10.最悪な事態
やれやれ、本当に僕はツいてない。昨日の今日で、また涼乃に出くわすなんて。しかもこんな寒い日に。
「巧……もしかして、またなの?」
涼乃は僕の家庭の事情はある程度知っている。僕が家にいられない日があることも、彼女は認識している。
「まあね」
「そっか……巧はいつも大変だね」
昨日のように変なことを言われるかと思いきや、涼乃の言葉は僕のこと慮るものだった。どうやら彼女は、純粋に僕のことを心配してくれているようだ。
明かりも少ないせいか、涼乃がどんな顔をしているのかよくわからない。ただ声のトーンに、どこか僕に対しての後ろめたさを感じる。
「涼乃はこんな夜中にどうしてほっつき歩いてるの?」
「ほっつき歩いてるって……。私が夜に出掛けちゃいけない?」
「そうじゃないけどさ……」
突き刺すような凍える風が吹く日に、何の気になしに外に出るものなのだろうか。
僕だったら、暖を取れる家から出ない。それに涼乃は女の子だ。夜中に1人で歩いていようものなら、暴漢に襲われる可能性だってある。
「涼乃1人だと危ないよ」
「大丈夫だよ。この辺、滅多に人通らないじゃん」
人が通らないから危ないんだと思うんだけど……。
さてどうしよう。ここは男らしく家まで送るよと言いたいところだけど、樹のこともあるし、何だか気が引けてしまう。
樹を呼び出して、樹に涼乃を送ってもらうという手もある。だけどそれはそれで、問題が発生する。
彼女が夜の公園で他の男と2人きり。仮に疚しいことがなかったとしても、男ならその関係を疑ってしまうものだ。
当然修羅場になる。僕としてはそれは避けたい。
「とにかく帰った方がいいよ。ただでさえ寒いんだし」
「寒いっていうなら巧も同じでしょ? それに帰るなら、巧に送ってもらいたいかな」
「それはちょっと……」
「樹のことなら大丈夫だよ。ちゃんと私から話しておくからさ」
本当に大丈夫なのだろうか。
樹は涼乃が僕を気にかけていることに嫉妬した。僕が彼女に近寄らないように、自分が涼乃の恋人だと言った。
そもそも何で涼乃は樹という彼氏がいるのに、煮え切らない態度を取るのだろうか。
昨日のことだってそうだ。恋人を差し置いて、僕と2人きりで帰ろうと言い出したり、普通はしない。
僕が急に距離を取り始めたから、寂しさを感じていたのかもしれないけど、それにしたって樹に配慮がないように思う。
こうして偶然出くわすのは仕方がない。でもだからって、必要以上に僕と関わりを持とうとするのはどうなのだろう。
…………あれ、偶然?
偶然というには解せない。涼乃に何か用事があって出掛けたのなら、わざわざ公園に立ち寄る必要はない。
さっきは有耶無耶にされてしまったけど、涼乃が外に出ようと思った理由が気になる。
「そう言えばさっきも聞いたけど、何でこんな時間に外にいるの?」
「あ、やっぱり気になる?」
わからない。幼馴染の考えていることが。僕の知っている涼乃とかけ離れている。
言い方はよくないけれど、今の彼女は掴みどころがなくて不気味だ。言いたいことがあるのに、それを隠しているように思う。
「私ね、巧に会いたくて外に出たんだ」
「え……」
やはり偶然ではなかった。そもそも用事があるなら夕方に済ませれば言い話だし、夜でないとできないことの方が希だ。
涼乃は会って僕と話したかったのだろう。スマホがあるのになんのために対面を望むのか、僕には理解できないが。
「巧はさ、私が樹と付き合って、私のこと嫌いになった?」
「別に……そう言うんじゃないけど」
端から見たらそう見えるのかもしれない。だけど、本質的なところでは違う。
涼乃のことを嫌いになったんじゃなく、嫌いになろうとした。彼女を僕とは違う世界に住む人間だと思うことで、自分の心を守りたかった。
幼馴染は天才、僕は凡人、同じ人という生き物であっても生きている世界が違う。
だから追い付けなくても仕方がない。才能という壁に隔てられているのだから。そんなふうに折り合いをつけたかった。
「じゃあ……私のこと好き?」
「それは……」
好きか、嫌い、その2択で言えば好きに当てはまる。ただそれを言うのは憚られる。だって涼乃は――。
「実はね、さっき樹を呼んだの。もう少しで来ると思う。だから樹が来る前にさ、ハッキリと答えてほしいの」
「へ?」
樹が来るなら、涼乃と一緒にいてはいけない。早く退散しないと。
「ごめん、僕行――」
「待って!」
背を向けた途端、強い力で涼乃に腕をつかまれる。男として情けない話だけど、僕の力では振りほどけそうにない。
「ちゃんと答えて!」
できない。好きだなんて言えない。これはある種樹との約束でもある。
涼乃の方へ振り返る。言葉にはしてはいけない。だから僕は――。
「そう……」
小さく首を縦に振った。本当に小さく。頷いているのか、ただ生理現象なのか分からないくらいに。
涼乃の手が緩む。手を振りほどき、歩き出そうとしたその時だった。
「ならいいよね」
――チュッ!
唇に何か柔らかいものが当たった。
「!?」
何故か涼乃の顔が目の前にあった。気が付いたら、僕は涼乃にキスされていた。
一体涼乃は何がしたいんだろう?
彼女は僕のことが好きなのか?
ならなんで、樹と付き合った?
最悪だ。僕は樹と争いを避けるために努力してきたというのに。
「やっと……返せた……。巧、今までごめんね……」
そう言うと、初恋の女の子は糸が切れたように崩れ落ちた。彼女の言葉の意味は全く分からなかったが、僕はとっさに彼女を抱き抱える
「お前……」
最悪なのはさらに続く。この場面をもう1人の幼馴染に見られてしまった。




