12、文学少女と勇者のお買い物
畑仕事がひと段落ついて、ユージンは食事会で必要な食材を集めに行くことにした。折よく今日は行商人が村を訪れている。香辛料や食材を買い足すにはいいタイミングだ。
村の中にある小さな池の横を通り抜け、行商人が店を広げている集会場に向かう。
行商人の荷馬車が見えてくると、それと同時になにやら揉めている声がユージンの耳に飛び込んできた。
「俺は勇者だぞ、さっさと寄越せよ!」
店主に詰め寄っているのは、眉間に皺を寄せたマツダとその取り巻きである。その隣に、オロオロと怯える少女の姿も見えた。遠巻きに、それを不愉快そうに眺めている幾人かの村人の姿もある。
ギフトに目覚めた異世界人たちの大半は、村人たちと良好な関係を築いている。しかし中には、自分のギフトをひた隠しにしている者や、村人たちとは積極的に関わろうとしない者もいた。
ユージンはそれを悪いことだとは思わない。力があっても、それを行使するかどうかは本人の自由だと思っている。人の善意を義務のように要求し、希望が通らなければその人間を悪様に罵る。そんな行為はむしろ嫌いだ。
例えば億万長者がいたとしよう。彼が貧者に施しをしないの悪か。否である。億万長者は、その富を得るまでに血の滲むような努力をしたのかもしれない。「だから一銭だって他人にくれてやるつもりはない」、と言うならば、いっそ清々しいとさえ思う。
けれど、貧乏人の顔を札束で叩いて見せびらかしておいて、一銭も出さない金持ちはクズだと思う。
マツダたちはそのタイプだった。
勇者のギフトがあることを知ったマツダは、それはもう分かり易いくらいに天狗になった。
手始めにマツダは、取り巻きを含めて自分達を勇者パーティと名乗り始めた。
驚天動地ののちに抱腹絶倒である。マツダが勇者なら、キムラは大賢者でサトウは聖騎士だろうか。
それならリンゴ畑に飛んでくるミツバチだって、世界を変える大魔道士だ。受粉を助けてくれるだけ勇者より役に立つ。
勇者のギフトを得たと吹聴して周り、あまつさえ村の中で例の光をぶっ放して村の物を壊すこと4回。(ユージンが直して回った)
取り巻きとともに村人に理不尽に物品を要求をすること13回。(取り返しに行って何故か盗賊扱いされた)
村の若い娘にちょっかいをかけること7回。(さりげなくやめる様に言ったら、モテない僻みと言われる。モテないのは自覚してるからほっといて欲しい)
基本的には異世界人に好意的な村人も、マツダ達には否定的だった。
村人に陰でクロノ村勇者被害相談係と呼ばれているのを知った時は本気で凹んだ。
ユージンのような一般人に、胃にもたれるもん押し付けないで欲しい。そう言ったら
「だってみんなの悩みはユージンのもの。ユージンの悩みもユージンのものってフィルが」
という答えが返ってきた。フィルの顔に張り手をお見舞いすることを、ユージンは心の中で固く誓った。
何あいつ、仕事しろよ村長代理。
そう思わなくもないのだが、目の前でトラブルが起きていると放っても置けない。仲裁に入るべくさらに近づくと、事情はすぐに理解できた。
「ですから渡さないのではなく、代金をお支払いして頂かないと渡せないんですよ」
「馬鹿なことをいうなよ。俺はこっちの世界に来たばかりなんだ。金は後で払うと言ってるじゃないか」
「松田は勇者だからな、王都からの使いが来れば金なんて幾らでももらえるさ」
「むしろアンタは、勇者に武器を渡したって箔がつくんだから商売人としちゃチャンスだと思わなきゃ」
どうやらマツダには欲しいものがあるようで、それを無償で寄越せと言っているらしい。これでは勇者どころか、ゆすりたかりのチンピラだ。
一見さんが「ツケで」なんて言ってきたら、ユージンなら店から即刻追い出す。ましてや金の入るアテはあまりにも根拠が薄弱だった。それだけでも困ったものだが、その口調がまた頂けない。ユージンは店員に横柄な態度をとる奴が大嫌いである。
こうなると、ユフィが見抜いたギフト名をマツダに伝えたのは失敗だったかもしれない。
勇者マツダはすっかりその気になり、のぼせ上がっている。なお悪いことに、取り巻きがおだてるものだから態度もすっかり英雄気取りだ。
「あのさ、俺は勇者としてこの世界に呼ばれたわけ。勇者には助けを待っている人を救う義務があるんだ。怪物や盗賊なんかを倒してあげないと、困っている人々が可哀想だろう」
可哀想なのは勇者様の頭と、目の前で困っている商人である。
「だから勇者である俺に剣がないのはおかしい!」
どうやら勇者様が欲しておられるのは剣らしい。既にマツダは、一振りのブロードソードを赤子のように抱きしめている。
「君は勇者の助けを待つ姫や民衆を見捨てるっていうのか?」
それは聞くに耐えない暴論だった。剣を得るために必要なのは、論点のすり替えではなく正当な対価だ。
既に商人は悪質クレーマーの登場に半泣きである。
「いやいや、いくら勇者様でも代金を頂かないことには……」
ユージンはバカ勇者様を止めようと気乗りしない足を進めた。その間にもマツダは言い募る。
「嘘つくなよ、さっきこの女に本を渡していたのを見たぞ。そいつだってこの世界に来たばかりで金なんか持っていないはずだ」
マツダに指され、それまでずっと黙りこくっていた少女が声を上げた。
風貌も立ち振る舞いも大人しそうなタイプで、ボリュームのある髪を三つ編みに結って、メガネをかけている。
口を挟むのにも相当勇気を振り絞ったのだろう。その声は震えている。
「私、その。お手伝いした時にお婆さんがお小遣いくれて。こ、こっちの世界の物語が気になるっていったら、本が好きなら、えっと、これで買いなさいって」
つまり三つ編みの少女はちゃんと金を払って本を買っているわけだ。
「そんなの悪いから断ったら、じゃあ読み終わったら私にくれたらいいって。そ、そうすればこれは私の頼んだお使いだからむしろ、お、お仕事よって。ご、ごめんない。」
三つ編みの少女の語る人物は、ミレーユ婆さんだろう。一体幾つになるのか分からない、村の名物婆さんだ。この村で本が好きなのはユージンとミレーユ婆さんくらいだから、たぶん間違いない。
話を聞く限り、お手伝いの駄賃をあげようとしたけど、この少女が頑なに断ったもんだから口実をつけて受けとらせたというところだろう。どういうやり取りにしろ、代金を払ってるのだから彼女にも商人にも非はない。
「なんだよ、お前だって他人の金じゃないか。余計な口を挟まないでくれよ!」
「ご、ご、ごめんなさいっ」
自分でトラブルに引っ張り込んで、ずいぶん酷い言種だ。このままでは三つ編みさんに矛先が移りそうだったので、ユージンは行動に移ることにする。
こんなことをしているから、勇者係なんて言われんのかな。そう思わなくもないが、このままではユージンの買い物も出来ない。
「おいちゃん、これ幾ら?」
マツダの手から剣を奪い取り、商人に差しだす。急に口を挟んだユージンに商人は驚いた様子だ。剣を取られたと思ったのか、マツダは我が子を誘拐した犯人を鬼の形相で睨みつけている。
「えっと、10,000ガロンだけど」
「んじゃあはい。おい勇者さん、出世払いでいいからちゃんと返せよな」
そう言ってユージンは商人に10000ガロンを渡すと、剣をマツダの方に突き出した。
「おお、分かってるじゃないか。それじゃこの剣は俺がもらっていいって事だ!」
そう言って マツダは剣をひったくり、嬉しそうに腰に携える。幼児のようにスキップして去っていく姿に、ユージンは借した金が返ってこないことを確信した。
痛い出費だが、どうせ農民の言葉など聞きはしない。剣を手に入れるまで、下手をすれば三つ編みさんに噛みつき続けるだろう。だったらこれがいちばん平和的解決だ。自称勇者様と言い争う不毛さは、ユージンがいちばん分かっている。
「お釣りの5,000ガロンです。」
商人がお札を渡してくる。ユージンは驚いて手を引っ込めた。
「いや、ぴったり渡したんですけど」
「いえ、お兄さんが払う謂れのないお金です。ならその男気を5000ガロンと踏んでも、安すぎるくらいでございます。どうぞお納め下さい」
これは受け取らなければ商人さんの心意気に水を差す。ユージンは多くを語らず、値引きしてくれた商人さんの男気を受け取ることにした。かわりにいつもより多めに、必要な品を買い込むことにする。
「お兄さん大した器量だね。助かりましたよ、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ5000じゃ原価を割るくらいでしょう。すいませんでした」
あの剣を5000ガロンで売っても、商人からすれば利益は出ないだろう。むしろマイナスになったかもしれない。ユージンは気の毒な商人に頭を軽く下げた。けれど商人は気にした様子もなく、朗らかに笑った。
「商人は時に、未来の利益にかける先行投資というものをします。私はこの先5000ガロン以上の利益があると思ったまでです」
商人はユージンの購入した品物を袋に詰めながら続ける。
「勿論あの勇者様にではありません。己の利益ではなく、あちらの少女のために自分の利益を度外視したあなたにそれを見出したのでございます。私は普段王都で店を構えておりまので、王都に来る際は是非お立ち寄り下さい」
袋を受け取ると、商人は店仕舞いを始めた。これから別の村に移って、この村で仕入れたものを売るのだろう。
たくさんの荷を乗せた馬車は、すぐに街道の先に見えなくなった。