悩み後、晴れ
★7月18日(月)
今日は祝日。
海の日と言う、何だか良く分からないお休みの日だ。
「山の日もそうだけど、一体どーゆー経緯で祝日化したんだか……」
昨日の疲れからか、昼過ぎまで死んだように眠っていた俺は、居間でテレビを眺めながら一人、素麺を啜っていた。
画面には緊迫した面持ちのキャスター。
何やら特別報道番組みたいなものがやっているようだが……
内容は、何でもオーストラリアにある巨石、エアーズロックの天辺に、突如として50人近くの日本人が現れたとか何とか……超常現象の類的ニュースのようだ。
「……」
気にしないでおこう。
むしろ、異次元よりの無事帰還を祝っちゃおう。
さて、そんなこんなで朝食兼昼食を済ませた俺は、取り敢えず部屋でゴロゴロ。
まどか辺りに見られたら、ヒマならみっちり練習しなさい、とか言われそうなのだが……
如何せん、身も心もオーバーロード状態なので、なーんにもする気力が起きないのだ。
「……とは言っても、時間を無駄にするのは性に合わないしなぁ」
俺はベッドから起き上がり、大きく息を吐く。
「どり、少し街をブラつくか。夕飯の買い物もあるしな」
★
商店街は良い感じで混んでいた。
さすが休日だ。
涼やかな色合いの夏服に身を包んだ老若男女で、アーケードのある地元商店街はごった返している。
取り敢えず俺は靴屋を冷やかしバーゲンの服を眺め、本屋で立ち読み。
それからCDショップを散策した後、何か新作ゲーム(主にH系)でも出ているかなぁ……と思い、馴染みのPCショップへと足を向けると、
「ぬ…っ!?」
目の前を歩いてくるのは、まどかの馬鹿ではないか。
学校の友達なのか、見知らぬ女の子を2人連れて歩いている。
一人は普通で、もう一人は……養豚所に行ったら間違えて解体されそうな体型をしたフォート級な女の子だ。
まさに飽食日本万歳と言った感じ。
俺は苦笑を浮かべながら、『さて、どうする?』と心の中の選択肢クンに問い掛ける。
①無視する
②無視する
③無視する
満場一致で考えが纏まったので、俺は即座に脇道へと隠れた。
こんな所でまどかに会ったら、またどんな過酷なイベントが発生するのやら……考えるだけで涙は零れ足は震えて頭痛に鼻水にくしゃみが出てしまう。
せめて休日ぐらい、俺はのんびりとしたいのだ。
それに友人と一緒なら邪魔しちゃ悪いしね。
そんな訳で俺はそのまま、裏道からPCショップへと向かうが、
「ん?洸一か?」
「……」
今度は真咲姐さんとバッタリと出くわしてしまった。
これは一体、何のトラップだ?
「よ、よぅ真咲。奇遇だな。まるで邪神……もとい、神のお導きのようだぜ」
「そうだな」
と、薄手のシャツがよく似合う真咲さんは、ニッコリと笑顔を溢した。
「洸一は、こんな所で何をしてるんだ?」
「ん?別に……ただブラブラとな。夕飯の買出しもあるし……」
「そっか…」
と、真咲姐さんは頷き、笑みを溢しながら、
「良かったら、一緒にお茶でも飲まないか?」
茶か……
そう言えば、ぼちぼちオヤツの時間だし……
さすがに素麺しか食べてないので、俺様も小腹が空いてしまった。
「そうですなぁ。暑いし、何か冷たいスィーツでも摂るとしますか」
「うん、そうだな。だったら駅前のファミレスにでも行くか?」
「……いや、商店街の茶店にしよう。ファミレスだと、なんか混んでいそうだしな」
それに知り合いに出くわして妙なイベントに巻き込まれる可能性も高いしね。
常に安全な道を選ぶ。これが俺様の生き様、モットーなのよ。
★
商店街の一角にある喫茶店、『バロン山田』。
名前とは裏腹に、店内は木目調のシックで落ち着いた雰囲気であり、またマスターのこだわりからか、コーヒーやココアが非常に美味い、隠れた名店なのだ。
さすがに、連休中は混んでますねぇ……
店内は程よく満席に近い状態だった。
俺と真咲姐さんは、空いていた窓際のテーブル席に向かい合って腰を下ろし、ウェイトレスのお姉ちゃんに、
「さて……僕ちゃんはアイスココアとプリン・ア・ラ・モードにしよう。疲れているからなッ!!んで、真咲しゃんは?」
「宇治金時」
と、注文を出す。
さすが真咲姐さん。渋いチョイスだぜぃ……
「しっかし、あと一週間で夏休みかぁ」
椅子の背にもたれ、俺は天井を仰いでフゥ~と大きく息を吐く。
「今年の夏は、何をしようかのぅ」
「取り敢えず練習しかないだろ」
真咲はおしぼりで手を拭きながら、真顔で言った。
「私はインターハイ。洸一も予選大会があるだろ?」
「まぁ、そりゃそうだけど……それを言ったら身も蓋も無いと言うか、微妙にしょんぼりするぞ」
俺としては、これぞ高校生の夏、と言うイベントを体験したいんじゃが……
自転車で日本一週とか。
・・・
ま、全くやる気はねぇーけど。
「それが事実だから仕方あるまい」
ぬぅ…
「そう言えば、夏休みと言えば、臨海学校があったなぁ」
臨海学校。その名の通り、海での課外授業だ。
学校所有の海辺の宿泊施設に泊まり、昼は自由だが夜はお勉強と言う、何だか少ししょっぱいイベント。
ただ幸いなことに、この行事は強制では無く、あくまでも自由参加なので、本気でヒマな奴以外は絶対に参加しない所が結構いい加減になっててグーなのだ。
ちなみに去年の参加者は……全学年合わせて15人程だったそうだ。
もはや止めてしまえ、と俺は言いたい。
「臨海学校か。そんな行事もあったな」
真咲さんは苦笑を溢した。
「洸一は去年、参加したのか?」
「しねぇーよ。去年はずーーーーっと、バイトしてたわい」
もちろん、今年も参加するつもりはない。
俺はそこまでヒマではないのだ。
「私も去年は、ずっと部活に出ていたからなぁ」
真咲姐さんはそう言うと、顎に指を掛け、
「海か……」
と、呟いた。
何だかちょいと、雲行きが怪しい。
「なぁ、洸一……」
「嫌だ」
「ま、まだ何も言ってないじゃないか」
真咲は少しムッとした顔になった。
「言わなくても、何となく分かる。どーせ、今年は参加してみよう……とか言うんだろ?」
「な、何で分かった?」
「だから、何となくだ」
俺はそう言って肩を竦める。
と、丁度お姉さんが注文の品を持ってやって来た。
「別に……たかだか2泊3日じゃないか。それに学校行事だから只だぞ」
真咲さんは緑色をしたカキ氷にスプーンを突き立てながら、チラリと上目遣いで俺を見やる。
「うぅ~ん……確かに、只で海へ行けるのは良いと思う。だけどなぁ……あくまでも学校行事じゃん。なんちゅうか、束縛されてて自由が無いっちゅうかさぁ……それに聞いた話だと、泳ぐ時はスクール水着着用って話だぞ」
「ん?それがどうした?」
「どうしたって……ま、俺も女子のスクール水着は嫌いじゃない……って言うかむしろ好きだけど、一般の人も大勢いるんだぜ?そんな所にスクール水着の団体、しかも小学生ならまだしも高校生が先生の監視の下で泳いでいるなんて……田舎風味丸出しで、プライドの高い僕ちゃんには耐えられないっスよぅ」
「私は別に平気だぞ?」
「あ、あらまぁ。こーゆー場合、どっちかって言うと女の子の方が嫌がると思うんじゃが……」
「何故だ?」
「何故って……だってスクール水着で海ですぜ?例えるなら、オリンピックに学校ジャージで参加って感じですぜ?」
「うん。だからそれがどうしたんだ?」
真咲姐さんは不思議そうに首を傾げる。
「あ、いや……何でもねぇーです」
俺はストローを咥え、アイスココアを啜りながら彼女の視線を逸らすように窓の外を眺めた。
いやはや、さすが真咲しゃん。質実剛健でいらっしゃられる。
しっかし、今日は本当に人が多いですなぁ……
「――ブハッ!!?」
いきなり咽てしまい、ココアを少し噴出してしまった。
「ゲ、ゲホッゲホッ…」
「だ、大丈夫か洸一?」
「あ、あぁ…」
俺はおしぼりで口を拭いながら苦笑を溢すが、
や、やべぇ……
これはやばいですよ。
何故ならだ、窓の外を眺めていたら……友達と歩いているまどかと、バッチリ目が合ってしまったからだ。
洸一チン、本当にツイてないね。
★
うへぇぇ~……バレたかな?
まぁ、バレたよなぁ……
真咲と二人でお茶している所を見られたモンなぁ……
これは間違いなく、後でイチャモンを付けられるね。
俺は心の中で大きく溜息を吐きながら、チラリと窓の外に目をやる。
が、既にまどかの姿は無かった。
ま、お友達と一緒だったし……今日は大人しく帰ったみたいだな。
・・・
いや、俺の家の前で待ち構えている可能性もあるか。
「なぁ洸一」
「ふにゃ?」
と、俺は視線を戻す。
「臨海学校、どうするんだ?」
「いや、だからさぁ…」
「今日は海の日だし、参加しても良いじゃないか」
「どーゆー理屈か全く分からんのじゃが……」
俺はプリンを食べながら答える。
チリンチリンと、喫茶店の扉の開く音。
人が出たり入ったり……夕方近くになっても、まだまだバロン山田は盛況のようだ。
「しっかし、臨海学校なんてそんなに行きたいものか?」
「ま、まぁ……洸一がどーしてもと言うのなら、参加してやっても良いぞ」
「いや、だから俺は参加したいなんて一言も言ってないし、微妙に話が噛み合ってないような気がするんだけど……」
俺は困った顔で真咲しゃんを見つめる。
とその時、
「あっれぇー?真咲じゃない?」
頭上から聞き慣れた……聞き慣れ過ぎて悪夢にすら出てくるお声。
チラリと俺は顔を上げると、そこにはまどかと連れの女の子が立っていた。
こ、この野郎……店に入って来やがったよ。
「ま、まどかか……」
真咲姐さんも驚いた顔をしていた。
「まさかこんな所で会うなんて……奇遇ねぇ」
そんな白々しいことを言いながら、まどか達はちょっと狭い通路を挟んだ隣の席に腰掛けた。
そして俺を睨み付けながら、真咲に向かって、
「休日に洸一と一緒にいるなんて……もしかしてデートなの?」
「いや、違うぞまどか。洸一とは偶々そこで会って……な、洸一?」
「そ、そうでごわす」
俺は大きく頷いた。
「ふ~ん……そうなんだぁ」
ぬ、ぬぅ……
なんか、物凄い殺気を感じるんじゃが……
「ま、まどかは……友達と買い物かい?」
と、俺は笑顔を作りながら尋ねる。
「……そーよ」
実に素っ気無いお言葉。
かなり怒ってらっしゃるようだ。
・・・
何故に怒るのかは全く分からんが。
「な、なぁ洸一」
「は、はい」
俺は再び視線を真咲しゃんに戻す。
「海……どうする?」
「うぅ~む……真咲がどうしてもって言うのなら、少しは考えるけど……」
「え?なに?何の話?」
まどかが向こうの席から割り込んできた。
連れの女の子達は既に置いてけぼりだ。
「海って……もしかして、二人っきりで海へ遊びに行こうって話?」
くっ、物凄い殺意の波動だ。
YESと答えた瞬間、撲殺されそうな気配が漂ってるぜ。
「あ~……違う違う。俺の学校でな、臨海学校って言う自由参加の行事があって……」
「自由参加?だったら参加しなくても良いじゃない。はい、決まりね」
まどかは速攻で結論を出してしまった。
他校の生徒なのにだ。
うぅ~む、相変わらず天晴れなほど傍若無人というか……
連れの女の子達も些か戸惑っているではないか。
それに真咲しゃんも……
「おい、まどか」
ほら見ろ。あっという間に殺気でムンムンじゃんッ!!
「これは私と洸一の学校の話だ。貴様には関係ない」
「なによぅ。そんなに行きたいんなら、独りで参加すれば良いじゃない。洸一だって迷惑そうな顔してるわ」
「そうなのか洸一?」
「え?いや別に……」
俺はフルフルと首を横に振った。
「なによぅ。そんなしょーも無い行事、出来れば参加したくないって顔に書いてあるじゃないのぅ」
くっ、相変わらず鋭い。
「ま、まぁそれは……」
「そ、そうなのか洸一?私と……臨海学校へ行きたくないのか?」
「へ?いや、そーゆー訳じゃなくて……」
「面倒臭いわよねぇ。臨海学校なんて」
「ま、まぁ確かに……」
「面白そうだと思うだろ?それに海でも修行は出来る。そうだ、優貴達にも声を掛けるか?」
「そ、そうだな。それは良い考えだな」
「学校行事なんて、堅苦しいだけだよねぇ」
「え?あぁ、それはまぁ……」
「……」
「…ん?」
「……」
「え、え~と……どうした二人とも?」
「どっちなんだ洸一ッ!!」
「どっちなのよ洸一ッ!!」
「――ハゥァっ!!?」
胃が……胃が痛いッ!!
結局、まどかの乱入のお陰で話は全然まとまらず、結論は先送りとなってしまった。
しっかし、臨海学校か……
小遣いも無いし、のどかしゃん達も参加するのなら、少しは考えても良いかな?
・・・
ただし、まどかには難癖を付けられそうな気もするけどな。
★7月19日(火)
いよいよ本格的な夏を迎えるのか、今日も今日とて朝から非常に暑い一日。
寝汗を冷たいタオルで拭いた後、制服に着替えた俺は、トーストとコーヒー牛乳で軽い朝食を摂っていると、
――ピンポーン……ガチャ……
「ここここここ洸一っちゅわぁぁぁぁぁぁん♪」
毎度お馴染み、妖怪の登場でござい。
「ンだよぅ、毎朝毎朝……って、フギャーーーーーーーッ!!?」
キッチンに現れた穂波を見て、俺は思わず腰が抜けて椅子から転がり落ちてしまった。
「ど、どうしたの洸一っちゃん?」
「どうしたのじゃねぇーーーーよッ!!」
俺は穂波の顔を指差す。
この馬鹿は恐ろしい事に、俺が一昨日買ってやったクマのお面を付けていたのだ。
もう完璧に本物である。
正真正銘、心の障害者だ。
「お、お前一体……なに考えてやがる。ってゆーか、何も考えてねぇーだろッ!!」
「ぶぅぅぅ……だってこれは、家宝だモン。もう一生、外さないと誓ったよ。神にッ!!」
「そっか……きっと物凄い邪神なんだろうな」
俺はドキドキして破裂しそうな心臓を押さえながら、椅子に腰掛け直した。
「ま、まぁ……そんな精神衛生上良くない冗談は止めて、さっさとお面を外しやがれ。恥ずかしいヤツめ」
「え?冗談じゃないよ?」
「マジだったのかよッ!?」
俺はまた椅子から転がり落ちた。
「マジで家からずーっと俺の家まで、お面を付けていたのかよッ!!」
「違うよぅ。一昨日の夜からずーっとだよぅ」
「……すんません。朝からこれ以上、僕を追い詰めないで下さい」
★
さて、そんなこんなで、まるで俺を歓迎するかのような朝日を浴びつつ、何時もの様にちょっと心がブロークン気味の穂波と共に学校へ。
そして一時間目から机と顔が融合するかのように爆睡した後、昼食タイム。
本日は何を食べようかのぅ……と考えつつ、ぶらりと教室を出ると、
「ふにゃ?優チャン?」
俺様の教室のすぐ前に、熱血硬派ちょっと貧乳気味の可愛い後輩が、しょんぼりしょぼしょぼと言った態で佇んでいた。
顔色が凄く悪い。
まるで屍人のようだ。
「ど、どうした優チャン?こんな所で……」
廊下を歩く生徒たちがチラチラとこちらを見てくるのを、俺は持ち前の鋭い眼光で威嚇しつつ、彼女に尋ねる。
「先輩……」
優チャンの瞳に、ブワッと大きな銀の雫が浮かんだ。
「ど、どうした優チャン?」
俺は焦る。
焦ると同時に、
うへぇぇぇ……何かまた、面倒に巻き込まれちゃったぁぁぁぁ……
とも考えてしまった。
「私……私、補習が決定しちゃったんです。もう、予選大会には出られないんです。う、うぅぅぅ…」
や、やはりか。
「な、泣くな優チャン。取り敢えず……飯食いながら話そう。な?」
俺は優しげな声でそう言いながら、そっと彼女の肩に手を置く。
「せ、先輩…」
ボロッとまた大粒の涙が瞳から溢れた。
「大丈夫大丈夫…」
って、何が大丈夫なのかサッパリ分からんが、俺はともすれば号泣し出しそうな彼女を慰めながら、食堂へと向かうが、
「……コーイチ」
「……」
また違う馬鹿が目の前に現れた。
「私……補習が決定しちゃった」
「そっかッ!!」
俺は大きく頷き、
「ま、当たり前だな。頑張れよ智香。さ、行こう優チャン」
「……ちょっと待てや」
智香が歩き出した俺の肩をガシッと掴んだ。
「何か少し、態度が違わない?」
「ンだよぅ。離せよぅ。僕ちゃん、お腹が減ってるんだよぅ」
「だから……違うでしょ?こーゆー時は、『ど、どうした悶絶美少女の智香ちゃん?僕に出来る事だったら何でもするよッ!!』とか言わない?」
「言わない」
即答である。
「俺様は今、可愛い後輩の悩みを聞いてやるところなのだ。だから可愛くない同級生のお前の戯言など、聞いてやる暇は無いのだ。理解したか?」
「……」
「じゃ、そーゆーワケで……」
俺は踵を返し、食堂へ向かおうとするが、
「……わ、わーったよ。そんな本気で泣きそうな顔するな」
「だってぇ…」
智香は拗ねたかのように唇を尖らせた。
「コーイチったら、魅惑の美少女智香ちゃんにメロメロだからって、いっつも意地悪するし……」
「……さ、行こうか優チャン」
「じょ、冗談よぅ」
智香の馬鹿は俺の腕にギュッとしがみ付いて来た。
そしてどこか必死な形相で、
「ちょっとだけ、相談に乗ってよぅぅぅ」
「わ、わーってるよ。さっさとその手を離して……ほれ、食堂へ行くぞ」
全く、智香も優チャンも、もう少しちゃんと……最低限、補習を回避するぐらい勉強すれば良いのに。
こーゆーのを、後の祭って言うんだよね。
ってゆーか、何で俺の所へ来るんだ?
いくら不可能を可能にする男と言われている俺様とて、これはちと難しい問題だぞよ。
★
食堂の一角を確保し、俺はランチA定食(ご飯と味噌汁とミックスフライ)を食いながら、同じくA定食を食べている優チャンと、うどん定食を食っている智香に向かい、
「さて……結局の所、追試はどーだったんだ?」
と切り出した。
「あぅぅぅ…」
優チャンが、また泣き出しそうな顔になる。
が、それでも御飯をモリモリと食っていた。
「で、出来たんです。出来たんですけど……数学だけ、ちょっと間違えが多くて……」
「そっかぁ。数学だけ、アウチだったワケか」
俺様、少しだけ同情だ。
優チャンは、全科目赤点の出来ない子チャンだったのに……それでも、僅かな期間で数学以外の追試は通ったのだ。
その頑張りは、賞賛に値するだろう。
「あ、でも……数学だけだったら、何とかなるんじゃねぇーか?」
俺は落ち込む彼女の心に助け舟を出す。
「一教科だけだったら、毎日あるワケじゃねぇーし……先生にちゃんと話せば、予選大会ぐらい参加出来るんじゃね?」
「ダメなんですぅ。数学の先生、こうなったら一から徹底的に教えます、とか何とか言って、夏休みの殆どが補習に……」
「……ぬぅ」
助け舟は一瞬で轟沈してしまった。
「そっかぁ……とんだ熱血先生じゃのぅ。で、智香。貴様はどうなんだ?」
「へ?」
智香の馬鹿は呑気にうどんを啜っていた。
危機感の微塵も感じられない。
洸一チン、早くも同情する気ゼロだ。
「私も……数学がダメだった」
「ほぅ……貴様もか」
「うん。あと、現国と古典と英語Ⅰ・Ⅱと物理と日本史も……」
「……それって全部じゃねぇーのか?」
「う、うっさいッ!!ちょっとだけ間違えただけよッ!!」
「そ、そんな逆ギレされても……それにちょっとだけで全科目は落ちるのは、如何なものかと思うんじゃが……」
俺はガックリと項垂れ、汁を啜る。
「でもまぁ、大体の所は分かった。分かったが……俺にどーしろと言うんだ?」
「た、助けて下さい」
優チャンは瞳を潤ませ、俺を見つめた。
ただし、コロッケを食いながらだ。
「う、うぅ~む……何とかしてやりてぇーが、既に追試が終わって結果が出ちまった後だし……」
「せ、先輩…」
ぬぅ……
「ま、まぁなんだ、一応その数学担当の教師に、ダメ元で話を付けてくるわ」
俺が溜息混じりにそう言うと、優チャンはパァーッと顔を輝かせ、
「あ、ありがとう御座いますッ!!」
言って豪快に味噌汁を啜った。
「でも、あまり期待するなよ?交渉が上手く行く確率の方が少ないんだし……」
って言うか、ほぼゼロに近いし……
「ん?なんだ智香?その期待に満ちた目は?」
「えへへへ……コーイチ、私も……」
と、この馬鹿が何か言い掛けると同時に、
「無理」
俺はそう言って、フフーンと鼻で笑ってやる。
「ちょっとぅ…」
「あのなぁ……優ちゃんは一教科だけど、貴様は全部だろーがッ!!いくら俺でも、全科目の担当教師に話を付けるなんて、どー考えても無理ッ!!」
「そこを頓知で切り抜けるのがアンタの仕事じゃない」
「俺はお寺の小坊主か?ってゆーか、いつからビジネスになったんだよ」
ったくこの大馬鹿者は……
「そもそも、優チャンは努力したから、助けてやろうと思うんだ。がしかし……追試で全科目落ちるような怠け者に差し伸べる手はないわッ!!渇ーーーーーーーーーッ!!」
「じゃあ、ビジネスとして話を進めましょう」
智香は何時になく真剣な眼差しで俺を見やる。
「な、なんだそりゃ?」
また何か、馬鹿が馬鹿なことを思いつきやがったな?
「だからぁ、コーイチがもし私の補習を無しにしてくれたら、何でも一つだけ、コーイチの言う事を聞いてあげるわ。どう、この条件で?」
「……は?」
俺は目が点になった。
★
やはり馬鹿な奴は、考えも浅はかっちゅうか……
「あのなぁ」
俺は大きくしょんぼりな溜息を吐くと、ジロリと鋭く智香を睨み付け、
「お前ねぇ、冗談でもそーゆー事は言うな」
「なによぅ。冗談じゃないわよ」
「尚いかんわっ!!」
ったく、これだから恐ろしい勢いの馬鹿は困るぜ。
「いいか智香、良く聞け。俺がその辺に屯している性的意欲に燃え盛るしょっぱい野郎だったら、お前……あれこれ理由を付けてスンゴイ事をされちゃうかも知れないんだぞ?それでも良いのか?お前の青春はそれで良いのか?」
「うん」
智香はあっけらかんと頷いた。
さすが馬鹿だ。
「お、おいおい…」
「コーイチだったら、別に構わないわよ」
「ば、馬鹿野郎……なに頬染めて言ってやがるんだ。そもそも御町内でも貴族の末裔と呼ばれたこの俺様が、女の子の弱みに突け込んでそんな破廉恥な真似をすると思うか?舐めんなよ、貴様」
「だからぁ、それだけ切実なお願いなのよ」
智香は何時に無く真剣な顔で俺を見つめた。
「お願いコーイチ。何でもしてあげるから……この智香ちゃんを助けて。もちろん、こんな事を言うのはコーイチが相手だから……」
「くっ…」
「わ、私もッ!!」
と、智香の馬鹿に触発されてか、優チャンがグイッと身を乗り出し、
「その……お礼に、何でもしますッ!!先輩の望むことなら、何でも……」
「お、落ち着け優チャン。それに馬鹿も」
言って俺は、先ず自分の心を落ち着かせる。
何だかこのままだと、勢いに任せてスンゴイ事をしてしまいそうだ。
そもそも俺は紳士だが、下半身は予想以上に無頼漢だし……
しかも腰の下におわす将軍様は統帥権を確立し、関東軍と同じく殆ど独断で行動するから困ったものなのだ。
ま、全く……だいたい俺がそんな破廉恥な行為に及んでみろ……
それが特定の女の子達に知られたら、夏休みを迎える前に遠い世界へ旅立って、お盆にしか帰って来れないじゃねぇーか。
「な、なんちゅうか……お前達が切羽詰っているのはよっく分かった。お礼云々については、後から考えるとして……ともかく、一応は動いてやる」
「コーイチ…」
「先輩…」
「ただし、一言断っておくが……成功確率は少ないぞ?失敗しても恨むんじゃねぇーぞ?」
★
「……成功しちまった」
放課後、俺は校舎前で少し呆然としていた。
殆ど無理、と思っていた交渉は、あっさりマイルドなほどに上手く行ってしまった。
主要科目が全部ダメだったTHE馬鹿である智香の交渉は、この学園守護職洸一様(バックは喜連川財閥)のブランドがモノを言ってか、担当教師はまるで張子の虎の如くコクコクと首を縦に振り、優チャンの交渉、面識の無い一年数学担当の教師も、軽い恫喝の末にいとも簡単にOKを出してくれた。
もちろん、それぞれの教師との交渉の際、威力を発揮したのは学園情報部の金ちゃんから得た他人知られたら非常にマズイであろう極秘個人情報だったのだが……
「にしても、まさかこんなに上手く行くとはねぇ」
ま、俺が思うに……先生達も、わざわざ夏休みに補習なんかで学校へ来たくねぇーって事だよな。
聞けば夏の補習は、智香と優チャンの二人だけって話だったし……
・・・
あれ?それってもしかして、この学校の出来ない子ちゃんは、智香と優チャンの二人だけってことか?
二人でワン・ツー・フィニッシュを決めちゃってるってか?
「……考えるとちょっとブルー」
俺は苦笑を溢しながら、大きく背伸びを一回。
しかし、交渉が上手く行ったら何でもしてくれるって言ってたけど……
さすがにそれは、ちと気が咎める。
何しろ、俺は殆ど労力を使ってないのだ。
「ま、なんだ……智香の馬鹿にランチ一回奢らせたら、それで良いかな」
俺はそんな事を独りごち、カバンを肩に担いでいつものように裏山へと向かったのだった。
それが悪夢の始まりだとも思わずに……