10、タイマン
ドンチッチの突き出た髪の毛が、怒りのあまり震えている。
確かにマオスの格好はひどいものだが、ユージンは指一つ触れていない。キャシーが摘み上げたのは確かだが、それだってボッタクリバーの黒服から救ってやったのだから、お釣りがくるくらいだろう。
だというのに、小憎たらしいネズミ面は声をひそめて気配を殺している。
「本当になにもしてないんだけど」
「だったらなんでコイツは半裸で、腹に靴の跡がついてんだゴルァ!!」
先ほどとは比較にならないほどの、本気のドンチッチの怒声だった。しかしユージンも負けていられない。
「なんで今だよ!そういう反応は初見だろうが」
「テメエらが俺の髪型にイチャモンつけて誤魔化してたんだろうが、ああん?」
「いや、誤魔化しようないよね。丸出しだもの、パンツも前歯もフルオープンだもの」
「卑怯な手を使いやがって」
「また人の話を聞かないバカが増えた!」
ユージンの悲痛な叫びも虚しく、ドンチッチの怒りに呼応するように、倉庫内に居た他の仲間もゾロゾロと前に出てくる。
「ちょっとキャシーちゃん、どうすんのこれ。なんかいっぱい居るし、みなさん期待に満ち満ちた目で見てくるんですけど」
ユージンたちを取り囲む男たちの瞳には、これから起こる喧嘩を純粋に楽しんでいる輝きが宿っていた。それは残虐な暴力性というよりよりも、有り余るエネルギーをぶつける悦びに近い。喧嘩自体が目的で楽しいのかもしれないが、そういうのは好きな者同士でやって欲しかった。
ユージンは勝っても負けても痛いのは嫌いである。
なのにキャシーは「あらあら、大変ねえ」、なんて呑気に頬に手を当てているではないか。キャシーの悪戯な笑みを信頼したユージンがバカだったのである。
相手のクラスは分からないが、この町の学生である以上、なんらかのギフテッドには違いない。ユージンは涙目になるのを必死で堪えた。
「待て!!」
しかし迅る不良の群れを制したのは、その頭をはる男だった。ドンチッチの一喝で、今にも飛びかかってきそうだった群れが一斉に動きを止める。
「舎弟をやられて頭が黙っているわけにはいかねえが、そっちも女連れだろう。タイマンといこうぜ」
ドンチッチはクエロの方をチラリと見ると、仲間を手振りで下がらせた。
「だってさキャシーちゃん」
「なに言ってんのよユージンちゃん。どう見てもあの子、アナタの方を睨んでるわよ」
どう考えても納得のいかない人選である。マオスを引き入れたのも、ドンチッチを散々バカにしたのも、ついでに自分たちの中でいちばん強いのもキャシーである。
「ユージンとか呼ばれてるおまえ、男と男の勝負だ。サシでケリつけようぜ」
でも睨まれているのはユージンである。クエロは呑気に「ご指名だね」とか呟いているし。
「なぜに俺じゃい!?」
「下のもんの責任は上のもんの責任だ。なら頭同士で話つけんのが早えだろ?」
ドンチッチの言葉は、ユージンにとってツッコミどころしかなかった。
「いや、なおさらおかしいだろ。どこをどう見たらキャシーちゃんより俺の方が上に見えんだ。俺は田舎から出てきたばっかなの。上も下も無いわ。キャシーちゃんのがずっと強いんだ。俺みたいな普通の農民が頭なわけあるか」
「嘘は男の価値を下げるぜ。テメエからはやべえオーラをビンビン感じる。どう見たって頭はお前だろうが」
あっ、ダメだ。やっぱり人の話を聞かないタイプだ。ユージンはただでさえうんざりしている地雷メンバーに、またひとり名前を加えた。そのうえユージンの苦境が大好きなキャシーがさらに煽る。
「うふふっ、よく見抜いたわね。そうよぅ、ユージンちゃんがアタシたちのボス。気を付けなさい。アタシの100倍は強いから」
「ちょっ!?キャシーちゃん、もう勘弁してよ」
ユージンの叫びは誰にも届くことなく、弱々しく倉庫の壁に反響するのであった。ドンチッチの前まで進み出手、声をかける。
「あー分かった分かったチッチ。そんかわりさ、俺が勝ったら寄り道の店を紹介して欲しいんだけど」
「人の名前を可愛く略すな!!」
ドンチッチはノリも良い。綺麗なツッコミの後で、ゴホンとひとつ咳をつくと、鼻先がくっつくぐらいに額を寄せてくる。
「俺はこの辺りの顔だからな。知ってる店なら繋いでやってもいいぜ。ま、俺に勝てたらだけどな」
それだけ言うと、部屋の中央にできた人の輪の中心に戻っていく。理由もなく喧嘩をするのが嫌なユージンは、ほんの少しだけ救われた気がした。殴り合いっこを勘違いで演じるなど、超絶アホである。そんなユージンの耳元に、キャシーの吐息がかかる。
「ユージンちゃん、あの子ただの馬鹿じゃないわよ。立ち姿だけでわかるわ」
いまさら言われても困るのはユージンである。なんとなく予想していた事実だっただけに、ユージンは空元気で応えた。
「うん、分かってる。だからこそ、クエロやキャシーちゃんには任せらんないよ」
「あらあら、キュンときちゃうわ」
キャシーには大いに責任は感じて欲しいが、もともと寄り道に来たのはユージンのためである。クエロはもちろん、自称か弱い乙女のキャシーにも怪我をして欲しくはない。
逆に言えばドンチッチは、キャシーでさえも怪我をする可能性のある相手ということだった。
ユージンは武術を習った経験がない。だからキャシーのように、身のこなしや所作だけで相手の強さを測ることなどできない。それでも今まで出会った経験から、なんとなくドンチッチの強さを感じ取っていた。
「だってアイツ、怖くないからさ」
ユージンの言葉はキャシーには理解ができなかっただろう。現に珍しく首を傾げている。
子供の頃に出会った冒険者ダリオ。たくさんの盗賊や、その頭である穴熊。騎士団長グレンに、ガルベス。そしてキャシー。
ただの農民からすればみんな強い人である。
ユージンはその中でも、本当に強い存在を敏感に感じ取っていた。それは感覚的な問題で、理屈というより嗅覚に近い。それでも無理やり言葉にするのならば、ユージンの判断基準は「怖さ」だった。
盗賊に追いかけ回されて怖かった。当たり前だ。命の危機なんだから。
その頭である穴熊はもっと恐ろしかった。ガルベスだって穴熊のおかげで慣れていただけで、村で会っていたらビビる自信がある。
普通に強い奴は、怖い。狙われたら、逃げないといけないという本能を刺激する。
では、それ以外の人はどうだろうか。
みんな「怖さ」がないのだ。そのかわり、ふとした拍子に肌に粟が生じるような凄みを感じさせる。ダリオに切り付けられた瞬間にユージンが感じていたのは、「怖さ」をすっ飛ばした「斬」や「死」のイメージだった。
アホらしい発想だと自分でも思う。普通は強ければ強いほど怖いはずである。けれどユージンの勘は、今のところ外れたことはない。
本当に強い存在は周りを威圧する必要がないからかもしれない。あとは、もはや逃げようとしても逃げられないレベルの差があるから、恐怖を感じるメーターが一周回っているのもある。
草原で獅子に鳥がとまるように、絶対的な強者は動き出すまで「怖さ」などという不純物を外には漏らさない。
騎士や盗賊のような肉食獣は、相手の強さを力で確かめるかもしれない。しかしユージンみたいな草食動物は、そういうのに敏感じゃないと生き残れないのである。強くて怖い輩には近寄らないのが、平和に生きる術だ。
「ドンチッチは弱くない。そんでもって怖くない。どころか滅茶苦茶面白いんだよ」
首を傾げるキャシーに言い残して、ユージンは戦いの場に赴くのだった。




