マジでハード人生なチンピラ君!
「みんな、お茶でいい?それともコーヒー?」
「あ、こら!他人ん家の台所勝手に触るな」
流し台の戸棚をガタガタ探し始めた加奈に翔一が抗議しましたが、知らん顔で茶筒を開けたりコーヒーカップを出したりしています。
二人のやりとりが面白かったのか、壱乃は少し笑って注文を出しました。
「わしらはお茶をもらおうか、おっと不二バァはコーヒー派じゃったかの?」
「んー、安いお茶しかないわよ。コーヒーは、っと、やっぱり一番安い特売品。アンタ、来客用の高いのも買っときなさいよ」
「てめえも余計なお世話だ。つーか、残り少ないんだから使うな!そもそもおまえら来客じゃないだろ」
「ドケチな地上げ屋ねぇ」
散々文句言いながら加奈はコーヒーカップと湯呑みを盆の上に載せてやってきました。
ひとりひとりに器を渡して、最後に二つ残ったカップの一方を翔一に、もう一方を自分が取りました。
あれほど文句をいってた翔一は黙ってカップを受け取り静かにコーヒーをすすります。
向かい合って座った加奈もホウッと一息つきました。
「特売コーヒーも結構いけるね」
「…………ああ」
「今日は災難だったね。散々殴られてさ」
「………ああ、殴ったのはお前だがな」
「うちの食堂に来るようになってからどれくらい経つのかな」
「……三ヶ月くらいかな。例の再開発計画が持ち上がってすぐだからな」
「毎日、よく続くわね。嫌にならないの?こんな仕事」
「嫌かどうかは関係ねぇよ。引き受けた仕事は最後まで……っ痛ってぇ」
わき腹のあたりを押さえて翔一はうめきました。
社長に執拗に蹴られていた箇所でした。
我慢しきれなくなったのかシャツをまくりあげて具合を確かめました。
蹴られた場所は黒い痣になっていました。
横からのぞいた六平太も思わず声を上げるほどひどく腫れていました。
「ひどい!こんなになるまで蹴るなんて」
「ふん、たいしたこっちゃねぇよ。昔は、社長に拾われる前はもっと……」
翔一はそれ以上語るのはやめて顔をあげました。
その視線を無意識に追った六平太の目に箪笥の上の写真立てが入りました。
写真の女性の顔を見た時、六平太は驚きのあまり硬直していました。
六平太だけではありません、六人はそれぞれ違う反応でありましたが、写真の女を見つめていました。
「あ、あの」
「あの人が翔一ちゃんのお母さんだね?」
うまく言葉を出せない六平太に代わり不二バアが優しく語りかけました。
「うん、そうだよ……あ?ああ、そうさ」
似つかわしくない素直な返事を言い直してから、翔一はちょっと赤くなりました。
「亡くなられたのはいつ?」
「俺がガキの頃、風邪こじらせてさ。今じゃ顔もよく思い出せねぇな」
「お父さんは?」
「俺が生まれてすぐに事故で死んだ」
「事故?」
「本業は大学の先生だったらしいんだが、生活費稼ぎの長距離トラックの運転で事故ったそうだ。ってなんでそんなこと訊くん……」
翔一は困惑しました。
不二バアが小さな体で翔一を抱きしめておりました。
驚いて突き放そうとしたのですが、老人相手に手荒な真似はできません。
そんな翔一を加奈も六平太たちもジッと見つめるだけでした。
当惑しているはずの自分の両腕が、不二バアを抱き返していることにも気がついていませんでした。
「つらかったんだね、翔一ちゃん。つらかったんだねぇ」
不二バアの涙声が耳元で聞こえました。
なぜ見知らぬ他人のために泣いているのか、翔一にはまだわかりませんでした。
翔一の顔をさみしい影がかすめ、一瞬うつむいてふたたび顔を上げた時には軽薄なお兄さんの顔に戻ってました。
優しく不二バアを突き戻すと髪をかきあげて、ニヒルに笑います。
「ばあさん、ハードボイルドの人生には『つらい』なんて言葉はないんだぜ」
思いっきり格好つけたセリフ回しに不二バアはじめ全員が目を白黒させました。
加奈だけがクスクス笑っていました。
「ハードボイルドっていうんならもうちょっと高級な煙草とコーヒーとお茶ぐらい買っておきなよ」
「ッるせえ!てめえら、もう帰れ―――ッ!」
「あっはっはっ、じゃあ、またね―――っ」
久方の来客を大騒ぎして追い出し、隣の住人に『やかましい!』と怒鳴られて謝った後で、翔一は一人残った部屋の中で床の上に散らばったコーヒーカップと湯呑みを片付けました。
空になったカップを手にして、ふと思い出し笑いをしてしまいました。
「忘れてたぜ、コーヒーってのは」
カップを流し台に放り込み、慣れた手つきで洗いはじめました。
「……自分で淹れたのと、誰かに淹れてもらうのとじゃ味が違うんだったな」