21、常識人は必ずしも多数派とは限らない
「しまった、遅刻だ!」
クエロとの和解ができた喜びに浸っていたユージンを現実に引き戻したのは、皮肉にもその感傷を増幅していた鐘の音だった。
「どうせ急いだって自習だよ」
慌てて教室へ戻ろうとしたユージンと並んで、クエロはのんびりと歩き出す。今度はピッタリと隣に寄り添っているので話もしやすい。
「でもキミは普通が好きなんだろ。ボクは普通じゃないし、獣人は嫌うのがこの学院じゃ普通だよ」
「なんだそんな事か」
ユージンは歩調を合わせながら、クエロの疑問に答えた。
「俺にとって普通ってのはいちばん人数の多い意見じゃない」
どうも誤解されているようだが、ユージンにとって多数派に所属する事はそれほど重要ではない。そりゃあ小心者だから、その方が安心はするのだが。
「みんなが思う事が普通なんじゃないの?」
分からないという顔をするクエロに向かって、ユージンは自分の思う素晴らしき普通を宣言する。
「普通ってのは、当たり前のことを当たり前にできることさ」
数の多さじゃなくて、それが大切なんだ。困ってる人がいれば助ける、間違っている事はしない。そんな当たり前の事が当たり前にできる日々。
「みんなやってるから普通なんて思って、考えることを放棄するからいろんな悲劇が生まれるんだ。昔、西の国であった魔女狩りとかもそうだ。みんながそれを当たり前だと思って罪のない人を火炙りにしたけど、普通に考えれば止められたはずなんだよ」
普通は容易く曲げられる。そこに悪意が混ざれば尚更だ。だからこそユージンは、自分の普通を譲らないし全力で守る。
クエロは目をパチパチさせて笑った。
「何だよそれ、キミがいちばん普通じゃないし」
「失礼な、キングオブ普通だよ俺は」
キャシーにも似たようなことを言われたが、ユージンは全力で否定する。日々の人間関係だって円滑にしようと努力してるのだ。
普通じゃない奴が多すぎるから、ユージンのような一般人が浮いてしまうだけである。
常識人なので、買い物に付き合ってくれた相手への返礼だって用意している。ユージンは購入した荷物の中を漁って、目当ての物を取り出した。
「最後に行った店で見てたろ」
クエロに差し出したのはヘアバンドである。帽子も良く似合うが、せっかくの綺麗な髪を隠すのはもったいないと思っていたのだ。
「耳が隠せなくなっちゃうから、気になるなら学院では使わなくていいけどさ。クエロの白い髪、綺麗で好きなんだよ」
言わせたい奴には言わせとけばいい、そんな奴らこっちから願い下げだ。クエロの良さを隠す必要はない。
クエロは全力で否定しようと眉間に皺を寄せているが、口はニヤつきを抑えられないという、複雑な顔をしている。
「ぼ、ボクが見てたのはその隣のやつだし!で、でもせっかくだから貰ってはあげる」
どうやらお気に召しようでホッとする。身につける物を贈るのは難しいのだ。センス以前に気持ち悪いと思われてしまっては身もふたもないし、そうでなくとも気をつかわせてしまう。ユージンからすれば結構な冒険だった。
クエロは軽い足取りでユージンの前に躍り出ると、くるりと振り返る。
「仕方ないからボクもなにか買ってあげるよ、入学祝い」
「えっ、いいよ別に」
「貰いっぱなしじゃ気持ち悪いし、その、友達なんだから」
そんな事を話しながら、ユージンたちは庭園を後にした。
☆
Nクラス棟へ戻る途中。すでにユージンとクエロに急ぐつもりはさらさらなくなっている。帰り道に通りがかる店を覗きながらクエロが言う。
「なにか欲しい物はないの?」
「あんまり物欲ってないんだよなあ」
自宅ならまだしも、今は寮に仮住まいである。服や装飾品には疎いし、あまり大きな物でも置き場所に困る。おまけに隙あらば村に帰ろうと思っているユージンだから、できるだけ物を増やしたくない。
「なんでもいいがいちばん困るのに」
そう言いながらも、クエロはどこか嬉しそうに露天商の広げている品を見回している。釣られてユージンも立ち並ぶ店を見回していると、怪しげな露店のおじさんの店で、とうとう欲しいものを見つけた。
クエロにそれを伝えると、彼女は引きつった顔で確認してくる。
「ほ、本当にこれでいいの?」
「いい!むしろこれ以外ない!」
ユージンは新しくできた友人、クエロからのプレゼントを胸に抱いて、足取りも軽く教室に向かった。