次なる君へ
文房具にはとても良い魅力があると思う。
今日は給料日と言うこともあって、つい新しい万年筆を買ってしまった。そうしたら試してみたくなるのが私と言う人間だ。つい、ノートまで買ってしまった。
職場で必要なものだけを買うつもりだったんだけどな。あーあ、誤字までしっかり残っちゃうな。
でも、書く、と言うことが好きな人はきっと何度もこうして新たな出会いを求めては文房具を買うんじゃないのかな。
今回私のものになった万年筆の書き味はとても気に入ってる。お気に入りのカフェでこうして早速筆を取るくらいには。
でも、いつもそうなのだ。私はスグに飽きる。
先が見えてしまうと途端に興味がなくなる。つまらないと失望するのだ。
読み始めた物語の行き着く先、終末が見えてしまうのと同じ。推理小説で主人公より先に犯人が分かってしまうのと同じ。
途端にそれに価値が見いだせなくなる。
折角あったかいコーヒーが来たからまずは一口。
お気に入りの喫茶店で買ったばかりのノートを広げて万年筆を走らていたわけだけど。
此処のコーヒーは味も気に入っている。それに一つ一つ違うカップに淹れてくれるのがいい。
オーナーのこだわりで、入ってきた客を見てから使うカップを決めるらしい。
さて、コーヒーを堪能しつつ、手元のノートを見返す。
ひどい飽き性だってところまでは書いてある。
要するに何かを成し遂げたことが数えるほどしかないんだ。
日記なんてソレの最たるものだよ。
最後のページまで書いた覚えがない。
困った私の性質は夏休みの宿題とかだったら苦手分野においてのみ、発揮されたけど。
ほら、絵日記とか、読書感想文なんかがそれだ。
その癖私は飽き性のくせに凝り性なんだ。最悪だよね。
一つのことにずーっと集中できないくせにやり始めたらそれをある程度極めるまでやるんだ。そして頭打ちがきて伸びしろを使い果たすと、それまた熱が冷めてしまう。
これ以上やっても上手くならないなって思うと、ね。
そんな私だけど、今の今までやり続けてきたことがある。
何だと思う?こんな飽き性で凝り性な私がずっと続けているものだ。
唯一って言ってもいいんじゃないかな。
けど、それさえ結末を迎えたことはほとんどない。
仕事の所為にはしない。
時間がないからじゃない。
それは、違うって言いきれる。
幼いころからそれは身近にあった。
何のことはないことで、自分にとってそれほど大変なことではなかった。
それはとても愛おしいのに酷く憎らしくて、素晴らしく美しいのに最低に醜悪で、苦しいくらいに長いのにあっと言う間に過ぎ去り、そして代用が出来ないくせにスグに放りだしたくなるものだ。
ああ、簡単すぎただろうか。
いけない、コーヒーが冷めてしまうから続きは自宅に帰ってからにしようかな。
ノートを閉じて片づける。
この万年筆は書き味もこの見た目もやはり好きだ。
今日はいい買い物をした。
今回こそは最後まで書き終えたい、そう思ってる。
違うな、絶対に最後まで書き終えなきゃいけないんだって思うんだ。
それが、私が唯一出来ることだから。
なんてことはないって思っていたたった一つ続けてきたことが、実は多くの願いの上に成り立ってるってことを知ってしまったから。
〆〆〆
さて、帰宅して夕飯とお風呂を済ませて机に向かって彼女は日記を書いていた。
さあ、今日一日あった出来事を面白おかしく書こうじゃないかとペンを握っている。
数行書いて、ペンのノック部分を顎に当てて何かを考えるようにしているからきっと、彼女はどう続きを書こうか悩んでいたんだろう
彼女は少し変わっている。というか達観しているって言った方がいいのかもしれない。
社交的とは言えないものの普通に会社勤めをしていた。
けれど、線引きがあるというか、決して身近に大切な人を作らなかった。
彼女が考え事を終えて、再び文字を綴り始めた時、呼び鈴が鳴った。
こんな時間の来客に覚えはないようで、彼女は首を傾げていた。
そもそもこのご時世だ。いきなり訪問なんてしないと思う。
携帯もあるわけだしね。
彼女はカメラ付きのインターフォンがついてる部屋に住んでいた。だから来訪者の確認をしようと腰を上げた。
そしてインターフォンにはニット帽をかぶった男が映っていた。
彼女はその男を見て、一瞬悲しそうに眼を細めた。けれど、すぐに薄く苦笑するようにして呟いた。
「…来たかな」
でも、きっと彼女と男は知り合いなんかじゃないと思った。
だって、彼女が扉を薄く開けるなりするりと侵入した男は彼女の首元に鋭い手刀をいれたから。
彼女は特に抵抗らしい抵抗だってしていなかったのに。いや、出来なかったのかもしれないけど。
彼女の視界は此処で一度暗転した。気を失ったんだろうと思う。
で、次に彼女が目を覚ましたらそこは新幹線の中。
普通なら取り乱すところだと思う。なのに彼女はやれやれって肩を竦めるばかりなんだ。
そうして面倒そうに窓の外を見た。富士山が見えて丁度山頂が日の光でオレンジに染まっていた。
そういえば、この朝日に照る富士が見えるのはどの時間帯の新幹線だったろうか。
出張で使ったことのある路線、新幹線を思い出してはみたものの、詳細まではわからなかった。
けれど、彼女には分っていたらしい。
「ふふ、6時台発の新幹線かな…気絶したまんまの私を連れて乗るとは…物好きな奴」
しかも行先は大阪か、京都あたりだろうか。
私が感じた疑問は彼女が呟いたことで解決した。
「京都、か」
彼女の呟きを拾ったのか溜息交じりに隣の男が口を開いた。
「アンタ、今の状況を理解しているのか?」
彼女がゆっくりと男の方を見る。
ニット帽で隠れているけれど、彼は不思議な色の髪をしていた。
透明度の高い氷のような、正確には雪のような白銀。落ちる影は薄青。
瞳は紫電。まるで人形のような、と表したくもなる。
普通なら染めている、カラコンとかって考えるんだろうけど。
彼女はそう思わなかったらしい。
すこし意地悪に笑って男を挑発するように返答する。
「京都へ誘拐中」
男が身構えた。それもそうだと思う。
彼女の返答を周囲の一般人が耳にすれば警察沙汰になりかねないわけだし。それは男としても望まない展開だったらしい。
おまけに行先も彼女は言い当てていたようで、男はその鋭い相貌に警戒を滲ませながら低く言葉を返してきた。
「…理解していてそれか?」
下手なことをするとまた眠らせると目で告げていたけれど。
彼女は一笑に付して相手にしていないようだった。
私にはこんなことは絶対にできない。
だって、こんな頭の悪い文章をだらだら書き綴っているくらいだし、高度な駆引きなんてできるわけない。
けど、彼女は違った。自分のもつ最大の切り札さえ簡単に使って見せることで男の優位を揺さぶってみせたんだ。
「逆に、キミこそ理解しているの?」
男が訝し気に彼女を睨みつけている。くすりと笑って見せて彼女はこう言ったんだ。
「今、私には三つ、選択肢があるってこと。一つ、騒ぎを起こしてこの新幹線を停める。二つ、おとなしく貴方たちと京都に行く。三つ、ここで、死ぬ」
最後の選択肢を告げた瞬間、空気が凍った。
男は瞠目して彼女を凝視していた。
彼女は変わらず笑みを浮かべたまま男の紫電の双眸を見据えて言い放つ。
「そもそも、私に死なれて困るのは貴方たち。私は自分の番が来た時点でどうせどう足掻いたって結果はどれも同じだって知っている。だったら、それが早いか遅いかの違いでしかないわけ。貴方たちこそ、今の現状を正しく理解してるの?」
男は歯噛みした。
それは彼女の言葉がきっと正しいからだ。
そして、彼女の命が失われれば男にとっては痛手なのだってこともその表情は物語ってた。
同時に彼女と男が座ってる席の近くで身構えた男女が数名。
きっと、彼女がずっと貴方たちって言い続けていたのはそういうことなのかもしれない。
「全力で阻止するまでだ」
「そう、出来るの?また意識を落とす?次に覚醒するときは全てが終わっていないことを祈るといいわ」
ぐ、と男が短く呻いた。
きっと、もう時間がないんだ。
彼女はそれすら見越して自分の命をカードとして切ったんだ。
その上で彼女は歌うように、何かをそらんじるように周囲には聞こえないように配慮された小声でもって男に告げていった。
それが何を意味していたのか、私が知ったのはずっと後のことだったけど。
「お国のために死んでくれ。美談よね。遺された人たちが心を病まないように美談にされるだけだけど。美談にされる身にもなってほしいものだわ。決して美しい話ではないんだから」
男がそっと彼女から視線を逸らした。
身に覚えがあったのかもしれない。
彼女はそんな男をじっとみたまま続けた。
「そうやって私の前の私は悲しそうに笑い泣きして死んでいった。その前の私は神の身勝手で。その前の前も、その前の前の前の前も。そんなものよ。利用されて、死んで、また繰り返すの」
お前にその悲しみと苦しみとがわかるのか、と問いかけるように彼女は自分自身を語り続けた。
「私と言う存在はそういう約定の下で世界を廻る。救って死んではまた、死ぬ為に生まれて、そうして使われて死ぬの」
男の顔が小さく歪んでいた。もう、聞きたくないとでもいうように。
けれど、彼女は真実から逃げることは赦さないとばかりに語り続けた。
「死ぬ年齢はまちまちね。でも、30より長く生きたものはいない。それは確か。私は長寿の部類ね、もうすぐ期限の30歳だったから」
だから、すべてを整理していつでも死ねるようにしてあるとまで言って、彼女は口を閉ざした。
男は努めて無表情を装っているけど、眉間による皴は隠せてはいなかった。
彼女の口調に初めて怒りという感情が乗せられた。
「呼ぶのならせめて覚悟を決めておいて欲しいものだわ」
それきり、今度こそ彼女は口を閉ざしてしまった。
その後、おとなしく連れられて行ったから彼女はきっと選択肢の二番目を選ぶことにしたのかもしれなかった。私にはどうしてだかわからなかったけど。わからない方がいいのかもしれないけれど。
新幹線から降りてからは大型バンに乗せられて彼女は何処かのお屋敷に連れてこられていた。
私の語彙力がないから、木製で、立派で大きいとしか表現できない。きっときちんと知識があればこれは伝統的な木造建築のとかって説明できたのかもしれない。
でも、そうだな、昔の教科書に載っていた寝殿造に似ているような気もした。
どちらにせよ、彼女にとっては忌々しい場所らしかった。
その屋敷に入ってからむっつりと押し黙ったままだったし、不機嫌さを隠しもしなくなっていたから。
案内された部屋で待つように言われたんだろう。彼女は畳敷きの広間に一人残されていた。
少したって、足音が戻ってきた。それは複数の足音だったからあの男以外にも彼女に会いに来た人がいるんだと思う。
さらり、衣擦れの音ともに入室してきたのは真っ白な少女だった。
その少女に付き従うように先程の男も戻ってきた。
彼女は視線だけをその二人に送って正面を向いたままだ。
「豪胆なのですね」
白の少女が鈴を転がすような声で言ったけど、やっぱり彼女はむっつりと黙ったままだ。
少女が困ったように幾度か声をかけるも無言のままだった。
いい加減痺れを切らしたのか、ニット帽の男とともに入室していたもう一人の男が彼女を怒鳴りつけた。
まるで時代劇のようなセリフで私はほんの少し今どきそんなこと言うんだなんて思ってたっけ。
今まで無言で微動だにしなかった彼女がすう、と鋭い視線を怒鳴った男ではなく、白の少女へと向けて人差し指を立てた。
真っ直ぐに自分の真上を指さして彼女は少女を鋭く見据える。
怒鳴りつけた男が今度は顔色を青くして前のめりになっていた身体を後ろへ戻した。
「鐵、どういうことですか?」
白の少女がはっとしたように顔色を変えた男を見て問い詰めたけど、鐵と呼ばれた男は言葉を詰まらせて、金魚のように口をパクパクするばかりで答えなかった。
「鐵、必要ありません。今すぐに下がらせない」
白の少女が強く命じれば苦い顔をして手で何やらサインを送った。
「申し訳ありません。非礼をお許しください」
「今更ですね。あなた方はいつだってそうだった」
非礼も何もない、そう彼女は吐き捨てて、こう続けたんだ。
「私たちに死を命じてきたくせに今更だ。私たちの許しなど得られるはずもないでしょう」
僅かに白の少女の瞳が揺らいだ。
彼女はそれを見て心底不快だというように溜息を吐き出した。
「同情したところで死ねと命じるのでしょう?無意味ですよ」
貴様、と青筋を浮かべた鐵が詰め寄ろうとするも、白の少女がそれを制した。
年若く見えるけれど、人の上に立つ身の上なんだろう。
今度は揺るぎない視線で彼女を真っ直ぐに見つめていたから。
「覚悟のうえで貴女を呼びました」
「なら、やるべきことはわかっているはず」
彼女は温度のないどこか他人事のようにそう返したんだ。
もう、諦めてしまっているような、そんな平坦な声だった。
「は、はい」
白の少女は震えていた。
さっきまでの凛とした表情のままだけれど、これから行うことを恐れるように。
ニット帽の男が白銀なら、少女は間違いなく真っ白だ。色がないんだ。
だから、真っ赤な瞳だけが目立つ。
うさぎのような色、そういえば可愛いかもしれないけれど、私にとっては身近に見たことのない色合いだった。
きっと、私が彼女ならちょっとその外見に気圧されてしまうかもしれない。
けれど、彼女はそんなことは些細な事だと言わんばかりに泰然として、やるならやれとばかりにその場に座っているんだ。
彼女がここにきて瞬きではなく目を閉じた。
深呼吸を二度、それからゆっくりと目を開いて白の少女をもう一度見て、はじまりの言葉を告げた。
「問おう、私の名を。応えろというのなら、相応しい名を呼べばいい」
白の少女が両手を握りしめるようにして彼女と対峙していた。
きっとお腹に力を入れているんだろうな、この時の彼女は雰囲気が全く違ったから。
重いと言うか、怖いというか。
重圧があったんだと思う。
小心者なら逃げ出したくなるような雰囲気だった。
白の少女が一度口を開くも、閉じた。
迷っているんだろうか、彼女の名前を呼ぶだけなのに。
そうして、彼女にとっては落胆する行動をしてしまったらしい。
白の少女が一度視線を外してニット帽の男をの方を見たんだ。
彼女も視線を畳に落として長く、大きく息を吐いた。
「覚悟はしてたんじゃないの?」
「そ、それはっ」
「不適格だ」
切って捨てるようにそう言った彼女に白の少女が初めて表情を崩した。
今にも泣き出しそうな、不安に押しつぶされてしまったような、そんな顔だった。
「待ってくれ、未だ答えていないだけだろう!」
ニット帽の男が少女を庇うように言い募った。
けれど、彼女は立ち上がって二人を見下ろすと告げたんだ。
「時間切れだよ。覚悟も、調べも足りないなんてね」
彼女は中庭へと続く襖を両手で開け放った。
そこには混沌が渦巻いていた。悪寒がする光景だった。
黄泉の国から死者が渦を巻いて湧き出しているように見えたんだ。
恨み、嫉み、憎しみ、苦しみが全ての生きてるものを呪おうとしてるみたいに轟々とうなりをあげてた。
それは罅の入り始めた何本もの鎖でこの屋敷の中庭にある大きな巌に縛り付けられているみたいだったけど、その鎖は長くはもたないって誰が見たってそう思える状況。
そこへ彼女は裸足のまま踏み出したんだ。
背中越しに部屋の中からこちらを見る視線に彼女は声をかけた。
「私は此処で死ぬでしょう。だから思い知ればいい。私がどんなモノなのか、あなた達一族がどんなものを私たちに背負わせたのか。背負わせたものを忘れるなんて、絶対に許さない」
生きのを呑む気配は彼女に伝わっていたんだろうか。
彼女は柏手を一つ打った。
合わせた手をゆっくりと離していくとそこには美しい日本刀が現れたんだ。
それはきっと、彼女の言う"私たち"の幾つかある名前の一つの形で、与えられ、背負わされたっていう何かの一つなんだろうな。
「私は剣。故に私は穢れを絶つ。私とともに永劫の混沌へ堕ちていくがいい」
彼女は酷薄に笑って、手にした剣を振るった。
身体が方法を知っているとばかりに穢れに向かって迷いなく振るっていった。
黄泉の国からの来訪者はその腐った肉を削がれ、骨を断たれて絶叫した。
首を刈って、胴を突いて。露を払ってまた繰り返していくんだ。生者へと牙をむく摂理に反した存在を切って、狩って霧散させていくんだ。
そうして混沌の渦が薄まって勢いをなくした時だった。
彼女は手にしていた剣を巌の根元に突き刺して叫んだ。
「我が身を以て封印と成し、我が名を以てこの地に縛さん」
その言葉の通りだって何故だか分かった。
彼女はその命を対価に封印を補強したんだってこと。
だから、きっと、彼女に明日なんてないんだ。
この場所に来てからずっと不機嫌だったのはその時が近いことを知っていたからなんだろうか。
わからないけれど、でも、私には納得が出来なかった。
彼女は納得の上だったのかも、分からないけれど。
「ねえ、覚えておくといいんじゃない?あなた達一族にとって私たちは道具。その他大勢を救うために犠牲にする為の道具。呼べない主人なんて要らない。私は私の大切な人の為にこうすると決めただけ。使えない道具なら初めから呼ばなければいいのにね。優しさなんて今更だってわかった?」
少女は怒ったことを認めたくないように、それでも必死になって見届けようとしているみたいだった。
彼女は最後の最後で苦く笑って呟いたんだ。
「そうね、どうせ呼ぶなら名前を呼んでくれればいいのにね」
ふわりと蛍のような光が彼女を包んでいった。
それは段々と増えていって、やがて巌に吸い込まれるようにして消えてしまったんだ。
亡骸さえ、残らなかった彼女。
こんな理不尽が世界のどこかでひっそり起きてたなんて、きっとほとんどの人は知らないんだろうな。
けど、もう分かってる。いや、分かっちゃった。
次は、私の番だ。
時が来るまではこの魂の記憶とも言える悲しい連鎖はきっと封印されてるんだと思う。
私は今になってやっと役目も自分が何者かも思い出した。
思い出してしまえば私たちの本当の願いも思い出してしまう。
その願いがかなえられること私の番ではないんだと思う。
だって、"私たち"の悲願ともいえる本当の願いはね。
道具としてでなく、依代としてでなく、人としての名を呼んで欲しいってものだから。
道具として使うために呼び出された私にはそんなもの、望むことは無駄って思うよ。
始祖の私はずっと、ずっと待ってるんだよ。名前を呼んでくれるのを、この連鎖が終わることを。だって、その時こそ役目から解放されて愛する人と生きて死ねるんだから。
戦いが終わったら名を呼んでくれると約束した遠いあの日のことを"私たち"は忘れてないんだ。
だから、次は、次こそはって思って、願うんだよ。
私は明日、死ぬ。
水に沈められて、生贄として死ぬ。
きっと死んだら彼女のように次の私にこの悲しい連鎖について伝えに行くんだろう。
苦笑気味に私は呟いた。
「初めの約束を守る気なんてないんじゃないのかな…」
もし、そうだとしたら私として生まれた時点で希望なんてないんじゃないかな。
そんな、最悪のことを考えて、明日が来なければいいのにって本気で思いながら軟禁されている部屋の中で私は最後の眠りについた。
――手にした力を己のモノと驕るのならば…
轟々と赤い炎が音を立てて全てを呑み込んでいく。
それはある種の開放を意味しているのに、私はぽかんと口を開けて放心していた。
"私たち"の役目が、役目を負わせてきた一族が、今、焼け落ちていくのだから。
護ると定めた血脈が絶たれ、私の魂を縛り付けていた血の力が燃え落ちていく。
けれど、自由と引き換えに私は耐え難い運命を前に涙がこぼれる。
名を返してもらえずに、呼んでもらえずに、呼ぶべき人々がみんな死んでしまった。私は人に戻れなかった。"私たち"は道具として永劫を廻ることになったから。
「どうして…なんで…」
ようやく吐き出せたのはこれだけだった。
だって、火をつけて私を扱うべき人たちを焼き殺してしまったのは私を死なせたくないと言った人だったから。けれど、その人が私に、"私たち"に永劫の苦しみを与えたのだなんて言えるわけがなかった。
目の前で振り返った人は嗤って、笑って、そうして狂った幸せを噛み締めるように言ったんだ。
「これでやっと僕のものだ」
ああ、"私たち"が、…私が耐え難いと泣き出した。
「やっと、馬鹿にしていた奴を見返せるよ!」
ああ、やっぱり、と私は視線を落とした。
この人は、私の為なんて言っていたけれど、そうじゃない。自分のためだ。
私を助けたかったんじゃなくて、私の力を欲しただけの愚かな人だ。
だから、告げる。
「いいえ、これで"私たち"は永劫誰のものでもなくなりました」
「真名を知っているんだ、キミは僕のものさ」
「ならば、問いましょう。貴方が呼ぶ私の名は?」
にやりといやらしく笑って彼はその名を呼んだ。呼んでしまった。
「――――、共に在れ」
私は落としていた視線を彼に戻して、答える。
「………残念です。とても、とても悲しい。それは"私たち"に与えられた名の一つです。けれど、約束の名ではありません」
彼は瞠目して、何故だ、そんなはずはとさっきまでの笑みを崩して顔色を変えた。
ああ、彼が告げた名は私が、"私たち"が死を齎す為の名だ。
私は果たしてこの地に死を齎した後、死ねるんだろうか。叛逆を恐れて縛られていた血の力は焼け落ちている。リミッターがない状態。
それでも私は呼ばれた名に応え、その名の通りに姿、形を変えて顕現する。そうして、遂に私は"私たちは"人を殺してしまった。
反転してしまった役目。私は護る為に使われるべき存在だったのに。
――そうかしら。私たちは見えぬふりをしていただけ
「…初めから彼らは使い勝手の良い力とその器が欲しかった。ただ、それだけで」
――"私たち"を人に戻すつもりなんて
「なかった…」
なら、私は…。
始祖が馬鹿だったんだ。他人なんて信じるから。
裏切られたんだ、悲しい。苦しい。痛い。きっと目に見えない傷がたくさんあるんだろう。
でも、私を、私たちを生んで、育ててくれたのもその、他人であり、人だから。
「なら、せめて人に戻れないのなら…」
時に優しく、時に厳しく、時に命さえ奪い、それでも多くの命を育み、見守る。
空に大地に海に、私たちは在る。
「刃も、炎も、巌も、水も、全てを返し、我らは肉の器を、形を脱ぎ捨てよう」
そうして"私たち"は新たな名を冠して世界を渡ろう。
〆〆〆
ふう、と息を吐いて万年筆を置く。
気が付いたらもう夜明け近い時間になってる。
下手くそな字で、まとめきれなかった文章を綴った一冊のノート。
万年筆のインクも少しかすれてきてる。勿論カートリッジ式の万年筆だから替えのインクも用意してある。けど、それはきっと必要ない。
ここまで書けばもうすぐ終わりにできるから。
もう、きっと読んでくれてる人は察してると思うんだけどさ。
そう、私はバトンを受け取らずに済んだ、私。
"私たち"の一人になるはずだった私。
だから私は飽き性で凝り性な困った自分でもできる唯一のことをずっと続けてるんだ。
それは、生きる、こと。
普通の人として、友達と家族と、好きな人とと生きられることは当たり前で普通のことだと思ってた。
でも、違うんだよって教えられて。自分もバトンを受け取ってたらって思うととたんに普通がすごく大切に思えた。私は生かされてる、だから飽き性だからって無為に過ごすのは勿体ないって。
私はなんとなくだけど、アンカーなのかなって思う。だから、彼女たちの分まで必死になって"今"を生きてる。生きなくちゃって思ってる。
けど、彼女たちが居たってことを、彼女たちも精いっぱい生きたんだってことを覚えておきたくて、こうして拙いけれど文章にすることにしたんだよね。
私にそれを夢って形で告げてくれたのは二人だったけど、それだけでも私にとっては衝撃だったしたくさん泣いた。
ほんとはもっとたくさんの彼女たちが居たんだろうから。
でも、今は彼女たちも違う名で自由に世界を渡ってるから、それだけはよかったのかもって思えてる。
私は、彼女たちをこうやって呼んでる。
天つ風って――…。
ほら、今日も笑いながら吹き渡っていく――…
どうも、肩こり小僧です。
まったくなあ、あの人ったら人使いが荒いんだからなあ…。
いきなりノートを渡してきたと思ったら、これ、ネットとかに上げられないかなあ?なんて言ってきてさ。
いやまあ、出来るんじゃないです?って答えたら、やっといてって…。
いつもとちょっと感じが違ったからつい了承しちゃったけど…。
ノートの内容を見て納得したような、信じがたいような。
うーん、まあ自分には真偽の判断なんてできないし。
とりあえず期日には間に合ったから今度ファミレスでドリンクバーでも奢ってもらうことにしよう。
肩こりが酷くなってきたからそろそろお灸に行くとしますか~。
肩こり小僧。