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1、結局普通の農民がいちばん楽しい

 抜けるような青空から、音もなく雨粒が落ちてくる。


 朝には畑に出ていた村人たちも、珍妙な天気を嫌がってさっさと家に引きこもってしまった。


 おかしな天気だ。強烈な日差しと一緒に、雲もないのに雨が降り注いでいる。収穫を間近に控えた畑の中は、湿気と熱でサウナのようだ。


 雨だか汗だかわからない雫が顎の先から滴り落ちて、畑の土に黒い染みを作った。


 ユージンは農作業の手を止めて、甘い香りの立ち込めるリンゴ畑を見渡した。


「なあユージン、相変わらず普通のツラしてクソ面白くもない平凡な農民生活だな」


 退屈そうに農作業を眺めていた幼馴染が急に口を開いた。振り返れば、癖の強い赤毛の少年があくびを噛み殺している。少年の名前はフィル。村長の息子という点を除けば、ユージンと同じ平凡な顔をしたクソ面白くもない農業人だ。


「やかましいぞフィル。俺はその普通を愛しているからいいのだ」


 軽口の応酬はあいさつのようなもので、今更腹も立たない。


「しかし雨の日までクソ真面目に農作業してるのはおまえくらいだぞ。うちのクソジジイだって雨を見て二度寝を決め込んでら」


「クソクソ言うな汚らしい。クソは畑の肥料だけで十分だ」


「まあ、今年もおまえの畑がいちばん豊作みたいだな」


 フィルは手近にあった枝からリンゴをもぎ取ると、袖口で表面を拭いてかぶりついた。まだ若い実は酸っぱかったらしい。悲しげな表情を浮かべて自分のかじった跡を見つめている。品種によって、収穫に適した時期が違うのだ。


「気合いが違う。俺はこの畑に命をかけているからな、見よこの宝石のように輝くリンゴを」


 ユージンは陽の光を浴びてルビーレッドに輝くリンゴを指差した。熟した実を選んで放り投げてやると、フィルは器用にキャッチする。今度は満足して頂けたようだ。


「うん、流石に王都の三つ星レストランと契約している農家さんのリンゴは美味いな」


「そうだろう。だけど俺の培った農業力では、明日が最高の糖度を誇る一番美味い収穫時期なんだ」


 フィルの賛辞は嬉しいが、ユージンの勘では明日がいちばん美味い。どうせなら、最も美味しい状態で食べてほしかった。そんなユージンの気持ちなどお構いなしに、フィルはペロリとリンゴを平らげた。


「なんだよ農業力って。それより今日は雨なんだから、そろそろ作業も終わりだろ。街まで出ようぜ」


 どうやらフィルが畑に残ったのは、街遊びに誘うつもりだったからのようだ。


 確かに雨の日にできる作業は限られている。だからフィルのいう通り、いつもより早めに農作業を終えるつもりだった。おまけに今日は毎月楽しみにしている雑誌「農民の友」の発売日でもある。


「だが断る」


「なんでだよ、今乗っかるとこだろうが」


 フィルの抗議を無視して、雨に弱い品種にシートを被せていく。街まで出るには1時間以上かかるし、収穫間近のりんご畑の最後のケアを済ませてしまいたかった。そしてなにより。


「おまえが街まで出る用など女に決まっている。俺にはそんなことに無駄金を叩く余裕などないのだ」


 フィルの顔には図星と書いてあった。村長のひとり息子であるフィルだって、お年頃だ。新しい娼館でも見つけたのだろう。フィルは固まった顔を両の手でほぐすと、やにわに真面目な顔を作った。


「妹ちゃんか」


「ああ。アイツが学校に行くまでにしっかり蓄えておかんとな」


 妹のユフィは秀才だ。そして両親は王都の学校に通わせたがっている。それは兄であるユージンも同じ思いだった。


「いいお兄ちゃんだね。で、その妹ちゃんは納得したのか」


「言うな、鋭意説得中だ」


 しかし困ったことに当の本人はそれを真っ向から否定しているのだ。普段は手のかからない素直な妹だが、かつて見たこともないほど頑強に拒否反応を見せていた。


「可愛いじゃねーか、お兄ちゃんと離れたくないなんて」


 確かに可愛らしい理由である。しかし不眠不休で38時間に及ぶ説得を跳ね除けるほど強固な理由だろうか。最後は寮ではなく両親ともども引っ越すという案まで出した。これには揺れたユフィであったが、畑の世話のためにユージンは村に残るということが判明すると、また貝のように口を閉ざしてしまった。こうなると困るのはユージンである。


「おまえな、秀才の妹の足をボンクラ兄貴が引っ張ってるようなもんだぞ」


「いやまあ、そう言えなくもないが、それは仕方ないだろう。おまえが気にすることじゃない」


 ユージンは盛大なため息をついた。


「村中の視線が痛い。特に両親の」


「なるほど」


 フィルは腹を抱えて笑った。しかしユージンにとっては笑い事ではないのだ。

両親は移住してでも妹にふさわしい教育を受けさせたいと言うのに、ほっといてもしぶとく生き残るであろう凡才の兄が足枷となっているのである。


 なんとかしろ、という両親の視線が針のように突き刺さる。そんなこんなで、自宅だというのに安らぐこともできないのだ。


「中等部に上がる14歳になるまで保留というところまでは、言質を取ったけどな」


「そんだけやって保留かよ」


 フィルは大きな背中を丸めてまたまた笑う。そんな様子を見ていると、不思議とユージンの気持ちも軽くなった。深く考えすぎない方がいいのだろう。少なくともユフィが王都に旅立つまで、今の暮らしを守ってあげればそれで良いのだ。


 ユージンは農作業の手を止めて、自分の畑を見渡した。そこには風に揺られて波打つ、緑の葉と黄金の実をふんだんに実らせたりんご畑が広がっている。


「俺はさ、フィル。ここの生活に満足してるんだ」


 ユージンの言葉に、フィルはようやく笑うのをやめた。


「この退屈な田舎の暮らしでかよ。大した起伏もなく、死ぬまで普通の日常が続くんだぜ」


「ああ退屈だ、でもそれは平穏ってことでもあるだろ」


「まあ、な」


 不承不承ながらも、フィルが頷く。


「取り柄もギフトもない俺だけど、家族がいて畑がある。ついでに口は悪いが根はまっすぐな幼馴染もな。でかい畑じゃないけど、食うに困ってるわけじゃない。村の人は子供の頃からの付き合いで、ご近所トラブルもない。最高の普通だろ?」


「ユージンおまえ・・・・・・・」


 微笑むユージンの言葉に、フィルは顔を上げた。夏の暑さを運び去ってくれる心地の良い風が吹き抜けた。


「死ぬのか?」


「なんでそうなるんだよ!」


「いや、アホみたいにテンプレな死亡フラグだなと」


「平穏な幸せを噛み締めるたびに死んでたまるか」


 どうやらポンコツ幼馴染とでは、真面目な話はできないらしい。そんな日常も含めて、ユージンには幸せだったのだが、フィルは不吉な一言を付け加えた。


「ほら、おまえって不幸吸引体質じゃん。おまえが幸せな時ってのは、なにかしらトラブルの匂いが」


 フィルがみなまで言い終わる前であった。


 凄まじい烈風がユージンとフィルの体を畑の外へと弾き飛ばした。直後、目を覆いたくなるような強烈な光と衝撃が畑に降り注ぐ。地面は抉れ、たわわに実ったりんごたちが宙を舞う。ユージンは腹の底から雄叫びをあげた。


「リンちゃん、あぽーくん、アプリカーナ!」


 隣でフィルがガン引きしているが、今はそれどころではない。

トマトにクラッシック音楽を聴かせる栽培方法だってあるのだから、りんごに名前をつけるくらい普通である。


「きっも」


 轟音に耳鳴りがしているせいで、幻聴が聞こえてきた。


「幻聴じゃな」幻聴が聞こえてきた。大事なことなので2回言いました。


「だから幻聴じゃ」まったくしつこい幻聴である。空気を読んでほしい。


 ユージンは痛む体を引き起こすと、粉塵巻き上がる畑の中心を睨みつける。

砂埃が巻き上がる中には、見たこともない服装に身を包んだ少年少女の姿があった。

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