戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・⑩
たった五隻のドイツ機動部隊ですが、海空戦を行って艦隊は散り散りでとっ散らかってしまいました。なんとか纏めないとね。
機動部隊のハイデンハイム司令もそうですが、和美が書かないと纏まる物も纏まりません。攻撃隊だって帰って来るし、先行した<ドクトル・エッケナー>だってあるし。
実際に機動部隊を率いて戦った南雲提督や小澤提督は凄かったんだなあと、書いてみて思うのでした。とくに南雲提督なんて前例が無い事をやっていたんだから、和美だったら「お腹が痛いオウチに帰る」ってトイレに籠っちゃいますよ。書いてみて改めて尊敬いたします。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月20日1020(現地時間)
空母<ペーター・シュトラッサー>が燃え上がっている頃、それと対照的に僚艦の空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>には一時的な平和が訪れていた。
空襲がこれから始まるという時に、直掩機を発進させるために艦隊とは別の針路を取っていた彼女は、前方にスコールを発見し、全力でその下へ逃げ込むことに成功していたからだ。
対空砲や対空機関砲の配置についたままで射撃員たちは、上から下までずぶ濡れとなってしまったが、爆弾を雨霰と降らされるよりはマシであった。
「右舷二時方向! 青が燃えています」
艦橋の見張員が悲鳴のような声で報告した。艦橋で指揮を執っていた<エーリッヒ・レーヴェンハルト>艦長のルター・ヴェバー大佐は当該方向へ視線を走らせた。
モミアゲを伸ばして頭髪を綺麗に整えている男である。港を歩くだけで町の女が言い寄って来るほどの見た目をしているが、本人にそんな自覚は無い。なぜなら彼が港町を歩く時は、必ずと言っていいほど雨が降るからだ。
ヴェバー艦長は自身の雨男っぷりに今日だけは感謝していた。思い返せば少尉時代に挙げた結婚式も雨であったし、空軍に仕官して東部戦線で戦死した兄の葬儀も雨であった。
子供の頃から大きな催しがある時は雨天が続くので、家族どころか友人たちにまで「雨」と呼ばれていた。
だが今日だけは誇れる特技(?)であろう。部下たちも雨の方が何倍もマシだと思ってくれるはずだ、雨粒の代わりに爆弾が降り注ぐよりは。
「伝令!」
艦橋内で指揮を執っていたヴェバー艦長は厳しい声を上げた。
「ヤー!」
艦橋伝令として詰めていた一人の水兵が背筋を伸ばした。
「航空隊指揮所へ行き、航空隊司令部から何か連絡があったかの確認をしろ。無かった場合、我が艦で航空隊の指揮権を掌握するよう『進言』する」
「はい。航空隊司令部の確認。それが無い場合<エーリッヒ・レーヴェンハルト>で指揮権の掌握を進言」
「よし! 行け!」
伝令が小走りに艦橋を飛び出していった。航空隊指揮所は同じアイランドにあるので、着くまで時間はかからないはずだ。
「どうしますか?」
走り去った背中を見送った航海長が左右の舷窓を確認してから訊いて来た。
「そろそろ、この傘も役立たずになる頃です。前へ出ますか?」
雲の下から出れば日本攻撃隊が待ち構えているはずである。機関を止めても浮いていられる艦船とは違い、時間稼ぎをすれば航空機は燃料切れで帰っていくはずである。
「いや。我々が行くところは決まっている」
頭をゆっくりと振ったヴェバー艦長は、艫から舳まで全艦が燃え上がっているように見える<ペーター・シュトラッサー>を指差した。
「同胞が苦しんでいる今、見捨てることはできない」
「危険ですよ」
航海長だって僚艦が燃え上がっているのを見て、心中は穏やかでは無かった。戦友として前の戦争で肩を並べて戦った者だって乗組んでいるのだ。だが軽率な判断をして<エーリッヒ・レーヴェンハルト>が敵弾を受けたら死傷するのは彼の部下なのだ。
艦長の思考にブレーキをかけて、それが本当に必要な事か再考させるのも彼の役目であった。
熟練の指導者であるヴェバー艦長は、航海長の意見を聞いて、怒りだすようなことは無かった。
「もちろん意味のある行動だぞ」
威厳たっぷりにヴェバー艦長は言った。
「あの様子だと<ブラウ>は、もう空母として使い物にならないだろう」
青味が強い迷彩を施されたため<ブラウ>と艦隊から綽名をつけられた<ペーター・シュトラッサー>を再び指差した。
「だとしたらスツーカ大佐の攻撃隊が帰ってきたら、この艦と<赤>で収容せねばならない」
旗艦に続航する航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>は赤い艦体から<ロート>と呼ばれていた。
「そうしたら、その後に二度三度と攻撃隊を繰り出す準備をしておかないと、日本人を殴り返せないではないか」
「そのための指揮権継承ですか」
「本当なら燃料や弾薬も欲しいところだが…」
戦艦の檣楼よりも高く上がっている火煙を見て、ヴェバー艦長は肩を竦めた。
「贅沢を言ったらキリが無いですよ」
艦橋に新しい声がして、詰めていたほとんどの者が振り返った。何かのついでのように右手を額に当てているのは、敬礼のつもりであろうか。海軍の半袖半ズボンの防暑服では無く、白い開襟のチェニックである制服を着た人物であった。それは空軍の夏季軍服であった。
「リュティエ軍曹であります。現在、この艦での最先任の空軍下士官であります」
どうやら艦長からの伝令を受けて、責任者自ら艦橋へ出頭してきたようだ。
「艦長のヴェバーだ」
いい加減な敬礼に対してヴェバー艦長は海軍式のしっかりとした答礼をした。
将校同士であるなら乗り込む時に顔合わせをしているが、相手が下士官となるとそうはいかない。艦へ整列して乗り込んで来た時に、演台の上で出迎えた側と、各列の先頭だった程度でしか顔を合わせていないはずだ。
「空軍は血の気が多い連中が揃っていまして、飾緒はみんな飛んで行ってしまっていまして」
まるで羽が生えて飛んで行ったかのように、リュティエ軍曹は両手首で羽ばたいてみせた。どうやら彼は明るい性格のようだ。ちなみに「飾緒」とは、軍服に金糸で装飾がついている将校たちの事を指す兵隊たちの隠語であった。
「自分の専門は給与計算ですが、なにかお役に立てますか?」
空軍といったって国の機関である。そこに所属する者には給与は支払われるし、無事勤め上げれば年金だって出る。有給休暇だってあるし、もし怪我をすれば見舞金だって出る。
そういう経理の仕事を、もちろん本国にある空軍総司令部に付属する主計科の給与担当が事務作業をする。が、実際に前線基地に詰めてそういった事に必要な書類を整える者も必要だった。一回の出撃に、飛行手当に危険手当、さらに戦果を挙げた者にはボーナスが出さねばならない。細かい出撃回数や内容など、遠い本国では把握しきれない事柄は山ほどあるのだ。
だが本職が給与計算でもこの場の最先任となれば、やる事をやってもらわなければならない。(注273)
「<ブラウ>はもうダメだろう。君に航空隊の指揮をお願いしたい」
アイランド内の航空隊指揮所では分からなかっただろうと、ヴェバー艦長は遠くで燃えている<ペーター・シュトラッサー>を示した。
「燃えていますね」
いくらか真面目な顔をしてリュティエ軍曹が確認した。
「燃えているな」
「えーっと。指揮を執れと言われましてもねえ」
わざわざ帽子を脱いで後頭部を掻いたリュティエ軍曹は、頭へ帽子を戻しながら言った。
「自分は専門じゃないので、うまくいかないかもしれませんよ?」
「それでもやってもらわねば困る」
どことなく人を食ったような態度のリュティエ軍曹に、ちっとも焦りを見せずにヴェバー艦長は言った。
「他にやる者がいないからな」
「じゃあ本職を連れてくるっていうのはどうでしょう」
名案を思い付いたとリュティエ軍曹が人差し指を立てた。
「本職を連れてくる?」
彼の言いたいことが分からずにヴェバー艦長は顔を曇らせた。
「さいわい、この艦のヘリは無傷だ。ちょいと飛んで行ってもらって、釣って来てもらいましょう、本職の司令部要員を」
「それが出来ればいいが…」
さすがに航空機の事は専門外なので、そんな事が出来るのかの判断がつかなかった。
「艦長が許可して下されば、すぐにでも迎えを送りますよ」
言っている間にエンジンが始動する音が聞こえて来た。さりげなく舷窓から飛行甲板を確認すると、いつの間にか格納庫からフォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>が引き出されていた。
どうやら艦橋に上がる前には手配を済ませていたようだ。並列式のローターがゆるゆると動き始めていた。
「現在、通信設備にも障害を受けて在<ブラウ>の我が司令部は、指揮を執れなくなっております。よって本官は<ゼー・シュランガー>をもって、空軍司令部を当艦へと移乗させたいと思うのでありますが。よろしいでしょうか?」
少しは真面目な顔をしてリュティエ軍曹が口にした提案に、ヴェバー艦長は反対する気はなかった。
「ひとつだけ条件をつけて良いかな?」
「本職に出来得ることであれば」
何を言われるのだろうかと身構えたのが分かった。だがヴェバー艦長の条件はそんなに厳しい物ではなかった。
「もし<ブラウ>の乗組員に重傷者が居た場合、アレでコチラヘ運んでくれないかね?」
「了解いたしました」
空軍と海軍と所属する組織は違うが同胞である。重い怪我をした者の後送に異を唱えるつもりはなかった。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊上空一〇〇〇メートル:1948年4月20日1040(現地時間)
雲が少なくなったドイツ機動部隊上空に、フォッケウルフ一六七<アイバトス>が戻って来た。
もちろん周辺に日本軍機がいなくなったタイミングを見計らっての接近だ。そうでないと空中戦が得意でない<アイバトス>は、あっという間に撃墜されてしまうだろう。
途中、スコールをくぐったのか、その<アイバトス>の機体表面は洗ったかのような光沢があった。だが、飛んだ先で酷い目に遭ったのは一目瞭然である。機体のあちこちに被弾でできた穴が開き、風防はヒビだらけだ。
空冷エンジンであるBMW八〇一Jを包んでいるエンジンカウリングにも穴が開いており、そこから薄い紫色をした煙と、黒いオイルが漏れだしていた。
それもそのはずである。この<アイバトス>は攻撃隊の誘導機として日本艦隊上空で電波を放射する任務を仰せつかった機体なのだ。
もちろん敵の攻撃隊を呼び寄せる電波源を見逃すなんていう甘い考えを日本艦隊は持ってはいなかった。
執拗に直掩任務の戦闘機に追いまわされ、何度も危うい目に遭った結果がコレである。
「昨日よりもマシだな」
それでも操縦桿を握っているヴァルター・トラウトロフト軍曹が何でも無い事のように言った。昨日の索敵行では、エンジンから漏れたオイルで風防が真っ黒に染められて、前方の視界が全くない状態で帰って来たのだ。
「ギギギギ」
縦に並んだ三座の最後部に位置する銃座からは歯ぎしりしか聞こえてこなかった。銃手兼通信手であるゲルハルト・リッパート軍曹は、どうやらまだ無事のようだ。彼は昨日の索敵任務でも戦闘機に追われて似たような状態になっていた。恐怖が彼をそうするのだろうが、銃手としてはそれなりに仕事をして、戦闘機を追っ払う事に貢献はしていた。やる事をやってくれるなら、硬直しようが歯ぎしりしようが構わなかった。
「マシなものか、ちくしょう」
中央の偵察員席で脂汗を流しているのは機長役のマックス・シュリクティング軍曹だ。彼の左腿は首に巻いていたスカーフで固く縛られていた。
白かったスカーフは赤く染まっていた。風防を抜けて飛び込んだ弾片が彼を傷つけたのだ。
「いちおう補助翼も尾翼も動くぞ」
呑気に答えたトラウトロフトが、それを示すように<アイバトス>を緩く揺らしてみせた。
「やめろ。傷に響く」
嫌がらせでやっていると取ったシュリクティングが文句を言った。
「いや着艦前にやっておきたいからな。各舵の確認は」
どうやら無意味な操作では無かったようだ。機体全体を敵弾で穴だらけにされているのだ。どこが故障しているのか把握する事には意味があった。
「ちょっと鈍いが各舵ともある程度は利く。着艦にはじゅうぶんだ」
これが、どこかの舵が利かないままだと厄介な事になる。空母への着艦はコントロールされた墜落と比喩される程に大変な物なのだ。補助翼が利かなければ傾いて着艦することになりかねないし、方向舵が利かなければ横滑りの修正ができずに飛行甲板から転げ落ちることだってあり得た。昇降舵が利かなければそもそも高度を下げることが難しくなる。
空母への着艦を諦めるとなると、艦船の傍への不時着水を試みることになるが、健常者ですら脱出に失敗して溺死の可能性があった。足を怪我している者ならば、もっとその確率は高くなるのは自明の理である。
もちろん長く組んで来た同僚をそんなことで失う事は考えもしたくなかった。着艦に失敗して爆発炎上し、三人とも焼け死ぬ方が百倍もマシだった。
「<緑>はダメか」
三人が乗る<アイバトス>は、彼らが所属する第一海上爆撃航空団第三飛行隊第七飛行中隊が乗り込んだ空母<ドクトル・エッケナー>から飛び立った。<ドクトル・エッケナー>は日本空母に見立てて訓練するために、日本海軍が採用しているとされている緑色を基調とした迷彩を施されていたので、そんな綽名になったのだ。実際に見た日本空母は緑色では無く他の日本軍艦と同じような青色と灰色を混ぜたような色であったが。
その<グリュン>こと<ドクトル・エッケナー>であるが、三人が乗る<アイバトス>が攻撃隊の誘導任務を終えて帰還したところ、全身穴だらけで海上に停止していた。
一目で日本機動部隊の攻撃隊にやられたものだと分かった。二四二メートルある飛行甲板は波うっており、穴を塞いだとしても着艦できそうになかった。
飛行甲板から立ち上がる煙に燻されているアイランド脇にある信号所で、空軍の士官が手旗信号で「本隊へ向かえ」と送って来た。それに対してトラウトロフトは翼を振って答えていた。
本隊が居る西方へと飛ぶと、進行方向に一筋の煙が見えて来た。
振り返ると同じような煙の筋が海面から立っている。後方の煙は<ドクトル・エッケナー>の物だが、果たして進行方向の物はなんだろう。そんな疑問もすぐに解けることとなった。
旗艦である戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>を先頭に雁行陣形を取っていた機動部隊本隊は、日本機動部隊からの空襲を受けて前後の二つに分かれていた。
戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>と、赤く塗られた航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>のグループと、空母<ペーター・シュトラッサー>と空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>のグループである。この内、彼らが所属する空軍の空母航空団司令部がある<ペーター・シュトラッサー>から煙が上がっていた。
どうやら彼女も日本軍の攻撃を受けてしまったようだ。後方で煙の筋だけ見えるようになった<ドクトル・エッケナー>と違って、上空からも火炎が確認できる程の大火災である。
もちろん、そんな艦に着艦を試みる事はできない。
どうやら損害を受けなかった<フォン・リヒトホーフェン>が受け入れてくれるようだ。盛んに着艦合図をお立ち台と呼ばれる高台に立った誘導員が出していた。
「<赤>には降りないのか?」
そのまま上空を通り過ぎようとしていることを察したシュリクティングが、苦しそうに訊いた。
「う、うん」
ちょっと自信なさそうにトラウトロフトが頷いた。
「あっちには嫌な予感がする。降りるのは<白>だ」
作戦に参加している艦艇には施された塗粧にまつわる綽名がついていた。トラウトロフトは<バイス>こと<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へと向かった。彼女はドイツ海軍で標準的な迷彩を施されていた。他の空母に塗られた特徴的な色と対照的だったので<バイス>と呼ばれるようになったのだ。
火災に伴う上昇気流を嫌って、トラウトロフトは<アイバトス>を大回りさせて<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へと近づけた。甲板では艦上機が近づいて来たという事で、着艦するスペースを確保するために片付けが行われていた。
「よし。降りられそうだな」
飛行甲板前部に装備されたカタパルトから艦上戦闘機であるタンク一五二T<テレーザ>が発進している。おそらく直掩隊の交代であろう。飛行甲板前部と中部より後方を区切るようにバリゲードが立てられた。もし制動索に着艦フックがかからなくても、強引に受け止めてくれるはずである。
「よし降りるぞ」
一回だけ航過して飛行甲板の様子を確認したトラウトロフトは、フラップと主脚、それと艦上機の特徴とも言える着艦フックを出して、着艦態勢に<アイバトス>を入れた。
「ん?」
なにか違和感があった。計器を確認し、さらに周囲も確認する。すると主脚を出すと同時に主翼の上に出てくる目印の板が右翼だけ出ていなかった。
淡いライトブルーで塗られている主翼上面に、赤く塗られた三角形の板が出てくるはずだが、それが無いのである。青色の中に赤い色の板であるから見落とすはずが無かった。
「リッパート! 仕事だ」
いまだに歯ぎしりをしているリッパートを呼び出した。最後尾の銃座は、座席の高さを下げれば通信席になる。さらにそこから降りて機体の腹にある後ろ下方を狙える機関銃が装備された下部銃座からならば、機体の腹側を確認する事ができるはずだ。
どうやら座席から降りるために一回ヘッドホンを外したらしく、彼の歯ぎしりが聞こえなくなった。
「脚が出てない!」
すぐに戻って来ての報告に、トラウトロフトはつい舌打ちをしてしまった。お立ち台に立っている誘導員も両手でバツ印を作って着艦不可能を示していた。
再びトラウトロフトは<アイバトス>を航過させた。
「針は出ているのか?」
「そっちは出ている」
慣習的に針と呼ばれる着艦フックは、下部銃座の目の前から斜め下へと出るのだから見間違いようがないはずだ。
「胴体着陸に切り替える」
脚が片方しか出ていないのならば着艦はできない。だとしたら左脚を収容して、胴体で空母の飛行甲板へ滑り込むしかない。もちろん、そんな真似をされたら<エーリッヒ・レーヴェンハルト>の方はたまったものでは無いだろうが、不時着水という選択が取れない今は、それしか方法が無かった。
「むむ?」
脚を収納する操作をして、さらにトラウトロフトは難しい唸り声を上げてしまった。
今度は左脚が上げられないのである。左主翼には脚が出ている印である赤い三角板が出っぱなしだ。どうやら左脚を降ろしたところで油圧系統がバカになってしまったようだ。
大ピンチである。
「手動でやってみます!」
後下部銃座には緊急用の手動ポンプが装備されていた。これで作動油に圧力をかけて動けば運の良い方であろう。運が悪ければ油圧系統のどこかに穴が開いていて、作動油がただ漏れるだけとなる。(注274)
しかし、誘導機として苦労していたことを天使の誰かが見ていてくれたのか、リッパートが油圧ジャッキの手押しポンプみたいなレバーを漕ぐと、ジリジリと右脚が降り始めた。
それを後下部銃座の窓越しに確認できたリッパートから明るい声が出た。
「手動でいけます!」
久しぶりに聞く朗報であった。燃料はまだ残っているので、このまま脚が出るまで水平飛行を…。
しかし、今度は悪魔が嗤う番であった。
エンジンがまるでしゃっくりをするような音を立て始めた。見る間にプロペラの回転が不規則になっていく。
「嘘だろ…」
一回だけ何かに引っかかったように回転が止まった。再び回り始めるが、そこに力強さは感じられなかった。カウリングに開いた穴が示す通り、エンジンには敵弾を受けていた。ここまで持ってくれたのを褒めたいが、最後まで回っていてほしかった。
「急げ! エンジンが!」
「急いでいますよ!」
「シュリクティング! 信号弾を!」
空母に緊急事態を知らせる信号弾を撃ち上げれば、なにより優先して降ろしてくれるはずである。信号弾の発射は中央の機長席の役割だった。
しかし返事が無かった。振り返ると真っ白な顔色をしたシュリクティングが、ガックリと首を折っていた。出血のために気絶したのか、そうではないのかは判断がつかなかった。
「ちくしょう」
ここまで来て諦める気持ちは一切湧いてこなかった。もちろん偵察員席に座る者に何かあってもいいように、冗長性は考えて設計されていた。
信号用の拳銃は操縦席からも届く位置の壁に取り付けられていた。だが、それを手にするには、座席を一番後ろへとずらさなければならない。しかしそれは操縦装置から一時的に手を離すことを意味した。(注275)
「ええい」
一瞬だけ信号弾無しで強引に着艦する事も考えたが、万が一飛行甲板に牽引用の台車が出ていて乗り上げでもしたら、最悪の場合は飛行甲板から落ちる可能性だってあった。やはり飛行甲板は片付けて貰わないとならない。
決心をしたトラウトロフトの行動は早かった。一動作でシート位置レバーを引き、足で計器盤を蹴るようにして下がった。ほぼ前を見ることを諦めて二人の間の信号拳銃を手に取ると、反対の手で風防を開けた。
機長席からならば風防にある信号弾発射用の穴から撃ち出せるが、操縦席からだとそうはいかない。風防を大きく開けて空に向けてトリガーを引いた。
その後、閉める時間すら惜しくて操縦席の位置を戻した。いつの間にかに信号拳銃がどこかへと行ってしまったが、探す暇などなかった。
出力がほぼ無くなり、滑空しているのと大差ない状態で<エーリッヒ・レーヴェンハルト>の後方へと回り込む。チラリと目をやった右翼上面には、まだ赤い三角形の板が出きっていなかったが、もう時間が無かった。
バンバンと排気管から爆発音がして、再びプロペラが回り出した。と思ったところでエンジンが停止した。もう動きそうもない。
主脚がロックされない状態で着艦をしたら、おそらく出ていない方の側に傾く事だろう。それだけならまだいいが、飛行甲板に主翼が接触して折れる可能性だってあった。そして主翼の中には燃料タンクがある。主翼が折れたとしたら、着艦の衝撃でそれが爆発する可能性は高かった。
「聖母よ」
祈りの言葉を口にしながらトラウトロフトは<アイバトス>を飛行甲板へ持って行った。機長席ではシュリクティングが気絶しており、機内ではおそらくリッパートが最後の瞬間まで手動ポンプを漕いでいたに違いない。
フラフラと着艦進入してきた<アイバトス>は、飛行甲板上一〇メートルから墜落した。三点式の着陸姿勢を取っていたおかげで主翼も尾翼も壊すことなく、各脚が持つ油圧ダンパーが衝撃を吸収しきれずに跳ね返った。
次に飛行甲板へ脚を着けた時には、尾部の着艦フックへと制動索が引っかかり<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は<アイバトス>を強引に受け止めた。
「担架だ! 担架を持ってこい!」
耳元で怒鳴られた気がしてトラウトロフトは意識を取り戻した。手足は計器盤へと突っ張る不時着姿勢を取ったまま硬直していた。操縦士の癖として無意識に計器盤のチェックに目が走った。
電装系のスイッチは全部切られており、スロットルも一番手前に引かれていた。だが彼はその操作をした記憶が無かった。どうやら無意識で軟着陸時にそれらの操作を行ったようだ。
「しっかりしろ!」
再び耳元で怒鳴られた気がして振り返ると、偵察員席の風防が開かれ、整備員らしき男にシュリクティングが救い出される瞬間であった。
慌ててトラウトロフトも、シートベルトを外して立ち上がった。信号弾を撃ったままに開けっ放しになっていた風防から体を抜き、主翼上へと下りた。
整備員が二人がかりでシュリクティングを引き摺りだし、主翼上に置いた担架の上へと寝かせた。
「医務室へ!」
その担架で運ばれるシュリクティングであるが、担架の上からトラウトロフトを見上げると、ニヤリと笑ってみせた。
「酷い着艦だ。コブが出来たぞ」
飛行帽の上から頭を撫でる。どうやらそれで意識を取り戻したようだ。
「着艦としては及第点だな」
「うるせえ。とっとと行ってしまえ」
トラウトロフトの暴言のような見送りを受けて、シュリクティングは整備員たちに運ばれていった。
「大丈夫か」
その頃になってやっと機内からリッパートが顔を出した。彼が最後の瞬間まで手動ポンプで油圧を送ってくれたおかげで、右主脚が固定状態まで出たのは間違いなかった。
礼の一つでも言おうとしたが、トラウトロフトは吹き出してしまった。
「どうした? その顔」
「笑うなんて、酷いじゃないですか」
右頬を腫らしたリッパートが不満そうに言った。どうやら着艦の衝撃で機内のどこかへ顔面をぶつけたようだ。
「歯が欠けましたよ」
「名誉の負傷だ。自慢していいよ」
トラウトロフトは彼へ右手を差し出した。リッパートは迷うことなく、その手を握りかえした。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊、空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>:1948年4月20日1115(現地時間)
アイランドの一番後ろにあるお立ち台で、手旗を持った誘導員が着艦進入してくるユンカース一八九C<スツーカ>へ合図を送っていた。
空母もなるべく揺れないように努めるが、海には前後左右から波が押し寄せるため、完全に水平のままで艦上機を出迎える事はできない。
合成風力で着艦しやすいように風上へ向かって全速力を出すが、横波を受ければ三万トンを超える艦体だって傾くのだ。
それに対して艦上機はまっすぐ降りてくる。各機とも水平儀を持っているためだ。
その揺れて傾いだ飛行甲板と、水平な艦上機の差を教えるのが誘導員の役目だ。
もちろん傾いた飛行甲板を戻すことはできないから、航空機の方が補助翼等で傾きを調整しなければならない。
航続距離の関係でまず艦上戦闘機タンク一五二T<テレーザ>が収容され、次に<スツーカ>の番となったのだ。
前部エレベーターよりも前に寄せられた<テレーザ>は、飛行甲板に敷かれた埋め込み型のレールを走る電動台車によって格納庫へと仕舞われていく。だが全ての機体を格納庫へ下ろす前に<スツーカ>の収容が始まっていた。
遊覧飛行へ出かけたわけでは無いのだ。大小はあるが各機とも敵弾を受けて損傷をしている。故障している機体もあれば、搭乗員が負傷している機体もいる。撃ち上げられる信号弾によってそれらを分類し、優先順位を与えるのも誘導員の役目であったりする。一分一秒でも早く収容するためにそういった無理をしなければならなかった。
事情を抱えた<テレーザ>の次に、まだまともな<テレーザ>が収容された。それからやっと<スツーカ>の番だ。最後はもちろん航続時間が一番長いフォッケウルフ一六七<アイバトス>となる。
これは飛んでいられる航続時間を考えての事だ。長く飛んで居られない艦上戦闘機が優先されるのは当たり前であった。そうでなければ折角空母まで帰って来たのに、燃料切れで不時着水することになる。
もちろん、そういった機種ごとの順番を待ちきれずに、艦艇の脇へと不時着水する機体もある。そういった機体から搭乗員を救い出すために、フォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>は大忙しだ。
本国でも珍しいヘリコプターであったが、各空母に一個小隊ずつ搭載してきて正解だったというわけだ。
こうして攻撃隊の収容に大忙しの空母であったが、半数の二隻には艦上機は近寄っていなかった。空軍司令部があった空母<ペーター・シュトラッサー>と、艦隊から先行していた空母<ドクトル・エッケナー>は、日本機動部隊の攻撃を受けて大破し、飛行甲板が使用不能となったからだ。
そのせいで空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>と航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>は大忙しだ。単純計算すると四隻でやっていた仕事を半分の二隻でやらなければならないのだ。
さらに付け加えるなら空母と戦艦の合いの子として造られた<フォン・リヒトホーフェン>は、搭載できる機数の制限が空母よりも厳しかった。まあ当たり前の話しではある。大砲や装甲を積んでおいて、さらに艦上機を一〇〇機も二〇〇機も積める艦なんて、理論上は可能だろうが、その大きさは南極の氷山ほどになるはずだ。(注276)
現実的に建造できる造船所のサイズや、運用する港や運河などの都合から<フォン・リヒトホーフェン>は本国で進行中の大艦隊建造計画である『Z計画』で設計されたO級大型巡洋艦の設計図を流用して建造された。
計画自体の遅延を海軍首脳部は嫌がり航空戦艦の建造には否定的であったが、なにせ空母を護衛するはずの軽艦艇が軒並み航続力に不安を抱えており、大洋の中心部まで随伴する事に疑問を呈していた。また空母を単艦で通商破壊戦へも投入する事を考えていた海軍首脳部であったが、それが非現実的なことを『北大西洋海戦』で思い知らされていた。
空母として性能が中途半端で、巡洋艦一隻分の武装を積んだ<グラーフ・ツェッペリン>を英米の機動部隊と決戦させた結果は火よりも明らかであった。
いくら装甲を厚くして火砲を搭載していても、空母同士の戦いには必要が無かった。それどころか、その重量分を一機でも多くの艦上機の搭載へと振り向ける事の方が重要であった。
そこで二番艦<ドクトル・エッケナー>より後に建造された空母は装甲や火砲を半減させ、航空機搭載能力の向上に努めた。(それでも、まだ平射砲の完全撤廃とはいかなかったのは既述のとおり)
だが、やはり大砲でも航空機でも敵の通商路を攻撃できる「何でも屋」の艦船に未練が残っていた海軍首脳部の派閥と、護衛艦の航続力不足に不安を持っていた艦隊側と、双方の思惑がうまい具合に重なって建造されたのが航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>だったというわけだ。
よって搭載能力は改グラーフ・ツェッペリン級空母の半分も無い三〇機程度となっていた。
この戦いに際してドイツ空軍の空母航空団は、<フォン・リヒトホーフェン>に本国から送られてきた『秘密兵器』である<ミステルフィア>を装備する第二〇〇爆撃航空団と第一六七実験航空団第五飛行隊第一四飛行中隊の合同部隊を当て、格納庫には各飛行隊の予備機を収容していた。
飛行長ヴァイス・プファンクーハン大尉が配下の<ミステルフィア>を率いて飛び立ってしまった後は、搭載機を直掩隊や対潜警戒に当てていた。
空きがある航空機運用能力を無駄にすることはないと、帰って来た攻撃隊の半数を<フォン・リヒトホーフェン>は受け持った。
また新たな<スツーカ>が<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へと降りて来た。翼と胴体に黄色いペンキで矢印のようなマークが手描きされた機体である。
同じマークを持つ機体は一機としてないはずだ。それは空母航空団司令のルーデル大佐の搭乗する機体だからだ。
指揮官先頭という日本海軍の伝統を奪うような活躍をしたルーデル機であったが、意外にも損傷は少ない方であった。
目標である戦艦<ヤマト>へ命中弾を与え、ついでに護衛の駆逐艦へ至近弾を浴びせたのだから、後方で油を売っていたわけではない。それどころか攻撃隊の先頭として突っ込んでおり、指揮官自らが敵の照準へと飛び込んでいくような真似をしたことになる。
それでも目立つ弾痕等が無いのは、低空攻撃に徹して日本艦隊の俯角のさらに内側を飛んだ事による。ルーデルが東部戦線の英雄である証左でもあった。
機体を<エーリッヒ・レーヴェンハルト>の制動索で止めるとさっそく風防を開けて飛行甲板を右往左往しているように見える整備員へ大声を上げた。
「補給が終わり次第出撃だ!」
だが、それは無理な話しであった。いまだ雷撃任務で飛んだ<アイバトス>は空中にあるし、護衛隊として戦った<テレーザ>の半分は使い物になりそうも無いのだ。
ルーデルの機体だけ燃料と弾薬を補給しても、再出撃というわけにはいかない。東部戦線ならば飛行場に予備の機体を確保しておき、出撃の度に乗り換えて、留守番の方を補給整備するという技も使えたが、狭い空母ではその手も使えなかった。
だが、たとえ飛べる機体が一機となっても、ルーデルは出撃する気満々であった。
「大佐!」
司令部付の将校がアイランドから出て来て手を振っていた。相棒であるガーデルマン少佐が整備員の手を借りて、やっと後部座席から「救出」されるのを横目に、ビッコをひいたルーデルは<スツーカ>から降りて、将校の方へと歩いて行った。
「航空団司令部は大破した<ペーター・シュトラッサー>から、こちらへと移転完了しております」
敬礼して報告する彼に満足そうにルーデルは答礼をして頷きかけた。
「あの様子では通信にも苦労しそうだったからな」
もちろん空から空軍旗艦として使用していた<ペーター・シュトラッサー>の様子は確認していた。火煙に焙られたアンテナは歪み、その性能を発揮できるとは思えない状態だった。
「指揮系統は全て移転完了であります。通信器材の幾つかを失っておりますが、攻撃隊を編成する事に問題はありません」
「通信器材?」
空軍将校として聞き逃す事の出来ない情報であった。航空機の指揮を執るのに通信機無しでは不便を通り越して不可能となってしまうからだ。ルーデルの航空団は艦隊に配備された時に、大ドイツ本国にある総司令部との独自の回線を維持するために通信器材を持ち込んでいた。
「本国の空軍総司令部との回線は確保できておりません。戦術的な回線も半分は使用不能であります」
「そうか…」
重大な局面で上部組織との連絡手段を断たれたのは、ちょっとどころではなく大変に痛かった。しかし逆境だろうがなんだろうがルーデルは自身を見失うことは無かった。
彼に必要なのは「スツーカ」と「敵」である。敵が存在し続ける限り飛んで行って叩きのめす。これにつきた。
「弾薬の方はいま補給が進んでおります」
ちょうど<スツーカ>から<アイバトス>へ着艦順が切り替わる合間を縫ってフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>が着艦してきた。腹に小さな爆弾を吊っている。あれは対潜用の小型爆弾である。だが信管を交換すれば攻撃用として使用可能であるはずだ。
ただ相手が無防備に近い歩兵師団でなく、ガチガチに硬い戦艦である。小型爆弾がどこまで通用するかは分からなかった。
「どこから持ってきているのかな?」
当然の質問をルーデルはした。
「<赤>からであります」
艦名の由来となった撃墜王の乗機にあやかって<フォン・リヒトホーフェン>の艦体は赤く塗られていた。そこから彼女の事は<ロート>と呼ぶようになっていた。
「向こうには一個中隊が遊んでいましたから、それなりに弾薬が残っています。それを急遽こちらへ運ばせている途中です」
飛行甲板が<ミステルフィア>によって塞がっていたため<フォン・リヒトホーフェン>に搭載していた艦上機は発進しかできなかった。昨日と今日と合わせても攻撃隊に参加できたのは戦爆合わせて八機ほどであった。
各機は攻撃隊に参加後、各空母へと分散して収容された。しかし<フォン・リヒトホーフェン>の飛行甲板が空いた現在は原隊へ復帰しているはずである。
「ただ<ロート>には<アイバトス>を積んでいなかったので、航空魚雷の予備はありません。ああいう小型爆弾を用いて水平爆撃で攻撃するしか方法が無く…」
済まなそうに報告する将校の肩を励ますように叩くルーデル。
「じゅうぶんだ。水平爆撃でも向こうの対空兵器を破壊する事は可能だ。後は<スツーカ>の仕事というわけだ」
一個中隊が搭載されていたということは<フォン・リヒトホーフェン>には対艦用の爆弾が残っているという事である。全ての機体に詰めるまでの数は無いだろうが、ルーデルの分ぐらいはありそうだ。後は必中必沈の心意気だけである。そして、彼にそれだけは旺盛に備わっているのであった。
「では、こちらから出向いて爆弾を受け取った方がいいのかな?」
一発ずつ運んでいたのでは効率が悪い。飛べる機体は一回<フォン・リヒトホーフェン>へ出向いて弾薬を受け取った方が早いに決まっている。その後は、そのまま出撃するまで待機するか、また<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へ戻って整備を受ける方が現実的な案だと思われた。
「それはそうなのですが…」
とても言いにくそうに言葉を淀ませた。ルーデルは水を向けた。
「なにか心配事でもあるのかね?」
「敵の攻撃隊が接近しております」
「やはり空母が元気だと、攻撃は止まないか…」
自身の戦略的判断が間違っていたと指摘された事と同じであった。だが事実は事実であった。日本空母の継戦能力を奪わなかったせいで、今日はこちらが攻撃を受ける番となったのは間違いなかった。ただ昨日の時点で日本空母へ戦力を集中させていても、どれだけ戦果が挙げられたのかは未知数だ。一方的に攻撃できたのは事実だが、相手は空母が攻撃されると思って防空体制を敷いており、<ヤマト>は二の次であった。
太平洋の戦いで鉄壁の防御を見せた日本空母に対してまともにぶつかっていたら、迎撃される機はもっと多かったに違いない。今日の攻撃だって天候に助けられて奇襲に成功したような物だ。次はどうなるかは分からなかった。
「いえ、違います」
慌てて将校が否定した。
「南の方角に新たな敵機動部隊を発見しております。そちらからの攻撃隊がこちらに向かっているのであります」
「なに?」
出撃していたルーデルには初耳の情報だった。
「レーダーに敵攻撃隊の反応があり、索敵機が飛んで確認しております」
「二正面作戦か…」
南に新たな敵と聞いただけでルーデルは日本側の意図を正確に見抜いていた。たしかに報告には二隻のショウカク級空母とクラス不明の空母複数が存在するとあった。
そのクラス不明の空母が南側の機動部隊の主力であろう。
「となると、まだ他にもいる可能性があるわけだね?」
「はい。まだ未発見の敵艦隊の可能性は残されています」
全てを察したルーデルは、飛行甲板から前方を見た。三〇〇〇メートル離れた位置を進撃する旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の針路は東であった。それは日本艦隊…、いや総統から沈めるように勅命を受けた<ヤマト>が存在する方角であった。
「司令はやる気だな」
機動部隊司令であるハイデンハイム中将の敢闘精神を感じ取ったルーデルは顔を歪めた。
(司令が地獄へ突撃すると言うなら、俺もお供するしかないな)
その凄みのある表情を間近で見た将校が顔色を青くした。地獄の悪魔も逃げ出しそうな兵の笑顔であった。
ここで逃げ出すことを選択するような男であれば、彼は東部戦線で英雄にはなれなかったはずである。
なにせ戦力差は二倍以上。ここまで敵に踏み込んでしまったら、撤退(転進でもいいが)するにしても突撃するにしても、無傷で済むわけがない。部下たちには悪いが、彼らは遊覧船で観光に来たわけでは無いのだ。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊、旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>:1948年4月20日1200(現地時間)
艦橋へ運ばせた簡易な物で昼食を終えたハイデンハイム司令は、再び舷窓から後方を確認した。(注277)
午前中に放った攻撃隊を収容した機動部隊は、やっとその作業を終えて艦列を組み直そうとしている最中であった。その数は二隻である。
実は半時間前に大火災を起こした空母<ペーター・シュトラッサー>に、行動の自由を認めていた。インド洋の東側まで来て見捨てるようで心苦しいが、彼女には単独で帰ってもらわないとならない。向かう先を北にするか、西にするかは艦長であるマイヤー大佐に一任した形だ。
艦の状態は艦長が一番把握しているはずである。何も分からない司令部からアレコレ言うよりは自由裁量権を与えた方が最善の選択をしてくれるはずである。
いちおう<ペーター・シュトラッサー>の状態は報告されていた。たった一発の一トン爆弾と思われる誘導兵器を煙突に喰らった彼女は、一二基ある主罐のうち半数の六基を破壊された。
現在は奇跡的に無傷で残った最後部第六罐室の第一二号罐からのみ主タービンへ蒸気が供給されており、約六ノット(約時速一一キロ)で航行可能ということだ。損傷が少なかった他の罐も、機関室へ高圧蒸気を送る蒸気管の修理が済み次第運転が再開できる見込みであった。そうなれば大分速力は取り戻せるということだったが、火災が鎮火していない今は、それがいつの事になるかは分からないという事だった。
もちろん敵とやりあっている現在、その当てにならない見込みのままに艦隊を遊ばせているわけにはいかなかった。
艦隊の傍には積乱雲が発生しており、その向こうには新たに南側から現れた日本機動部隊の攻撃隊が集結しつつあるのだ。
空母の方はその積乱雲の下へ避難していれば、運が良ければこれ以上の被害を受けなくて済むかもしれない。しかし旗艦である<ウルリヒ・フォン・フッテン>は…、いや機動部隊司令である自分はダメだ。
艦隊の東方には単独先行した空母<ドクトル・エッケナー>がいるはずだ。彼女もまた敵中に孤立しているようなものだ。
有力な戦闘機部隊を搭載しているからと、艦隊へ接近する敵攻撃部隊を吸収する役割を与えたのは、他ならぬ機動部隊司令の彼であった。彼女はその使命を果たそうと奮戦し、そして力及ばず大破した。
水兵たちからは<青>と呼ばれている<ドクトル・エッケナー>は、全艦に敵弾を受けて動力を失って漂流中であった。
それぞれ一つずつスクリューを受け持つ四つの機関室は、全てダメージを受けていた。
右舷の機関室は魚雷もしくは至近弾により浸水して放棄、左舷に二つある機関室の内、前部の物は防御甲板を貫通して来た徹甲爆弾により全滅した。残された左舷後部(左内舷器)の機関室は、波及したダメージで一時的に運転を停止した。
艦に積まれた予備の部品などを駆使し、機関員と応急員が全力で復旧しようとしているが、もうひとつ問題があった。
格納庫に受けた爆撃で防御甲板より上部が激しい火災にみまわれた。誘爆等が無かったのは、ドイツ海軍の高い間接防御力と、太平洋の戦いを研究して格納庫に燃料弾薬を置かせなかった空母航空団司令ルーデル大佐の指導による。だが火災の高熱に対応するため一二基ある主罐の火を落としていた。
一度火を落とした罐は、再び蒸気を発生させるためには半日ほど時間が必要なのだ。さらに冷え切ってしまうと二十四時間もかかる時があるのだ。
蒸気が無ければどんなに高性能のタービンを備えていても動くことはできない。よって機関室が復旧したとしても航行可能になるのは、蒸気が発生する一日以上後になるはずだ。
ただディーゼル発電機を含む補機類には問題が発生しておらず、電気が停まっていないのは不幸中の幸いであった。
電気が残っていれば通信機はもちろんレーダーも動くし、対空砲なども操作できる。動けないのは問題だが、まだ抵抗ぐらいはできるのであった。
「これより機動部隊は<ドクトル・エッケナー>救援へと向かう」
艦橋で機動部隊司令のハイデンハイム中将がそう決断したら、それを実現するために動くのが各スタッフの役割であった。
参謀たちは一番効率的な救難方法を考え、旗艦艦長のアイムホルン大佐は、その悪人面をにやけさせて艦の指揮を執るのだった。
「両舷全速」
艦橋脇のスポンソンで上空を確認したアイムホルン艦長は、舷窓越しに艦橋要員に聞こえる大声で命令した。速力通信機に取りついていた将校がレバーを一杯前へと倒した。
チンチンと機関部へ連絡が行った証拠に鐘が二回鳴った。
背後にそそり立つように湧いている積乱雲を避けて、左右から黒い粒が迫っていた。
唯一元気な空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>が南へ向けて全速力を出して、前甲板に装備したカタパルトを作動させ、追加の戦闘機を発進させていた。あのまま行けば彼女は積乱雲の下へ潜り込めるだろう。三隻に置いて行かれる形となった<ペーター・シュトラッサー>は、すでにスコールの下にあった。
旗艦につき従うのは航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>だけとなっていた。ソコトラ島の泊地を出た時には、駆逐艦も含めればゆうに二桁の艦艇を率いていた超弩級戦艦のお供としては、とても寂しい事になっていた。
「司令」
通信参謀が一歩出てきてハイデンハイム司令に話しかけた。
「今のうちに、午前中の戦闘詳報を打電してはどうでしょうか」
艦隊や部隊などは、現況を司令部へ報告する必要があった。そうでないと司令部が戦況を判断する情報が欠如することとなる。だが艦隊側が敵に察知されないように電波管制などをして通信がうまくできないことが多かった。
だが、日本機動部隊の攻撃隊がやって来た今は電波管制態勢を敷く必要はない。なにせもう目で見える距離なのだ。遠慮なく対空レーダーを作動させて効果的な対空砲火を上げることの方が優先だ。
レーダーが使えるという事は大出力通信機も使い放題という事だ。どうせ現在位置は露見してしまったのだ。友軍が機動部隊の現況を知らない不利益の方が大きいはずだ。
「そうだな。うまく纏めて送っておいてくれたまえ」
もうしばらくすれば本国との通信どころの話しでは無くなる大騒動になるはずだ。まさか航空攻撃だけで、この八万トンを超える巨艦が沈むとは思いたくないが、波の静かな内海を航海するとは正反対の状態になることは火を見るよりも明らかであった。
東へと進む機動部隊の背後から日本の第二次攻撃隊は襲いかかる形となっていた。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月20日1311(現地時間)
ドイツ機動部隊上空に侵入して来た日本の攻撃隊であるが、すぐに攻撃を開始してこなかった。
まずこちらの隙を伺うように周囲を飛び、それから諦めたように旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>と、航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>へと襲い掛かって来た。
一方、ドイツ機動部隊もただ黙っているわけではなかった。
大ドイツの艦上戦闘機として初のジェット機であるメッサーシュミット二六二F<カイヤン>はすでに航続時間の関係で空に無かったが、空母<ドクトル・エッケナー>に搭載されていた他の艦上戦闘機、メッサーシュミット一五五<バジリカ>とドルニエ三三五C<プファイル>は、他の空母から補給を受けることができ、直掩隊に参加していた。
そして生き残った空母からはタンク一五二T<テレーザ>が飛び立っていた。
だが全てを合わせても一〇機に少し足りない数しか直掩隊に割り振れなかった。
「あれは…、なんだ?」
来るならいつでも来いと隻眼で上空を睨みつけていたアイムホルン艦長が訝し気な声を上げた。豪快な彼に似合わない声に、艦橋の全員が彼の視線を追って上空を見上げていた。
空に緑系統の三色迷彩を施した爆撃機が飛んでいた。
「友軍か?」
大きさからして艦上機では無い。オタマジャクシのような機体に、前向かって伸びた主翼という珍しい姿をした形をしていた。
それはドイツ空軍が本国に配備しているユンカース二八七Aに見えた。ただ機首の操縦席が無くて円錐形に成形されており、そこに螺旋を描く落書きが施されていた。
ポカンと口を開けて見上げている横で、臨時の航空参謀職についている空軍のフィッケル少尉が、その正体に気が付いた。
「<ミステルフィア>だ。なんでこんなところに?」
それは今朝、日本艦隊へ攻撃するために<フォン・リヒトホーフェン>を飛び立った大型機であった。間違いなくアレは本国より送られてきた『秘密兵器』であった。
戦場までは上部に取り付けた<カイヤン>によって操縦され、いざ攻撃時には切り離されて誘導母機によって目標へ導かれて突入しているはずの兵器だ。
どうやら日本艦隊への攻撃にしくじった機体があったようだ。それが風の具合なのか、それとも操縦装置が気まぐれを起こしたのか、西方にいるドイツ機動部隊まで帰ってきたようだ。(注278)
改造もとになったユンカース二八七Aの航続時間を考えれば、もう燃料切れを起こしていてもおかしくない時間であった。
「こちらに…、向かってくる?」
ガクリと頭を垂れるように<ミステルフィア>の姿勢が揺れた。そのまま緩降下といった角度で海面に並んでいる<ウルリヒ・フォン・フッテン>と<フォン・リヒトホーフェン>の方へと落ちて来た。
「あ…」
その時、フィッケル少尉に閃く事があった。
「レーダーか?」
艦橋の後ろに建つ装甲塔には金網のようなレーダーアンテナが装備されていた。視界に入ったアンテナの端と<ミステルフィア>を見比べて、フィッケル少尉はハイデンハイム司令へと歩み寄った。
「司令! 電波の放射を止めさせて下さい!」
「なぜかね?」
空軍の将校である彼には海軍に対する命令権は無かった。よって簡単な事でもハイデンハイム司令を通す必要があったのだ。
「あのハインケルは…。いや、あの弾頭は艦のレーダー波を誘導波と誤解している可能性があります」
第二〇〇爆撃航空団が持ち込んだ『秘密兵器』は<ミステルフィア>であったが、それまでの物とは違う機能が追加されていた。それは<フリッツX>と同じ誘導装置で目標へ誘導できるように改良されていることだった。(誘導装置が無かった頃は、真っすぐ飛ぶことを期待して舵を固定してから切り離していた)
そして第二〇〇爆撃航空団のプファンクーハン大尉が誘導機に乗り込んで戦艦<ヤマト>に対する攻撃に使用されたはずである。
しかし、何の手違いか一機だけ戻って来てしまった。
そしてドイツ各艦にはレーダーが備わっていた。これはテレフンケン社が製造している電波兵器で、敵までの距離や敵の速度、針路を教えてくれる便利な代物だった。
人間の目が頼りだったそれまでの見張り任務を代わってやってくれるし、照準にだって使える便利な道具だ。
だが戦後はっきりと分かる事だが、レーダーの電波と<フリッツX>の誘導波は似通っていた。同じ会社の同じ真空管工場で製造された部品を使用している事に由来するかもしれなかったが、詳細は不明だ。(注279)
よって迷子になった<ミステルフィア>は、自らを誘導してくれていると判断した艦載レーダーの電波を遡るように接近していたのだ。
これらの事情を、ほぼ直感で判断したフィッケル少尉の進言であった。
つまり敵に突っ込ませるはずの弾頭が戻って来てしまったのである。塹壕戦で投げた手榴弾を敵に投げ返されたよりも酷い話だ。
「…あ」
ハイデンハイム司令が何か命令を口にしようとした時に、アイムホルン艦長の怒鳴り声が響いていた。
「レーダー照射止め! あいつをやり過ごせ!」
さすが旗艦である。すぐに部下たちは命令に従った。だが後方に続く<フォン・リヒトホーフェン>はそうはいかなかった。
ハイデンハイム司令の命令が無ければフィッケル少尉の進言は他艦へ伝えられないだろうし、また彼と同じように直観力に優れる将校もいなかった。
ハイデンハイム司令が新たな命令を出す前に、<ミステルフィア>は誘導波と間違えた電波に従って、三万トン近い赤い艦体へと突入していた。
飛行甲板へ突っ込んだ<ミステルフィア>は、機首に搭載された信管を作動させた。
航空戦艦と勇ましい名前がついているが<フォン・リヒトホーフェン>の防御は巡洋艦並であった。(注280)そうでないと火砲と航空の両方を搭載する事ができなかったからだ。そこへ最大貫通力七メートルというのが売り文句の<ミステルフィア>が命中したのだから大変であった。
機首を円錐状に成形された機体は、それ自体が成形炸薬弾であった。
爆発の瞬間、艦体右側にあるアイランドよりも大きな火球が出現した。それに灼かれて改グラーフ・ツェッペリン級航空母艦よりも大きなアイランドも、アイランド前方へ背負い式に装備された二基の二八・三センチ三連装主砲塔も、アイランド後方に装備された二基の一五センチ連装副砲塔も、一撃で海へと吹き飛ばされた。
「ああ! あれでは誰も助からないだろう」
旗艦上空を飛び越えた時に、その姿を追ってスポンソンに出たフィッケル少尉は嘆き声で言った。その声にハイデンハイム司令も舷窓から顔を出して<ウルリヒ・フォン・フッテン>の左後ろを続航していた<フォン・リヒトホーフェン>の方向へ振り返った。
弾頭の大爆発に続いて、艦内の弾薬庫かガソリンタンクに引火したのか、二度目の爆発が起きるところだった。
爆発の後に残ったのは平らな甲板のみであった。爆発に伴い大火災を起こした赤い艦体がそう長く持たないのは、誰の目にも明らかであった。
それでもアイランドの右側に装備されていたおかげで直接爆風を受けずに済んだためか、右舷対空砲のいくつかが生き残っており、上空に迫っていた日本攻撃隊へ向けて射撃を開始していた。
沈むまでは、さすがドイツ大海艦隊に名を連ねている艦と褒められるような敢闘精神を見せたのであった。
その闘志に応じたのか日本軍は容赦しなかった。上空からは急降下爆撃が、低空からは雷撃がくわえられた。
多数の被弾により<フォン・リヒトホーフェン>は、これだけは艦隊の共通だった艦艇色を見せるように横転した。
最初の<ミステルフィア>の誤爆から一〇分も経ってはいなかった。
僚艦が沈んだ後は<ウルリヒ・フォン・フッテン>の番であった。
「両舷全速前進」
アイムホルン艦長の大音声にこたえるように<ウルリヒ・フォン・フッテン>は速度を上げていた。もしかしたら<フォン・リヒトホーフェン>から脱出できた者がいたかもしれないが、今は敵と戦うのが先である。戦場に取り残すようで悪いが、ここは我慢してもらわなければならなかった。
燃え上がる<フォン・リヒトホーフェン>へ攻撃隊の半数がかかっていた。残りの半分が頃やよしとばかりに<ウルリヒ・フォン・フッテン>へ突っ込んで来ていた。
大雑把に周囲を見回したアイムホルン艦長は大声で下令した。
「撃ち方はじめ!」
その声を待っていたように各副砲、対空砲、対空機関砲が火を噴き始めた。だが主兵装である四八・三センチ砲は沈黙したままだ。
なにせ航空機を撃つように機敏に動ける砲塔では無いのだ。そして砲弾も柔らかい目標を撃つための通常弾(榴弾)と、戦艦などを撃つための徹甲弾しか用意が無かった。
それに仰角もそれほど取れない構造となっている。最大で三〇度までしか上を向かない。これはドイツ海軍が命中率の悪い遠距離砲戦を避ける傾向があるためと、仰角が大きい砲塔は重心が高くなるため嫌ったという、二つの意味からであった。
三〇度では、いいところ低空で雷撃を企んで接近して来る敵機しか撃てない。よって主砲による対空射撃はまったく考慮されていなかった。
全身から火線を撃ち上げていれば近寄れる航空機はいないはずであった。
だが、その外側から日本機は攻撃して来た。
「上空<アンモーツ>!」
見張員の報告に振り仰げば、雲を背景に白色の機腹を見せた日本海軍の制式攻撃機B七A<リュウセイカイ>…、ドイツ軍が<アンモーツ>と符牒をつけた機体が一列に並んでいるところだった。
「やり方がだいぶ違うようだな」
戦艦として空母航空団の訓練に標的として参加したことが何度かある。その時にルーデル大佐が率いていた急降下爆撃隊は、一本棒のように順番に突っ込んで来た。
だが日本軍の急降下爆撃機は<ウルリヒ・フォン・フッテン>の全長を測るように並ぶと、同時に一個中隊ほどの機数が飛び込んで来た。
「だが角度が甘いな」
ドイツ空軍の急降下爆撃は九〇度…、つまり直角に突っ込んでくる。そのせいで対空砲ですら仰角が足りなくなる事があるぐらいだ。(注281)
しかし日本軍の急降下爆撃はそんなに急な角度では無い。せいぜい六〇度ぐらいだ。普通の航空機の機動に比べたらたしかに急降下ではあるが、大ドイツの基準からしたらまだまだである。
「面舵一杯。右舷停止!」(注282)
スポンソンから舷窓越しにアイムホルン艦長は号令をかけた。ほぼ同時に反対舷の窓から向こうの対空見張用の双眼鏡に取りついている見張員の報告が入った。
「左舷十時方向、雷撃機接近」
「なんだと」
アイムホルン艦長は艦橋を横断してそちらのスポンソンから日本の雷撃隊を確認した。
爆撃隊と違って腹に細長い魚雷を吊っている<アンモーツ>が、その魚雷を投下した瞬間であった。
「右舷三時方向、雷撃機接近」
今度は右舷である。大忙しだ。
「そりゃ、どけ」
大西洋の戦いで受けた戦傷を隠すアイパッチ姿に凄まれて、アイムホルン艦長の尻を追いかけるように付いていた艦長伝令が飛びのいた。
再び右舷のスポンソン戻ったアイムホルン艦長は追加の命令を下した。
「両舷全速!」
この号令により右周りにきれいな円を描きつつあった<グロース・ドイッチュラント>の針路が変わった。上空から見て海面に白く残る航跡が楕円形へと歪んでいった。
「敵機爆弾投下!」
アイムホルン艦長が左舷へ行っても見張りを続けていた水兵が報告した。急降下して来た<アンモーツ>の腹部爆弾倉の扉が開くと、プロペラの回転面よりも外側へ放り出すブランコと呼ばれる腕が伸ばされた。これは、そのまま爆弾を投下すると爆弾の落下速度が母機の降下速度よりも速くなるためプロペラを損傷しかねないから、それを防ぐためであった。日本だけでなく大ドイツの<スツーカ>も同じ構造になっていた。
爆弾の投下は並んでいる全ての機が同時であった。
ドドドと<ウルリヒ・フォン・フッテン>を取り囲むように水柱が立った。その轟音に負けてはいけないと両舷の見張員がほぼ同時に声を上げた。
「雷跡!」
アイムホルン艦長の視線が海面に向いた。水柱の白さのせいで黒く見える海面を、白い筋のような物が伸びてきていた。だがそれらは、ほぼ真正面と真後ろからだ。この状態で命中する可能性は無いと断言できる。
「舵戻せ!」
だが舵を切り続けていたら折角回避したはずの魚雷へ艦腹を晒すことになりかねない。舵を中央に戻して針路を調整した。
アイムホルン艦長の言うとおりに<ウルリヒ・フォン・フッテン>は舵を中央にして機関を全速にして戦場を駆けた。針路がまだ右へ寄るのは当て舵で修正していないためだが、それすら艦長の計算に入っていた。
両舷を前後から迫っていた白い筋が通り過ぎた。魚雷回避成功である。
「新兵ですかね?」
回避に成功したことで心に余裕ができたのか、見張用双眼鏡に取りついたまま水兵が声をかけてきた。たしかに急降下の角度は浅いし、魚雷の投下した高度も速度もだいぶ高かった。大ドイツの基準で言えば新兵と言われても不思議ではない腕前であった。
「俺に分かるものか」
相手の技量を推し量ることは重要だが、見くびる事は油断に繋がる。考えるよりも直感で判断したアイムホルン艦長は、言い捨てるように言葉を発した。
そんな会話をしている間にも敵機の準備はできたようだ。次の編隊が上空へ侵入しつつあり、魚雷をぶら下げた<アンモーツ>が包囲するように高度を下げてくる。
「敵機上空!」
「右舷二時方向、雷撃機接近!」
「右舷四時方向、雷撃機!」
「左舷十時方向、雷撃機」
「左舷八時方向、雷撃機接近!」
ほぼ同時に艦橋近くに配置された見張員たちが報告を上げた。完全に包囲されている形だ。
右舷の敵機を確認したアイムホルン艦長は、また艦橋を横断して左舷のスポンソンに出たところで号令をかけた。
「面舵、両舷一杯!」
航海長が復唱し、操舵員が舵輪を回す。速力通信機のレバーが前へ押し込まれた。
「つっこんできます!」
右舷の見張員が叫んだ。アイムホルン艦長は左舷のスポンソンから上空を見上げ、やはり大ドイツの物より緩い急降下爆撃を確認した。
「敵機、魚雷投下!」
報告が重なる。どうやら四方から同時に魚雷で狙われたようだ。
「敵機爆弾投下!」
「雷跡!」
まるで教科書に載っている雷爆同時攻撃を具現化したようなタイミングであった。爆弾を避けようとすれば魚雷が、魚雷を避けようとすれば爆弾が、確実に<ウルリヒ・フォン・フッテン>へ襲い掛かるタイミングであった。
「面舵一杯! 右舷停止!」
号令をかけながらアイムホルン艦長は右舷へ戻ろうと艦橋へ飛び込んで来た。運悪くその進行方向に航海長が立っていた。
「道を開けろ!」
「ヤー」
相手が高級将校だろうが水兵だろうがお構いなしだ。慌てて壁際による航海長の前を通り過ぎ、右舷スポンソンへ飛び出たアイムホルン艦長は、海面を伸びてくる雷跡を確認した。
右のスクリューを止めたのが利いたのか、基準排水量で八万トンを超える体にしては<グロース・ドイッチュラント>はクルリと小回りで右旋回をした。
先ほどとは違う動きに、爆弾は再び水柱を噴き上げ、雷跡は交差して視界から消えた。
「両舷一杯! 舵中央!」
再び速力通信機が操作され、機関室へ通じた証である鐘の音が二回鳴った。
「さすがですな」
冷や汗を浮かべて泣き笑いといった表情を浮かべている参謀長が、アイムホルン艦長の操艦術を褒めた。(注283)
「ただで戦艦の艦長になった男ではないよ」
走り回るアイムホルン艦長の邪魔にならないように、艦橋の前の方へ寄ったハイデンハイム司令が、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。
「ですが、このまま敵攻撃機を引き連れて<緑>のところへ行くわけにも…」
たしかに現在<ウルリヒ・フォン・フッテン>は、兵たちが<グリュン>と呼ぶ空母<ドクトル・エッケナー>を救援に向かっているはずであった。水平線から一条の煙が立っているので、おおよその位置は分かった。
あの下で、おそらく火災を鎮めるために乗組員は頑張っているはずだ。
だが、このまま<ウルリヒ・フォン・フッテン>が敵攻撃機を引き連れて接近したら、その巻き添えを喰らうかもしれない。爆弾はせっかく鎮めた火災を再び起こすだろうし、魚雷は水線下に新たな穴を開けることになる。そうなったら今目の前で起こった<フォン・リヒトホーフェン>の二の舞だ。
「だがっ」
ハイデンハイム司令は胸の奥から沸き上がって来た熱い気持ちを吐露しようとした。しかし寸前で止めた彼は、無表情になるように努めながら一番合理的な案を選択した。
「<ドクトル・エッケナー>艦長、ヴォルフ大佐に行動の自由を与える電文を用意してくれ」
「ヤー」
参謀長は内容について話し合うために通信参謀のところへと歩み寄った。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊より先行した空母<ドクトル・エッケナー>:1948年4月20日1550(現地時間)
「今日の日没の時間は?」
艦橋に立っている空母<ドクトル・エッケナー>艦長ヴォルフ大佐が、今日何度目かの質問をした。
「一八四四時であります」
同じ事の繰り返しのため、航海長は確認せずにスラスラと答えた。
「あと二時間か…」
ヴォルフ艦長は深刻そうに眉を顰めた。
日本軍の攻撃を受けた<ドクトル・エッケナー>は大破していた。いま<ドクトル・エッケナー>を救うのに必要な物は、その無残な姿を隠す夜の闇であった。
そうなれば日本軍の攻撃を交わして帰ることも可能であろう。
艦橋から見渡す限り<ドクトル・エッケナー>は黒く焼き焦げていた。左舷に二つある機関室は両方とも全滅しており、本国のドックに入らない限り修理は不可能であろう。
右舷前部の機関室は、防御甲板を抜いて来た爆弾で破壊された。こちらもドックに入らなければ修理は不可能だ。
残った右舷後部機関室はダメージが波及したため、全力運転は不可能であった。だが唯一残った推進器であるし、また修理可能な範囲での損傷であった。
現在、機関員が全力で復旧に取り掛かっているはずだ。
だが機関が無事でも肝心の一二基ある主罐の方に問題が発生していた。
防御甲板で隔てていたとはいえ格納庫は大炎上し、消火に必要なため主罐の火も落とさなければならなかったのだ。
一度火を落としてしまうとすぐには蒸気が発生しない。冷え切ってしまうと二十四時間もかかる事もあるが、中の蒸留水が温かいうちならば六時間ほどに短縮できるかもしれなかった。
格納庫で発生した火災は鎮火の見込みが立っており、程なく主罐の運転も再開できる見込みではある。
ただ機関室や主罐室の間に置かれた補機室には異常が見られなかった。そこにはディーゼル発電機が備え付けてあり、電気だけは回路が断線していない限り供給されていた。
蒸気タービン発電機の方は肝心の蒸気供給がなされていないので使用不能だった。冗長性を持たせて設計された発電機を、余裕を持って搭載しているとはいえ、ディーゼル発電機がいつまで持つかは分からなかった。
電気が供給されているためにヴォルフ艦長には選択肢が生まれていた。
「シュナイダープロペラを使用する」
ヴォルフ艦長の決断で<ドクトル・エッケナー>の艦首艦底から五枚一組の羽が二組降ろされた。これはフォイト・シュナイダープロペラといって改グラーフ・ツェッペリン級航空母艦には全て備えられている装備であった。
五枚の縦向き羽は円形に回転を始める。このままでは料理の泡だて器程度の役割しか果たさないが、艦の向かいたい方向に動く時だけ羽を水流に立てるのである。そうすると普通のスクリュープロペラほどでは無いが推力が生まれるのだ。縦向き羽は円運動であるから、三六〇度進みたい方向へ推力を生み出すことが出来るという理屈だ。
これは狭い軍港内やキール運河通航時に細かい操艦ができるように備えられた物であり、最大四ノット(時速七・四キロ)で改グラーフ・ツェッペリン級を動かすことができた。
機関部に浸水している今は<ドクトル・エッケナー>が重くなっているので四ノットで動かすことは無理であったが、半分の二ノット(時速三・七キロ)は期待できそうであった。
まったく無動力で漂流するよりはマシといったところであった。
艦としての<ドクトル・エッケナー>はそういう状態であった。空母としての<ドクトル・エッケナー>は悲惨の一言に尽きる。
爆撃により飛行甲板は波うち穴だらけだ。辛うじて前部左側に平らな部分があるので、ヘリコプターならば着艦できるだろうが、搭載していた第一海上輸送航空団第二飛行隊第四飛行中隊第一小隊に所属するフォッケ・アハゲリス二二三<ゼー・シュランガー>四機は、内三機が火災で失われていた。
被弾当時飛行中であった一機は、燃料不足で残った平らな部分に着艦していた。
三基あるエレベーターは全て動かない状態だ。後部は火災で、中央部は被弾で破壊され、前部も被弾の衝撃で故障した。だが火焔が荒れ狂った格納庫から上へ上げる物など、もう存在していないのだから問題なかった。
アイランド前後に二基ずつ装備された一〇・五センチ連装対空砲は、電気が通じているので使える状態だった。艦底の弾薬庫と繋ぐ揚弾筒も火災に耐えてくれて使用可能である。
もちろん戦艦や巡洋艦と比べるのも馬鹿らしい武装であるが、駆逐艦ぐらいならば撃ち合う事ができるはずだ。
あと使用できる武装は三七ミリ連装機関砲と二〇ミリ機関砲の二種類がある。これらは飛行甲板を取り巻くスポンソンに装備されているため、攻撃しようとする方角によって使用可能な門数が変化することになる。
ただ、やはりこうした武装は軽快に動き回る艦船に搭載されている時に威力を発揮する物であって、機関が停止して亀の如くのろさでしか動けない現状の<ドクトル・エッケナー>にあっては、気休め以上の物では無かった。
煤けた顔に疲れた表情を隠せないヴォルフ艦長は、自慢の口髭も垂れ下がっているように見えた。
ヴォルフ艦長は廊室のラッタルを駆けあがって来る足音に振り返った。
防暑服のアチコチに焦げ跡を作った艦内伝令が艦橋に上がって来た。
「副長より艦長へ報告。主罐の運転再開は一時間後の見込み」
「そうか」
久しぶりの明るい話題であった。たとえ一基だけでもスクリューが回れば、少しは速度が上がるという物だ。こんな敵中に取り残されている状況も、少しは改善されるかもしれない。
こんな満身創痍の<ドクトル・エッケナー>であったが、艦内は明るい空気が流れていた。旗艦である戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>が救援のために、こちらへ向かっているという知らせが届いていたのだ。
だが艦橋の中では、あまり明るい顔をしている者は少なかった。<ウルリヒ・フォン・フッテン>は日本軍の空襲を受けて、西方へ避退を開始したという通信が後から入ったからだ。
命中弾自体は第三砲塔天蓋への直撃弾が一発だけだったため、四八・三センチ砲弾が直撃しても平気なように作られた砲塔は表面が焦げただけであった。しかし敵の攻撃隊を引き連れて来られても<ドクトル・エッケナー>側は困る。いちおう対空砲は元気だが、このままでは据え物切りの案山子だ。
「艦内のみんなには…」
航海長が聞きづらそうにヴォルフ艦長に問うた。
「伏せておこう。兵には…、いや人間には希望が必要だからな」
艦長の鋭い視線は艦橋に詰めている水兵たちにも向けられた。実際に口に出さないが、余所でこの事は喋るなという圧力であった。レスリング選手のような恵まれた体躯から発せられる威圧感に、そこらの若い水兵が逆らえるわけが無かった。
「航海長。もし現状で機関が復旧した場合の速力は、どれぐらい見込めるだろうか?」
「そうですね」
うーんと腕組みをして唸った航海長は、半ば首を竦めつつ答えた。
「やってみないと分からないですが、腹に海水を呑み込んだ状態でスクリューひとつですから、出せて原速ではないでしょうか」
出力が半分どころか四分の一で原速の一九ノット(約時速三五・二キロ)も出るとは不思議な話しでもある。しかし艦船という物の増速を邪魔するのは、主に海面で生まれる造波抵抗である。それは速度に対して乗数的に増えていく物であり、ある一定の速度まではそんなに出力が必要なわけではないのだ。
改グラーフ・ツェッペリン級航空母艦では四つの機関が全出力を振り絞って二〇万馬力であった。その出力で最高速度の三五ノット(時速六四・八キロ)が出せるように設計されていた。しかし単純な比例グラフ的に速度に対して出力が必要になるのではなく、放物線を描くような関係なのだ。
よって全出力が出なくても結構な速度が見込めるのである。
「そうか」
原速まで出れば戦場からの避退は容易と考えられた。あとは一刻も早く夜の闇がやってきて<ドクトル・エッケナー>の姿を日本軍から隠してくれれば完璧であった。
「警報!」
艦橋脇にあるスポンソンから見張員が声を上げた。
「前方〇時の方向より航空機接近!」
「敵機か?」
ここに来て空襲を受けるとなると<ドクトル・エッケナー>の命運も尽きたという事になる。ヴォルフ艦長は報告を上げたスポンソンへと出た。
たしかに正面から航空機がやってくる。ただし機数は一機であった。編隊を組んだ攻撃機では無さそうである。
現在の針路は二・七・〇つまり真西であった。もしかしたら機動部隊本隊から<ドクトル・エッケナー>の様子を見に来た連絡機かもしれなかった。
「警報! 先ほどの機体は日本軍の<マート>!」
対空見張用の双眼鏡に取りついた見張員が報告を上げた。<マート>とは日本海軍の制式艦上偵察機C六N<サイウン>…、連合軍が<マート>と符牒をつけた機体であった。ドイツ軍でもその符牒を流用して<マート>と呼んでいた。
最近はその改良型である<サイウンカイ>が配備されたらしいが、外見から見分けることは非常に難しかった。よってドイツ軍では<サイウン>も<サイウンカイ>も同じ<マート>と呼称していた。
いま正面から接近している<マート>も、そのどちらかは判別ができなかった。まるで魚雷のような長い増槽を腹に吊り下げ、段々と接近して来ていた。
「攻撃機ではないな」
ヴォルフ艦長は確認するように呟いた。ただ索敵が任務の偵察機が現れたとなると、続いて攻撃隊がやってくる可能性があった。
砲術長へ命令をしていないのに、ガチャガチャと対空砲や対空機関砲が空を向いた。
その速度と高度が武器であるはずの偵察機は<ドクトル・エッケナー>の射程圏内へ入って来ようとしていた。
もしかしたら被弾して焼け焦げた廃艦のような姿に油断しているのかもしれなかった。
「どうしますか?」
航海長が舷窓越しに訊いて来た。たった一機だが敵であることには間違いなかった。
「やり過ごそう」
ヴォルフ艦長の言葉に艦橋員たちが意外そうな顔をした。それに答えるようにヴォルフ艦長は言葉を繋いだ。
「弾がもったいないからな」
事実、対空砲や対空機関砲の砲弾は心もとなくなっていた。これから空襲を受けたら反撃に必要な数があるのか分からない程だ。敵の空襲下では景気よく撃つなとは言えないが、こういった時は節約して大丈夫だろう。
いちおう照準は維持しているのか、アイランド各部にある射撃装置が<マート>を狙って旋回を開始していた。
突然の破裂音にヴォルフ艦長は首を竦めた。
どうやら左舷のスポンソンに装備された八番三七ミリ連装機関砲が接近する<マート>に向かって発砲したようだ。悠々と飛ぶ敵機に怒りを覚えたのか、それとも逆に恐れを抱いたのか、心が急いたようだ。そこへ射撃諸元が手元に来たことで「撃ち方始め」の命令が出ていないのに撃ち始めてしまったようだ。
一基の対空機関砲が撃ち始めると、五月雨式に他の機関砲も射撃を開始してしまった。
「なにをやっている!」
艦橋にいる伝令をヴォルフ艦長は怒鳴りつけた。重大な軍規違反だとは言わないが、上官の命令を待たずに発砲を開始するということは、部下の統制に問題があるということだ。
「砲術長に確認しろ」
「や、ヤー」
あまりのヴォルフ艦長の怒りに、気を呑まれた返事をする伝令。壁に取り付けられた艦内電話で砲術長が詰めているはずのアイランドトップの対空砲指揮所を呼び出していた。
リンと鳴るベルで向こうが電話に出たことが確認できた。
「どうやら、砲側にて勝手に判断してしまったようです。いかがなさいますか?」
「射撃開始」
ヴォルフ艦長が不承不承に許可を出した。実際は追認であるが、統制が取れなくなるよりはましであろう。
艦長の命令を受けてアイランド前後の対空砲も射撃を開始した。
突然の発砲に驚いたのか、その<マート>は慌てて射程圏外へと出て行った。それでもしばらく射撃を続ける機関砲があるので、ヴォルフ艦長は大声で「射撃止め」の命令も下さなければならなかった。
被弾することなく<マート>は<ドクトル・エッケナー>の周囲を二周すると、東方へと飛んで行った。
それを見送ってから大きな溜息をつきつつヴォルフ艦長は艦橋へと戻って来た。
「射撃員には若い水兵も多いですから」(注284)
航海長が慰めるような言い方をした。それに対して何も言い返さずにいると、今度は艦内電話が着信したようだ。リンとベルが鳴ったところで艦橋伝令の水兵が受話器を取った。
「上部見張り所より報告。方位〇・五・五の水平線に艦影らしき物を確認」
「艦影?」
ヴォルフ艦長は航海長と顔を見合わせた。味方の艦隊が居る方位は二・七・〇、つまり真反対である。そちらから接近する艦があるということは…。
「さきほど艦影。日本海軍のC級巡洋艦の物と認む。おそらく駆逐艦と思われる物を複数引き連れ接近中!」
伝令の報告は悲鳴に近かった。ヴォルフ艦長は再びスポンソンへと飛び出すと、そこから方位〇・五・五である艦後方へ双眼鏡を向けた。しかし彼には水平線しか見ることはできなかった。
上部見張所はアイランドの中央に建つ装甲塔の上に設けられた設備だ。喫水によりその高さは変動するが、おおよそ海面より三〇メートルの高さにあると言って良い。そこから水平線を眺めると、だいたい一〇海里(一八・五キロ)強ということになる。艦橋は上部見張所よりも低いので同じように見通せないのだ。
もし敵艦隊だとしても<ドクトル・エッケナー>が万全の態勢ならば、全速力を出して三五ノットで逃げ出せばよい。海軍情報部が掴んでいる日本海軍の軽艦艇が出せる最高速度は三六ノット(約時速六六・七キロ)であるから、針路の取り方によっては逃げ切れるはずであった。
しかし今は満身創痍の状態で、機関も動いていないときた。主罐の火だって落としてしまっている状態で、出せる速度の見込みは二ノットしかなかった。
これではお話しにならない。
しかも空母と違って、相手は敵が戦艦であろうと接近して雷撃を喰らわせるのが任務の駆逐艦部隊である。こちらの対空砲で防御砲火をしようが、その外側から対大型艦用の魚雷を撃ち込まれたらお終いである。
もちろんそれらは航空魚雷とは比べ物にならない程の威力を持っていた。一本でも喰らえば大戦艦でも大破は免れない。こんな傷だらけの空母が喰らった場合なんて考えるまでも無い。
「通信。現況を司令部へ報告」
ヴォルフ艦長は艦橋へ振り返って命令した。
「それと『行動の自由は現在もこちらにありきか?』の一文を添えろ」
「艦長。それでは…」
通信士が電文を起草している横から航海長が訊ねた。直接口に出さなくてもヴォルフ艦長の考えている事が分かったからだ。
「司令」
艦橋に駈け込んで来た水兵が差し出した電信用紙を読んでいた通信参謀が硬い声を上げた。
「なにかね?」
旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長のアイムホルン大佐の神がかりと言える操艦の邪魔をしないように、艦橋の前の方で水平線を眺めていたハイデンハイム司令は、その声色だけで何かあったことを察していた。
「<緑>の…。<ドクトル・エッケナー>のヴォルフ艦長が行動の自由を求めております」
その言葉を最後まで聞いていたハイデンハイム司令は、少しだけ微笑んだ。
「すでに<ドクトル・エッケナー>には行動の自由を与えていたと思ったが?」
記憶違いがあってはいけないと思い、あくまでも柔らかくハイデンハイム司令が確認した。
「それが…」
顔色を白くした通信参謀は、伸びをするように肩を落としつつ、手にした黄色い電信用紙を差し出した。
「<ドクトル・エッケナー>に敵艦隊が近づいているようです」
「なに?」
ハイデンハイム司令は差し出された電文を奪うように手にすると、外の光で良く確かめながら内容を読んだ。
発:航空母艦<ドクトル・エッケナー>艦長、モルド・ヴォルフ大佐
宛:機動部隊司令、マンフレート・ハイデンハイム中将
本文:我、水平線ニ敵艦隊見ユ。コレヨリ戦闘状態ニ突入セントス。ナオ我ニ与エラレタ行動ノ自由ハ健在ナリヤ
最後の報告では<ドクトル・エッケナー>は動力を失って漂流中であった。そんな満身創痍の空母が敵艦隊に遭遇したならば、結果は火を見るよりも明らかだ。
電文につけ加えられた一文は、ハイデンハイム司令に降伏の許可を求めているのに等しかった。
武器も無しに敵に嬲り者にされる。ハイデンハイム司令個人がそうされるならばいくらでも受け入れて再起の機会を伺うところだが、相手は二〇〇〇余名の将兵が乗った空母である。その中には若者も居れば、国に家族を残して来ている者も居よう。さらに言えば海軍に属する直接の部下の他に空軍に籍を置くお客さんまで乗っているはずだ。
あまりの事に呻き声が出た。
一方、旗艦である戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>は、いまだ敵の空襲下にあった。上空からは急降下爆撃が、前後左右からは航空魚雷の雷跡が迫り、のたうち回るように回避している最中であった。
敵機動部隊の全力攻撃を、被弾一発で避け続けているアイムホルン艦長の指揮も優れているが、不用意に近づいた敵機を穴だらけにして撃墜している射撃員たちの技量も素晴らしかった。
だが、いますぐに<ドクトル・エッケナー>の救援には迎えないことは明らかだ。不用意に舵を切った途端に、爆弾が命中し魚雷が艦腹へ穴を開けるだろう。
指揮官として無責任な決断はできない事だった。
「通信を…」
煮え湯を飲むような顔でハイデンハイム司令は口を開いた。
「機動部隊司令より返信です」
通信室から電文を握りしめた伝令が上がって来た。ヴォルフ艦長は来る物が来たと無意識に震える指で、その黄色がかった通信用紙を受け取った。
そこには「行動の自由については既知の通り。出来得る限り多くの将兵を守る事」と記されていた。
すでにその頃には二ノットでしか動けない<ドクトル・エッケナー>は、有力な日本艦隊に包囲されていた。まだお互いの射程に入らないように気をつけてはいるが、左右を四隻ずつの駆逐艦の縦列に挟まれ、後方にはドイツ海軍がC級巡洋艦と分類した、水雷戦隊用の軽巡洋艦が控えている状態である。見張員が識別したところ、両脇の駆逐艦は海軍情報部がA級駆逐艦と分類した雷撃戦用の駆逐艦で、艦中央部に二基ある発射管がこちらに向けて旋回していた。
「もはやこれまでか」
艦内には敵の爆撃により重傷を負った者や、その後に続いた火災により重い火傷を負った者が多数いた。
英雄的無謀さでこのまま敵艦隊と砲火を交えてもいいが、沈む<ドクトル・エッケナー>から重傷者を救う事は難しいだろう。おそらく健常者ですら脱出に失敗する者も出るに違いなかった。
「副長へ連絡。艦底弁を爆破しろ」
空襲が始まる際に被った防弾ヘルメットを脱ぎながらヴォルフ艦長が言った。その言葉が出た途端に、艦橋員の全員が息を呑むのが分かった。キングストン弁をはじめとする艦底にあるそれらの弁装置を爆破すれば<ドクトル・エッケナー>がインド洋へ沈むことを防ぐ手段は無いはずだ。
「重傷者はカッターとランチへ」
敵とは言え重傷者を目の前にして、日本艦隊も無下には扱わないだろう。いちおうジュネーブ条約の締結国であるはずだ。(注285)
艦長の命令を伝えるために、伝令員の一人は副長が居るはずの防御指揮所への電話に取りつき、一人は臨時の医務室になっているはずの士官食堂へと走った。
と、<ドクトル・エッケナー>の右側に並んだ日本の駆逐隊で先頭を進んでいたA級駆逐艦の艦橋付近で明滅する光があった。ただのイルミネーションではない。信号灯を使った灯火信号であった。
「日本艦隊より灯火信号!」
艦橋脇のスポンソンから見張用双眼鏡に取りついていた水兵が声を上げた。
「英文です!」
発:大日本帝国海軍連合艦隊所属、第一七駆逐隊司令、スギハラ・コウシロウ大佐
宛:ドイツ空母指揮官どの
本文:如何為サレルヤ。
水兵が読み上げた灯火信号を聞いて、ヴォルフ艦長はニヤリと笑った。
「こういうのは何と言うのかな? たしかブシドーセイシンとか言うものだったか?」
その時、艦の奥の方から連続する爆発音が聞こえて来た。それは間違いなく副長に命じた爆破処理の音だった。
「スギハラ大佐へ返信。こちら大ドイツ海軍大海艦隊所属、空母<ドクトル・エッケナー>艦長モルド・ヴォルフ大佐。
本文、こちらはすでに沈みつつあり。兵員の救助を請う。以上だ。英文で送れ」
「ヤー。返信します」
アイランドの信号甲板に備えられた信号灯のシャッターの開閉が始まった。
午後のインド洋の日差しに照らされて、全長が二六二メートルある鋼鉄の塊は停止していた。各所に備えらえた銃砲には俯角一杯がかけられており、恭順の意を示していた。
最上甲板にある凹みに収められていたカッターやランチがデリックで降ろされ、わらわらと乗組員たちが乗り移って行くのが見て取れた。
かつて日本空母が施していた物に似ている、緑の濃淡二色で迷彩パターンが描かれた塗粧を舷窓越しに眺めながら、防暑服姿の大日本帝国海軍の将校は艦橋内部を振り返った。
彼がなにか言う前に、内容を察した下士官たちがラッタルを下って行くのがわかった。
言われる前に動く。やはり駆逐艦というのはこうでなくてはいけない。そんな見本のような行動であった。
「こちらからもカッターを出せ。少しでも多くの捕虜…、いやドイツ人を収容するのだ」
それからちょっと言い淀んでから付け加えた。
「証言など多い方がいいからな。最高責任者は必ず確保するように」
艦長が亡失の責任を取って艦に残ったり、自害したりする事はよくあることだ。だが、そんな事はさせずに、是非とも言葉を交わしてみたかった。
駆逐艦<雪風>の艦橋壁際に備え付けられた丸椅子…、通称「お猿の腰掛」に座った将校は再び緑色をした巨艦へ視線を戻しながら思った。
(敵中に単艦で取り残される気分ってどんなものかな。俺には想像がつかないな)(注286)
約二〇後。空母<ドクトル・エッケナー>は横転して沈没していった。
戦艦<ビスマルク>とか空母<千代田>とか、敵中に単艦で取り残された艦の艦長って、何を思って最期まで戦ったんでしょうね。臆病者の和美なんか、とっとと降伏しちゃうだろうな。両艦の艦長は最期まで指揮を執って戦死されていますが、生き残ってその時の心情を書き残して欲しかったなあ。




