28、死闘
長沢くんの指示に従いながら、ユージンは薄暗い洞窟内を疾走する。
牢の場所まで辿り着ければ、人質を連れて先に出発している村人たちと合流すればいい。
気をつけるべきは、穴熊にかち合うことだけである。
いくつかの曲がり角を過ぎて、二股に分かれた通路がユージンたちの前に現れた。それまで迷いなく指示を出していた長沢くんが、初めて逡巡を見せる。
「牢屋は逃げ出し難いようにいちばん奥に設置されていると思います。規模的にもどちらかの通路の先のはずです。ただ、もう片方は穴熊の部屋の可能性が高いです。リーダーの部屋も奥の方でしょうから」
「うーん、分かんないわよね。勘しかないないのかしら」
どちらかが天国で、どちらかが地獄。どちらにすべきか。迷うユージンたちだが、ユフィはあっけらかんとした様子で言った。
「二択なら大丈夫。お兄ちゃん、直感でいいの。何も考えずにどちらか選んで。私はお兄ちゃんを信じてるから」
ユフィの言葉に、長沢くんも岬も最初は驚いた様子をみせたが、すぐに表情を緩めた。
「ここまで僕らが来れたのもユージンさんのおかげですもんね」
「そうね、あんたに任せるわ」
ユージンは三人の信頼が嬉しかった。そして感動するとともに気を引き締めた。ここにいる全員の命のかかった選択が、任されている。
ユージンは目を閉じて自分の心に問いかける。無意識に刀に手をかけていた。いちばん集中している状態に、体が反応したのだろう。
毎日の稽古の時の、精神の集中を思い出す。心に深く潜り、光に手を伸ばす。
「決めたよ、左だ」
ただの勘でしかない。それでもここまで来れた自分の選択を、ユージンも少しだけ信じてみたくなった。
「うん、じゃあ右だね」
「右ですね」
「右に行きましょう」
「ええええええええ!?」
三人は迷うことなくユージンの指差した方向とは逆に足を踏み出した。
「今のやり取りなんだったの。俺を信じてくれたんじゃなかったのでしょうか」
「うん、お兄ちゃんの引きの悪さを私は心の底から信じてるよ?」
引きの悪さって。ユージンの心に冷たい風が吹く。
「うーん、助けられた僕が言うのも何ですが、出会ってからの僅かな間に畑を失い、自称勇者に攻撃されて、そのうえ盗賊に追い回されてますからね」
「あはは、めっちゃウケるんですけど。キメ顔で左だ。ぷっ、カッコいい」
「ひ、ひどい。他人事だと思いやがって」
「今までの人生振り返ってみなよ。どんなトラブルだって蟻地獄のように引き寄せられて来たでしょ。お兄ちゃんの選んだ先にはぜっっったい穴熊がいるよ」
「俺、もうこれから先の人生に希望が持てないよ」
ユージンは置いて行かれない為に、渋々三人の後を追った。
☆
ユージンにとっては物凄く不本意だが。甚だ納得のいかない事実ではあるが。ユフィの言葉は正しかった。右の通路を少し進んだ時である。
奥からヒソヒソと囁き合う声が聞こえてきた。さらに進むと、ユージンはとうとう目的の人物に出会う。
✳︎
さて、ここでひとつ農夫ユージンくんとの再会の直前のシーンをご紹介しよう。
非常にくだらない一幕ではあるが、当人たちにとっては重要なひとつの戦いがあった事を。
四人の人質はアッシュに解放されたあと、出口を目指して歩いていた。
盗賊たちは勇者が来たと言っていた。嫌である。正直今までの事を思えば不安しかない。
冬子に至ってはもう、普通に嫌いなので来ない方が良かったとさえ思っている。ひどい奴である。
何故なら自分を助けに来るのは勇者ではなく、農民の王子様であるべきだと考えているからだ。
救われる側なのに注文が多い。
それでも四人はまだ、ここにユージンが来ると心の隅で信じていた。
特に、唯一善良な少年を除いた三人は。
彼女達の、特に冬子という少女の中で、妄想はすでに行き着くところまで行っていた。
再会し、抱き合う2人。自然と近づく顔。そして恐る恐る触れる唇……。
隣を歩く少年が、涎を垂らしてヘラヘラしている少女にドン引きしている。少年は残る二人に助けを求めるように視線を移した。
ダメだった。こっちも大して変わらなかった。
しばらく歩くと、曲がり角の向こうから声が聞こえてくる。
さては盗賊かと身構える少年。ここは盗賊のアジトなのだ。緊張感を片時も緩めることは出来ない。そんなできる男の耳でも、くぐもった声は狭い洞穴で反響して聞き取り辛い。
だが少女たちは違った。少年がその話し声に気付く前に、既にその声の主すら特定した。
当然である。たった今まで自分の耳元で愛を囁いた声なのだから。ある少女に至っては同じシーンを脳内で20回はリピートしている。
さてその時、彼女らは何を思ったか。
普通なら捕らえられた仲間を救いに来た者が側にいる事が分かれば、すぐさま駆け出す事だろう。
盗賊という気がかりがなければ、大声で呼びかけるかもしれない。
だが三人の女はお互いに気づかれないように、相手に視線をやった。そして死闘を確信する。勝者はひとり。掲げるべきトロフィーはたったひとつ。敗者は血の涙を流し、勝者はこの世の甘美なる栄光を得る。
これは負けの許されない聖戦である。
誰が再会のハグを彼と交わすか。
下らない。はたから見ると実に下らない争いだが、本人たちは真剣だった。歴戦の戦士の面構えである。
最初に仕掛けたのは三つ編みの少女。バレない程度に少しだけ歩調を早める。普段は気の弱い少女だが、内心は割としたたかである。物理的に距離をリードするのは悪い手ではないかと思われた。
だがこれは悪手であった。出る杭は打たれる。
先に動いたものは後の2人に狙われる。
後ろの少女は他のものに気づかれないように罠を仕掛けていた。
何かにつまずく三つ編みの少女。
その隙に前へ出る背の低い影。
口元には悪魔の笑み。
足元を見た三つ編みの少女は驚愕する。そこにあったのは明らかに人工物で出来た出っ張り。
それは背の低い少女がギフトによって生み出した、敵の足を引っ張る金属の悪魔の手。
(まさか、私が仕掛ける前から既にこの場所に罠を。ありえない、一体いつから動いていたというのですか⁉︎)
ギフトを低俗な悪事に使うという点ではもう、穴熊と大差ない。ハッキリ言ってクズである。だが研究職を目指す奴なんて、目的のためなら倫理観などガン無視するもんである。
既に声はかなり近づいている。勝利を確信したその時だった。冷や汗が吹き出る。
(何故?自分は勝者のはず。2人に気づかれないようにいちばん早く対策を仕掛けていたはずなのだ)
だが嫌な予感はおさまらない。おかしのだ。もっとも執着心が強そうな者が、何も仕掛けて来ないなんて!しかし気付いた時には既に遅しである。
栄光のゴールから引き剥がす手が。
「待て紅、話し声が聞こえる、盗賊かもしれない」
何も知らない少年が仲間を心配して引き止める。
その時の少女の顔は筆舌に尽くしがたい。完全にアウトである。例えるなら、独裁者が民衆を騙くらかす最高の悪法を思いついて実行した時の顔だ。
この少女は分かっていたのだ。正義感の強い少年が必ず相手の正体を確認するまで前に立って、か弱い女たちを守りに出ると。
目の前の馬鹿なライバルを抑える手を、悠々とすり抜け進む。顔には王者の微笑み。ここに勝者は決したのだ。
背の低い少女は絶望を自覚する。やられた!
敗因は親友の腹黒さを甘く見ていた事。
世の中最後に笑うのは、最初に飛びついた者でも頭が良い者でもない。性格の悪い奴なのだ。
ライバルたちの絶望を糧に勝者は足を進める。
通路の先に声の主が姿を現わす。
そして少女は……
✳︎
大きな目が見開かれる。
少しずつ駆け足になっていく歩調。
美しい亜麻色の髪が完成に従ってたなびく。
広げられる両手。
ユージンも駆け出す。
歓喜が胸を駆け巡る。
喜びの弾ける声。
「ユージンくん!」
そしてもう失ってしまわないように、ユージンはしっかりと再会した仲間を抱きしめる。
「いやー、良かった。心配したぞ浩介。ん?どうした冬、そんなところで両手を宙に突き上げて。万歳か?
そうかそうか、そうだよなー。めでたい時は万歳三唱だよね。バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ。」
「……何でもないわ」
「あれ?何で助けに来たのに鬼の形相なの」
「……ユージン、今のは流石にダメだと思うぞ」
「鈍感」
「ふふふふふふふふふふふふ、また日記に嫌なページが増えちゃった」
「お兄ちゃん美少女よりどりみどりなのに、浩介くんを選ぶなんてやっぱり……」
ユージンだけが気が付かない。呑気に、浩介の足を思い切り踏んでいる紅に「早くどいてあげような」と言ったら、何故かじとりと睨まれた。