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地下道

作者: 夕闇優子

 人助けをしたつもりが面倒事に巻き込まれてしまった。

 あの夜、街灯のぽつりと並ぶ小道を散歩していたら、地下道で裸同然の姿で女が横になっていた。歳は二十代前半。胸は丸出しで、かなり丈の短いスカートは股の近くまでめくれている。とにかく私は自分の着ていた上着を寝ている女にかけ、軽く肩を叩いて

「どうかしましたか。」

と呼びかけた。ただ寝ているだけなら問題にないが、本当に体調が悪く倒れているのなら介抱が必要だし、このまま放置しておくのも危険だと思った。私の呼びかけに一分、いや三十秒もしないうちに女は目を覚まし、私の顔を見るや走り去ってしまった。その後無残に投げ捨てられた上着を着なおして家に帰った。あの日から二日経った今日、私は取調室でこの話をもう三度もしている。

 初めに受けた取調べは酷かった。

「若いの女が裸で寝転がっていたら襲いたくなるよな。」

「人生始まったばかりで罪を犯すなんて信じられんが、まぁやってしまったものは仕方ない。」

などと私の話は聞かず一方的に犯人と決めつけていた。疑うことが警察の仕事かもしれないが、ここまで露骨なやり方はいけない。人を犯人と決めつけ非難するだけなら近所のおばさん連中でも可能。しかし警察は税金を給料として受け取りながら働いている。噂話をするおばさんに税金を払う市民はいないだろう。

 この取調べの警察官、若林というのだが段々語気を荒げだし

「女はお前の顔をはっきり覚えていたんだ。ほんと最低だな。人の心もないのか。」

と責め立てた。これに私は

「女が私の顔を知っているのは私が介抱したからです。それに最低なのは犯人であって、それが私と結びついていません。もちろん私が嘘をついている可能性もありますが、同様にその女が嘘もしくは勘違いしていることも十分考えられえます。それに証拠は・・・」

まで喋ったところで頭を上から押さえつけられ、前後左右に揺さぶられた。ここまで取調べを受け、顔を見た以外の証拠がないことは分かった。警察は私の存在しない自白を待っている。そのうちに五十歳くらいの立石という男が入ってきて若林は退室させられた。

 立石の取調べは心地良かった。彼は女の証言も含む全てを疑っていて、それゆえか私の話をちゃんと聞いてくれた。最後に立石は

「君は黒よりのグレーで、女はグレー。」

と言って退室した。

 次の日も取調べが行われ、担当は立石だった。私は今日も昨日と変わらない受け答えをした後、立石にある二つの疑問をぶつけてみた。すると立石は

「私もそこが気になっていてね。」

と苦笑いしてみせた。私の疑問とは至極単純で、まず一つに被害者女性から犯人の体液どころか皮膚の一部すらも採取できず、おまけに争った形跡も見あたらない。しかし犯人の顔を見たと証言している。つまり恐怖か何かで動けなくなり、無抵抗のまま襲われたということだ。立石は

「だとすれば現場の地下道に犯人の体液があってもおかしくないんだが。」

と言った。言われてみればその通りであるが、犯人が挿入後面倒になってそのまま何もせず去った可能性も考えられるし、用意周到な人間で、避妊具を使ったことも考えられる。

 もう一つの疑問はわざわざ人目の付く地下道で犯行に及んだこと。この地下道を抜けたすぐ左手に、ベンチと公衆トイレだけがある四百平米ほどの小さな公園がある。女が抵抗しないなら目撃者を避けるためにそこへ運んでから襲うべきであり、またトイレの灯り以外ないその暗い公園なら顔を見られる心配もなかっただろう。午後も立石と意見を交換したかったが、その願いは叶わず岡嶋という若林に似た人間が現れた。

 岡嶋はこの事件に誰よりも尽力しているらしく、これまで日中は聞き込みで忙しかったそうだ。それが今私の前にいるということは、目撃者が見つかったのだ。以後その目撃者の男をNとする。Nはあの夜、地下道に入ったところで女が男に襲われているところを目撃した。始めは何が行われているか分からなかったNは忍び足で近づき、その野生的な光景を目の当たりにして怖くなって逃げだしたそうだ。しかし今になって救出できなかった後悔に苛まれ、あれこれ悩んでいる最中に岡嶋が聞き込みに来たそうだ。そしてNは私の顔を見たと証言した。

 この話が本当なら、私そっくりの人間がこの町に住んでいて、あの夜地下道を通って女を襲ったことになる。その可能性を信じるくらいならNは嘘をついていると考えるほうが自然だ。私は淡い期待を抱き、立石に話すように岡嶋に自分の考えを伝えた。いや、半分ほど伝えたところで岡嶋が手で机をこれでもかと叩き私の話を遮った。その後は岡嶋からの罵詈雑言に耐え、やっと帰宅命令をもらった。もちろん明日の招待状付きである。

 考えがまとまらず、やや寝不足で入室した取調室には岡嶋がすでに座っていた。昨日の続きである。ただでさえ巨体な岡嶋が座っている私の前に立つと威圧的で、言いたいことが言えなくなるのは昨日体験した。だから今日は席に着く前に一気に話した。

「なぜ犯人の体液や皮膚片が一切出ないのか。凶器で脅され無抵抗を強いられていたということか。地下道で犯行に及んだ意図も分からない。あの地下道は抜けると小さな公園があって、人目を避けるには都合が良いし、灯りが一つしかないから被害者に顔を見られる心配も少なくなる。そして目撃者Nが現れたタイミングも気になる。Nと被害者女性に接点がないか調べるべきだ。あと、もし私が犯人じゃないことが証明されたらどう謝罪するのか、覚悟を持って取り調べしてほしい。以上。」

言葉はすごい能力だと感じる。自分が考えるより先に正しいものが紡がれる。

 熱弁後の沈黙は、岡嶋の怒号が破った。

「目撃証言が何よりの証拠だろ。寝ぼけてんのか。それにNとあの女性に接点はない。俺がNに直接聞いたから間違いない。お前みたいな根っこから腐ってる奴を見ると自分が警察で良かったと実感できるぜ。」

またも沈黙が訪れ、岡嶋の「座れ。」という言葉で席に着いた。悔しいが岡嶋に睨まれ目をそらしてしまった。あと何回これを繰り返せば終わるのか。本当に終わることができるのか。

 しかし神は私をお救いになった。

 取調室に入室して一時間。ノックをして入ってきたのは立石だった。

「お待たせしました。岡嶋君、席を変わってもらえるかな。」

立石は自信のある、それでいて柔らかい笑みを隠していた。私は吉報であることを察知したし、岡嶋も悲報がもたらされることを感じたのだろう。立石の「岡嶋君も本事件の真実をここで知ってもいいけど、どうする。」というセリフと同時に岡嶋は退出した。岡嶋がいなくなったこの空間は妙に広く、それは単にこの部屋を占める人間の体積が減ったからではないだろう。今この瞬間のために生きていた。そのくらい大げさな表現をしても許されると思ったのだ。

 立石から告げられた事件の真相は次の通りだ。

 まず例の女とNは交際関係にあり、最近女が妊娠したことが判明した。しかし出産しても子育てをする経済的余裕はなかった。そこで女は地下道にて裸で横たわり、理性の外れた男によって子供を身ごもったことにしようと考えた。その不純な計画の第一被害者が私だった。

 立石は機械的に説明し終えると急に頭を下げた。テレビ等も含め今まで数多くの謝罪を見てきたが、ここまで人間味を感じるものは初めてだった。「同僚の失敗は私の失敗でもある。」なんて立石は言うがそんなことはない。むしろ私は立石に感謝する立場である。あの女とNの関係を突き止めてくれたのは他でもない、半分以上年下の私に向かって頭を下げ続ける立石なのだから。

 結局、見送り中も立石は謝り続けた。「車で家まで送らせてください。」という立石からの頼みは断った。今日はゆっくり歩いて帰りたい気分だった。家に着くまで二十分、世の中の汚さを嘆くには短すぎる時間だった。

 私はあの女を襲ってはいない。本当に上着を被せただけである。

 仕事を辞めてから一日が長く感じられた。月に一度の通院と、週に一度職業安定所に通うこと以外することがない。そんな退屈な日々に光が差し込んだのは例の小道を散歩しているときであった。

 梅雨晴れの川の早きに魅せられて、私は外出した。貯金が尽きる前に再就職できるか考えながらの散歩は一層私を不快にした。時刻は十五時を少し過ぎたくらいだろうか。尿意を感じ私はあの地下道横の公園の公衆トイレへ飛び込んだ。使わせてもらっているのに文句を言うのは横暴だが、公衆トイレとは全く不合理なシステムである。特に男性用の立ち便器は酷く、誰か一人が足元を汚すと次の利用者は便器から一歩離れて用を足すからさらに汚れる。ここは日本の中でも一番デフレが顕著な場所である。

 この日私が使ったトイレも散々で、仕方なく定位置から二歩離れたところから尿を放った。ダムが放流する様子を好む変人の気持ちも理解できそうなほど豪快に放った。

 全てを終え、さて後はパンツに仕舞うところで小道の方から声がする。下校する女子小学生の声だ。無意識にその声のする方へ顔を向けると、一人の女子と目が合った。慌てて視線を便器に戻しやっと思い出す。今日、いつも以上に便器から離れ用を足していたことを。通常ならパーテーションで隠されるだろうものが、あの子の目にははっきり映っていたはずだ。人生で一番の快感がそこにあった。

 それから私は毎日研究した。あくまでも自然な感じを演出できる方法を模索した。あの夜のそうだ。だから地下道で裸同然で横になる女を同種と勘違いした。しかしあまりにもお粗末な演出だと思い、発情よりも興ざめが勝った。露出とは、あくまで自然に事故的に。警告という人助けをしたつもりが面倒事に巻き込まれてしまった。

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