ちょっとズレてるハードボイルド君!
短く刈り込んだ髪に櫛を入れて洗面台の鏡の前で男はポーズを決める。
ピシッと折り目つき黒スーツ上下は昨晩から寝押ししておいた成果だ。
真の男は常日頃から身だしなみには気を使わなければならない。
前の晩から用意しておくぐらいは当然だ、と男はそう考えていた。
きれいに髭を剃ったあごのあたりを撫でて剃り残しがないか丹念にチェックする。
オーケーだ、問題ない。
まだ若いので髭はあまり濃くないのだが、剃り残しは無精髭以上に男の美しさを損なう。
鏡の前でクルリと半回転して後姿もチェック、先日は襟に洗濯ばさみが残っていて大恥をかいた。
二度とあんなことがあってはならない。
彼の仕事は人々を笑わせることではない、人々を威圧することなのだ。
「完璧だ、真の漢、本物のプロはこうでなくっちゃいけねえや」
そう呟いて、ポケットから取り出したサングラスをかけ帽子を深くかぶり、不敵な男の笑顔を演出する。
ハードボイルドの世界を満喫する若者。
ただし本人以外はチンピラファッションとしか見ていないのは周知の事実。
「さて戦闘準備完了だ。行こうか、俺様の戦場へ、な」
男はギシギシと安っぽい音を立てる床を踏みしめて玄関へ向かった。
昨晩懸命に磨き上げた靴を履き、アパートのドアに手をかける。
一瞬だけ動作をとめ、振り返るのは居間、兼台所、兼寝室の箪笥の上。
「じゃ、いってくるぜ。オヤジ、おふくろ」
秒針の取れた時計と雑誌付録のカレンダーの間にある写真立てに向かって笑顔で敬礼し、男はアパートを出た。
コツコツという足音が遠ざかり……築四十五年の木造アパートは静かになった。
そして十五分後。
バタバタバタ、バタン!
「やべぇ、定期忘れてた!」
卓袱台の上に置き忘れていた地下鉄の定期をひっつかみ再び駆け出していく、この間わずか十秒。
今度こそ本当にチンピラハードボイルド(もどき)は自分の戦場に旅立っていった。
「い、急がなきゃ!ウチの社長、遅刻にゃウルサイからな……」
★☆★☆★☆★☆★
閑散とした昼間の住宅街の合間に小さな林、というより木立が少しだけ残っていました。
このあたりはもともとは小さな山だったのですが、人口増加にともない山は切り崩されて市街へと変わり、わずかにここだけに木々が残ったのです。
なぜここだけ残ったかというと昔からここには小さな神社があるからなのです。
神社の鳥居につながる通りは昔は田んぼが、現在では小さな商店街が軒を連ねておりました。
ここは明治の頃からこの地に住む人々の衣食住をまかなってきた、大切な大切なライフラインなのでございます。
そのライフラインも昨今では客足も落ち、少々キナ臭い事件もありで、すっかり活気をなくしておるのが頭痛のタネでありました。
とくに鳥居の真正面の食堂などは昼飯時でも閑古鳥が大合唱しているというありさまで。
「あーあ、壱乃じいちゃんの千里眼でも『何も見えんわい。春恵のやつが、自分は村と縁が切れてしもうた、と思い込んどるせいじゃろう』とかいってるけどさ、モウロクして千里眼まで老眼になったんじゃないの?御年齢八百歳だもんな」
そんな神社の境内で野球帽の少年が一人、狛犬の足元に腰掛けてなにやら独り言をいっています。
そして本殿前の石段でも小柄な着物姿のお婆さんがのんびり日向ぼっこしていました。
二人ともこのあたりの住民ではなさそうですが、旅行者でもなさそうです。
お婆さんの着物は普段着にしては高級そうだし、子供なら学校に行っているはずの時間です。
けれど外出して来たにしては、手荷物らしいものがありません。
ただ二人とも奇妙な物を持っていました。
杖、ただし普通の杖とはちょっと違う。
「あーあ、せっかく山を下りてきたのに。おいらはここで連絡係だなんてツイてないよ。不二ばーちゃんは腰が痛くてうごけないっていうしー」
少年が手にした杖を所在無げに振るとシャン、シャンと澄んだ音が響きます。
杖は先端に金輪をいくつもつけた錫杖という杖、仏様やお坊さんがよく持っているあれですね。
「おいらたちだけ、ここで足止めだよー、つまんねぇな。お前もそう思うだろ」
少年が話しかけている相手はお婆さんではなく背もたれしている狛犬さんのようです。
お婆さんは居眠りしているようで、座ったまま前後左右に小さく揺れています。
まあ、石の塊が答えを返すはずありせんが。
「四郎の奴、『ガキはおとなしく留守番でもしとけ』っだって?おいらだってこう見えても百歳超えてるんだぜ」
狛犬その1の答え、沈黙。
まあ当然でしょう、百年前から狛犬その1の口は閉じられたままですから。
でも少年の話は続きます。
「そーいえば、お前ら二人とも、ああっと二匹だっけか?こうして顔あわすの百年ぶりになるんだよな。同じ原石から同じ石工見習い小僧の手から生まれておいらはド田舎の山奥、おめーらは都会かぁ。世の中、ちょっと不公平だよな」
狛犬その2の答え、やはり沈黙。
狛犬その2は大きく口を開けていますが、少年の勝手な言い草にあきれて、開いた口がふさがらないだけかもしれません。
「……へー、そんなんこともあったんだ。都会ってのもいいことばかりじゃないんだな」
返ってきていない返事に聞き入り、神妙な顔で何度もうなずく少年。
石の狛犬相手に何を喋っているのだか。
「おう、坊主。楽しく遊んでいるところ悪いが、ちょいと失礼するぜ」
気取った声に少年が振り向くと、鳥居をくぐってスーツ姿のお兄さんが一名。
ハンドポケットで格好つけたポーズを決めていました。
「あんちゃんは誰?おいらに何か用?」
「なぁに名乗るほどのモンじゃねぇし、お前ぇさんに用ってわけでもねぇ。仕事がうまくいくようにチョイとお参りにきただけさ。ウチの事務所の神棚に居座ってるお稲荷様はどうも好きになれねぇんでな」
ハンドポケットのお兄さんは肩をいからせながら、不思議そうに見上げる少年の横を通り過ぎていきました。
途中で立ち止まり柱に背もたれして居眠りしていたお婆さんに声をかけました。
「ばーさん?おい、ばーさん」
「…………ん?どなたかしら」