19、前途多難なお買い物
店から出たユージンは、クエロと学院都市の商業区を訪れていた。
「右」
「お、おう」
「真っ直ぐ行って左」
「はい」
(俺はリモコンのオモチャじゃないんだが)
ふたりの間には、連れ立って歩いているというには微妙な空間がある。クエロはユージンの半歩後ろを歩きながら、分かれ道の度に進む方向を指示しているのだ。
クエロの発する声は、賑わう客引きの呼び込みにかき消されてしまいそうである。
商業区には様々な店が並ぶ。学生のよく使う本屋や文具店から、流行をきちんと抑えたブティック。自炊をする者向けに食料品だって充実している。異国の珍しい香辛料まで揃うのだ。様々な店が内包された複合型の売り場の建物もあれば、怪しげな露店の密集した場所もある。
ユージンとクエロは人波みに飲まれそうになりながら、ようやく目的の教科書を買える本屋にたどり着いた。
「すいません、教科書を揃えたいんですけど」
「おっ、噂の転入生。異世界人様かい。いやー、うちの店に来てくれるなんて嬉しいよ。Sクラス用の教材なら全部置いてあるから任せな」
店主は満面の笑みで埃を払うはたきの手を止めた。どうやら学校関係者以外にも、異世界からの転入生の噂は広まっているらしい。けれどそんな高度な教科書はユージンには必要ない。
「いえ、俺はそのー、Nクラスで使う物だけで良いんですけど……」
言うや否や、店員の態度が露骨に変わった。舌打ち混じりに乱暴に本を積み上げる。
「何だ、勇者の足を散々引っ張った農民の方か。なんで俺が下手に出なきゃなんないんだ。さっさと金置いて出ていけ」
酷いものである。落ち込んでいると、後ろからシャツの裾を引っ張る感触が伝わってきた。
「気にしないでいいよ、アイツらボクにも似たような反応だし」
ユージンはクエロの方に向き直って微笑んだ。道案内以外で初めて話しかけてくれたのだ。ぶっきらぼうな言い方だけど、その声音には不器用な優しさが滲んでいる。
「そりゃけしからんな。そんな時は俺に言えよ、悪質クレーマーになってやる」
「なにそれ、だったら今怒りなよ」
下らない軽口に、少しだけクエロの表情が柔らいだ。ユージンは店主にも笑顔で礼を言って店を出た。
その後も何軒か必要な物を買い込むが、どこも似たような反応である。
中にはユージンの正体を知った途端、店から追い出す人までいたのだ。勇者さまの邪魔をする奴は国民の敵だそうだ。まあマツダの邪魔をしたのは間違いではない。どちらが世界を平和にしたかは、神のみぞ知るのである。
ユージンは悲しいことに、この手の反応に慣れてきてしまった。その都度、クエロは悲しそうな顔をしてついてくる。
一通り必要なものを買い終わって、ユージンは王都の流行店が立ち並ぶ店の前を通りかかった。
「オモチャ屋まであるのか。ちょっと楽しいな」
物珍しさも手伝って、ついついキョロキョロしてしまう。クエロも普段はあまり人の多い店には入らないらしく、綺麗なブティックやアクセサリーが置いてある店をチラチラと見ていた。やはり女の子ということだろう。
ユージンは小洒落た雑貨屋で、何に使うかも分からない変な形の小さな塊を見つめているクエロに声をかけた。円盤型で真ん中に金属のボタンみたいな物がついてる。
「なあクエロ、なんだコレ?」
「消しゴム」
「へえ、変わった形だな」
消しゴムひとつ取ってもオシャレだ。ユージンは何気なく消しゴムをつまみあげて値札を見た。
「げっ、これで1万4千ガロン!?都会の人の感覚は分からん」
普通の消しゴムなら100ガロンでも買える。恐れ多いものを触ってしまったと、ユージンは慎重に消しゴムを棚に戻す。
その腕が、屈強な警備員にがっしりと捕まれた。
「おいNクラス、今万引きしようとしていただろう!」
「えっ、いやいや見てただけなんだけど」
「嘘をつくな、Nクラスの支給金で買えるわけがないだろう」
とんだ言いがかりである。そりゃあ買う気があるかないかで言えば、こんな馬鹿高い消しゴムいらない。けれど見ていただけでこの物言いは酷い扱いだ。
警備員は胡乱げな目をクエロに移すと声を張り上げる。
「よく見ればそっちはNクラスの獣人か。ふん、クズ同士でつるんで万引きとはな」
単純に腹が立った。ユージンは消しゴムを手にしていたのでまだしも、クエロは店の商品に触れてもいない。言い返そうと息を吸う。しかし意外にも、先に動いたのはクエロだった。
「ボクらはそんなことしない。ポケットやカバンに入れたならまだしも、店の中で見てただけじゃないか。オマエは買い物をする時に品物を手に取らないの?」
「う、うるさい。買えもしない貧乏人が手に取った時点で盗む気に決まってる!お前もそうだ、獣人が人間様の道具なんか使えもしないのに来るな」
「獣人だからなんだよ、そんなの今は関係ないだろ!」
クエロがだんだん前のめりになって興奮してくる。そりゃあ怒るだろう、とんでもない暴論なのだ。
「とにかく来い!」
「やだ、放せ!」
けれどここで暴れても、こちらが悪者にされるということは目に見えていた。興奮しているのは警備員も同じで、水掛け論にしかならない。
ユージンは再び消しゴムを手にすると、騒ぎを聞きつけてすっ飛んできた店員に手渡した。
「これおくれ。いやー欲しかったんだよね最高級消しゴム。ハッハッハ。……俺のヘソクリが」
クエロも警備員も、驚いたやら拍子抜けしたやらで妙な顔になっている。
警備員のとんでも理論で言えば、高級な商品は買えもしないものだから、盗む気だったに決まってるって話だ。買ってしまえば文句も言えまい。
「商品を手にとってみて気に入って買う。何の問題もないよな?」
本当は村のみんなにお土産買うためのヘソクリだったけれど仕方がない。さすがにこんなアホみたいな金額の消しゴムでは、王国も経費で落としてくれないだろう。
(……土産代は村長のを減らして、ユフィの分は残しておこう。酷いかな)
それでも警備員は態度を変えず、野良犬を追い払うように手を振った。
「ぐっ、さっさと帰れ。次は必ず尻尾を掴んでやるからな」
悔しげに呻いて去っていく警備員を見送って、ユージンはクエロに向き合う。
「クエロ、ありがとな。俺のために怒ってくれて」
クエロはくるりと後ろを向いて、帽子を両手で押さえる。
「別に君のためじゃないし。馬鹿じゃないの、そんな消しゴム買うなんて」
その声はうわずっていて、帽子で覆われて表情は見えないが、それでもユージンには分かっていた。クエロは怒っているのではなく、照れているのだろうということが。
それからしばらくふたりで歩いて、一通り必要な物は揃った。もうすぐ午後の授業の始まる刻限も近づいている。
「もう良いよね、さっさと帰ろう。やっぱりボクはここの奴ら嫌いだ」
「んー、だな。でも最後にあそこの高台に案内してくれよ!キャシーちゃんが別れ際に是非寄るべきだった教えてくれたんだ」
ユージンはマスターの店を出る前にキャシーに耳打ちされた場所を指差して言った。なぜかクエロの白い頬がピンク色に染まる。
「えっ、あそこって……や、やだよ。何でボクが君なんかと!」
「誰と行くとか関係あるのか?有名な観光スポットなんだろう」
帽子の庇を下げながら、クエロは微かな声で呟く。
「ううっ、……分かった。これが最後だからね」