お宅拝見、ハードボイルド君?
午後の陽射しもだいぶ傾いてきました。
アパートの階段をカンカンと鉄板を踏み鳴らしつつ、八人は上がっていきました。
二階に並ぶドアの列の前を通り過ぎながら、先頭に立った加奈が表札の名前を確かめていきます。
「ここじゃないわね、ここも違うっと。ったく何で私が地上げ屋の面倒見なきゃなんないのよ」
加奈は不機嫌な目で翔一を見ました。
あの後、翔一を自宅まで送っていくように両親に頼まれたのです。
嫌々ながら引き受けると「女の子一人では大変だから」と六平太たち六人組も手伝いを申し出てくれました。
ちなみに気絶したままの翔一は三蔵、五助と六平太が担いで運んでおりました。
「加奈さんとやら、ちと尋ねたいのじゃが」
「ん、何か?えっと、いち、いち……」
「壱乃じゃ、じいさんでも構わんぞ」
「壱乃……えっと何壱乃さんですか」
フルネームを聞こうとしたようですが、返ってきた答えは。
「ただの壱乃じゃが」
「へぇ、ただの……只野 壱乃さんですか。あ、私は美真原加奈ね、安さと旨さのみまはら食堂二代目です」
加奈ちゃん、微妙にというか都合よくというか勘違いして納得してくれたようです。
後ろについて歩く不二バァが緩みかけた口元を押さえ、他の者も楽しそうに笑いを押さえます。
クスクスと小さく笑う声は六平太でしょう。
四郎だけが『何が面白いんだ?』という顔でそっぽを向いていました。
とりあえず壱乃はすっとぼけて話を続けてました。
「この若い衆の住所をどうして知っとるのかね」
並んで歩く壱乃が尋ねてみました。
おおよその経緯は聞いていましたから、お互いの住所を教えあうような間柄ではないのはわかりきっていました。
「ああ、このバカがね、以前出前なんか頼みやがったのよ。パチンコであてたらしくてね、カツ丼大盛でって、あっ。あそこだった、ポンコツ洗濯機に見覚えあるわ」
目指すドアは一番端にありました。
「うわっ、ぼろ!」
ドアの前まできた六平太の第一声がそれでした。
あからさまな言い方は年長者から咎められそうなものですが、全員同じ感想らしく誰もあえて口にしません。
まあ、築四十年以上は経っていそうなボロアパートでした。
しかも割れたドアのガラスがガムテープでつぎはぎになっているだの、外に置いてある洗濯機の外装にヒビが入ってるだの、ドアノブがどこかで拾ってきたような金ピカライオンの顔デザインになってるだの、
つっこみどころだらけの玄関では仕方ないかもしれません。
「なんか家賃安そうだなー」
「いや、それ以上に住んでる人間の貧乏性が見事にあらわれておる」
「しかも毎回、家賃滞納しておる様が見えるようですな」
「う……うるせぇ」
頭を起こした翔一が小さくうめくようにいいました。
大声で怒鳴るほどには回復していないようです。
自分を担いでいた三人から離れるとふらつく足でなんとか立ちました。
「お、気がついたか?あんちゃん」
「ふ、ハードな人生を送る俺様に、このくらい何ともねぇぜ」
立っているのもやっとなのがミエミエな強がりでしたが、乱れた髪に櫛を入れて翔一は鍵を空けました。
「あら、あんた。独身のクセに意外と片付けてるのね」
加奈のいうとおりでゴミだらけを覚悟してのぞいた部屋の中は整然としており、壁に貼ったポスターもそれなりに趣味のいいものでした。
でも、ここでも六平太の容赦ないツッコミが。
「加奈ねーちゃん、これは『片付いている』じゃなくて『置いとく物がない』っていうんだよ」
「やかましい!悪かったな、貧乏で!」
六平太の指摘通り、あるのは箪笥とテレビと冷蔵庫だけ、散らかすほど家財道具がないようです。
「まあ、助けてくれてありがと…………って!なんで、おめーら全員で上がりこんでくるんだよ!」
「なんだよ、映りの悪ぃテレビだな。ゴミ捨て場からひろってきたんじゃねぇか」
「あらあら冷蔵庫の中はビールだけ?ちゃんとしたもの食べなきゃだめですよ」
「あ、こんなところにエロ本発見」
加奈を先頭にして呼んでもいないのに全員がぞろぞろと上がりこんでいました。
おまけに勝手にテレビつけたり冷蔵庫を開けたりと、やりたい放題の困った方々でした。
「まあまあ、皆の衆。少しは遠慮しなさい」
さすがに年長者だけあって壱乃は全員に注意し、部屋の真ん中に腰を下ろしました。
でもって、煙草をプカプカやりながら一言。
「座布団くらい出してもらえんかね?」
「てめーも遠慮しろ!っていうかそりゃ俺の煙草だ!勝手に吸うな」
「ケチな奴じゃのう。ところで聞きたいことがあるんじゃがの」
「なんだよ、クソジジィ」
「玄関のところにこれが落ちとったが、お前さんのかね」
差し出したのは名前が書かれた小さな板切れでした。
適当な板を切って作ったらしく形が少々いびつですが、表札のようです。
「あ、また落ちてやがったか?どーも釘打った穴がユルすぎんだよなー」
「かなり下手な字じゃが。おぬし『西藤』というのか」
「ああ、そうだけど。『下手な字』は余計だろ」
「……そうか、『西藤』なのか。いや別になんでもないんじゃが」
壱乃はそのまま考え込むように黙ってしまいました。
やりとりを聞いていた五助もなんだか暗い顔をしていました。
そんな二人を不二はチラチラ見ながら壱乃の隣に腰を下ろします。