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【見守るお婆ちゃん達】

◆◆ 2023年7月23日追記 ◆◆


すみません。本文中、記憶違いして書いている箇所がありますご注意下さい。


※主人公マヒトの漢字を「真人」と本文に記載しましたが、正しくは「眞人」です。


こめかみを怪我してベッドの上で寝ている時。

また、塔ノ下の世界でキリコの家のテーブルの下で寝ていた時。

真人は屋敷のお婆ちゃん達(もしくはお婆ちゃん達の置物)に見守られていました。

屋敷のお婆ちゃんたちは、「大勢のご先祖様」の象徴なのだと思います。


「ご先祖様が見守っている」なんて言い回しがありますが、そのことを表現しているのだと思いました。


霊的なものを信じていない人は、そんなの嘘っぱちだと思うかもしれません。

でも、たとえ幽霊が存在しなかったとしてもご先祖様は見守っているのです。

たとえば、「人を殺してはいけない」と多くの人が思っています。

それは何故でしょうか?

殺人は道徳に反しているから。法律で罰せられるから。復讐されたら嫌だから。罪悪感に襲われるから。

色々理由があると思いますが、「道徳」も、「法律」も、「復讐されるかもしれないという意識や、ある罪に対して罪悪感を抱くような心を育む社会」も、すべて、「大勢のご先祖様」の「意思」が影響しあうことで築き上げられ、現代に受け継がれたものだからです。

ご先祖様が少しずつ発展させた「医療」や、「交通ルール」や、「社会規範」や「モラル」、「生活の知恵」などで私たちは守られているんだと思います。


私は母に「自分がされて嫌なことは人にするな」と教えられ生きてきました。母も祖母か祖父にそう言われて育ったのでしょう。遠い昔からご先祖様が次代の子供達を見守り、教えてきた事なのではないでしょうか。



では何故、映画の場面で見守っているのが、お婆ちゃんばかりなのか?

ご先祖様の象徴だったらお爺ちゃんがいないのは変じゃない?


なんて、思われた方も居るんじゃないでしょうか?

(いや、私が単に見逃してしまっただけで、寝てる真人を見守ってるお爺ちゃん、居たかもしれませんが、居なかったという前提で話を進めさせていただきます。)


それは、昔の社会が「男は外へ働きに行き、女は家庭を守る」というものだからだと思います。

家で子供を見守るのは女性の役割だから、「真人(子供)を見守るご先祖様」を象徴して描かれたのも「館のお婆ちゃん達」だったのではないでしょうか。


今は女性も働きに出る社会です。

男も女も外へ仕事に行ったら、誰が家庭を守るのでしょうか?

外に働きに行きたい女性を否定したいわけではありませんが、これでは家族がバラバラになりやすいのではないでしょうか?

機械化が進み、仕事が効率化され、女性も働きに出たことで、数十年前に比べて、一人当たりの仕事量は減少してもいいはずなのに、残業して10時間以上働く人もいます。

何故でしょうか?

私は、企業が得た利益を会社の発展に注ぐからだと思います。

例えば、従業員数50人の会社が利益を出し、その利益を使って50人の追加人員を雇ったとします。

単純に考えれば、仕事量がそのままならば、勤務時間は今までの半分で済みます。

しかし、殆どの会社は、従業員を2倍にしたら、仕事量も2倍に増やそうとするのです。

会社のシステムや工場を作る為に投資した金額を取り戻し、より多くの利益を得る為には当然のことかもしれません。

しかし、人生の大半を仕事に費やす社会は、豊かと言えるのでしょうか?


私の母は重度の糖尿病で、病院でそれが発覚した時に、「死んでいても不思議ではなかった」と言われて入院していた時期があります。

もしかしたら、明日にでも死んじゃうかもしれない。もっと、母と楽しいことをして、美味しい料理を一緒に食べればよかったと思いながら、仕事に向かっていました。

接客業なのに仕事中に涙が目に滲むほど思い詰めていました。


今の世の中は、商品やサービスが溢れるほどあり、物質的には豊かかもしれませんが、私はそれよりも家族や友人と過ごす時間の方が大切ではないかと思うのです。


「従業員を倍にして、働く時間を半分に」というのは分かりやすくする為に、現実的では無い程大げさな数字になっていますが、それが無理だとしても、店舗や支社を増やす頻度を控えめにして、従業員を増やし、一人当たりの仕事量が軽減される分、有給休暇を増やす様な制度があったらいいなと思いました。


仕事が生き甲斐だから勤務時間は長いほうが嬉しいという人も、もちろんいるでしょう。

有給休暇を増やすか、ボーナスが付与されるか、従業員ひとりひとりが選ぶことが出来れば、より豊かな社会に繋がるのではないでしょうか?


大切な人が死んでしまってから、あるいは病気で入院することに決まってから、「もっと一緒に過ごして笑顔にしてあげたかった」と気付いても、遅いのです。


会社は何の為にあるのでしょう?

社会の貢献のため、従業員の福利厚生も考えてくれる会社だって多くあります。

もし、このエッセイを読んでくれた方の中に、経営者さんがいらっしゃったら、一考してくれると嬉しいです。


営業利益に応じて有給休暇を増やす会社が増えれば、社会的規模で「家族や友人と過ごす時間」が増えます。

男も女も関係なく家庭を守り、子供を見守る時間だって増やすことが出来るのではないでしょうか?




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