幕間、それぞれの思惑
この国で1番高価な椅子。そこに座るのは当然もっとも尊き人物である。齢70を超えるその老人は、年齢に似つかぬギラギラとした眼をしている。とうに色素を失った銀髪は、背中にかかる長髪である。口髭も長い。彼の権力を誇示するように、常に不機嫌そうに結ばれた口を覆い隠している。痩けた頰が険しい顔をさらに陰険に見せていた。
頭にはこの国の最高権力者の証である王冠が輝いている。この老人こそがこの国の王、ウィンチェスター13世である。
一方。対面に跪くのは有力貴族のひとり、バイロン侯爵。元々は商人の出で、金で爵位を買ったと揶揄されているが、今最も勢いのある貴族であった。赤茶の髪をきっちりと整髪料で撫で付けている。だがそれとは対照的に口元に生やした髭は間抜けさを醸し出していた。
まず口を開いたのはバイロンだ。
「陛下、ご報告は届いておりますでしょうが、今一度確認させて頂きます。荒唐無稽な話ではありますが、先日クロノ村という田舎の農村に異世界から来たという若者が現れたと報せが届きました。その全員がギフテッドとの事です」
半信半疑ながら、ありのままを報告する貴族。
「来たか。待っておったぞその報せ。よい、詳しく話せ」
一方の王は微塵も疑いもせず先を促す。
「はっ。届けられた書状によりますと、かの者たちは全員見たこともない服装に身を包んでいたそうです。書面をそのまま信じるのであればその全員がギフテッド。それもその半数以上がかなり珍しい、ユニークギフトを持っているとか。にわかには信じがたいです。法国の間者やもしれませぬ」
突如現れたギフテッドの集団に、警戒心を抱かぬ方が無理な話であろう。おまけにこの王は猜疑心が強い。いらぬとばっちりを受けぬようにと、慎重に言葉を選ぶバイロン侯爵。だが王からの返答は公爵の説明を完全に予期したものであった。
「いや、その者たちは世の呼んだ正真正銘の異世界人じゃ」
これには驚いたバイロン侯爵。思わず語気が強まる。
「何と!陛下がお呼びになったと。ならばいかが致しましょう。報告ではその中に、勇者のギフトを持つものが居るとか」
「すぐに王都に来るように使いを出せ」
「しかし得体の知れぬギフテッドの集団を招き入れるのは得策では……」
「儂は同じ言葉を繰り返すのは好きではない。お主からの報告の前に儂はその情報を掴んでおる。二度は言わぬ。やれ」
「あの道化師の進言ですか。お言葉ですが陛下、あまり芸人風情を信用しすぎるのもどうかと。あやつは急に現れていくら調べても経歴のでぬ怪しい人物でございます」
「くどい。三度目はその首が体と別れを告げる時と思え」
仕方なく、バイロンは謁見を切り上げ立ち去ることにした。以前の王は凡庸ではあるものの、勤勉で民を思う人物であった。だが数年前あの道化師が現れてから王は変わった。似合わぬ野心と猜疑心を携え、気に入らないものはすぐに処刑するようになったのである。
バイロンが退室した後、王はひとり、漏れそうになる笑いを必死で噛み殺していた。
「異世界から来た勇者か。存分に働いてもらわねばな……」
だがその呟きを拾うものは居ない。いや、正確にはひとりだけいる。王にすら気付かれることなく、玉座の真後ろでクスクスと笑うピエロが。
「さて、あたいちゃんも忙しくなってきたね」
★
王都に常駐する騎士団の中で最も地位が高く、その存在を知られている男。この国の誇る騎士の最高峰「王の盾」、騎士団長グレン=バーネットは最高の酒を用意する。今から訪ねてくる客人のために、わざわざ下ろしたビンテージもである。館のメイドが来客を告げる。
「久しぶりだのグレン」
メイドに通され現れたのはダリオ=ガリアーノ。引退したとはいえ、未だこの国最高と言われる元冒険者にして自らの師匠である。
「ダリオさん、よく来てくれました。ウィックス産の酒を用意してあります。一杯やりましょう」
「ふむ、流石王国最強の騎士の一角。儲かっとるようじゃな」
「勘弁して下さいよダリオさん。それに王国最強は国宝である聖剣を賜った百合の騎士でしょう。俺みたいな平民出に相応しい称号じゃありません」
「確かにお前が王国最強の盾ならば最強の矛は彼女であろう。じゃが弟子という贔屓目を抜きにしてもお主も負けてはおらんと思うがな。まあいい、わざわざ儂を呼んだのだ。よほど重要な相談あってのことであろう」
グレンは一線を退いても衰えぬ慧眼に敬服しつつ、やはりこの人を呼んだ判断に間違いはなかった事を確信する。
「貴方には敵いませんね。確かに相談したい事がありまして。実は先日陛下から使者として赴くようにとお達しがありました。この私が王都を離れるとなると、他国の王族の元かと思いましたが場所は普通の農村。その昔師匠がお話くださった農村の事をおもいだしまして」
ここに来てダリオの顔つきが真剣なものに変わる。
「クロノ村か?」
「はい。面白い少年のいる村だとか。そこに大量のギフテッドが、それも異世界人を名乗るものが現れたと言うのです」
グレンは思い出していた。この老人に殺し合いの才能が無いとハッキリ言われた時のことを。だが剣術の才能はある、故に貴様は国を守る盾になるべきだと言われたことを。
師匠であるダリオは気分屋だ。そのため相手が王族だろうが平気で約束を破る。それでもこの国の最高の冒険者と呼ばれている理由は一つ。それは誰よりも強いからである。
そんなダリオに言われた一言で、グレンは生き方を変えた。他国に恐れられる戦場の鬼よりも。自国民に崇められる護国の剣となることを目指したのだ。
訪れた田舎の村には、そのダリオが見つけたという殺し合いの天才がいるという。信じがたいことに、剣の握り方すらろくに知らぬ農民が、初めて会ったダリオが剣に触れただけで友人を守るために飛びついたというのだ。剣士が少しでも剣に触れるというのは、何となくで済む話では無い。剣先の届く範囲はこれ全て死線なのだ。
一度も真剣で切り結んだとことのない村人が、それに反応したなら驚くべき勘の良さだ。
極め付けはダリオの一撃を納刀状態から防いだという事実である。
「貴方は異世界人を救国の英雄だと思いますか。それとも招かれざる客だと」
「どちらにせよ運命は歩みを止めぬ。我らにできるのは構えをとかぬことであろう。立ち合いにおいて心構えの無い物は容易に死ぬ。それから……案外重要なのは異世界の客では無いかもしれんぞ」
「は、と言いますと」
「ふふっ、いや、要らぬことを言った、せっかくの良い酒が勿体ない。この話は終わりじゃ」
ダリオは愉快そうに笑うと酒を飲み始めた。グレンは訳も分からぬまま考える。
この老人に異世界から来たギフテッドより認められる農民か。にわかには信じられない。
まだ見ぬ世界の鍵に思いを馳せながら、特別な酒に手を伸ばすのであった。
★
時計の針は進む。
高価な調度品の並ぶ豪奢な部屋の一角。
窓の下の街並みを見下ろす影。
都は騎士団長の帰還でざわめいていた。
「都は勇者と異世界人の話で持ちきりらしいな」
身分の高そうな貴族らしき男が、入ってきた男に問いかける。
「へい、どうも最近王への不満が民の間に溜まっておりやす。勇者ってぇワードは庶民にゃ心踊るもんなんでしょう」
相対するは貴族とは正反対。この部屋に似つかわしくない盗賊の身なりの男。穴熊の手下、アッシュである。
「お前から見て異世界人たちはどうだ?」
「今の時点では大した奴は居ませんね。いつでも処分出来ますや。 それよりよっぽど農民の旦那の方が気になりまさぁ」
「気色の悪い話し方はやめろ。まあいい、それならもう暫くは様子見で良かろう。引き続き監視を続けろ」
貴族の言葉でアッシュの顔と体が、とたんに変化する。ドロドロとした液体が全身を覆う。貴族は嫌悪感を何とか抑えた。
そこに現れたのは銀髪に無表情を貼り付けた美しいメイド服の女。
「失礼致しました。監視対象は後三日で王都へ到着する予定でございます」
「ふむ、ところで農民とはお前の報告にあった穴熊を殺した男か」
女は先ほどのアッシュの姿とはまるで別人である。見た目は勿論のこと、声のトーンから身に纏う空気まで。美しさも相まってぞっとするほど冷たい。
「殺してはいませんが。穴熊を倒したのは勇者ではなくその農民に間違いありません」
「そうか、念のためその農民も監視を付けておけ」
初めて女の表情がわずかに動く。
「承知いたしまし。何かあればまた、ご報告申し上げます」
言葉を残し女の姿が音もなく消える。
「ふむ、顔なき暗殺者ノーフェイス、万変のルカか。己を持たず道具となる、哀れな女だ」
貴族の呟きは誰にも届かない。だからこそ誰にも話せぬ本音が漏れる。
「勇者か。今のこの国にとっては不必要な存在だ」
ただ言葉とは裏腹に、最優先事項では無い、感情を持たないはずの道具の表情を変えた農民とやらのことが頭から離れないのであった。