3、貴族からのお便り
ユージンが待ち合わせの場所である校門の前に辿り着いた時、まだ異世界人たちの姿はなかった。約束の時間までは、あと数分といったところだ。
代わりと言ってはなんだが、校門の前には豪奢な馬車が停まっている。それを周囲に生徒たちが集まって、物珍しげに眺めていた。
すげえ趣味である。人が乗り込む箱の部分は真っ赤に塗られていて、遠目でも存在感を主張している。おまけに本物の金であろう重厚な飾りが散りばめられた様は、いかにもおいら金持ちだぜと主張していた。
「そんな顔してこんなえげつないモンに乗り込むんだ」
ゴテゴテした装飾のせいで、さぞかし重たいだろう。この馬車を引く馬を気の毒に思って、ユージンはさらに観察を続ける。
学院に貴族の子息が多いといっても、これほど贅を凝らした作りの物はそうそう見かけない。車体に繋がれて居たのは、黒い体に白い立髪の巨馬である。普通の馬より2回りは大きい。あの蹄に引っ掛けられた、顔な形なんて綺麗に変わってしまうだろう。
「ユージン様、いつまでも阿呆のように眺めていないで、早くお乗りください」
荷馬車くらいしか乗ったことのない自分には、縁のない存在だ。そう思っていたのだが、頭の上から呼ばれたのは自分の名前だった。
御者の声は、意外にも年若い女性のものである。見上げれば、見知ったメイドが手綱を握っているではないか。その姿を確認すると、ユージンにも馬車の持ち主に合点がいった。バイロン家の迎えである。
「なんでも出来ますね、ルカさん。メイド服で黒い巨馬を操るとか、いいギャップです」
御者はバイロン侯爵のメイドで、ユージンたちの住む学生寮で身の回りの世話をしてくれている、ルカだった。非常に不本意ながら、どうやら自分はコレに乗り込まなければいけないらしい。
「お褒めいただき光栄です。ユージン様の暴れ馬も、ベットで乗りこなす自信がありますが」
「健全な青少年たちの集まる学舎の前で、ドぎつい下ネタはやめて下さいよ」
相変わらずの無表情で言うルカに、ユージンは慌てて言葉を返した。実際、冗談で済まないのがユージンなのだ。自分にまつわる噂話には、尾鰭どころかイワシの群れが丸ごとついて回っている。今度はどんなふうに悪評が立つか判ったものではない。
現に今も、「今度は美女メイドとか」という呟きが聞こえたかと思えば、植え込みの影からユージンに掌をかざす白い下着を被った集団も見える。彼らの口からは「くらえ、れんぞくしねしね波」という、この世の終わりのようなネーミングの怪電波の名が漏れている。
「俺がなんしたっちゅーねん」
周囲の目が気になって、ユージンは逃げるように馬車の中に乗り込んだ。
馬車の中は広い。外から見ても大きな馬車だったが、待ち合わせの人物が揃って居ないのも原因だろう。慣れないフカフカの椅子の座りが悪くて、なんとなく落ち着かない。というかこの空間に馴染みたくなかった。外を覗こうかと思ったら、馬車の前の方からルカが声をかけて来た。
「ユージン様は人気者ですね」
「本当に泣きそうになるんで、そういう皮肉はやめませんか」
「いえ、皮肉ではありません。なにやらエールを送られていたではありませんか」
「あれが応援に聞こえるなら、今すぐ耳を取り替えに行ってください」
なにが楽しいのか、ルカの声は弾んでいるように聞こえる。直接顔が見えないので、いつもより声に敏感になっているのかもしれない。
「いえいえ、今日の集まりも、ユージン様が人気者だからお呼びしているのです」
「今からでも辞退できませんかね」
「往生際が悪いですよ、昨晩あれだけ話し合われたでしょう」
「あれは話し合いではなく脅迫です」
「心外です。それではお詫びに、ユージン様に私からもエールを送りましょう」
そう言うと、なにやら御者の席からゴソゴソと衣擦れの音が聞こえる。
「……なにしてるんですか」
「ユージン様の座席に向けて、スカートをたくし上げております」
「今すぐやめい!」
「安心してください、貴方にしか見せてませんので」
そういう問題ではない。この冷徹なまでの美しさを持つメイドは、普段は完璧に異世界人たちの間を立ち回っている。家事はもちろんの事、学業に必要な物資の準備もおさおさ手抜かりない。まさに理想の頼れるメイド長である。
だと言うのに、何故ユージンの前でだけは皮肉製造機に変わり、おまけに無表情でツッコミ待ちの態勢を作るのであろうか。
「阿呆はどっちですか!まさか本当にやってないですよね」
「れんぞくキュン死に波です」
「あんな奇怪な集団のボケを被せんでいいわ!」
「キュンと高い音が鳴る得物で死なせます」
「俺にも見えてないし、それは結局殺しに来てるので、ぜんぜん嬉しくない」
「頑張ったのに」
「わかりましたよ、行きますよ」
ユージンは深々と諦めのため息をつきながら、両手を降参の形に上げて昨晩のやりとりを思い返した。
☆
その日、寮に戻ったユージンを待ち構えていたように、ルカは食堂で静かに佇んでいた。携えていたのはバイロン侯爵からの伝言である。
パラパラと異世界人たちが集まってくると、ルカは全員の前に一枚の封筒を見せた。
「旦那様の準備が整ったそうです。皆様をお食事に招待したいと」
隣で浩介が息を呑むのが分かった。それは彼らにとって、今後を左右する大切な招待状なのだ。
「だたし、バイロン様はお忙しい身です。そこでアナタ方の中から代表者を選出して頂きます」
「それは数人しか話せないということですか」
「全員からの質問に答えていては、時がかかり過ぎますから。そうですね、多くとも5、6人といったところでしょうか」
ルカの言葉は理解できる。大人数が各々質問するよりも、聞きたいことを代表者がまとめて質問する方が効率的でもある。
集まった異世界人たちは、互いに目配せをしながら周囲を伺う。重責ある役だ。しっかりと情報を集めるだけでなく、混沌と戦うとしても少しでも有利な条件を引き出しておきたい。
軽い気持ちで立候補できるような空気ではなかった。梓など、ユージンと目が合った瞬間に光速で顔を逸らしている。口下手な彼女にとっては、いかにも苦手そうな役割だ。
そして、大切な交渉役を決める話し合いが始まった。
口火を切ったのは、もちろん我らがリーダーである。
「じゃあ残り5人か、木村と佐藤は来るだろ。あとは……冬子と紅も来いよ。最後の1人はそうだな、まあ川口でいっか」
しれっと自分を勘定に入れているところが、さすが勇者様である。その他のメンバーの判断基準は分からないが、ユージンはあえて口を噤んだ。代表者を選出する会話に、口を出す気はない。
「ちょっと待ってよ、松田くん。どうしてそのメンバーなのよ」
冬子が理由を尋ねたのは、当たり前の反応だろう。しかしそのあとが悪かった。
「ユージンくんも一緒じゃないと」
思わぬ流れ弾である。露骨に嫌そうな顔をするマツダに向けて、ユージンは慌ててアピールした。なして自分がマツダの機嫌を取らねばならんのじゃ、という悲しい疑問を無視して、必死に冬子を宥める。
「みんなの指針となる大事な話だろ。俺は遠慮しておくよ」
異世界人たちの未来に関わる話し合いに、部外者が口を挟むのは良くないのである。しかし返ってきたのは、冬子と紅の非難するような白い目だった。
「ねえ、ユージンくん。このままいけば、自分は行かなくて済むとか思ってないかしら?」
「偉い人の前に立つと、胃が痛くなるとか考えている」
「そ、そんな利己的な理由のわけないだろ、ははっ」
黒い腹で白い目を向ける冬子も怖いが、正確にユージンの腹を読む紅も怖い。
だって嫌じゃないだろうか。自分にはあまり関係のない会議に呼ばれた時の疎外感。そのくせ急に話を振られた時の恐怖。
そもそも混沌とか昔話のギフトとか、明らかにユージンのキャパを超えた話し合いである。絶対行きたくない。もしも自分の発言で会談の流れが変わったらと思うと、今からお腹が痛くなるってなモンである。
しかしルカの言葉は、あっさりとユージンの願いを打ち砕いた。
「いえ、決まっていないメンバーは4人でございます。ユージン様は必ずお連れするよう、バイロン様からきつく言いつけられておりますので」
「へ、何で名指し?」
思わず間抜けな声が漏れた。冬子が呆れたようにため息を吐く。
「当たり前でしょ、ユージンくんが約束したんだから」
そこに口を挟んだのは、またしてもマツダだった。ありありと不満を浮かべながら、ユージンを指差す。
「ちょっと待てよ。限られた貴重な枠をコイツに使うなんて、もったいないだろ」
先ほどまで、「最後の1人は、まあいっか」と言っていたとは思えない憤り方である。
でもいいぞ勇者よ、そのまま哀れな農民を救いたまえ。ユージンは珍しく、自分に都合のいい発言をするマツダに全力で乗っかることにした。
「そうだよ、約束したと言っても、俺は間を取り持っただけだ。他に行きたい人がいるんだからさ」
「当たり前だ、これは俺たちの問題なんだから、部外者はでしゃばらないでくれよ」
怒れるマツダはいい兆候である。自分たちの未来を決めるのだから、その舵を部外者に取らせたくはないのだ。席が埋まっている以上、波風を立てる必要は微塵もない。
そう思っていたのだが、希望は思わぬ所から崩れ去った。
「俺はパス。松田がいれば大丈夫っしょ」
ご自慢のロン毛ををいじりながら、サトウが言った。その顔には話し合いの行く末に、微塵の興味も浮かんでいない。
「そ、そうだな。重要な話はやっぱり、勇者である松田が決めないと!」
そう言った木村の突き出た腹には、パスタソースの染みがついている。話をそっちのけで、飯を食い続けていた証左である。
前から思っていたけれど、このふたり、重要な場面ではあっさりマツダから離れるよな。結構酷くないか。ユージンは一縷の望みをかけて、マツダに期待の眼差しを向けた。さあ、他の候補者を選ぶがいい。
マツダは周囲を見回すと、「みんなを導く勇者か」と、頬を赤らめて拳を握った。
「そうだな、勇者の俺がいれば、足手まといがいても大丈夫か。貴族の相手はクロフォードで慣れてるしな」
マツダさんや。
なんであっさり引いてんだ。いつもの無駄な粘着質はどうしたんだ。
「たとえ指名されてなくても、ユージンには居て欲しいな」
おまけに浩介が裏切った!!
とどめは耳元で呟かれたルカの一言だった。
「残酷な方ですね。学院に通い始めたとはいえ、未だ異世界の常識を知らぬ彼らだけで行かせるとは。竜の巣に赤子を投げ込むようなものだと思いますが」
そんな事を言われたら何も言い返せない。バイロン侯爵が異世界人に好意的とは限らず、何かに利用する事を企んでる可能性だってあるのだ。しかしそれを、バイロンに仕えてるルカが言っていいのだろうか。
「だー、分かったよ行くよ!でも一つ条件がある」
ユージンは投げやりな叫び声を上げるしかなかった。
「最初からユージンは行くことになるに決まってる。駄々をこねるのは時間の無駄」
「……紅さんや、俺が悪い感じなのかしら、これ」
めげそうになりながらも、ユージンは譲れない条件を足した。
「2人辞退したんだから、もう1人行けるんだろ。その人を俺に指名させてほしい」
ユージンが候補者の名前を告げると、周囲にどよめきが生まれる。
「なんでそいつなんだよ」
「交渉役には向いてるからさ」
首を傾げるマツダに向かって、ユージンは微笑んだ。