6、いざ晩御飯へ
「どうですかな、新しい学院生活は」
全員が会食の席に着いたのを見計らって、バイロン侯爵は口を開いた。
「最高さ、バイロンには感謝しかないって」
マツダの答えに、バイロン侯爵はにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「それは良うございました。何か足りない物があれば当家のメイドにお申し付けください。すぐにご用意致します」
侯爵はそう言うが、あまり一方的に寄りかかるのも良くない。屋敷の前でのやりとりを思い出してか、マツダももじもじと尻を動かしたが口をつぐんだ。そんな様子を目ざとく見つけて、バイロン侯爵はターゲットをマツダに絞った。
「どうされました勇者様。私に遠慮など無用ですぞ」
「いやあ、迷惑ばかりかけられないさ」
「なんの、むしろこのバイロンがケチと思われる方が心外です」
バイロン侯爵が大袈裟に眉を下げて見せる。そんなオーバーリアクションに引っかかるほど、勇者のプライドは安くないはずだ。この世には、お金で買えない矜持というものがある。
「いやいや、十分な支援を受けてるよ」
マツダはしっかりとバイロン侯爵の誘いを断った。バイロン侯爵はマツダの意外な反応に髭を震わせると、意味ありげな視線をユージンに送ってきた。しかしすぐに口元に笑みを取り戻して両手を叩く。
その音が合図になって、ダイニングルームの扉が左右に開いた。開いた扉から、台車に乗せられた大きな荷物が3人のメイドの手によって運び込まれる。
「実は勇者様が御所望の品があると聞きまして、今日はお近づきの印にご用意しております」
荷物に被せられた布を、メイドのひとりが取り払う。
「あっ、このバイク頼もうと思ってたんだよ!」
マツダは目を輝かせて、姿を現した贈り物に飛びついた。
「皆様の世界では、バイクというのですか。こちらので世界ではモトサークルと呼んでおります」
バイロン侯爵が用意していたのは、モトサークルという乗り物である。学院都市の技術職であるクラフトが開発した代物だ。
浮遊のギフトの力が込められた動力を心臓とする、画期的な乗り物。操作するハンドルと、座るためのシート、機体の下の部分には車輪を寝かした形で丸い輪がついている。わずかに浮いた状態で、地面の上を滑るように移動できる若者に人気の乗り物だった。お値段の方も、当然それなりにする。
「さっすが、話が早いんで助かるよ!」
冬子と紅の冷たい視線にも気が付かず、マツダはあっさりと陥落した。嬉しそうにモトサークルにまたがるマツダを横目に、バイロン侯爵は勝ち誇ったような視線をユージンに送ってくる。
「おい、ユージン。いいのか」
「仕方ないさ。3歳児に我慢させることはせきても、現物を取り上げるのは難しい」
隣に座る浩介が耳打ちしてくるのを、ユージンは苦い思いで噛み締めた。ユージンなど、ダメもとで高級消しゴムが経費で落ちないかと相談したら、「ユージン様はアホでいらっしゃいますか?」と、ルカの氷の美貌で言われて会話が終わったのである。
「他の皆様にも、お土産をご用意してありますので」
先手を取られたような気持ちで、ユージンは運ばれてくる料理を黙って眺めることしかできない。料理はどれも、見た目も値段も豪勢なものだった。
「うわあああああ、美味しそう!」
山海の贅を凝らした品々に、冬子が思わず感嘆の声をあげる。
「どうぞマナーなど気になさらず、お召し上がりください。私の知る限り最高の食材を集めました」
向いの席を見れば、紅も無心で料理に取り掛かっている。どうやら女性陣も陥落したようである。またしても、バイロン侯爵はわずかばかり胸を逸らしてユージンに微笑みかけてきた。
当のユージンは、緊張するうえに作法を思い出すのに必死で、ほとんど味がしない。対面に座るマツダが手慣れた所作で食器を使って綺麗に食べているのを見て、ユージンは素直に感心した。鼻で笑っていやらしい笑みを浮かべていなければ、素直に教えを乞いたいくらいだ。
一応経験があったのと、料理を運んでくるルカが所々フォローしてくれなければ、すでに心が折れていたかもしれない。
それからしばらくは、たわいのない話が続く。マツダは欲しいものが手に入って、ご満悦の様子で高笑いをしている。
「いやー、俺のギフトも出来ることが次々増えてさ。これなら混沌を倒すなんて余裕だわ」
「さすが勇者様でございますな。頼もしい」
マツダにそう返したあとも、バイロン侯爵は順々に他の異世界人に声をかけている。特定のゲストのひとりにばかり注目が行かないようにしているのだ。この辺りの如才なさも、バイロン侯爵の巧さだろう。
「浩介様は剣術で、冬子様はギフトの扱いで素晴らしい成績を残しておられるとか。紅様も、研究科の教師が自分のラボに引き抜きたいと申しておりましたよ」
「いえ、まだまだですよ。元々体を動かすのは好きなんですが」
「自分では分からないです。でもそうですね、使えば使うほど馴染んでくるというか」
「私はひとりでやる方が好き」
褒められて悪気がする人間はいない。3人ともはにかむように答えている。
「長沢様はどうですか、座学で良い点数を記録なされていると聞き及んでおりますが。少しは慣れましたかな」
「僕は皆さんと違ってついていくのがやっとですから」
長沢くんだけは、困ったように笑ってバイロン侯爵の世辞を流している。ユージンはそんな会話を聞きながら、本題に入る機会を窺っていた。迂闊に切り出せば、それが後程どう利用されるか分からない。さりとて楽しく食事だけして帰るわけにもいかない。
そんなユージンの様子に気がついていたのだろう。バイロン侯爵は余裕を持って、自らその機会を提示してきた。
「そろそろ本題に入りましょうか。あの時お答え出来なかった事に対して、今日は出来る限り対応させて頂きます」
これには驚いた。最悪の場合、今日も適当にあしらわれてもおかしくないと考えていたのだ。向こうから話を振ってくれたのだから、遠慮なく質問をぶつけていこう。なにせここからが本番である。
ユージンははまず、当たり障りのない所から確かめていくことにする。
「意外と親切なんですね。それじゃ早速最初の質問です。混沌ってのを倒して欲しくて、異世界人を呼んだんですよね。話の中では知ってますけど、混沌ってなんですか」
名前は知っていても、そんな昔の伝説上の存在なんてピンとこない。最初の質問は及第点だったようで、バイロン侯爵は鷹揚に頷いた。
「ふむ。正直に申して、それは誰にも分からないのですよ。なにせ混沌の名が最初に登場した事例は、神話になる程昔の話ですから。ただ間違いなく実在はしたようです。世界各地でその被害は確かめられていますから」
「被害、ね。混沌に滅ぼされたとされている国や遺跡は、世界中に点在しています。だけどそれだって伝承に過ぎないでしょう。もう少し具体的に掴みたいんですが」
「伝承によると、それは善なる心を持たぬもの。そこには怒りも喜悦もなく、ただ破壊するだけの存在と言われています。我々の常識とは違う世界に生きる存在なのです」
ここで長沢くんが口を挟んだ。
「ちょっと待ってください、結局伝承じゃないですか。破壊が混沌の仕業って、どうしてわかるんですか」
やはり長沢くんを呼んでよかった。ユージンは目配せをして頷いた。
「俺たちが知りたいのは伝説じゃなくて、今の混沌の情報です」
バイロン侯爵は必死に対応するユージンと長沢くんに対して、笑みを崩さず続ける。
「あるのですよ、混沌が今もなお眠る次元の狭間が。王国の南の端であり、帝国と獣の国、そして法国という4つの国の境の中心にね。中を調べたものは誰も帰ってきませんでしたが、そこは確かに、この世の理から外れた場所のようです」
長沢くんが真偽を訊ねるようにユージンを見るが、応えることはできなかった。王国で生まれたユージンですら、そんな場所があると聞いたことがなかったからだ。もっとも国家に関わる秘密だとしたら、ユージンのような田舎の農夫の耳に入るような情報でもない。否定も肯定もしようがなかった。
訝しむ気配を敏感に感じ取って、バイロン侯爵は話を続ける。
「それに……神話の後にも混沌は一度復活しかけているのです。今から700年ほど前の書物に、それらしき存在が登場しています」
「700年って、ずいぶん昔の話な気がするけど」
ユージンからすれば、信用度が上がった感覚はなかったけれど、長沢くんは違ったようだ。
「いえ、それなら日本で言うところの室町時代くらいの開きです。伝説というほど、あやふやではないかもしれません」
「伝説じゃなくて、歴史か。だけど混沌の復活なんて聞いたことないぞ」
「これは歴史から消された史実です。人々を混沌の恐怖に晒さないために、あえて一部の王族などにしか出回っていない話ですから」
続くバイロン侯爵の語り口には、確かな真実の重みがあった。
「ガナード王国という人族の王が治める国がありました。当時の大陸で最大の強国だったようです。ガナード王は強大な軍事力を背景に広大な領土を有していました。先に挙げた4つの国を足しても、ガナード王国の領土の方が広かったようです」
「だけどそんな巨大な国が、今じゃ名前すら残っていない」
ユージンの背に冷たい汗が流れた。その事実が示しているのは、亡国の悲劇だったからだ。王国が丸ごと歴史から消し去られるなど、ユージンには想像すらできない。
「その支配を嫌った属国の1つが、禁断の果実に手を出したのです」
「混沌の復活か」
マツダの呟きにバイロン侯爵は頷いた。
「彼らはあらゆる手を尽くして混沌の封印を解こうとしました」
混沌は形や名前は変わっても、全世界で共通する神話や昔話に登場する悪しき存在である。ユージンには、そんなものを引っ張り出そうとする奴の気がしれない。
「そ、それでどうなったんですか?」
冬子が怯えたように聞く。自分たちが倒さねばならない存在の力は知っておきたい。しかし今の話の流れから、矛盾する聞きたくないという感情も滲んでいる。
「滅びました、それも一夜で。混沌の力を宿した属国の者は猛威を振るいました。その時の死者は200万人以上と伝えられています。世界最高の軍事国家でも、それだけの人間が蹂躙されたのです」
「洒落になってないな」
そこでバイロン侯爵は一度口を閉ざした。にやけた表情はすでに微塵も浮かんでおらず、再び開いた口からこぼれ落ちたのは驚愕の事実だった。
「ちなみに、その時に解かれた混沌の封印は右腕のものだけだったようです」
「はあ!?それじゃあ混沌ってのは、片腕の力だけで国を滅ぼしたっていうのか」
マツダの叫びに頷いて、バイロン侯爵は話を続ける。
「混沌の右腕を倒すのに、世界中から英雄や勇者と呼ばれるものが集まり、悉く死んでいったそうです。ようやくの思いで混沌の力が宿った属国の者の右腕を切り飛ばした英雄達ですが、それまでにガナード王国以外にも7つの属国が跡形もなく消え去りました」
「一晩で国が滅ぶとか、個人でどうこう出来るもんじゃないな。混沌は倒すべき敵とかじゃなくて、天災みたいな物と捉えるべきかもしれない」
「そんなものほいほい呼び出されたら、世界なんていくつあっても足りないですよ」
「幸い、呼び出した属国も滅ぼされたので、復活の詳しい方法は伝えられていません。それに方法が分かったとしても必要な要素や代償を用意するのは難しいようです」
場に少しだけ安堵の気配が流れる。
「今は封印されているんですよね?」
「ええ、本体はね。しかしながらその脅威が、再び蘇る危険性があるのです」
「封印を解く方法が見つかった?」
「いえ、見つかったのは混沌の右腕です。ガナードの英雄が切り飛ばした右腕は、消滅したと思われていたのですが」
混沌の右腕。幾多の犠牲の上でようやく打ち倒した混沌の一部。それが発見された。バイロン侯爵は重い瞼のタレ目を、鋭い目付きに変えて、秘密を厳守して欲しいと前置きして話し始めた。
「ある晩、王の寝室に侵入者が現れたました。私も含め、城内の兵士や騎士団長殿ですら物音1つ気が付かなかった」
「王の寝室って、この国でいちばん安全じゃないといけない場所ですよね」
「そこまでするなら、ただの洒落や嘘では片付けられないな」
「その者は王に告げたそうです。〈死線に立つ旗デッドエンド・フラッグ〉は、無より現れし御手により世界をあるべき無へ帰すと」
死線に立つ旗。ユージンは不吉な響きに全身の産毛が総立つ。
「それを防ぐために王国に伝わる秘儀、望みを叶えるために必要なものを呼び出す扉を使った結果が、異世界人ってわけですか」
ユージンの問いにバイロン侯爵が答えるよりも、マツダが叫び声を上げる方が早かった。先ほどまでプレゼントにウキウキだったその顔は、すでに半泣きである。
「そんなのどうしようもないじゃないか!絶対死んじゃうって、戦うなんて無理だ」
バイロン侯爵は幼児をあやすように、また気の良い笑みを浮かべた。
「復活してしまえば、です。未だその力は振るわれていません。おそらく混沌の右腕は力を取り戻していないのでしょう。そうなる前に何としても旗を名乗る賊を取り押さえ、右腕を取り戻して頂きたい」
バイロン侯爵の言葉に、場には重たい沈黙だけが澱り重なった。




