8.視線
「何で巧にあんなこと言ったんだろ……」
教室に戻る途中、俺は思わずぼやいてしまった。
辺りをキョロキョロと見回してみたが、俺以外に生徒はいなかった。良かった、聞かれてない……。
理科室では声を荒げてしまったが、そもそも巧は悪くない。
巧は俺と涼乃に対して、少しつんけんな態度は取っているものの、何かしたかと言われれば何もしていない。
いや、何もしていないからこそ、涼乃が俺を蔑ろにしていることに腹が立ったのかもしれない。
まさか自分でも、あそこまで感情的になるとは思ってもみなかった。
だからと言って、巧にそれをぶつけるのはお門違い。あとで巧に謝らないとな……。
それに巧は俺からしたら弟みたいなもんだ。その弟に一方的に怒鳴り散らすなんて、大人げない。
巧は許してくれるだろうか――いや、大丈夫だ。何か諍いがあると、あいつはいつも譲ってくれるし、心配する必要はない。
「?」
――誰かに見られている気がした。
さっきそんな感じは一切なかったのに……。
俺には、超能力と言うべきか、第六感と言うべきか、そう言った不思議な力が宿っているのではないか。そう思える時がある。今が正にその時だ。
普通なら誰も気付かないようなことに気付いたり、テストでも勉強していないのに答えがパッと出てくる。
理由は分からない。でもそうだとしか言いようがない。
この視線も、特別な力が働いたことによって感じたものなのかもしれない。
「あれ、高遠くん? こんなところでどうしたの?」
不意に後ろから声をかけられ、背筋がビクッとなる。振り向くと、そこにいたのは同じクラスの水無月さん。
「い、いや、学食行こうと思ってたんだけど、財布を忘れちゃって……」
「ふーん、そうなんだ」
彼女は自分から話しかけたのにも関わらず、俺の目を見ていない。
水無月さんはいつもそうだ。俺と会話する時は俺と目を合わせず、何故か俺の背後を気にしている。
彼女は兎に角不気味だ。告白の内容も意味不明だった。
『高遠くんのことは欠片も好きじゃないけど、私と付き合って』
こんな冗談にしか聞こえないことを真顔で言ってくるのだから、俺としては困惑の極みだった。
「あ、高遠くん、嘘ついたわね。片貝くんと喧嘩したんでしょ?」
「え……」
「やっぱりそうなんだ。でも、高遠くんは片貝くんに怒っていい権利なんてないよ」
ダメだ。彼女と話していると頭がおかしくなりそうだ。俺の心を見透かしたかのようなその言葉に、恐怖さえ覚える。
そもそも、クラスメイトを廊下で見かけたくらいで、「どうしたの?」なんて普通聞いてくるだろうか……。
少なくとも俺は声をかけたりなんてしない。どうせ教室でまた会えるのだから、話したいことがあるならそこで話せばいい。
「高遠くんは本当なら、片貝くんに感謝しないといけない」
「何が言いたいんだよ?」
「何って……もしかして無意識だったの? 大和さんから聞いてないんだ」
「はぁ?」
「そっか、そうだったんだね。罪悪感がないなら、心配する必要はないか」
「お、おい!」
水無月さんはそう言うと廊下をヒタヒタと歩いていった。
一体何だったんだろう……。
俺が巧に感謝しないといけない? 涼乃は一体何を隠してる?
巧の言っていた涼乃の不可解な行動。何かそれが関係しているのかもしれない。
★☆★☆★
本当にこの力は不便だ。高遠くんが片貝くんから奪った努力の成果を、簡単には私のものにはしてくれない。
誰かから力を奪う場合、その力の持ち主がどんな力を持っているか、本人に口にしてもらわないといけない。
「しかしまぁ、よく片貝くんもこんなに努力できるよね。私ならこれだけ頑張って、結果が出なかったら発狂しちゃうよ」
誰かに向かって話すでもなく、漏れでてしまう独り言。そのせいで廊下を歩く生徒から、奇異な目で見られる。ちょっと恥ずかしい。
それはさておき、片貝くんは普通の人と比較にならないほど、異常――と言っていいほど努力している。
彼は毎日朝4時に起きて、2時間、ランニング、筋トレをする。
その後は、両親と自分の朝食とお弁当作り。時間があれば、両親の好みにあうような料理の研究をする。
学校が終われば、日付が変わるまで勉強に時間を費やす。土日はその倍くらい運動と勉強に時間をかける。
片貝くんが必死に努力するのは、愛を求めているからだ。両親からの愛情なのか、それとも大和さんからの愛情なのか、それは私にも分からない。
何故こんなことを知っているのかと言えば、これもまた不思議な力のおかげだ。
私と会話する人間が動揺すると、私はその人の能力と、記憶の一部を読み取ることができる。
片貝くんのことを知ったのは、高遠くんに嘘――と言えるほどのものでもないけれど――告白をした時だ。
私が高遠くんに告白したのは、彼がどんな力を持っているか調べるためだ。あわよくばその力を掠め取るつもりでいた。
突拍子もない私の告白に高遠くんは動揺した。そして記憶とともに、彼が奪ったもの――片貝くんの努力――の情報が頭に流れ込んできた。
その時に思った。この力を自分のものにできれば、私は大和涼乃のようになれると。
羨ましかった。彼女には無限の選択肢がある。彼女の学力なら通う学校も選び放題。容姿もいいから交際相手に困ることはない。
私は人生がつまらなかった。自分の人生なのに、何もかもが思い通りにならない。挫折してばかりだ。
私には、今通う学校ではなく、別に行きたい高校があった。でも試験に落ちてしまった。
それは自分の能力が足りなかったから。努力が足りなかったから。私は不思議な力を持っているものの、人間的な能力は人並み以下だ。
私は私の人生の主人公になりたい。そのために、私は片貝くんの努力の成果を高遠くんから奪い取って見せる。