5、第一印象を取り繕うのは悪手でしょうか
馬車がわずかに揺れた。そのあと感じた圧力で、ユージンは馬車が完全に止まった事に気がついた。ルカは御者としてもいい腕らしく、ほとんど不快感はなかった。
「皆様方、バイロン様のお屋敷に到着いたしました」
ルカの言葉が耳に届く。ふと、ユージンは馬車を降りる前に気になっていたことを尋ねてみる気になった。ルカに聞こえないように、声を出来るだけ落として車内を見回す。
「みんなのバイロン侯爵の印象って、どんな感じだ?」
ふいの問いかけに初めに答えたのは冬子だった。
「どうって、普通に貴族の人って感じかな。まあ私の親戚のおじさんと同じ匂いはしたけど」
「腹黒ですか、腹黒の香りですね」
小首をかしげる冬子に向かって勝手に納得していると、ものすごい笑顔で睨まれた。慌てて視線を逸らすと、浩介が助け舟を出してくれる。
「ちょっと抜けてそうな感じだったけど、人当たりは悪くなかったよな」
「浩介は爽やかで嘘つけないもんね。それは欠点ではなく美徳だから、そのままでいてね?」
「ユージンくんの反応が私の時と違う、なんか優しい微笑みだ!」
冬子から抗議の声が上がる。どうやらせっかくの助け舟を、泥舟に変えてしまったらしい。今度は怒りよりも悲しげな声である。
唯一違う反応を示したのは長沢くんだった。ふたりの意見との食い違いを気にしてか、遠慮がちに言う。
「僕は……そうですね。あの場にいたのは王と王女、それに騎士団長です。そこに同席を許されている人が、ただの貴族とは思えません。まあ、道化師は分かりませんが」
ユージンも長沢くんの意見に賛成だった。紅も同じような印象だったらしく、小さく頷いている。
「俺もそう思う。能ある鷹が、わざわざ鋭い爪を持っている事を教えてくれる程、貴族社会って甘くないんじゃないか」
値踏みするようなバイロンの目を思い出すと、今でも気が引き締まる。あれは、思考を止めた成金貴族ができる瞳ではなかった。
ユージンは最一印象を大切にすることにしている。お互いを知らない状態で見せる顔は、取り繕っている部分も含めて、その人間性を表すと思っているからだ。
己を偽ることは悪ではなく、時には必要な常識ですらある。しかし偽るという行為には、どう見られたいかという意図が隠されている。
「ふざけんなよ、バイロンはめちゃくちゃいい奴じゃないか!」
しかしマツダは納得がいかなかったようだ。眉を吊り上げて鼻息荒く腰を浮かせている。ユージンは驚いて、マツダの方を振り返った。思いのほか強い口調での擁護だ。
「落ち着けよマツダ。別にあの人が悪人だと言いいたい訳じゃなくて、立場的なものだよ」
「うるさい、恩知らずめ!」
「いや、恩知らずって。異世界人への厚遇はあっちのすけべ心だろ」
一度会っただけの貴族の肩をやけに持ちたがるマツダの態度に、ユージンは違和感を感じた。言っちゃ悪いが、自分の売った恩は後生大事に持ち歩くマツダは、受けた方の恩はあまり長持ちしないタイプである。
「学院に通わせてくれているし、色んな最高品質の物をくれてるんだぞ!」
マツダは怒りのままに勢いよく立ち上がった。その拍子に、腰の剣がユージンの側頭部にぶつかる。鈍い音と痛みが走ったが、ユージンはその衝撃よりも違和感の正体の方に驚いた。思わず乾いた笑いが口から漏れる。
「そういえばマツダよ、その腰にささっているやけに立派な剣はどうした。俺の買ってやった剣は?」
マツダの腰には、宝石の埋め込まれ高級そうな剣がある。おまけにそいつは、馬車の外観とよく似たセンスで作られていた。
「あれはカッコ悪いから買い換えた!」
「おまえそれ、どうやって買ったんだ」
元気にのたまうバカ勇者に、ユージンは分かりきった質問を投げかける。マツダは胸を逸らして答えた。
「ルカさんに頼んだら、バイロン侯爵がくれた」
この野郎、俺のお財布には剣の代金がまだ戻っていませんが。ユージンは半ば呆れてマツダに言い含めることにする。そうしておかないと、今日の会談に不利益が出ると思ったのだ。
「現状敵か味方かも分からん相手に、あんまり借りを作るような真似するなよ?」
するとマツダは、鼻から抜けるような息を吐いて口元を歪めた。
「どうして勇者と王国の貴族が敵になるんだ。そもそもバイロンを悪く言っているのは、地味でこれといって取り柄のない長沢と、お前だけじゃないか。長沢なんてSクラスに入れてもらったはいいけど、ついていけなくて必死じゃん」
その言葉に、長沢くんの顔がサッと曇った。それはユージンとしても、意外なほど大きな反応だった。なんだか腹が立ってきて、ユージンの口調も次第に強くなる。
「いいか、おまえは異世界人だの勇者だの、目立つ肩書きを持っている。異世界人は全員が凄いギフトテッドなのは、知れ渡っているんだ。そんな集団を押さえておけば、他の勢力への牽制にもなる」
この子達は自分の価値を知っておくべきなのだ。特にマツダは、あまりにもフットワークが軽すぎる。海山千万の貴族の政治社会からすれば、利用しやすいにも程がある。
「それに加えて学院のSクラス。俺も学院に入って実感したけど、これも世間的には思ってる以上に影響力がデカイんだ。利用したい人間なんて山程いると思うぞ」
ユージンは言葉を尽くした。どれだけ迷惑な奴だろうが、マツダも一応被害者ではある。できれば貴族のおもちゃになって欲しくはなかったのだ。
けれどマツダは聞く耳を持たない。穴熊にも勇者が狙われたが、喉元過ぎればというやつである。
「ふん。人の善意を素直に受け取れないなんて、さもしい人間だな」
蔑んだ瞳をユージンに向けて、マツダはさっさと馬車を降りてしまった。去り際の言葉は、確かにユージンの弱いところを傷つけた。ユージンだって、ほんの少し前までは人を疑うなど無縁の農民だったのだ。辛い世間様の事情を考えなければならなくなった自分が、少しだけ汚れてしまったように感じる。
それでもユージンは、馬車を降りたマツダを追いかけて腕を掴んだ。
「なあマツダ。ニホンってのは平和な国だったのかもしれないけど、この国じゃあ権力のために人が死ぬこともある」
「何を言ってんだよ、急に」
煩わしげに振り解こうとするマツダの腕に、ユージンはさらに力を込めた。
「頼むから、もう少しだけ慎重になってくれ。おまえはみんなのリーダー、勇者なんだろ」
マツダはユージンの言葉に、馬車から心配そうにこちらを見ている仲間たちを振り返った。振り払おうとしていた腕から力が抜ける。ユージンも手を離した。
「分かっているさ」
「ありがとう」
短い言葉だったが、それで十分だった。マツダは勇者なのだ。ユージンはマツダと並んで、目の前の屋敷を見上げた。王国で最も勢いのある貴族の屋敷だ。
「それでは皆様、心の準備は宜しいでしょうか」
いつの間にか御者席から降りてきたルカに導かれて、ユージンたちは門の前へと進み出る。
馬のレリーフの施された鉄の門はすでに開かれていて、ゆっくりとユージンたちをその身に取り込んでいくのだった。
☆
バイロン侯爵の屋敷は、居並ぶ貴族の邸宅の中でも一際目立つ。大きいばかりではない。華美な装飾や銅像の数々が、訪れたものを出迎えるのである。建国から続く名家の重みは、目に見える形でもユージンの小市民な心にプレッシャーを与えていた。
ルカの背を追って進む屋敷の廊下にも、数々の美術品が並ぶ。
「すごいな。これひとつで、うちの畑いくつ分くらいの価値があるんだろう」
その光景は田舎者には少々刺激が強すぎた。壺や絵画、甲冑に像。ひとつでも壊せば、一生働いても返せない借金を負うかもしれない。そんな品々がどこまで行っても並んでいる光景は、もはや美しいとか羨ましいを通り越して恐怖でしかない。
もはや凶器が並んでいるようにしか見えないユージンは、興味本位で壁にかかった絵の事を聞いてみた。
「さすが候爵家、あれも有名な絵なんですよね?」
様々な色の絵の具をぶちまけてある絵を指差す。ユージンには丸描いてちょんにしか見えないが、まさか子供の落書きというわけでもあるまい。問われた方のルカは、表情を変えず説明してくれた。
「いえ、今すぐ売ったところで、二束三文の値でしょう。あの絵はバイロン様が気に入られた、若い無名の画家の描いたものでございますから」
「えっ、そうなの?」
意外な返答に驚いていると、ルカは補足をする。
「ただ、バイロン様の眼力は確かです。目を付けられた若い才能はことごとく大成しております。2年もすれば数百倍の値段になるでしょう」
「うーん、芸術ってのは難しいね」
丸描いてチョンを通り過ぎて、ルカはスタスタと進んでいく。ちなみにこの画家はすぐに、芸術界に革命を起こし、数百万ガロンでも安いくらいの巨匠になったらしい。
「こちらです」
ルカは両開きの扉の前で立ち止まると、恭しくユージンたちを室内に招き入れた。
「光栄で御座います、異世界からのお客さまや、勇者様を我が屋敷にお招きできるとは」
室内に入ると、バイロン侯爵が例の間の抜けた笑顔でユージンたちを出迎える。相変わらず口元の髭の先がくるりとカーブしていて、いかにも金持ちといった風情は毒気を抜かれるものだった。
ユージン以外の面々は、気さくに差し出されたバイロン侯爵の手を順々に握っていく。バイロン侯爵がひとりひとりに短く声をかけると、緊張がいくらかほぐれていくようである。
下手に出るのが上手いバイロンは、喋っているといつの間にか人を威張らせたくなる。今もマツダが胸を張って、何かを自慢げに語っていた。
ユージンはその輪に加わらず、部屋の中を見回す。自分は異世界人でも勇者でもないという意識が、そうさせたのかもしれない。
部屋の中央には長いテーブルが置かれていて、そこには既に食器の用意がされていた。
ユージンはそこに並んだ銀のナイフやスプーン、皿などを見て、気を引き締め直した。それは決して華美ではないが、建国から続く歴史の重みを感じさせる高級感と気品を感じさせる品である。
そう思って見れば、この部屋には廊下に並んでいたゴテゴテした美術品がひとつもない。むしろ、古くても磨き上げられた良品といった感じがする。
これが、バイロン侯爵の本当の好みなのだろう。再び談笑するバイロン侯爵の顔を見ると、ユージンにはもう成金貴族の顔には見えなくなっていた。
その輪の向こうに、優雅な一礼と共にルカが退室する姿が見えた。
「ユージン様、ご武運を」
声は届かなかったが、ルカの口元がそうなふうに動いた気がする。ユージンは既に閉まった扉に向かって、少しだけ頭を下げた。