9、寄り道のスーパーヘッド
キャシーに締め上げられたネズミ男は、すぐに息を吹き返した。
「たっく、ここはおまえらみたいな真面目くんの来る所じゃねえってのに」
ぶつくさと文句を垂れながら、体についた石粒を払っている。ユージンとクエロはともかく、大きなピアスを8つもつけているキャシーは真面目に見えるだろうか。心の中で突っ込むユージンだが、ネズミ男は構わず続ける。
「どうせ今日初めて来たんだろ。女か、ギャンブルか。このマオス様がいい所を教えてやるからついて来な」
マオスと名乗ったネズミ男は、ずいぶん調子のいい奴である。先ほどまで死んだふりをしていたくせに、今は自分が面倒を見てやっているとでも言いたげな口調になっていた。
「じゃあさ、どこか賭け事ができる場所とか知らないか」
「ひひっ、知ってる知ってる。連れてってやるよ」
「親切だねどうも」
そんなやり取りの後で、ユージンたちはマオスの案内で寄り道の中を進むことになった。パンツしか履いていない姿で胸を張れるネズミ男は、案外ハートの方は大きいのかもしれない。
ユージンは自分のシャツを貸してやろうかとも思ったが、小男が着た姿を想像して止めておく。背丈の低いマオスがユージンのシャツを着れば、膝上くらいまでは隠れるだろう。しかし彼氏のシャツを借りた美少女ならば絵になるが、出っ歯の小男のパンチラに一ミリの価値もない。
「ねえ、ユージン。アイツどう考えて怪しいよ」
不快な想像をしてしまったところで、クエロが小声で話しかけてくる。ユージンも同意見だが、蛇の道は蛇に聞く方が手っ取り早いのも事実だ。少なくともこの中の誰より、マオスは寄り道のいかがわしい店に詳しいのは確かだった。
ユージンが立ち並ぶ店に視線を止めるたびに、「そこの定食の肉は鳥じゃなくてカエルだ」とか、「そこは去年退学になった学院の先輩の店だ」とか。まるでコマネズミのように目ざとく説明してみせるのである。
「まあ、その時はその時よ」
キャシーはあくまで余裕の笑みを絶やさない。ユージンはその笑みを信頼してマオスの背中を追った。知り合も多いらしく、方々で声をかけられている。誰もパンツに突っ込まないのは、異常な光景だったけれど。
「もうすぐだぜ」
すいすいと細い道を抜けて、マオスは進んでいく。その背中を見失わないようついて行くと、人気のないボロボロの倉庫のような場所にたどり着いた。
「どう見ても店には見えないけど」
ユージンの問いかけに、マオスは大きな前歯を舐めてニヤリと口を歪めた。
「心配すんな、たっぷり楽しませてやるって」
ギギィっと、錆びた金属のきしむ嫌な音が耳につく。
倉庫の扉が開くと、案の定ガラの悪い男たちが出迎えた。学院の制服姿の者も居て、ギラついた瞳でこちらを威圧している。埃っぽい室内に置かれた事務机の上には、酒瓶やタバコの吸い殻が山盛りになった灰皿がいくつも乗っていた。
「アニキぃ、アニキぃ!!まぁた馬鹿な学院の生徒が寄り道デビューしようとしてたんで、連れてきやしたぜ!」
マオスは叫ぶと同時に機敏な動きで倉庫の中に転がり込むと、破れた革張りのソファーに大股を広げて座っている男に縋りついた。
男の表情は、色付きのメガネに阻まれて読めない。しかし男を囲む不良の態度から、男がその場のリーダーであることがはっきりと伝わってくる。男の言動に、他の人間が注意を払っているのが分かるのだ。
リーダーらしき男は、マオスの言葉を無視して髪の毛に櫛を当てた。
「俺は今日イケてるか?」
突然の問いかけにも慣れているのか、マオスは張り切って返事をする。
「はい、もちろん今日のアニキはイケイケっす!」
「バカヤロウ!」
にも関わらず、リーダーはマオスをいきなり怒鳴りつけた。
「今日も、だろうが」
怒鳴られたというのに腹を立てた様子もなく、マオスの体はくの字に曲がる。
「す、すいやせんアニキぃ!」
時代錯誤のやり取りに呆気に取られるユージンたちをよそに、リーダーらしき男は鷹揚に足を伸ばした。
「てめえらシャバい学生が寄り道に来たけりゃあ、まずは寄り道のスーパーヘッド。このドンチッチ様に挨拶するのが筋だろうが、あぁん!?」
腹を震わせる大声が、狭い倉庫の空気を震わせる。
不良達のリーダー、ドンチッチは初めて見るタイプの人間だった。
背はおそらく、キャシーと並んでも遜色のない大男である。おまけにキャシーと違って、胸板も腕も分厚い。制服のシャツが窮屈そうなくらいだ。足もデカい。投げ出された靴は、30センチぐらいありそうだ。ポケットに突っ込まれたままの拳も、さぞや立派ななのだろう。
「えっと、なにこの面白い生物」
そんな男に凄まれているというのに、ユージンの口からはそんな言葉が溢れてしまう。体型だけなら威圧的なのだが、ドンチッチには奇妙な特徴があったからだ。
異様さを際立たせているのは、その髪型だった。金色の髪は王国では珍しくない。しかし整髪料でガチガチに固められたその髪は、顔を大きくはみ出して前方に伸びている。
後ほど浩介に聞いた話だが、どうやら異世界ではその髪型は、今や文献の中にのみ存在する伝統的な不良のヘアスタイルらしい。
はっきり言ってダサい。巨大なバナナの房を乗せているように見える。
いつまでも呆けていても仕方がないので、ユージンはとりあえず、怪人バナナ男ことドンチッチとのコミュニケーションを試みることにした。
「スーパーヘッドってなんですか?」
「分かんだろうが、この寄り道少年愚連隊の頭って事だ!」
「いや、まず寄り道少年紅蓮隊が分かんねーよ。いろいろ面白すぎて頭に入ってこないし」
思いは同じだったらしく、クエロとキャシーはずっとストレートにドンチッチを評する。
「常軌を逸した髪型のせいで呼ばれてるんじゃないの?」
「駄目よう、本人の意思と関係なく罰ゲームでやらされてるんだわ。じゃなきゃあんな美的センスのかけらもない格好、出来るわけないでしょ?」
「違うわ!」
髪型にはこだわりがあったのか、ドンチッチは顔を真っ赤にして立ち上がる。その拍子に、机の上の灰皿からタバコが弾け飛んだ。慌てて吸い殻を灰皿に戻しながらドンチッチが言う。
「いいかよく聞けよ。この髪型はなあ、由緒正しき漢のヘアスタイル、ルイーズェントだ!!」
聞いても分からん。
「なにそれ、キャシーちゃん知ってる?」
首を振るキャシー。
「これだから田舎もんは困るぜ。これはかの混沌を打ち砕きし、七英雄の1人がしていたとされる髪型なんだぜ?」
「嘘だよ。英雄なのにそんな変な髪型してたなんて」
「髪だけじゃなくて頭も変なのかしら」
「テメェ……俺を馬鹿にした落とし前、つけさせてもおうか。ああん!?」
ドンチッチは鋭い視線をユージンに向けてきた。
「えっ、俺なの。いや、クエロとキャシーちゃんだよね?」
「ボクやだよ。整髪料の匂いで鼻が曲がりそう」
「アタシだってやあよう、こっちのセンスまで汚染されそうじゃない」
どこまでも辛辣である。どんどんドンチッチの顔が赤く染まっていく。
「いい加減にしろよコラ」
「いや、だからなんで俺が睨まれてんの。俺だけは、髪型については一言も触れてないよね」
「仕方ないよ、ユージンだし」
「奇人変人の相手はなんとなく、ユージンちゃんかなって」
なぜか既視感のある展開になってきた。ユージンとしては、穏便に済ませたいのだが、その望みを初めからハンマーをぶん回して粉々にしたのはクエロとキャシーである。そこまでするなら飛び散った破片の処理もしてほしい。
ユージンはなんとか破片を拾い集めて、穏便なルートに戻ろうと試みる。思えばこれだけ馬鹿にされても手を出さないのだから、ドンチッチは意外と良いやつかもしれない。
「いやいや、なんか誤解があったみたいなんですけどね。俺たちはそこのマオスくんに案内されて」
しかしその言葉が、地雷であった。ドンチッチはマオスを見ると、みるみる眉を吊り上げた。
「てめえ、マオスに手を出しやがったのか」
「え、なにもしてませんけど」
むしろボッタクリから救ったと言ってもいいだろう。その上罠に嵌めるようにここまで連れてこられたのだから、被害者は完全にユージンたちの方である。
ドンチッチの体から、空気を震わせるような気配が放たれた。




