10.王立アプレンデール学院の悲惨な学生生活 農民の場合
「本当に同じ学院かよ」
ユージンは廃墟のような校舎の中を進みながら、ネクタイを緩めたくなるのを我慢した。情けないことに、また結び直せる自信がなかったのだ。
壁や床のあちこちに蜘蛛の巣がかかり、破れた窓ガラスから流れ込む不穏な空気が喉を張りつかせる。木造の校舎はずいぶんと年季が入っているようだ。
「学院でもいちばん古い校舎だ。俺が教師になった時にはもう、生徒には新校舎しか使わせてなかったからな」
案内役の教師はスタスタとユージンを待たずに進んでしまう。なにを急いでいるのだろうか。
「でも、ここに俺のクラスがあるんですよね」
「おまえらは別だ。まともな生徒と同じ扱いができるか」
建物の周りに人の気配は微塵もない。かわりに大きなネズミが我が物顔で仲間と談笑しているのを見て、ユージンは事情を察した。
「問題児は隔離しておきたいってことですか」
「おまえらNクラスは学園の面汚しの集まりだ」
「いくら落ちこぼれでも、教育者が露骨に差別するのもどうなんですかね」
ユージンは教師の口調の激しさに驚いて言った。
「俺だって成績が悪いくらいならここまで言わないさ。でもNクラスは落ちこぼれなんて生易しいもんじゃない」
そう吐き捨てた教師から語られた話に、ユージンは早足の理由を悟った。
「おまえが配属されたクラスは、最も危ない学生が集まるNクラス。通称 「ノークラウン」。栄光とは程遠い集団だよ」
人数は教師ですら把握できていないらしい。諸事情により登校していない生徒が多すぎるのだ。
おまけにノーラウンの生徒は卒業出来る見込みが少ない。卒業できても大半が消息を絶ち、中には悪い意味で歴史に名を残す者もいる。
世界最大の傭兵派遣商会の長「死の商人マルシャル」。
混沌の復活を目論む邪教の教祖「破顔の使者ファナティコ」。
世界中の道場を破って回る「鬼子のラグーア」。
「とんでもない賞金がかかってるお尋ね者じゃないですか」
「才能はあっても、人格が伴わなければ社会的な成功は難しいという証拠だよ」
並べられたビッグネームの数々に、ユージンは言葉を失った。
「ほら、俺は教室に入らんから適当にやってくれ」
案内役の教師に催促されて、ユージンは落書きだらけの教室の扉に手をかけたまま固まってしまった。そんな話を聞いてしまえば、誰だって多少は躊躇するだろう。
「早くしろ」
生徒に対するものとは思えないぞんざいな口調である。先生といえども人の子。いずれは自分の、ひいては学院全体の評判に傷をつける生徒を愛せないのだろう。
それはとても悲しいことのように思えた。急ぐ理由は、一刻も早くNクラスの生徒から離れたかっただけだ。
ユージンは意を決して扉を開く。すると教師は教室内の生徒に顔すら見せずに捲し立てた。
「この子は今日からこのクラスに配属された農民だ。ギフトすら持ってないから、なにがあっても殺す事だけは避けるように」
「死ななきゃオッケーって、最低ライン低すぎでしょう!」
返答はピシャリとドアが閉まる音だった。振り向いた先に教師の姿はすでになく、廊下を走る足音だけが漏れ聞こえてくる。
(あの野郎、ダッシュで逃げやがった!)
ユージンは呆然として、教室内に目を向けた。
古い校舎の一室にしてはかなり広い。その原因はすぐに分かった。
壁がないのだ。ふたつ先の教室までぶち抜かれたその境目は、明らかに正規の工事の手順を踏んだとは思えない。大きな怪獣の通った後と言った方がしっくりくるだろう。
そのだだっ広い空間に、生徒がポツポツとまばらに座っている。固まって座っているのは、窓際後列に座っている3人だけだ。
「い、いちばん後ろの席だと、黒板が見えないですね、なんちゃって」
気まずい沈黙を破るために、ユージンは持ちえる限り最大限の友好的な笑顔を浮かべてみた。
その返答は、ユージンの頬を掠めて黒板に突き立ったナイフである。
ポジティブの妖精さんが旅立つ姿を、ユージンはハッキリと見た。その顔には小馬鹿にしたような微笑が張り付いている。
(ナイフ!?なんで学校でナイフ、持ち物検査しようぜ先生)
ナイフの出どころは、固まって座っている3人の生徒の誰からしい。投げる動作を見ていなくても、犯人はすぐに分かった。
「俺がこのクラスを仕切っているガルベスだ。おまえの席は俺の隣に決まってる」
「えっと、どうしてでしょう」
「新しいパシリはいつでもご主人様の命令を聞ける位置に居ないとな」
最悪の席決めの理由だ。これだけ広い教室で、自己紹介の代わりにナイフを飛ばす危険人物の隣を選ぶ理由は皆無である。
ユージンは高速で教室を見回した。ゴミが散乱している後ろの方はパス、これでもそこそこ綺麗好きなのだ。置いてある机も壊れかけてるし。いちばん前の机の上に置いてある謎のモニターは地雷臭がする。
「えっと、俺はあそこがいいかな」
控えめに自己主張をしたのは、いちばん廊下側の席。だってドアの近くならすぐ逃げ出せるもん。
しかしユージンの言葉に、ガルベスとその仲間たちは交戦的な笑みを浮かべた。
「おまえギフトが使えなんだってな。俺のギフトは『切り裂き魔』。頼むから使わせるなよ」
どう考えても平和的利用方法が思い浮かばないギフト名だ。
(俺の学生生活、初日から詰んでるじゃん)
ユージンは想像していた学園生活と、目の前の現実の落差に悲しくなった。
誰だ、薔薇色の学園生活とか言ってたやつ。マツダに取り憑いてたクソ妖精なんて、やっぱり悪魔だ。自らの不幸吸引体質を無視した思考は、ほとんど八つ当たりである。
ユージンの憂鬱はさらに募る。
すると、落ち込むユージンの肩を叩く者がいた。
「損は気にすること。泥の色は誰にでも最初はああなんです」
うなだれるユージンの前を横切って、全身を草と花に包まれた生徒が存在が自分の席に着く。
花は手に持ったり、装飾品として身につけているのではない。草花が擬人化されたような姿をしているのだ。ユージンは驚きとともにその姿を見送った。
「草人か」
草人は全身を花や植物で覆った不思議な種族で、非常に数が少ない。
その生活は謎が多い。彼らは他の種族の文化に交わらないのだ。普段どんな物を食べて、どうやって子孫を残しているのかさえ分かっていない。言葉は通じるが変わった言い回しが多いので、意思疎通が難しいのである。
草人はただそこにあるだけ。花や木と同じように。
そんな草人が人間の国の学校に通っているなんて驚きだ。泥の色とは、彼(もしくは彼女)の視線を辿ればガルベスのことだろうか。
「君はおひさまの色」
そう言い残してさっさと席に着いてしまった草人に、ガルベスも毒気を抜かれてしまったようだ。
「あの子が助け舟を出すなんて珍しいわね」
そんな呟きが教室のどこかから聞こえて来る。
(もしかして慰めてくれたのかな)
そう思って見ると、草人は無言で頷いた。
「助かったよ、ありがとう」
「それは摂理」
ユージンは感謝したのだが、草人はすでに自分の席に座って目を閉じて揺れている。体が左右に倒れるたびに花びらが揺れるのは、なぜか癒される光景だった。
「気にしなくていいわよ、その子は自分がやりたいことしか絶対にしないから」
また、教室のどこかからそんな声が聞こえてきた。
ユージンはとりあえず先生が来るまでの間、廊下のドアの側の席に座ることに決めた。
しかし座ろうとした瞬間、そのドアが開く。
「臭っせえな。獣の匂いだ」
ガルベスがそう言って、ドアに向かって丸めたプリントを投げつける。入ってきた生徒の頭に当たって、紙屑はユージンの足元に転がった。
「ナイスだガルベス、大当たり」
「次は俺だな」
そんなガルベスたちの言動は不快だったが、それ以上に驚いてユージンはすぐに反応できなかった。
その生徒の顔に見覚えがあったからだ。正確に言うと、その生徒の顔はよく見えない。だけど深く庇を下げた帽子は、以前見たそれに間違いない。
初めて王都に来たときに、チンピラに絡まれていた獣人の少女だ。
ユージンはすぐに気が付いた。向こうはどうかは分からない。少女は一瞬足を止めただけで、真っ直ぐに自分の机に向かったからだ。
ゴミに埋もれた、壊れかけの机に。
「オラ、顔は高得点な」
「だったら胸の方がいい得点だろ」
その間も、下世話なジョークとともにガルベスたちは紙屑を飛ばし続けている。
少女が座席に座るために立ち止まったことで、ガルベスの前の席の生徒の投げた紙屑が床の上に落ちた。よく見れば床には汚い字でゴミ箱と書いてある。
「ちっ、ゴミ箱が動くなよ」
「おいおい、酷いことを言うなよ。アレはゴミ箱なんかじゃねえ」
今更、ガルベスがその生徒を宥める。
「ゴミ箱に自分から入る、とっても偉いゴミちゃんだよ」
「ギャハハ、ガルベスそれ最高」
「次はコレだな」
ガルベスが筆箱の中から鉛筆を取り出した。その先は鋭利に尖っていて、目にでも当たればシャレでは済まない。
ユージンはため息をひとつついて、座るために引いた椅子を机の中に戻した。
「おいガルベスさんよ、こんだけだだっ広いんだ。どこに座ってもいいよな」
(ダメだって分かってるのについやっちゃうのが、俺の不幸の始まりなんだよな)
自業自得と分かっていても、ユージンの足は止まらない。だってこんなのおかしいだろう。
「あん?話を聞いてなかったのかよ、おまえの席は俺の隣で」
ガルベスの言葉を無視して、ユージンは迷わずゴミ溜めの中に机を移動させる。
「だってこれって、俺の歓迎のためにおまえが用意してくれたんじゃないの?」
ユージンの言葉に、ガルベスが怪訝な目を向けてくる。
「ほら、カラスとかドブネズミみたいな臭っせー獣がよくやるじゃん。どう考えてもゴミなのに、宝物みたいに巣に持ち帰るやつ」
教室の中に、痺れるような緊張と誰かの軽妙な口笛の音が響いた。