15. たまには勇者だって常識を語る
「あっ、農民!俺はお前に会ったら絶対に言おうと思っていたことがあるんだ」
そんな発言の主はもちろん勇者マツダである。その叫びで人混みが割れて、その間をズカズカと進んでくる。
「なんぞやマツダ」
久しぶりに見る天敵の姿だ。どうせまた下らないことで突っかかる気だろう。
それでもユージンは慈母のような心で聞き返すことが出来た。
思えば学院のNクラスに配属されて、唯一良かったことといえばマツダと離れられたことだけかもしれない。
口を開けばユージンへの悪意か謎の屁理屈で、トラブルの種しか生み出さないマツダである。その存在は目下、ユージンのストレスの最大の原因だった。
だが今は違う。
小さなクロノ村であれば、マツダがなにかやらかすたびに呼び出されることになった。
しかしなんといっても、アプレンデール学院は膨大な生徒数を誇るマンモス校。わざわざユージンのような、誰にも知られていない一生徒が呼び出される心配もないのだ。
たまの休み時間の邂逅ぐらいは、優しい気持ちで受け入れてやれる。それくらいの心の余裕も出来るというものだ。
(さらば勇者よ永遠に!ありがとうNクラス!)
アプレンデール学院勇者被害相談係は、クラスメイトの誰かから選んでやっておくれ。そんな感傷に浸るユージンに、マツダは指を突きつけた。
「それだよそれ」
「だからそれってなんだ」
多少のとんちんかんなら気にしないから言ってごらん。
ユージンはもはや、マツダの言うことは8割方聞き流すことで心の平穏を保っているのである。
勇者被害相談係は後進に譲る気しかない。しかしクロノ村ではマツダの奇行に土下座スキルを散々鍛えられた。最後にもう一度くらい聞いてやろうじゃないか。
ユージンはいっそ余裕すら漂わせて、続くマツダの言葉を待った。けれどマツダの口から飛び出した言葉は、ユージンの安易な予想を覆すものだった。
「お前年下だったんだな。これからちゃんと敬語ぐらい覚えろよ?」
ユージンは衝撃を受けた。人生で五本の指に入るかもしれない程の衝撃を。
マツダが
正論を
言っている!!!
マツダに間違いを指摘されるのは変な感覚だが、これは由々しき事態である。なんたってぐうの音も出ないほど筋の通った指摘を、よりにもよってこの男にされているのだ。
思えば最初はユージンも彼らの年齢なんて知らなかった。だから畑を吹っ飛ばされた勢いもあって、それからずっと砕けた口調だったのである。
ユージンは持論として、年上には一定の敬意を払うべきだと考えている。
先に生まれた。それだけでも、自分より多くの年月を経験しているのだ。どんな経験であろうと、その一点においては年上というだけで優れていると思うのである。
たとえ失敗ばかりの人でも、自分より多く失敗を経験しているなら、それは財産だ。もちろん変態村長のように、他のマイナス分で帳消しになっている人も大勢居るけれど。
そうだよなあ、年上には普通敬語だよな。常識人のユージンが納得の声を上げる。
(だけどなあ。うーん)
「なあ、みんなと話す時、今からでも敬語の方がいいか?」
ユージンは浩介や冬子たちに尋ねる。
「俺は今更かな。ユージンって落ち着いてるし、頼りがいあるから年下って感じしないし」
「むしろ今更敬語なんて使われたら、壁を感じるから嫌かなあ。あ、でも一回だけ冬お姉ちゃんとか呼んでみない?」
「気色悪い」
「はわわ、いやですー」
みんな少しも迷わず答えてくれた。ユージンもすぐに結論を出す。
「と、いうわけだ。すまんマツダ」
「ちょっと待て!その確認するみんなに俺を入れろよ」
またまた正論だ、熱でもあるのか勇者よ。さらに続けてマツダは言う。
「農民で、落ちこぼれクラスで、年下。どれをとってもおまえが俺にタメ口きける要素がないだろ」
熱のはいったマツダの論調がそろそろ怪しくなってきた。平常運転に戻ったともいう。農民だろうが勉強ができなかろうが、敬語を強要する理由とは関係ない。
ユージンは一応の反論を試みる。
「それを言うなら暴行を受けた被害者で、寝床や飯を用意してやった恩人で、おまえが嬉しそうに振り回してる剣の代金の貸付主でもあるぞ」
「うるさい!農民にタメ口きかれる勇者なんてカッコ悪いから嫌なんだ。俺にもイメージってものがある」
「お、おう。そりゃあ勇者だもんな」
顔を真っ赤にして騒がれると、なんだかとっても悪い事をしている気分になってきた。
ユージンは本格的に、マツダにだけは敬語を使うか迷い始める。しかしこういうのは最初が肝心で、あとから歳上と分かっても変えづらい。
けれどユージン以外全員の反応は辛辣だった。
「ちっさ」
「ださいな」
「しょぼい」
「うわっ」
冬子は汚物を見る目を向け、浩介は若干引いている。紅に至っては興味の光すらなく、梓は物理的に飛び下がって距離を置いた。
「なんだよ、俺は間違ってないだろ!」
珍しくマツダが少し気の毒である。
「俺は新しく出来た友達の手前、年下に舐められてる姿を見らたくないんだよ」
ユージンは、「マツダにもう友達ができたのか」と軽く驚いた。それもたいがい酷い話である。
「まあなんだ、おまえが今までの所業を反省して金も返したら俺も考えるよ」
ユージンは少し前の自分の発言を思い返すと、馬鹿らしくなってきてそう結論付けた。今まで積み重なった貸しは膨大で、配慮の必要性はそれを精算してからでもいいか。
そんな事を考えている時だった。再び人垣が割れてひとりの生徒が現れた。人だかりから女子生徒の嬌声が上がる。それは耳が痛くなるほどの大音量だった。
何事かと、ユージンたちはそちらを一斉に振り返る。
「貴方が噂のユージン殿ですか。お話はかねがね伺っております」
(えらい人気だな)
面識のない美貌の少年に声をかけられて、ユージンはまたもや騒ぎに巻き込まれる予感に囚われるのだった。




