【敵意を向ける同級生とこめかみの傷】
◆◆ 2023年7月23日追記 ◆◆
すみません。本文中、記憶違いして書いている箇所がありますご注意下さい。
※主人公マヒトの漢字を「真人」と本文に記載しましたが、正しくは「眞人」です。
当時珍しく高価な車で父に送られ、転校先の学校に登校した真人は、学校の同級生から敵意を向けられます。
妬みや僻みから来るものかもしれませんし、自己紹介のとき、にこりともしない真人がお高くとまっているように見えたのかもしれません。自分たちに課せられた作業を真人だけ免除されている(?)のも腹に据えかねたのでしょう。
帰り道で取っ組み合いの喧嘩になった真人は、喧嘩が終わった後に、道端で「石」を拾い上げ、自分の「意思」で、こめかみを殴りつけます。
傷から「真っ赤な」血が流れ落ち、家で手厚い看病と手当てを受けた真人は、父に「誰がやった?」と問いかけられ、「転んだんだ」と、「真っ赤な」嘘をつくのです。
それを聞いた父は、学校の同級生にやられたものと思い込み、学校に訴えに行きました。
とても卑怯な行いだと思いました。
真人は「転んだんだ」という嘘はつきましたが、「同級生にやられたんだ」と言った訳ではありません。
でも、「誰かに怪我をさせられた」と父が思い込むような状況を作り、学校に訴えに行く父を止める素振りも見せないのです。
きっと、真人と喧嘩した男の子は学校や親から酷く叱責されることでしょう。
親は慰謝料を請求されるかもしれませんし、職場や取引先に睨まれるかも知れません。
真人の父は、有力者だからです。
もし、その子がそんな大層な怪我をさせていないことが分かっても、真人が咎められることはありません。
父が勝手に勘違いしたのが悪いのです。
「転んだって言ったじゃないか」
そう言えば、真人には何一つ不都合は無く、復讐は果たされる。
今まで、私が見た宮崎駿監督の映画の主人公とはまるで違う。
人間の薄暗い汚さが真人にはありました。
でも、母を大切にする家族想いな一面もまた真人は持っているのです。
一方は多数の人から非難される一面。
また一方は多数の人から賞賛される一面。
多くの面で複雑に構成された人間は、どちらも持ちえる存在だけれど、非難されうる一面は多くの人が隠そうとします。
隠蔽したり、正当化したり、誤魔化そうとしたり、内面にひっそりと抱え込んでいたり。
隠しているだけで、皆なにかしらは持っている「非難される一面」。
真人にとっては「こめかみの傷」こそが、その一面なのだと思います。
物語の半ば、ガーゼで隠されていた真人の「こめかみの傷」が波に晒され表れてしまった時、キリコは自分のこめかみにも同じ傷があることを打ち明け、傷を見せ合います。
これは「多数の人に非難されるような一面」をも見せ合って、心から打ち解ける事を表現したシーンなのだと思いました。
物語の後半、真人が大叔父に傷のことを話した時、具体的に何という台詞だったかは忘れてしまったんですが、「自分には非難される一面があることを認めて受け入れ、傷跡と真摯に向き合い生きていく」そんな心情が伝わってくる台詞と声で、その決意が格好いいなと思いました。