早起き損
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
秘密の特訓。何かと魅力的な響きを感じないかい?
特訓を、誰かにおおっぴらに見せるのをよしとしない。過度なアピールは日本人的には白い目で見られがちだしな。どこかでこっそり、ひとりでやってこそ意義があるように思いがちだ。
これの難点としては、アドバイスがもらえないという点。たとえ自分がどれほど間違い、また危ないことをしても、とがめてもらえるきっかけがないということ。
ちりも積もれば山となる。だが、それが必ずしも「向上」へ続いているかは分からない。
ひょっとしたら、当人が錯覚しているだけで本当は「下降」へ向かって積み上げ、もとい積み下げている恐れもあるかもな。それもまた、常人ではなかなか体験できない世界への入り口。
俺の体験した話なんだが、聞いてみないか?
早起きは三文の徳。俺は小さいころから、そう教えられて久しかった。
それに先ほどの特訓の概念が合わさって、俺は朝の暗いうちから起きて、人知れず鍛えるということにはまっていった。
誰かに見られるのは駄目だ。目につかないところでやってこそ、意味がある。
練習メニューは素振りと走り込みだったが、いずれも人の気配は避ける。
半径数メートル以内の車はもちろん、出歩いている人の影を認めたら、その瞬間に進路変更。素振りに関しても、誰かが近くへやってきたら、即中断して場所を移す。
街灯の明かりはぼつぼつ消える時間帯だったから、暗いところを探すのは難しくない。
俺は回数を重ねるうち、より暗みを求めるようになっていたよ。
何度も繰り返すうち、人も車もよらない場所が次第に見えてくる。
家から数分、通学路からも外れた、田園地帯の一角を占める空き地。かつては家でも建っていたのだろうか。田よりも数十センチ高く土が積まれ、ブロックで固定された土地。
買い手がつかなくなって久しいのか、俺はそこに建物がある姿をまだ見たことがない。親の話だと、一時期はコンビニがあったらしいが、俺が生まれる前に閉店して建物もなくなったとのこと。
近くの車道から、少なくとも十数メートルは離れており、俺の接触レーダーの範囲外。いささか便が悪くては、客もこないだろう。
そう思いつつも、ほとんど人もやってこない空間を、俺はかっこうの特訓場所にしていたんだ。
俺の素振りは、野球の素振り。特に低めコースが苦手ということもあって、それを意識したスイングをしている。
バットの先をかなり下げたものだが、おそらくはたから見ると、ゴルフのスイングのごとしじゃねえかな。暗くて距離感が測りづらいこともあって、何度も地面をこすった。
敷かれていた砂利ごと、その下の土を巻き上げる一発。その瞬間こそ「まずった」とは思うも、数を重ねるうち、また注意感覚が薄れていく。
音を立てた瞬間こそ、びくって周囲へ目を向け様子をうかがってしまうが、誰も潜んでいないだろうことを知ると、ちょっと場所を移して、ノルマをこなすまで延々行う。
苦手の克服もあるが、それ以上に「特訓をしている自分」という偶像にすがりたかったんだなあ。自分はどいつよりも努力している、と思うことで、自分の心を安らげたかったんだよ。
その場所を見つけて、しばらく経った時のこと。
素振りの数を増やした俺は、必然的にそこへとどまる時間も延びたわけで、また起きる時間も早まった。
自然、あたりの暗さも増しているのだが、少し妙に感じ始めたことがある。
素振りを始める前と後では、どうも明るさが違う気がするんだ。
時間経過もあるし、目の慣れもあるだろう。しかし、それにしては範囲が、俺の周りだけと局所的すぎる。
俺の身体と振るったバットに、触れていた領域だ。そこはまだ影しか見えない周辺に比べて、何段も明るく思え、転がる石たちの色や模様をはっきり視認できるほど。
いわば、俺自身が明かりになっているかのようだった。
かといって、この場を少し離れれば、自分もまた残っている夜の闇の中へ溶ける。あらわになった地表はそのまま、そこへ置き去りになっていた。
たまたま煙でも立ち込めていたにしても、まだまだ不可解。それでも幼い俺は、特訓によって特殊能力が身についたかと、やたら前向きにとらえていたっけなあ。
しかし、ほどなく。俺は暮らしの中で、少しずつ気づいていく。
俺と相対する人がな、やたら目を細めてくるんだ。慣用句的な意味じゃなくて、物理的にだぞ。
まるで遠くにあるもの、まぶしめなものを見るような感じなんだ。視力の低い人限定ならまだしも、出会う人のことごとくがこんな感じじゃあ、俺だって妙に思う。
そして俺自身も、まともに鏡を見ることができなくなってしまう。
鏡の前に立つと、その鏡面がやたらと光を放ってな。つい目をつむってしまうほどの強さで、水たまりとかの俺を映すものに対して、軒並み同じことが起こる。おかげさまで、俺は自分で自分の姿を、何日も捉えられずにいたよ。
それでも、例の場所で素振りをすることが続けていたんだが、ついにそれを脅かす事態が起きる。
握っていたはずのバットが、とうとつに「抜けた」。
すっぽ抜けたんじゃない。振りに入る前の構えの時点で、ぽとんとバットが足元へ落ちたんだ。暗闇を払い、あらわになる土の上で木製のバットは横になり、力なく震えた。
目が点になったさ。力はいささかも緩めたりしていないんだから。
だが、首を傾げながら伸ばした手は、バットにかすりもしない。なんど試しても、結果は同じだ。
俺の目は、確かに手がバットをとらえたように思える。だが、手のひらにその感触はない。それを裏付けるように、いくら手を握りしめて引き上げても、バットは持ち上がらなかった。依然として地面に転がり、明るくなった砂利たちの上に寝そべっている。
俺の手は、バットをすり抜けるようになっていたんだ。
すぐさま家へ逃げ帰ったね。
幸い、他のものには触れることができて、玄関も開けられた。
炊飯器のお世話をしようとしていた母がちょうど起き出していて、やはり目を細めながら対応してくれる。
俺が一通り話をすると、なお苦々しげな表情を浮かべながら、教えてくれた。
「俺は夜の草を取りすぎた」とな。
夜が暗くあるのは、陽が当たらないゆえのみではなく、本来は表に出るべきでないことを隠すためだという。
それを俺は、陽が自然にはがすより先に、数えきれない素振りでもって、はぎ取っていってしまった。そして、本来は隠れているべき一面に触れてしまったがために、このような状態になっているのだと。
バットは母が回収してくれることになり、俺はしばらく朝になるまで起きないように指示されたよ。本来の自然のことわりに戻るべき、とな。
いまはもう規則正しい生活を心がけてるよ。
症状が進んで、自分が光になっちゃかなわないからな。