23、戦闘学のお時間です
とんでもない教師の挨拶から始まった授業は、あれよあれと言う間に訓練場へと舞台を移していた。
広々とした土のグラウンドの隅には、焦げや痛みの目立つかかしが並んでいる。旧校舎に隣接する、戦闘学の授業で使うための施設だ。
学院の戦闘学の授業には大きく分けて2つの種類がある。
ひとつは剣術指南。これは学院を卒業後、騎士団に入るなら必須とされる技能だからだ。
学院は王立である。つまり王国がお金を出して設立した学校だ。当然優秀な人材は騎士団へと引き抜かれていく。戦闘科を中心に就職を考えている者は、騎士団に入団するエリートと冒険者や民間の傭兵になるそれ以外とに別れる。スカウトされても断る変わり者もいるが、大抵はそのまま花形である騎士団に入団する。
騎士に必須の技能とされるのは剣術の腕前だ。地位が上がったり、よほど優れたものならば自分の得意な武器、弓や槍で戦う物もいる。それでも、正式な場に持ち込むことの多い剣の技量は、ある程度必要になってくる。だから学院では、剣術の基礎はどのクラスであろうと一通り学ぶ決まりになっていた。
もう1つが応用学。こっちは簡単に言ってしまえば、ギフトを使ったより実践的な模擬戦闘だ。
当然使う得物も自由。自らの持ち得るギフトを最大限に活かせる武器を使って、実際の戦闘でいかに生き残るかを学ぶ授業。こちらの方がより、本当の実力差が浮き彫りになると言えるだろう。
キャシーから事情を聞いた先生は、止めるどころか顔を輝かせて賛同した。曰く
「何だ、馬鹿どものしばき合いか。面白いから許す。ただし死人が出たらあたしの責任になるから、殺した方もあたしがぶっ殺して山に埋めるぞ?」
というなんとも有難いお言葉を頂いた。この人、教育者に根本から向いてねえ。
楽しげに竹刀で床を叩いているのは、イリア先生。22歳独身。学院の戦闘学担当の教師で、Nクラスにも授業を見にきてくれる数少ない先生だそうだ。王国では珍しい黒髪で、背も高く出るところは出ている体型。顔立ちは悪くないのだが、いかんせん身だしなみに疎いらしく、ぼさぼさの髪にだらしのないジャージ姿である。
独身なのがよく分かる、とか思っていたら、竹刀がユージンの頭をかすめて訓練場の地面に突き刺さった。当たってたら死んでたと思うんですが。
キャシー曰く、こんなんでも凄い人らしい。イリア先生も学院出身で、その年の実技学をトップの成績で卒業。すぐに騎士団にスカウトされたのだとか。だが入団初日に受けたセクハラにキレて、隊長をボコボコにして首になったとか。
卒業したばかりの新人が、戦場を何度も経験した歴戦の騎士を袋叩きにするというのも驚きだが、それ以上に好交戦的すぎだろこの人。絶対生まれる時代と場所間違えてるよ。
ユージンは心の中の地雷リストにそっと、イリアの名を記した。平和に生きるにはあまりお近づきになりたくない。
授業に入る前に、イリア先生はいくつかのルールを提示した。
「勝負は応用学の授業の試合形式で行う。どっちかが泣き入れるか、気絶したらそいつの負け。ギフトも武器も何でもありのガチ喧嘩だ」
ギフトありなら、ユージンにとってはなおさら勝ち目は薄くなる。ガルベスが薄く笑うのが視界の端に映った。
「禁止事項はそうだな、さっき言ったように殺しはNGだ。あとは制限時間。まだるっこしいのは嫌いだ、授業時間内に終わらせろ」
イリア先生はユージンとガルベスを交互に見た。
「えーっと、そっちの元Cクラスの馬鹿が勝ったら編入生は卒業するまでパシリ。農民の馬鹿が勝ったら、テメェらは一切下らねえちょっかいはかけない、でいいんだよな?勝負の後で約束を反故にするようなら、この立会人である私の顔に泥塗るのと一緒だ。その場合もぶっ殺す」
先生公認のパシリは問題じゃないのだろうか。いつの間にかずいぶん大袈裟なものがかかってしまって、ユージンは胃の中が摘まれたように痛くなる。
「以上!後は応用学の時間になったら始まるからしっかり準備しとけ」
その言葉を潮に、生徒たちはグラウンドに散っていき、重い思いの場所で体を動かし始めた。
剣術の授業の後に続いて、すぐに応用学の授業が始まる。この短い時間の中で、ウォーミングアップと勝負に勝つ方法を考えておかなければいけない。
ユージンは刃引きされた剣を手に取ってみた。2、3度振ってみたが普段使い慣れた刀と違う重さに違和感しかない。
ガルベスの方は慣れた手つきで素振りをしていた。乱暴な性格とは裏腹に、しっかりと基礎のある剣筋である。仲間と談笑する余裕もあるようで、大きな笑い声がここまで聞こえてくる。
「あのー、俺は普通に授業として剣を教わりたいんですけど」
他人のことを気にしている場合でもないので、ユージンはヒントを求めてイリア先生に聞いてみた。
「あ?そんなもんあれだ、クッと持つだろ。んでこうビュンって振るわけだ。すると敵は吹っ飛ぶ、以上だ!」
根本的に間違っている上に、教える技術も最悪だった。よく教師になれたなこの脳筋。ユージンはイリア先生に教わることを早々に諦めた。本物の天才に、この手のタイプは案外多い。感覚で突き詰めてしまえるから他人に伝えることができない。同じくらい才能のある人ならば、今の擬音でもなにか掴めるのだろうか。
仕方なく慣れない剣で素振りをしてみるが、ガルベスたちの嘲笑で集中できない。
「おいおい何だよあの姿勢は、ど素人じゃねえか」
「握り方すら知らねえのか農民!さっさと畑に帰ってクワに持ち替えな」
誰よりも畑に帰りたいのはユージンである。
「うっさいな、俺だってさっさっと愛しのリンゴと戯れる日々に戻りたいわ」
そんなことを呟きながら、剣にいいように振り回されているユージンを見て、クエロも心配そうに声を掛けてくる。ギフトのないユージンは、その時点でハンデがあるようなものだ。勝つためには、剣の技量で圧倒するしかない。その腕前がこの有様なのだから、クエロの心配も当然だろう。
「ね、ねえ、やっぱりやめようよ。ボクは平気だからさ、今からでも馬鹿な約束やめよう」
「いやまあ俺だって辞めたいけどね、でもやるだけやってみるさ」
ここで引けばガルベスはさらに増長し、嫌がらせはエスカレートするだろう。だったら教師という証人のいる場所でハッキリさせておきたい。
「大丈夫よお、ユージンちゃんならあんな馬鹿、あっという間にやっつけてくれるわよね」
「キャシーちゃんが煽ったんだよね。根拠が皆無なんですけど」
「でも負けないでしょ」
「ウィンクされても全然勇気が湧かないってば」
ユージンは力無くキャシーに笑い返した。時間の経過とともにクエロの不安げな表情がどんどん暗くなっていく。ろくな対策も出来ぬまま、あっという間に終業の鐘が鳴り響いた。
それでも休み時間に運び込まれた物を目にして、ようやく希望が湧いてくる。
並んだ得物の中から、ユージンは慣れし親しんだ相棒を掴み取った。掌に吸い付くような感触と、心地のいい冷たさが伝わってくる。
授業の始まりを告げる鐘が鳴る。決戦の時間が近づいてきた。