15.自信がない
「やっぱり………今の私じゃダメなのかな………」
幼馴染のいなくなった部屋で、1人寂しく呟く。
何だか肌寒い。暖房が稼働しているはずなのに、どんどん室温が下がっているように感じる。巧がいた時は、暑くて仕方がなかったというのに。
巧が腰掛けていたクッションには、まだぬくもりが残っていた。私はそれを逃がすまいと、クッションをぎゅっと抱き締める。
私は去っていく初恋の人を引き留めることができなかった。いや、引き留めていいのか分からなかった。
ふと思ってしまったのだ。自分は巧の恋人に相応しい存在なのかと。
彼に力を返した時から、頭の中からどんどん知識や経験といったものが、漏れていくのを感じていた。
気が付けば腰周りが少しキツくなっていた。今までこれといった運動をしてこなかった分、その反動が如実に現れた。
私は普通の女の子になった。だけどそのせいで、自分に何の取り柄もないことを思い知らされる。
これから努力していかないといけない。巧と肩を並べられるように。
だけど、今の私にできるかな……。自信ないよ……。
★☆★☆★☆
昨日の夜――正確には今日だが――は大変だった。
家に帰った途端、いきなり母さんに抱きつかれた。
早く寝たいから離してほしいと言っても、母さんは念仏のようにひたすら謝罪の言葉を口にするだけで、僕のことを離してくれなかった。
どうしたらいいか分からず、とりあえず許すと母さんに伝えたのは覚えている。
そこからの記憶は定かじゃない。歩き回って疲れていたこともあり、意識が途切れ途切れで断片的にしか思い出せない。
いつの間にかベッドの上にいた。それに気が付いたのは目を覚ました時だった。
スマホのアラームはまだ鳴っていない。どうやらいつもより早い時間に起きてしまったようだ。
普段通りなら、今からランニングをする。そしてその後筋トレをして、両親の朝食と両親が職場で食べる弁当を作る。
昨日の疲れは――精神的なものも含め――取れていない。呼吸の1割ぐらいは欠伸の状態だ。正直寝不足なのは否めない。
今日ぐらい朝の日課はサボっていいのではないだろうか。昨日の母さんの様子だと、僕がご飯を作らなくても怒らない気がする。
でも、それはそれで気に入らない。何だか母さんに甘えているような感じがして嫌だ。
周囲の人間もそうだけど、僕は母さんを見返してやりたい。生まなきゃよかったなんて言ったことを後悔させてやりたい。
僕は昨日、樹との喧嘩――あれを本当にそう呼んでいいのか分からないけど――に勝った。
あの時の力は積み重ねてきた努力によるもの。昨日の朝もランニングをしなかった。立て続けにサボるのは、力を失うきっかけになるのではないだろうか。
さて、どうするか――。
「はっ、はっ、はっ」
止めることは簡単、続けることは難しい――とよく言われるけれど、止めるのだって難しいと僕は思う。
身に付いた習慣というものは中々止められない。たとえそれが嫌なことであっても。
ただ漠然と不安なのだ。何かしていないと落ち着かない。
結局僕は今、堕落への恐怖もあってか、川沿いの土手の上を走っている。過酷な労働環境でも、会社を辞められない人と同じ心境なのかもしれない。
努力の成果が返ってきたからといって、人生にそれが役に立つとは限らない。それに努力を止めれば、これから成長することもなくなるだろう。
「ふぅ……」
足の筋肉に乳酸が溜まる。だが息が整うまでは、すぐに足を止めたりはしない。
昔どこかの本で読んだ。疲れたからと言って、走ったあとにすぐに休んでしまうと、酸欠になってしまうんだとか。
もうこれくらいでいいだろう。次は筋トレをすることにしよう。
「あちゃ!」
筋トレも終わり、食事の準備のために台所に向かうと、そこには何故か母さんが立っていた。
パチパチと何かを焼いている音が聞こえる。形状から察するに、恐らく鮭だと思われるのだが、黒ずんでいてはっきりとしたことは言えない。
なんだか焦げ臭い。フライパンから上がる湯気――と言うよりは煙に近い――は台所の至る所に広がっている。
まさか…………母さんはご飯を作ろうとしているのだろうか。いつも僕に作らせているのに、一体どういう心境の変化なのか。
普段料理をしていないこともあってか、母さんの手はおぼつかない。火加減もめちゃくちゃだ。
見ていられない。このままだと、まともに食べられるものができるのかもあやしい。
「貸して」
「あっ……」
台所から母さんを半ば強制的に退ける。
昨日までの彼女ならば、邪魔されたことに腹を立てただろう。だけど、今日の母さんは僕に対して申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんね……」
「いいよ」
なんだか調子が狂う。優しくなってくれたのはいいことだけど、どうしても違和感がある。
素直に受け止めることなんて不可能だ。何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。それだけ僕と彼女の間には溝がある。
夜になれば父さんが家に帰ってくる。今の母さんを見て、父さんはどう思うのだろう。
………………。
気にしててもしょうがないか。父さんが母さんをどう思おうが、僕には関係のない話だ。
そんなことより、今は目の前の作業に集中するべきだ。
母さんがまごついてたせいで、余計な時間を食ってしまった。今から朝食だけでなく、弁当を作るとなると、急がないと学校に間に合いそうにない。
「なんだかなぁ……」
身体に染み付いた習慣は、簡単には拭いきることはできなそうだ。結局僕は、母さんの分のご飯まで作ってしまった。
申し訳ございません。
またストックが尽きました。
しばしお待ちください。




