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8、平穏に差す影

 月明かりを頼りに、ユージンは浩介とふたりで夜道を進む。


「ところでユージン、妹さんにはさっき会ったけど、他にも兄弟はいるのか?」


「いや、両親とさっきの妹の4人家族。まっ、平凡な一般家庭だよ。お前は?」


「俺は男ばっかりの3人兄弟。むさ苦しいだろう」


 浩介は笑顔で言ったが、そこに暗い影が差しているのは月明かりの影響だけではないだろう。

彼らだって被害者なのだ。いきなりわけもわからない世界に放り出されれば、ユージンだって家族のことが真っ先に心配になる。


「……そっか、早く再会できるといいな」


 ユージンにはどうしようもない事だ。それでも優しさを忘れない浩介に、出来る限りの事はしてやろうと思った。


「ありがと。俺もユージンのご家族にはお世話になるから、きちんと挨拶しないとな」


「そんなに気を張らなくても、礼儀に厳しい人達じゃない。村長を見れば分かるだろ。基本的にうちの村人はお人好しでお気楽なんだ」


 下らない話をしているうちに、ユージンの家が見えて来た。


 中に入ると、なぜかユージン家の面々が玄関口に揃って待ち構えていた。


「あれ、3人ともどうしたんだ?」


「ねぇユーちゃん、何か大切なことを忘れていない?」


 母親のリサさんが、暗い眼差しをユージンに向ける。


「は?」


「は、じゃないよお兄ちゃん、大事なことだよ」


 ユフィの顔からも感情が消えている。


「いや、いきなり言われても、俺、遅くなることも伝えたよな。客が来るのだってフィルに伝言頼んだし。あっ。もしかして畑のことか、あれは」


「馬鹿野郎!!」


 ユージンは最後まで言えず、父親のラウルに殴られて玄関に置いてあった傘立てに突っ込んだ。


 ビリビリと痛む頬に手を当てて、ようやくユージンは冷静に考えた。

考えてみれば当たり前のことで、家計に大打撃を与える事件を起こした張本人を、ユージンはのこのこと連れてきたわけである。引っ叩かれても仕方がない。


 幸いユージンの家にはこの冬を乗り越えるくらいの蓄えはあるし、父親は山に入って猟師をしているから畑とは別の収入もある。それでも、ユージンがやった事は犯人を被害者の家に招いたようなものだった。


 ユージンは床に手をついて、そのまま固まってしまう。顔を上げて悲しむ家族の顔を見るのが怖かったのだ。

そんなユージンの頭の横に、包丁が突き立つ。


 そしてラウルは渾身の力で叫んだ。


「お前がいなきゃ誰が飯を作るんだ!?」


「……そうでした。すいません」


 ちなみに、浩介はすでにリサさんとユフィに部屋まで案内されていたようだ。楽しそうな女性陣の笑い声が、奥の部屋から響いていた。







 ユージン以外のリラード家の面々は、料理が苦手である。


 父親のラウルは塩をかけて焼く以外の方法を知らないガサツな人間で、母親のリサさんに至っては繊細な作業が致命的に向いていない。彼女の手にかかれば、一瞬にして皿の上には「かつて食べ物だったもの」が生み出される。着色料を用いずに目玉焼きを青く染める方法など、ユージンには一生至らない境地だろう。


 そんなこんなで、まともな飯が食いたければ自分で作るしかなかったユージンは、自然と台所も預かることとなったのである。ユージンの手料理で育ったユフィには、今のところそれを受け継ぐつもりはなさそうだ。


 ユージンは大急ぎで簡単な食事を用意した。育てたりんごを使った自家製ドレッシングのサラダ。森でとったウサギの肉のクリームシチュー、そしてユージン自ら焼いたパン。豪華とはいえないが、大急ぎで作った割にはマシな部類だろう。


「えー、あらためまして、人助けをして帰ってきた息子をいきなりぶん殴ったのが父親のラウル」


 ガツガツガツ。食卓に食器のぶつかる音が鳴り響く。


「ふぁーむふこが世話になっはるみはいはですまないね。まあ一つよろひく頼むよ」


 ラウルは夢中になってシチューをかきこんでいる。せめて飲み込んでから喋れと言いたかった。

髭をシチューで白く染めた父親の姿と言うのは、知り合って間もない友人に見られたい姿ではない。


「あらあら、この子が新しいお友達かしら。だったら私の手料理を用意したら良かったわ。パパもユフィちゃんも何故か必死になってユーちゃんを待つべきだって止めるんだもん。ごめんなさいね」


「この人が母親のリサさん。まあなんだ、ちょっとのんびりしたところのある人だけどよろしく頼む」


 ユージンは目線だけで、父親と妹に感謝の念を送った。ナイス判断である。リサさんの料理をこっちの普通と思われたらトラウマになる。


「妹のユフィにはもう会ったよな。世話かけるかもしれんが相手してやってくれ。頭は俺よりよっぽどいいから、相談相手としちゃ俺より役に立つかもしれんし」


「兄がお世話になっております。よろしくお願いします」


 ユフィがペコリとお辞儀をする。


 浩介はわざわざ席を立ち、直立不動で90度のお辞儀をした。


「川口 浩介です。こちらこそ、ユージン君には助けられてばかりで。彼は命の恩人です。本日は泊めていただきありがとうございます」


 くそ律儀なやつである。やはり連れてくるのは浩介で正解だった。

家族も浩介の事は気に入ったらしい。最初にあった時、妙に機嫌が悪かったユフィも受け入れたようで一安心だ。


「よかった。あの2人じゃ無かったんだね」


「ん、何かいったか?」


「なんでも無いよ。それより浩介さんまだ食べてないんじゃない」


「あーそうか。お前のことだ、先に挨拶と思ってまだ手をつけてないんだろ。気にせず食えよ。味は保証できんがな」


「ありがとう、頂きます。って、うまいっ!なんだこれ!ユージンが全部作ってんだよな!?」


「ああまあ、一応な。口に合ったなら良かったよ」


 浩介の反応はユージンには照れ臭かったが、家族以外に料理を振る舞うのは新鮮な喜びがあった。


 親父は食いっぷりから分かる通り、とにかく量のタイプ。リサさんは味音痴だし、ユフィは不味くても気を使って美味しいというタイプだから、自然な褒め言葉は何だがくすぐったかった。


 それから食卓は賑やかなものになった。浩介は質問責めにあっていたが、直ぐに打ち解けたようで、その後も終始楽しい食事であった。


 食事を終えて、ユージンは寝具の代わりになるソファーに浩介を案内する。


「本当にソファーでいいのか。なんなら俺の部屋のベッドを使っても構わないぞ?」


 いざ寝る段になってもう一度確認する。すでにユージンは浩介に、友人としての親しみを覚えている。


「おいおい、散々迷惑かけた恩人の寝床を取れるかよ。当たり前だろ」


「そっか、まあ何かあったら起こしていいからな。それじゃお休み」


 就寝の挨拶を交わして、ユージンは自室のある二階の階段に向かった。









 部屋に戻ったユージンは中々寝付けないでいた。なんの起伏も無い人生だったのに、今日1日で色々ありすぎたせいだろう。なんとなく落ち着かず、開いた本の内容も入ってこない。本を開いては閉じを繰り返していると、部屋の扉をノックする音が響いた。


「浩介か?」


「お兄ちゃん、ユフィだけど、ちょっといいかな」


 ノックの主はユフィだったようだ。こんな遅くに珍しい。ユージンはユフィを部屋の中に招き入れた。ユフィは薄い寝巻きの裾をぎゅっと握りしめて立っている。


「どうした?」


 ユージンはユフィに優しく微笑みかけた。その微笑みに力づけられたのか、ユフィが顔を上げる。


「あのねお兄ちゃん、あの人達のことなんだけど……」


「浩介達がどうかしたか」


「あんまり深入りしない方がいいと思うんだ。あの人達普通じゃないよ。そりゃお兄ちゃんがお人好しなのは知ってるよ。でも王都で保護してもらえるならそれ以降はもう関係ないよね?」


 ユフィの言葉は、ユージンにとって予想外のものだった。気の優しいユフィが、こうもはっきりと他人を拒絶するのは珍しい。ましてや、先ほどの浩介との食事は嫌がっているようには見えなかった。


「らしくないなユフィ。そういうのは俺のセリフだろ」


 ユフィの真意を聞きたくて、努めて明るく言葉を返した。ユフィは硬い表情のままで自分の右目に手を当てる。


「……私は、お兄ちゃんと同じ気持ち。お兄ちゃんとお母さんとお父さんがいるこの日常が続いて欲しい。でもね、私のギフトで見えちゃったの」


「何がだ?」


 ユージンの鼓動は不安に高鳴った。


「あの人達全員ギフト持ちだよ。あの松田って人のギフトは 勇者ブレイブハート 。そんな人達といたら絶対お兄ちゃんの普通なんて壊れちゃうよ」


 月が雲に覆われて、窓から差し込む月光が弱まる。ユージンは1階で寝息を立てている浩介を起こさないように、部屋の扉をそっと閉ざした。


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