはならない。生きているからこその商売であり財産だ。死んでしまったら約束の地へは地上の物は持ち込むことはできないのである。

 もちろんドイツ軍の高級将校たちも同じ情報を持っている様だった。いくら市街戦を挑もうとしても『新型爆弾』で都市ごと焼き払われたら、戦いにすらならず全滅だ。

 ヴィクターの情報網では『新型爆弾』は砲弾へと造り替えられ戦艦<ヤマト>に積まれているという。迫りくる日本艦隊には、その<ヤマト>が含まれているそうだ。

「どうやって説得したものか」

 まだ平和な市街を見てヴィクターは呟いた。

 砲兵上がりのあの将軍だって本当は『新型爆弾』で蒸発する事は望んではいまい。ただ遠く離れた大ドイツ本国からしつこく送られてくる総統命令が彼を縛っているのだ。

 軍内部の命令書など機密文書であることに間違いないが、ヴィクターの手にかかれば壁新聞と同じように閲覧可能であった。

 そこにはババリアの伍長から発せられたと思われる厳しい言葉が並べられていた。

 曰く「大ドイツの運命は託された」だの「当地を絶対に死守せよ」だの「我が勇猛なる武装親衛隊を援軍に送り込む」だの。

 たしかに昨日までにドイツ軍の援軍はボンベイ港へと到着していた。だが内容は国防軍の一個機甲師団と、補給物資であった。

 総統の私兵たる武装親衛隊は、インドの首都デリーへ向けて進軍した後であり、ここボンベイには連絡事務所ぐらいしか残されていなかった。それに今から前線から取って返してきたとしても、『新型爆弾』を前に何も出来ないに違いない。なにせ相手は海の上だ。しかもドイツ海軍の戦艦すら撃沈した巨砲を持っているという。陸軍の砲兵隊がいくら強力でも、装備している大砲は15センチ榴弾砲(実径は一四・九センチ)であり、戦艦の主砲の射程と比べる事すらできなかった。

 頼みの航空機だって、太平洋の戦いで猛威を振るった日本機動部隊が来ているのである。昨日までに軍の滑走路は幾度となく爆撃され、ジェット機どころか連絡機さえまともに離陸させることはできなくなっていた。

 万事休すと言う局面なのに総統の命令へ盲目的に従おうとする軍人たちの心が知れなかった。

(あとは日本軍の方で使わないように策略を立ててくれることを祈るしか無いようだ)

 札束で命を売る人間は多いが、それにだって限界はあった。商人であり銀行家であるヴォクターに取れる手はもう残されていなかった。




 面白おかしく遊んだ後は、オモチャを片付けないといけないのです。超ド級戦艦や航空戦艦、そして空母に新型機で遊んだら、それらはちゃんと片付けましょう。


 でも、もうちょっとだけ続くんじゃ。

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