18、お昼ご飯の時間です
キャシーの行きつけの店は奥まった路地裏にあった。人で賑わう大通りから、細い道を幾度も曲がった場所である。
薄暗い路地裏にひっそりと構えられた店には、看板すら出ていない。一見さんの入店をその佇まいだけで拒否しているようで、ユージンはドキドキしながら店に足を踏み入れた。
しかし店内に入ると、その様相は一変する。清潔でセンスを感じるアンティーク調に揃えられた内装に、優しいオレンジ色の照明が絶妙の加減で客を出迎える。
「素敵なお店」
クエロが思わず呟いた。ユージンも同感だ。
「オシャレな所だな。でもそれでいて、俺みたいな田舎者にも懐かしさを感じさせてくれる」
「でしょ?静かで落ち着けるから好きなのよねここ。唯一の欠点はマスターに愛想が無いことかしら」
冗談めかして言うキャシーの言葉に、カウンターの奥からいかにもこの店にピッタリな男が顔を出した。
オレンジがかった長髪を後ろでまとめ、顎には髭を生やしている。マスターといっても想像よりずいぶん若い。丸いサングラスが、彼の瞳と感情を隠していた。
「よおキャシー、いつものでいいのか?」
「馬鹿ね、昼間っから学生だけで飲むわけないでしょ。今日はこの子たちとランチよ」
キャシーちゃんも学生じゃん、と思わなくもなかったが、ユージンはその言葉を飲み込んだ。マスターとキャシーが並ぶと、いかにもウィスキーの似あうアダルトな雰囲気が漂っていたからだ。
「珍しいな、お前がここを人に教えるなんて。まあいい、適当に座ってろ」
ユージンとクエロの姿をチラリと見ると、マスターは注文も取らずにカウンターの奥に姿を消した。ユージンはそのタイミングで、気になっていたことをキャシーに聞いてみることにする。
「なあキャシーちゃん、答えにくかったら良いんだけどさ。あのクロフォードとかいう生徒会長とは知り合いなのか?」
「まあそうね。元クラスメイトだし」
「えっ!?ってことはキャシーちゃん留年してんのか。……キャシーちゃんも敬語の方がいい?」
「やめてよね。あたし可愛い男の子には寛容なの」
おどけて言うキャシーだったが、ユージンはこの話題に深く突っ込むことをやめた。茶化すということは、これ以上話したい話題でもないのだろう。もっと親しくなった時に、話したければキャシーの方から話してくれればいい。今度はクエロに尋ねる。
「そっか、クエロは知ってたのか?」
「知ってる。というか知らない人なんていないんじゃない。それより君こそ、あの異世界人と随分親しそうじゃないか」
今度は逆にクエロから尋ねられる。
「ああ、まあ仲のいいやつばかりじゃないけどな。アイツらうちの畑に現れたんで、なんとなく仲良くなったんだよ」
「……ふーん。まあボクには関係ないけどさ」
関係ないと言いながらも、クエロは不機嫌そうに水の入ったコップを咥えた。全然打ち解けてくれないのが辛いところである。
「それよりユージンちゃんったら、カッコいいじゃない。あのクロフォード相手に堂々とした態度なんて」
「勘弁してよ。何にも知らなかっただけさ」
「そんなことないわよ。あたしのこと庇ってくれてキュンとしちゃったわ、ねえクエロ」
「別に。ボクはそんなことぜんっぜん思わなかったよ」
本当に勘弁して欲しい。ただでさえユージンのことを好きではないクエロからの視線が痛い。ユージンは話題を変えて、この際なので気になっていたことをふたりに聞いてみることにした。
「そういえばさ、Nクラスってもうちょっと人数居ると思ってたんだけど案外少ないんだな」
気になっていた最初はこれである。校舎を丸ごと与えられているにしては、生徒の数が少ない。
「あら、ちゃんと居たわよ?」
「居たってどこに」
「教室の穴の奥」
クエロはさも当然のように答える。不足しがちな情報はキャシーが教えてくれる。
「壁が壊されていたでしょう、その奥に教室2つ分の空間があるのよ。他にも色々改造されてるから、あのワンフロアにも何人か居るわね」
「なんだそりゃ、やっぱりフリーダムだなNクラス。まあ先生が来ないんだから、怒られることもないのか。放置している学院側も悪いし」
「授業を受ける気があるだけ教室内にいた子はマシな方ね。校舎の中にはまだまだ生徒が隠れてるわ」
「な、成る程。まあ、機会があれば仲良くなれるように頑張るわ」
全然なれる気はしなかったが、一応言ってみた。
「やめた方がいいよ。ボクよりコミュニケーション力のない奴ばっかりだから。授業そっちのけでギフトを応用した発明品に夢中になってる変態とか」
クエロより……だと。
「そうね、特にいちばん奥の部屋は入らない方がいいわね」
「どうして?」
「ガルベスちゃんなんかよりよっぽど怖いのが居て、本当に殺されちゃうから。多分学院最古参ね。50年以上いるって聞いたことあるもの」
噂のおじさん一年生はやっぱりNクラスに居た。いや、むしろ爺さんである。やはり無理だ。一生お近付きになりたくない。こちらから近づかない限り関わることはないだろうと結論づけて、ユージンは次の質問に移ることにした。
「ガルベスで思い出したわ、アイツなんであんな感じなんだ。自分もNクラスのくせに馬鹿にしてくるよな」
これも気になっていたことである。何度もNクラスを馬鹿にする発言をしていたが、どう考えてもブーメランだ。するとクエロが八重歯を剥き出して唸るように言った。
「ボクはアイツ嫌いだ」
「そらまあね。俺だって好きじゃないわあんな奴」
「あの子たちは本来Cクラスの所属なの。問題を起こして、一時的に懲罰の意味合いを込めてうちのクラスに落とされてるだけで、すぐに戻れると思っているからNクラスが嫌で仕方ないのよ。Cクラスはプライドだけ高いのが多いから嫌になっちゃうのよね」
「ふーん、一時的にね。しかし懲罰で入れられるって、Nクラスは監獄かよ」
Cクラスといえば上から4番目、決して平凡では無い。なにせ人数もクラス数も多いのである。自分が馬鹿にしていたクラスに入れば苛立つだろうし、落ちこぼれが相手だと余計に横柄な態度になるわけだ。
「クラスは変わる事もあるのか」
ユージンは学院においてのクラスの差を、短い間で痛感していた。Sクラスというだけで羨望の眼差しを送る生徒をたくさん見かけたし、逆にNクラスはそれだけで嫌われる。だからクラス分けはなんとなく絶対のものだと思っていた。
「クラス戦があるんだ」
「クラス戦って?」
「学院ではクラスによって待遇が違うのは言ったわよね。一年に一回、希望する生徒が参加できる大きな試験があるのよ。そこでいい成績を出せば上のクラスに入れ替えてもらえるってわけ。あとは何か表彰モノの活躍をして生徒会に認められるとかかしらね」
考えてみれば当たり前だが、入試の成績だけで永遠にクラス替えがないのは不公平だ。成長すれば上のクラスに上がれる可能性があるならば、生徒も勉学へのモチベーションを保ちやすいだろう。
「でも全クラス一緒に参加するし、ギフトも武器も使っていいから、あんまり上のクラスに行ける人は居ないけどね。ボクは獣人だから参加したってNクラスから上がれないだろうし」
それはギフトを持たないユージンだって同じである。
「出るなら気を付けるのね。死人こそ出さないようにはしてるけど、毎年骨折は当たり前。半死人が大量に出るから」
学歴社会の闇を感じる発言である。ユージンは全力で首を横に振った。
「いやいや、絶対出ないよ。教科書すらまだ揃えてないんだ、授業をまじめに受ける方が先だな」
「ユージンちゃんならいい線いくと思うけどね。それじゃあ学院の敷地内も案内しましょうか。凄いわよー、大抵のものはここで揃うから。食事が終わったら買い物に行きましょう」
キャシーの申し出はありがたかった。自習と言われても教材がなければそれすら出来ない。幸い勉強に必要なものは申請すれば王国の方で費用を負担してくれるらしいから、早急に買い揃える必要があった。
ちなみに異世界人たちの教材はちゃんと事前に用意されてた。しかしオマケの農民が先生に教材のことを尋ねると、「あっ、忘れてた」と言われてしまったのである。そんなところでも格差を感じる。
「色々ありがとな、ふたりとも」
そんな話をしていると、マスターが料理を皿にのせて運んでくる。ふわふわの卵に包まれたオムライスが甘い湯気を立てていた。実に美味しそうである。
デミグラスソースのかかった黄金のベールにスプーンを差し込むと、チーズが入った卵がトロリと割れた。一口食べただけで、ユージンの口から思わず感嘆の声が飛び出す。
「おお!」
「おいしい!」
クエロも出来立てのオムライスが熱かったのか、ホクホクと幸せそうに食べている。不機嫌な眉間の皺がとれたその顔は、いつもの印象よりずいぶん幼く見えた。
「悪いキャシー、ちょっと頼まれてくれないか」
上品な手つきで食事を口に運んでいたキャシーに、マスターがなにか耳打ちする。
キャシーは一度頷くと、マスターと連れ立ってカウンターの奥でなにやら相談を始めた。
取り残されたユージンとクエロの間に気まずい沈黙が流れる。オムライスの美味さに救われなければ、居た堪れない空気になっていただろう。
カウンターから戻ってきたキャシーは両手を合わせて頭を下げた。
「ごめんなさい、ちょっとこの後用事ができちゃった。悪いんだけどユージンちゃんの案内頼むわねクエロ」
「なっ、なんでボクが!」
当然だが、クエロは力一杯反発する。話上手のキャシーが間に入っていたから、初対面の三人でも気にならなかったのだ。席を立とうとするクエロに、キャシーがなにか囁いた。
「だって仕方ないじゃない。それに……恋のライバルの出現で焦ったんじゃないの?」
「そっ、そんなわけないだろ!?」
なにを話したのだろうか、クエロは顔を真っ赤にして怒っている。ユージンは食後のコーヒーを楽しみながら、クエロに向かって頭を下げた。コーヒーは香り高く、今まで飲んだ中でもっとも美味しかった。
「頼むよクエロ。正直こう広くっちゃNクラス棟に戻れるかすら自信がない」
ユージンがそう言うと、クエロは顔を真っ赤にしたまま再び眉間に皺を寄せた。そんなに怒られるとヘコむユージンである。
「……仕方ない。しょうがなくだからね」
ユージンとクエロは綺麗に平らげた皿を残して、学園都市にふたりで繰り出すのだった。