4、下準備は入念に
「それで、やはり最後のおひとりはあの方に決まったのですか」
昨晩のやり取りを思い返していたユージンは、ルカにかけられた声で現実に戻ってきた。二度との味わうことのないであろう、高級馬車の座席に背を沈めて、ユージン質問に答える。
「ええ、頼りにしてますよ」
「少々意外でしたが」
「そりゃあ、ルカさんは知らないでしょうけど、優秀な奴なんですよ」
話題はユージンが懇願して、食事会へと参戦してくれることになった人物についてだ。ルカは王都についてからの付き合いだから、印象が薄いのかもしれない。けれど村で起こった騒動を思い返せば、ユージンはその人物に信頼を置いてもいいと確信していた。
ユージンは待ち人を思って、馬車の座席を見つめる。座席は向き合うような形で3人ずつ座れるようになっていて、今はいちばん奥に座っているユージンだけだ。6人も乗れる馬車も珍しい。バイロン侯爵には家族が多いのだろうか。
そんなことを考えていると、さっそく馬車の扉が開いた。
「もう来てたのか、今日は頼りにしてるよ」
爽やかな笑顔と共に入ってきたのは浩介である。気さくな友人はユージンの正面に腰を下ろした。気の重いイベントだが、浩介のいつもの笑顔に少しだけ気が晴れる。
「よろしく」
続けて紅が馬車に乗り込んできた。車内の飾りの材質が気になったのか、興味深そうに眺めながらユージンの隣にちょこんと座る。小柄な紅は妙に収まりが良くて、なんだか和む光景だった。
すぐに冬子も顔を覗かせる。どうやら3人は一緒に待ち合わせ場所にきたようだ。馬車の中に入るなり、冬子は向かい合った座席を見て妙な顔で固まった。
「座らないのか?」
ユージンが問いかけると、冬子は気恥ずかしそうに両手の人差し指をくっつける。ずいぶんしおらしい仕草だ。
「ごめんねユージンくん。私乗り物酔いしやすいから、窓際に座ってもいいかな?」
「そうか、それなら俺は浩介の隣に移るよ」
すぐに座席を譲ろうと腰を浮かせたのだが、なぜだか冬子は慌ててユージンの動きを制した。
「ユージンくんはそのままで。じゃないと意味がないから」
よくわからないことを言いながら、冬子は紅とユージンの身体を跨いで強引に窓際の席に収まる。なんだか満足そうにニコニコとしている冬子と、唇を尖らせて不服そうな紅の視線が交錯する。
「塾の送迎バスは平気な顔で乗っていた」
「あれれ、三半規管が鋭いの言ってなかったっけ」
「またあざとこすい真似を」
「ふ、普段は酔い止め飲んでるから」
座席なんてどこでもいいので、人を挟んで言い争わないで欲しい。ちなみに強いて言うなら、ユージンは端っこの席が好きである。両隣を挟まれるよりは、片側でも手すりや壁がある方が落ち着くのだ。たぶん臆病な草食動物の習性と同じ理屈だろう。
悲しい気持ちで席の端を見つめていると、もっと喧しいのが顔を見せた。
「この馬車最高だな!」
すげえセンスの持ち主は、バイロンだけではなかったようだ。マツダは一旦は浩介の隣に腰を下ろしかけたが、ユージンと目が合うと、わざわざ真ん中を開けて端に腰を落ち着けた。つくづくいい性格である。
これで5人。残るひとりもすぐに現れた。馬車の中の視線が集まって、その人物は照れ臭そうに眼鏡を掛け直した。
「ごめんなさい、待たせちゃったかな」
「いえ、時間ピッタリです長沢様。それでは出発いたします」
悪ふざけに飽きたのか、御者席から聞こえるルカの声はいつもの平坦なものに戻っている。思いのほか滑らかに、馬車が動き出だした。
ユージンは正面に座る、自分が指名した少年に声をかける。
「なんか無理やり引っ張り出してごめんね、長沢くん」
「いえ、自分たちの身の上のことですから」
ユージンの謝罪に、長沢はいつもの柔らかい口調で返してくれた。昨晩ユージンが名を告げた時に、いちばん驚いていたのは本人だ。けれどユージンが彼を選んだのには、ちゃんと理由があった。
長沢はクロノ村での盗賊との交渉に立ち会っている。アクシデントにも動じなかった長沢の姿が、ユージンの記憶に強く残っていたのだ。その後もしっかりとユージンを相手に自分の主張を伝えてくれたし、盗賊のアジトでの活躍は言うまでもない。
だからこそ、ともすれば暴走しがちな面々に、浩介以外の常識人を加えて置きたかったのである。
「でも緊張しますね、貴族と食事なんておかしな響きですよ」
「みんなでもそうなのか」
「日本では、身分制度は100年以上前に撤廃されている」
紅の言葉は、ユージンには想像しにくいものだった。王国は、近隣諸国の中でも貴族の権力が大きい。実力主義の風潮がある帝国でさえも、貴族と平民の立場には大きな隔たりがあるだろう。
「へえ、それじゃあ本番でトチらないように、昨日の話のおさらいでもしておくか」
ユージンは一同に向けて提案してみた。面子が決まった後も、今日の食事会に向けて、聞きたいことや対策を話し合っておいたのだ。
ちなみにマツダだけキョトンとしているのは、早々に「明日は貴族が飯を奢ってくれるんだぞ。早く寝ないと」と言って、引き上げてしまったためである。
このボクちゃんは居ない方が話がスムーズに進むと思って見逃したが、その呑気な面を見ていると一抹の不安がよぎった。こいつひとりで暴走しないだろうか。
「まずは必要な情報を整理しておこう。交渉する上でいちばん大切なことは、まず自分たちの望みをはっきり知っておくことだ」
ユージンはマツダの顔を見据えて、言い含めるように言ってみた。盗賊との交渉で分かったことだが、勝負はテーブルに着く前からすでに始まっている。望みの目標地点を見失えば、人は容易く手段と目的が入れ替わってしまう。
「えっと、まずは本当に帰れるのか、だったよね」
冬子の言葉が、いちばん大切な目標である。ユージンはどうにかして、彼らを自分の世界に戻してやりたかった。村で家族のことを語った時の浩介の寂しげな横顔は、今もユージンの心に残っている。
「それについては、自分たちでも方法を調べてみないとな」
「それなら今度、図書館に行く。学院都市の図書館は、王国でも最大規模と聞いている」
紅の言葉に頷いて、浩介が続ける。
「それから、混沌の詳しい情報だな。本当に復活するのか、そしてどんな敵なのか」
「御伽噺の魔王を倒すなんて、雲をつかむような話だからね。まずは現実に引き摺り下ろす必要がある」
「そこがわかれば、具体的に何からすべきかも考えらますね。このまま学生生活を送れば、最悪卒業して、就職も考えなければいけません。そうなった時に、僕らは騎士になるのか、それとも特別枠として王家の支援を受けるのか」
「そうだな。実戦経験も必要になるし、戦闘向きでないギフトの持ち主もたくさんいる。その人たちの処遇も考えておかないと」
現状、力を磨くという理由で学院に通っているだけなのだ。混沌とやらを倒すための、具体的な行動は何も起こしていない。帰る方法がそれしかないのなら、無為に日々を過ごしているわけにもいかないだろう。
ではなにをすればいいのかというと、さっぱり分からない。だからこそ、今上がった事柄は押さえておきたい。ユージンは全員が、しっかりと昨日の話し合いを頭に入れていることに満足した。これなら、小手先の口車に誤魔化される心配もないだろう。
「俺は貴族ってどんな生活してるのかが気になるなあ。俺も爵位って貰えるかな?」
全員じゃなかった。マツダよ、おまえ本当に頭のいい学校に行ってたのか?
ユージンが湧き上がる不安を無理やり押さえつけている横で、長沢はしっかりとした声で昨日話し合われた案件を整理してくれた。
1.自分たちは混沌を倒せば本当に帰れるのか、他に何か方法はないのか
2.混沌とはどんな存在なのか。どういう脅威であり、復活するという話にはどれほどの信憑性があるのか
3.混沌を倒すというが、具体的にはこれから何をすれば良いのか
「以上の3点だけは、必ず情報を持ち帰りましょう。あとはその場の流れで、出来るだけ情報を引き出せればいのですが」
やはりこの中で、もっとも冷静なのは長沢のようだ。聞き上手な彼は、人の話をまとめるのも上手い。ユージンは自分の選択の正しさに満足して頷いた。
大まかな指針が定まった所で、馬車の速度が緩やかになるのを感じる。貴族の居住区に入って、スピードを落としたのだろう。近づいてきた戦いに備えて、ユージンは柔らかい背もたれから体を起こした。




