9、放課後の寄り道
大通りは下校中の生徒たちの群れでごった返している。若者の向けの雑貨屋やスイーツの屋台が並ぶ場所には、学生生活を楽しむ人々の笑顔で溢れていた。
「ごめんねキャシーちゃん、道案内に付き合わせちゃって」
「ボクも、ボクもいるよ!」
ユージンは人の波の中を、キャシーとクエロと連れ立って進んでいた。
「あそこの独り歩きは危ないから避けた方がいいもの」
キャシーはいつもの格好だが、クエロは久しぶりに帽子をかぶっている。無用なトラブルを避けるためにと、キャシーからアドバイスがあったからだ。
「危ないって言っても、所詮は不良学生じゃないの?」
「学院都市の特殊性でね。本職の犯罪者よりそっちの方が怖いのよ。後ろ暗い犯罪組織なんかは、厳しく取り締られているの。子供を預ける親の要望としては当然よね。あ、そこを右ね」
キャシーの指示に沿って曲がり角を迎えるたびに、道の様相が徐々に変わっていく。いつの間にか、制服姿の学生の姿は消えていて、人通り自体がグッと少なくなっている。クエロは変わっていく空気に萎縮したように、ユージンの隣に並んだ。
「だったらやっぱり、相手はボクらと大して年の変わらない子供じゃない。薬の売買なんて手を出すかな」
「そんなことはないわ。退学者とか、卒業しても定職につかなかった子たちが、学院都市の裏側に根を張っているのよ。どういうことか分かるわよね、ユージンちゃん」
キャシーの言葉に、ユージンは生唾を飲み込んで頷いた。
「つまり本職の抑えの効かない、元エリートギフテッドの犯罪集団が生まれているかもしれないんだな」
細い路地を抜けると、いよいよその通りは姿を見せた。いつの間にかまばらになっていた人の喧騒が蘇っている。キャシーはクルリとその場でターンして、ユージンとクエロの前で両手を広げた。
「ここが 放課後の寄り道。学業という本筋から逸れた、ちょっと刺激的な遊び場よ」
目の前に広がる光景は、ユージンが思い描いていた殺伐とした場所ではなかった。
真っ直ぐ続く道の両端には、さまざまな店がところ狭しとひしめき合っている。客引きの声や行き交う人々の数は、大通りと比べても遜色がないほどだ。
スケートボードに乗った少年が、ユージンたちのすぐ側を駆け抜けていく。少年は板の端を踏み抜いて飛び上がり、見事に階段の手すりを滑り降りて行った。その先の公園では、少女たちが大音量で音楽を流してリズムに乗っている。
制服という重しから解放された学生たちは、校内では見せない溌剌とした顔を見せている。どの顔にも若い熱が浮かんでいて、それは決して悪いものではなかった。
「ふふ、世紀末都市みたいなのを想像していたのかしら?」
目を丸くしているユージンとクエロを促して、キャシーは通りを歩き始めた。
「ああ、正直もっと廃墟みたいな、閑散とした場所を想像していたよ」
「学生たちの集まる場所だからね。流行が生まれるのもこんな場所だったりするのよ」
活気のある通りには、店のシャッターでもお構いなしにスプレーアートが塗りたくられている。まるでこの空間の支配権が若者にあると主張しているようでもあった。
「人もお店も、大通りとは雰囲気も違うね」
「ライブハウスとかアパレルとか、学院側の許可が降りてない店が多いのよ。でも若い子たちは、たまにはオペラよりロックに騒ぎたいでしょ」
「なんか、場違い感が半端ないわ」
ユージンはそのエネルギッシュな街のパワーに圧倒された。土いじりが大好きな、じじむさい性根の持ち主であるユージンでさえも、なんとなく心が浮つく場である。
「だけど油断しちゃダメよ、アタシからはぐれないように」
キャシーが言ったそばから、ガシャンとなにかが割れる音が響いた。振り返ると、下着姿の男が地面に転がっているではないか。それを仁王立ちで見下ろしているのは、店の黒服のようだ。
大柄な黒服とは対照的に、下着男はずいぶん背が低い。前歯が極端に出ていて、デフォルメされたネズミのイラストのような風貌だ。
「ふざけなんよ、一杯飲んだだけでなんでこんな高いんだよ」
ネズミ男はパンツ一丁の割に威勢が良かった。自分の倍くらいの質量がありそうな黒服に怯むことなく言う。
「ああ、うちは高いんだよ。席代、チャーム代。それから氷代だ」
そう言うと、黒服は剥き出しの腹を革靴で蹴り付けた。鞠のように跳ねながら、ネズミ男がユージンの足元に転がってくる。氷にまで値段をつけるとは、典型的なボッタクリのようだ。
「だ、大丈夫ですか」
ユージンはネズミ男に手を差し伸べようとした。それより早く、ネズミ男がユージンのズボンの裾を掴んでニヤリと笑う。
「よお、相棒。金貸してくんない?」
ユージンは差し出そうとしていた手を引っ込めた。大した執念であるが、ユージンには往来でパンツ一丁になる相棒を持つ気はない。しかしネズミ男に追撃を浴びせようとした黒服は、そうは思ってくれなかったようだ。
「よお相棒さん。とりあえずお友達なら助けてあげようか」
そう言うと、ユージンに向き直って拳の関節をボキボキと鳴らしているではないか。なんでこうなった。ネズミ男を睨みつけると、あろうことか目を閉じてピクリとも動かない。しかし意識があることは、足を掴んだ腕からいっさい力が抜けていないことからも確かである。
「こ、こんのアホは」
青ざめるユージンを救ったのはキャシーだった。いきりたつ黒服を無視してユージンに声をかけてくる。
「ところで、ユージンちゃんはどうやって売人を探すつもりだったのかしら」
「えっと、制服姿でうろついてれば、そのうち声をかけてくんないかなって」
「キミは不幸を呼び寄せる魔法の壺だもんね。悪くないんじゃないかな」
我ながら行き当たりばったりの杜撰な計画だったが、クエロには妙な納得の仕方をされてしまう。そんな夢のない魔法は嫌だ。せめてハクションしたらドジでもいいから魔神が出て欲しい。あくび娘ならなお良しである。
それに対して、キャシーは大袈裟に首をすくめてみせた。
「悪くはないけど、キョロキョロしているユージンちゃんって、明らかにおのぼりさんじゃない。それじゃあ田舎者をからかいたいチンピラか、カツアゲ目的の輩しか寄って来ないんじゃないかしら」
「本当は酒場かギャンブルをしてる所に潜り込めたら良かったんだろうけどね。そういう場所の方が後ろ暗い取引とか有りそうじゃん。キャシーちゃんは知らないかな」
「駄目よう。あたしは身も心も健全な美しさを保ってるんだもの。そんな所に出入りはしないわ」
「だよなあ」
健全に生きているユージンたちには、狙って薬の売人に接触するのは難しい。やはりいきなり本人を捕まえるより、細い糸から手繰り寄せるしかなさそうだ。
そんなことを呑気に話すユージンたちに苛立ったのであろう。黒服はキャシーの肩を掴んで拳を振り上げた。
「いい加減にしろよ、こっちの商売の話が先だろうが」
ご愁傷様。そんな風にユージンが思ったのと、黒服が地面に転がったのはほとんど同時だった。右側頭部に綺麗に入ったキャシーの回し蹴りが、黒服の意識を刈り取ったのだ。
「キャシーちゃん、ちょっとやりすぎじゃあ」
「だってコイツ、ぜんぜんアタシの好みじゃないのに触ってくるんだもの」
ウィンクしても、ぜんぜん和みません。キャシーはいまだに狸寝入りを続けるネズミ男の首根っこを掴むと、まるで小動物でも持ち上げるかのようにぶら下げて言う。
「アテがないなら作りましょう。ねえアナタ、このままさっきの店に放り込まれるのと、寄り道の案内をするの、どっちが好みかしら」
なおも気絶した振りを続けるネズミ男から、くぐもった唸り声が漏れた。




