THE新人戦/すぅぱぁ地球人
★
審判のコールに、丸まっている優チャンはふらりと、まるでゾンビのように立ち上がった。
そして俺と目が合うや、
「あ、先輩……」
ジワリと、その瞳が潤む。
「ゆ、優ちゃん……」
ぬぅ……何て声を掛ければ良いんだ?
「先輩……優勝、おめでとう御座います」
「あ、いや……ありがとぅッ!!」
取り敢えず笑顔で応える俺。
「優チャンも3位決定戦、頑張れよ。俺だけ夏の予選大会に出場なんて……本末転倒もいい所だからな!!」
「……はい」
優チャンはフニャンと頷き、フラフラとどこか覚束無い足取りで、試合場へと向かって歩き出した。
物凄く心配だ。
体から、戦う時のオーラが全く出ていない。
それどころか陰々滅々とした負のオーラが漂っている。
ま、参ったなぁ……
心ここに在らずって感じですよ。
みなもチャンとの一戦を物凄く引き摺ってる……って事か。
俺は口元をギュッと引き締め、小難しい顔で頭をガリガリと掻いた。
瞬殺と聞いたけど、それが問題だな。
まぁ、勝てる可能性は低かったけど、全力を出し切って負けた……とかなら、ここまで落ち込む事はなかっただろう。
今までの練習の成果を少しも生かせず、一瞬で負けた……
以前、まどかの家で突発的に発生したバトルの時のように、一撃で熨された。
う、うぬぅ……そりゃ気持ちも凹むわな。
しかもだ、相手はみなもチャン……実力的には、優ちゃんよりちょい上って程度だ。
相手がまどかや真咲さんクラスなら、負けて当然と言うことで、むしろ気持ち的にはサッパリするんだろうが、自分とほぼ同格の相手に、何も出来ずに瞬殺されるって……う、うぅ~ん……これは中々に……精神的に大ダメージだな。
しかし、原因はなんだ?
実力的に、みなもチャンが短期間で急成長したと言うならともかく、現時点ではそれほど開いているとは思えないし……
まどかは気負い過ぎとか言ってたが……
やはり、あの時の記憶を消したのが拙かったか?
まどかの家で瞬殺された時の記憶が、少しは残っていれば、もう少し違う戦い方が……
いや、今更それを言っても詮無いことか。
全ては、彼女の心の弱さが招いた結果だし……
「な、なぁまどか。優チャン、あの調子で大丈夫か?もしこれで負けたら……夏の全国大会予選には、出場できなくなっちゃうんだぞ」
それはもう、本末転倒もいいところだ。
同好会を作った意味すら無くなる。
俺は不安気に尋ねるが、まどかは自分のサイドに垂れた髪をクルクルと指に巻き付けながら、
「はぁ?知らないわよ、そんな事……」
けんもほろろにそう言った。
「知らないわよって……」
「あのねぇ……優は、ウチの学校の生徒じゃないの。いくら後輩だからって、余所の学校の生徒なの。分かる洸一?」
「ぐぬぅ……確かに、それはそうだが……」
「それにさ、一年経てば予選会には出場出来るんだし……ここはじっくりと、精神を鍛え直すには良いチャンスかもね」
「で、でもだなぁ…」
「あのねぇ洸一」
まどかはフゥ~と溜息を吐くと、ジロリと俺を睨み付け、
「自分一人の力で勝ち残れなくて、何が格闘家なのよ」
「ぐ、ぐむぅ……」
耳が超痛い。
何故なら、俺は自分以外の力で優勝したも同然だからだ。
あぁ……後ろめたさが。
優ちゃんに申し訳ないよ。
「正直な話、たかが新人戦で躓いてるようじゃ、優の実力もそれまでって事ね」
「た、確かに、一々言うことはごもっともでごわすが……ここは少し、何か発破的なものでも掛けて頂ければ、優チャンも少しは立ち直るんじゃないかと……小官は愚考しますが、如何でしょうか閣下?」
「だからぁ……それは無理」
まどかはキッパリと拒絶した。
「だいたいねぇ……優の対戦相手は、ウチの新人なのよ?あの子も予選大会の出場が掛かってるの。そんな時に部長である私が、敵である優を応援してどーすんのよぅ」
「……物凄く納得したであります」
★
一礼して、優チャンが白線で区切られた試合場に足を踏み入れた。
後ろから見ていて、その姿に全然覇気が無いのが良く分かる。
あうぅぅ……優チャン、もっと元気を出せよ……
相手は準決勝で真咲姐さんに一蹴されたとは言え、ここまで勝ち残ってきた猛者だぞよ。
気を抜いて勝てる相手じゃないのに……
「こりゃあ、優はダメかもね」
と、隣で腕を組んでいるまどかが呟いた。
「ぐ……そ、そんな事はねぇべ!!オラ、優チャンを信じているズラッ!!」
「そう?言っとくけど、ウチの新人は強いわよ?何しろ、この私が毎日鍛えてるんですからね。中途半端な気持ちじゃ、また一瞬で負けるわよ」
ぬぅ……
「ゆ、優チャン!!気合を入れろっ!!」
俺は声を大にして叫ぶ。
が、当の優チャンは力強く頷くものの……
うむ、ダメだこりゃ。
なんちゅうか、未だ心ここに在らず的な雰囲気が漂っている。
「……はぁぁ~……まったく、あの子も精神面の脆さを克服できれば、良い選手になれるのに……」
まどかも諦め顔で溜息を吐いた。
「まぁ……負けて学ぶこともあるから……来年に期待ね」
「ま、まだ勝負は始まってねぇ」
「アンタだって素人じゃないんだから、見れば分かるでしょ?」
「ぐ、ぬぅ…」
確かに……既に戦う前から、優チャンの背中から負け犬のオーラが……
これでは勝てる筈がない。
どうする?
どうすれば優チャンに渇を入れることが出来る?
考えろ……考えるんだ俺っ!!
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・
な、何も思い浮かばねぇ……
神代洸一、まさに役立たずの巻だ。
こ、こうなったら、ここは発想の転換だ。
優ちゃんは勝てない。
ならば、どうすれば相手選手を負けさせる事が出来るか……
・・・
いきなりチ○コでも出して、驚かせてやろうか?
……いやいやいや、それはダメだ。
下手すりゃ俺様の優勝が取り消しになるかもしれん。
何より、確実にまどかに撲殺される。
それどころか大事なチ○コを捥がれるかもしれん。
さすがの俺様とて、そんな危険な橋は渡れない。
だとしたら、どうすれば良いのか……
「ほら、始まるわよ洸一」
「えっ!?もうっ!?」
俺は慌てて試合場へ視線を移す。
と同時に、審判が「始めっ!!」と声を掛けた。
くっ……
「ゆ、優チャン頑張れ!!何の為にTEP同好会を作ったか、思い出すんだっ!!」
★
優チャンの対戦相手である梅女の選手は、やや細身の、ちょっと狐目がアレだが、それなりに可愛い女の子であった。
始めの合図と共に、拳を腰の辺りに構え、小刻みにリズムを取る。
むぅ……構えやリズムの取り方からして、優チャンと同じく速攻・先制型の選手か……
一方の優チャンはと言うと、やはりどこか覇気的なモノが感じられない。
その構えも、速攻の妙手である優チャンにしては珍しく受身の態勢だ。
「ったく……あの馬鹿」
まどかが怒気も顕に呟いた。
「さっき速攻勝負でみなもに負けたから、ビビって手が出せないでいるわ。あの子の武器は、スピードと手数の多さなのに……」
ぬ、ぬぅ…
「優チャン!!攻めろ!!主導権を取るんだッ!!」
が、先に動いたのは梅女の新人だった。
優チャンばりの鋭い踏み込みで間合いを詰め、そこから素早い蹴りの嵐。
鈍い音を立て、それは優チャンのガードに容赦なく降り注ぐ。
ぐ…上手い。
さすが、まどかに鍛えられているだけの事はある!!
「ゆ、優チャン……思い切って相手の懐に入らないと……」
身長的には相手が上。
リーチも当然、相手の方が長い。
マズイ……
射程距離が違い過ぎるから、受身一方だとその内に被弾するぞよ。
「……もらったわね、この勝負」
「ま、まだ分からんっ!!」
「そう?優……追い詰められているわよ」
「……ぐぬぅ」
優チャンは敵の攻撃に圧倒されつつ、ジリジリと後退していた。
アカン……それじゃアカンよ優チャン……
「ほら、決めにかかるわよ」
まどかが呟くと同時に、相手の梅女の新人は不意に腰を屈め、突進。
そして下から突き上げるかのようなロングパンチを放つ。
――あ、危ないっ!?
その拳が、優チャンの頬を掠めて飛んで行く。
「……チッ!!」
まどかが鋭く舌打ちを洩らした。
「ったく……決めに行こうとして力が入り過ぎたわ。だからパンチを放った瞬間、自分の力で身体が流されるのよ。下半身が安定していない証拠ね。全く……帰ったらみっちりと、足腰を鍛え直してあげなくっちゃ」
みっちりとか……
まどかの特訓は、厳しそうじゃのぅ……
「それにして、今のチャンスを逃したのは痛いわねぇ」
「俺様としてはセーフって感じだがな」
「そうね。今の一撃で、ようやくに優が目覚めたみたいだし……」
「そうなのか?」
と、言って俺は、目の前で闘う優チャンを凝視する。
ふむ……
確かにまどかの言う通り、優チャンの動きが変わっていた。
小刻みにリズムを取り、相手の攻撃を難無く躱している。
どうやら今の一撃で、ようやくに優チャンは自分を取り戻したようだ。
「ハァ~……やれやれだわ。腑抜けた優が相手なら、楽に勝てると思ったのにぃ」
とか何とか言いながらも、まどかの顔には少し笑みが広がっていた。
「フッ、本気になった優チャンなら、この勝負、余裕で勝てるな」
「……さぁ?それはどうかしらねぇ……言っておくけど、あのウチの新人は、みなもに続いての実力者よ。将来の部長候補なの。例え優が本気になったって、勝てるとは限らないわよ」
「そ、そうなのか?」
そりゃマズイですなッ!!
「でも優チャンの実力は、新人の中ではみなもチャンと同様、群を抜いてると思うぞよ。だから負けないのだ。勝って3位になるのだ」
「……だと良いんだけどねぇ。新人戦は、ここからが本番なのよ」
「なんか……意味深な物言いだな」
「ま、見ていれば分かるわよ」
まどかは呟くようにそう言うと、腕を組み直し、難しい顔で試合を見つめた。
俺も同じように、ちょいと腕を組んで試合を見つめる。
優チャン……勝てよ。
勝って俺と一緒に、本選へ出ような。
★
優チャンと梅女の新人の死闘は、甲乙付け難いものがあった。
確かにまどかの言った通り、相手選手は中々の実力者だ。
優チャンの疾風のような攻撃を、巧みに躱して凌いでいる。
「くぅぅ……惜しい。もう少し、後もう少し踏み込んで打てば……」
俺は拳を握り締め、必死になって優ちゃんを応援する。
そしてまどかはと言うと……どこか諦めにも似た涼しい顔で、自分の長い前髪を指で摘み、枝毛のお手入れをしている最中だった。
「お、おいおい……まどか。ちゃんと試合を見てなくて良いのかよ……」
「見なくても分かるモン」
まどかはヒョイと肩を竦めてみせる。
「この勝負、優の負けね」
「ぬぉいっ!?いきなり不吉なことをサラッと言いやがって……」
「……あのねぇ……アンタも戦って来たから知ってるでしょ?新人戦は決勝以外、ハーフタイム制なの。ね、それがどう言う意味か分かるでしょ?」
「分かりません」
「だから……ハーフタイムにはハーフタイムの戦い方があるって事なのよ」
「???」
「……全くこの馬鹿は……よくそれで優勝出来たわねぇ」
まどかは呆れ顔でそう言うと、試合に視線を戻し、
「見なさない、洸一。優の攻撃、全然当たってないでしょ?」
「まぁな。優ちゃんのあの素早い攻撃を完璧に防ぐとは……あの新人、防御はかなりのモンだぜ」
「それはねぇ、攻撃を捨てて躱す事に徹底しているからよ。いくら優でも、防御に専念している相手に、有効打を与えるのは難しいわ。しかも攻撃が当たらないモンだから、気が急いて少し雑になって来てるし……」
「そ、そうだな。でもなぁ……優ちゃんのあの連続攻撃を、そうそう躱し続けられるモンじゃないぞ?」
「そうね。確かに普通の試合だったら、その内に被弾しちゃうかもね。でも、この試合はハーフタイムなのよ。……もうすぐ時間切れになるわ」
「あっ…」
と俺は息を呑んで、審判席の電光掲示板を見やる。
既に残り時間は、1分を切る所だった。
「もしかして……最初から判定狙いなのか?」
「今頃気付いた?体の硬さが抜けない最初にポイントを取っておいて、後はひたすら防御に専念……ま、私はそーゆー戦い方は好きじゃないし、教えてもいないけど……これは3位決定戦なの。分かる?絶対に負けられない試合なの。非難されようが文句を言われようが、ある意味、勝っても負けても既に予選大会への出場が確定している決勝戦より、勝ち残る事が一番大事な試合なのよ」
「……」
まどかの言う通りだ。
全国大会予選への参加資格は、前年の新人戦出場者か、今年の新人戦3位までの選手のみ。
新人戦の3位と4位では、決定的に今後が違ってくるのだ。
「だからね、そーゆー意味では、例え判定勝ちでも勝利に向かって必死になっているウチの新人を、私は誉めてやりたいわ。逆に、気持ちを切り替えずに試合に挑んだ優が、まだまだ未熟なのよ」
「その……通りだ。し、しかしですねぇ……」
と、俺が口を開きかけると同時に、審判席からブーーーッ!と大きなブザー音が鳴り響いた。
「それまで!!」
と、審判が試合を止め、両者を引き離して開始線まで下がるように促す。
「げっ、終わっちまったか……」
俺が呟くと、まどかも小さな声で、
「7分なんて、あっという間ね」
「判定!!」
と、審判が高々と片手を挙げる。
その手はまどかの言った通り、梅女の新人に向って伸びていた。
「判定……負けか」
俺はガックリと項垂れる。
試合場では、相手選手が見ていて気持ちの良いぐらい嬉しそうなガッツポーズで声援に応えていた。
そして優チャンはと言うと……
これが意外に、さばさばした表情をしているではないか。
ど、どうしよう?
負けたショックで頭のネジが少し緩んでしまったのかにゃ?
「さて、私はあの子……ウチの新人の所へ行ってくるわ」
と、まどか。
「うぇえええっ!!そ、そんなぁ……俺を独りぼっちにしないでくれよぅ」
「なに言ってんのアンタ?」
「だ、だってよ、なんちゅうか……優ちゃん、終わっちゃったんだぜ?ジ・エンドなんだぜ?そんな彼女に、俺はどんな風に慰めの言葉を掛けたら良いのやら……考えるだけで、胃がちょっと痛いです」
「知らないわよぅ。これはアンタの学校の問題でしょ?それに私は、梅女の総合格闘技倶楽部の部長としてのお仕事もあるの。アンタはアンタの責務を果たしなさいよぅ」
言ってまどかは、まるで逃げるかのように、そそくさとその場を去って行ってしまった。
ぬぅ……
俺の責務って言ったってなぁ……
正直、負けてもう駄目です、ってな事になっている女の子に対して、どうやって声を掛ければ良いんだ?
前にインターハイ予選で負けた真咲姐さんの時も、どう声を掛けるか悩んだが、あの時とは意味合いも重さも全然に違う。
あぁ……どうしよう?
部活経験の無い俺には、こう言った時にどう言う言葉を掛けたら良いのか……しかも年下の女の子に……皆目見当も付かん!!
こうなったらいっそのこと、優チャンを放置して逃げようかしらん、等とトンデモナイ事を考えている内に、
「あ、先輩…」
その優チャンが戻って来てしまった。
さぁ、どうしましょう?
★
試合に負けた優チャンは、どよ~んと落ち込んでると思いきや、予想外に、エヘヘヘ~とちょいとヤバイような笑顔を溢していた。
あぁ……優ちゃん、もしかしてショックで酸素欠乏症みたいな感じに……
と思っていたが、彼女はハッキリとした声で、
「先輩。負けちゃいました」
「う、うん」
さ、さて……なんと言って良いモノやら……
こんな時は、そう……アレだ。
心の中の選択肢クンだ!
出でよ、選択肢ッ!!
《――ドンッ!!》
①取り敢えず、大きく笑って誤魔化す。
②取り敢えず、一発殴って渇を入れ直す。
③取り敢えず、今日の晩御飯の事を考える。
④取り敢えず、笑いながら殴りつつ晩御飯の事を考える。
「……あぅ」
「あのぅ……先輩?」
優チャンが小首を傾げる。
そして少しばかり硬い笑顔で、
「私は……大丈夫ですよ」
「ゆ、優ちゃん……」
「え、え~と……何て言うのか、負けた事で、色々と吹っ切れました」
「そ、そっか…」
「私、ライバルはみなもサンだけだと思っていて……思い上がってました。相手の選手は、試合運びとか凄く巧かったです。それなのに私は、負けた事でずっとウジウジしていて……それでも試合になれば勝てるとか、ちょっと思ってたんです。私なんかまだまだな筈なのに、私より強いのはみなもサンだけだと思ってて……だけど、世の中には強い人がいっぱいいて……」
と、いきなり優チャンの瞳にブワッと大粒の涙が浮かぶや、
「あ…あれ?あれれ……」
止め処もなく頬を伝わる涙を、彼女は必死になって拭う。
「優チャン…」
俺はそっと彼女を抱き寄せ、その頭に手を置いた。
「なんちゅうか……悔しい時は、ちょっとは泣いても良いんだぞ?」
「先輩……」
優チャンはグシグシと泣き出した。
肩を振るわせ、俺の胸元で咽び泣いている。
「……」
どうすれば……彼女を慰めてやる事が出来るのだろう?
俺には、ちと分からない。
情けない話だ。
泣いている後輩の女の子一人、慰める事が出来ないなんて……
「す、すみません先輩……」
俺の胴着を掴みながら、優チャンが鼻声で呟く。
「せっかく、先輩が優勝したって言うのに……」
「そ、そんな事は……どうでも良い」
ってゆーか、むしろ自分が優勝したことに対し、何か優チャンに対して申し訳無いような気がする。
俺は、彼女がどれだけ頑張ってきたかを目の当たりにしているからだ。
優勝なんてモンは、優チャンの方が断然、相応しいのだ。
俺みたいにチャランポランな男が、優チャンを差し置いて優勝なんて……
しかも殆どインチキでだぞ。
「ご、ごめんなさい先輩。なんか……せっかくの優勝にケチを付けちゃうみたいにウジウジ泣いて……」
「そ、そんな事は全然に関係ない!!いやむしろ、俺の優勝なんてモンは、それこそフロックて言うか僥倖みたいなモンで、これっぽっちも自慢出来る代物じゃねぇーし……実際に自慢できないし……あまつさえ自己嫌悪が……あ、いかん。俺が泣きそう」
と、俺が優チャンの頭を優しく撫でながら言っていると、不意に後ろから、俺様の肩に誰かの手が置かれた。
「…へ?」
振り返ると、そこには額に《米》の文字が書かれた白マスクの選手が立っていた。
思わず俺は、「真咲しゃん…」と言いそうになる口を噤み、
「え、えと……覆面姐さん?」
「え……」
優チャンが涙でグシャグシャの顔を上げ、慌てて目元を手の甲で拭う。
そんな彼女を、覆面姐さんはどこか優しそうな瞳で見つめていた。
「え、えと……あのぅ……」
優チャンは頬を染め、いきなりやって来た覆面選手に、どこかモジモジとしていた。
むぅ……真咲しゃん、優チャンを慰めに来てくれたのかにゃ?
それとも罵倒しに?
よもや鉄拳制裁とかは無いですよね?
と、やおら覆面姐さんは優チャンの頭を軽く撫で、そして低い声で
「……よく、見ているが良い」
そう言い残し、スタスタと試合場へと去って行ってしまった。
「な、なんじゃろう?」
首を捻る俺。
するとまたもや背後から、
「決勝戦をよく見ろって事よ」
と、今度はまどかの声が響いてきた。
「あ、まどかさん……」
優チャンの瞳が、またウルッと潤む。
「残念だったわね、優。ま、負ける事も経験の内よ。次にその経験を活かせれば良いわ」
「は、はい……」
「……で、洸一は何そんな、今ごろ戻って来やがって、って言う顔をしているのよぅ」
「べ、別に……そんな事は思ってねぇよ」
もちろん、嘘である。
ちくしょぅぅぅぅ、今ごろ戻って来やがって……
「で、覆面姐さんは、唐突に現れて唐突に去って行ったんだけど、一体何をしに……」
「だから……彼女はね、優に次の試合、決勝戦を参考にしろと言いたいのよ。彼女の相手はみなもでしょ?その戦い方から、優に色々と伝えたい事があるのよ」
「私に……ですか?」
「そーよ。彼女も、まぁ……色々と考えているみたいだし、とにかく、今は気持ちを切り替えて、しっかりと試合を見てなさい」
★
新人戦・高校女子決勝は、ある意味、今大会最大の注目カードであった。
何しろ、喜連川の御令嬢にして格闘界の華麗な闘姫、関係者はおろか一般人にもそれなりに有名なまどかの直弟子である御子柴みなもチャンと、これまたその彼女の推薦と言うことで急遽出場した、所属不明の謎のマスクマンの試合なのだ。
大穴と言うか単なる見世物扱いであった男子決勝とは、観客の声援も注目度も、まさに雲泥の差だった。
「しっかしまぁ……こんな大歓声の中、覆面姐さんもみなもチャンも、良く平気じゃのぅ」
俺は声援を送る観客席を眺め回し、顔を僅かに顰める。
「ま、みなもは物事に動じない性格だからね。……って言うか、単に何も考えていないだけなんだけど……」
と、まどか。
「逆に覆面の場合は、試合に集中して周りの声なんか聞こえないのよ」
「なるほどねぇ……」
俺は軽く頷く。
それぐらいの太い精神が、今少し優ちゃんにあれば……
と、その優チャンが、少し不思議そうな顔で、
「あの……先輩もまどかさんも、あのマスクの人……知ってるんですか?」
「へ?」
俺はまどかと顔を見合わせた。
「いや、知ってるって言うか……ま、一言で言えばだ、彼女は正義超人なんです。額に『米』って書いてあるし」
「……はい?」
「な、なんちゅうか……彼女はまどかの格闘友達なんだよ。な、まどか?」
「別に友達じゃないわよぅ」
まどかは唇を尖らせた。
「それよりも、試合が始まるわよ。優、目を凝らしてしっかりと見てなさい」
「は、はいッ」
優チャンは拳をグッと握り、試合場を注視する。
さて……
真咲姐さん、優チャンの為に、どんな試合を見せてくれるんだか……
試合場で、審判が両の手を上げる。
覆面姐さんとみなもチャンは、一礼して開始線に立った。
「始めッ!!」
そして審判の掛け声と同時に、両者が構えを取る。
返し技が得意なみなもチャンは、半身をずらし、手を広げて後の先を取る防御主体の態勢。
対して覆面の真咲しゃんは……
「へぇ~……なるほど。やっぱりねぇ」
まどかがどこか感心したように頷いた。
「ほら、見なさい優。あの覆面……アンタと同じような構えを取っているわ。参考になるでしょ?」
まどかの言う通り、真咲さんは優ちゃんと同じく先制攻撃型のオーソドックスな構えで、小刻みにリズムを取っていた。
……そっか……
真咲姐さん、葵チャンに勉強させてやるのか……
やっぱ後輩思いじゃのぅ。
俺はウンウンと、独り納得。
だがまどかは、顎に手を掛け、少し難しい顔で、
「と言う事は……あの覆面、優と同じようにみなもに突っ込んで行くつもりだと思うんだけど……それで勝てるかしらねぇ?」
「おいおい……みなもチャンがいくら強かろうと、相手は覆面姐さんだぞ?その気になればフ○ーザにだって勝てる人類だぞよ」
「分かってるけど……みなもの返し技は、一級品なのよ?下手すれば、優と同じように瞬殺されたりして……」
「あぅぅ…」
優チャンは俯いてしまった。
「ま、まぁ……見ていれば分かるか」
まどかはちょっと罰が悪そうにそう言うと、試合場をキッと見つめ、
「さ、動くわよ」
《米》印付き白マスクの姐さんが、トントントンとリズム良くフットワークを取りつつ、対戦相手であるみなもチャンの呼吸を読んでいる。
……動くか……
と俺が思うと同時に、覆面姐さんは地を滑るようにしてあっと言う間に間合いを詰め、優チャンばりの高速左ジャブ。
だが、さすがはみなもチャンだった。
覆面姐さんの素早い動きにも全く動ぜず、その攻撃してきた左手を捌きつつ、掴もうと手を伸ばし……
「…え?」
「あ、あれ?」
「お、おいおい……」
まどかも優チャンも俺も、同時に声を上げた。
みなもチャンは、覆面姐さんの攻撃を受け止め、何か返し技を出そうと手を伸ばした筈なのに、いきなりその覆面姐さんの姿が、まるで蜃気楼のように目の前から忽然と掻き消えてしまったのだ。
ち、超スピードとか、そんなレベルじゃねぇ……
あの人はマジで人類なのか?
と思った瞬間、覆面姐さんは突如としてみなもチャンの背後に現れた。
そして何が起こったのか理解出来ないでいる彼女の延髄に、背後からトン……と軽い右チョップ。
「あ…」
短い声を上げ、みなもチャンは床に崩れ落ちたのだった。
★
床に崩れ落ち、気絶しているのかピクリとも動かないみなもチャンを、覆面姐さんは悠然と見下ろしていた。
観客はおろか、審判すら何が起こったのか理解できない様子で、呆然としている。
もちろん、俺もだ。
「お、おいおいおい……アレは人の動きじゃねぇーだろうに……」
「す、凄いですぅ」
優チャンが感嘆の声を上げる。
「一瞬にして背後に回るなんて……物凄い動きです」
「そうね」
と、まどかもどこか呆れたような声色で言った。
「全く……いきなり本気を出すんだもん。みなもの手を大きくジャンプで躱して背後に回ったと思ったら、そのまま手刀でしょ。……人間の目って横はともかく縦の動きには弱いからねぇ……やっぱ、まだまだみなもレベルじゃ歯が立たないか」
「……ってゆーか……君達、あの動きが見えていたのかい?」
「当たり前でしょ?」
当たり前なのか?
「ぬぅ…」
これだからスーパー地球人どもは……
俺はヤレヤレな溜息を吐きながら、試合場へと視線を戻すと、《米》マークの白マスクがどこか神々しい覆面姐さんが俺達に向かって軽く頷き、そしてスタスタと歩き出した。
それを見て、我に返った審判が手を上げ、「勝負ありっ!!」と声を上げるが、覆面姐さんは勝ち名乗りを受ける事も無く、そのまま勝手に試合場を下り、そしてまるで逃げ去るかのように小走りで、体育館の出口へと……
「あ、あれ?あれれ?」
と、優チャンが戸惑った感じで、去って行く覆面姐さんの後姿を見やる。
「……そっか。試合を放棄するのね」
まどかがクスッと笑いながら呟いた。
……あっ、なるほど。
俺様も合点がいった。
試合の放棄は、棄権処分で失格だ。
となると、優勝はみなもチャンになり、そのまま順位が繰り上がるから、4位の優チャンは3位になり、夏の予選大会の出場権利を得る事が出来る。
真咲さんはそれを知ってるから、優チャンの為にわざと……
「あ、あの人……どこへ行くんですか?このままだと失格に……」
優チャンはどこかオロオロとしていた。
まどかはそんな優ちゃんを見て、少し苦笑めいた笑みを浮かべながら、
「きっと、急用でも出来たのよ。ね?そうでしょ洸一?」
「あ、あぁ…まどかの言う通りだ。あの覆面姐さんは正義超人だからな。どこぞの線路にでも迷い込んだ子犬でも、助けに行ったんだろうよ」
★
全ての試合が終わり、そして表彰式。
俺は高校男子の新人王として、大きなトロフィーと賞状を貰った。
なんちゅうか、こう……あまり胸を張れない勝利ではあるが、それでもやっぱり嬉しい。
そもそも表彰なんて、小学校の時に『虫歯が一つも無い健康な歯』と言う、人様にはあまり自慢できない事で表彰されて以来だ。
うむ。この栄冠は、是非末代まで語り継がねばなるまい。
ちなみに優チャンは、些か戸惑った様子で、賞状を受け取っていた。
繰り上がりの入賞に、どこか釈然としないものを感じているらしい。
ま、それでも……3位は3位だと、俺は思う。
複雑な気持ちは、夏の予選大会で勝ち残り、そこで整理すれば良いのだ。
「さて、終わったか」
着替えを終え、何か良く分からんが雑誌の取材にテキトーに答えた俺は、気だるい気分のまま体育館を出る。
と、入り口の所で、応援してくれた皆が、拍手で俺を出迎えてくれた。
のどかさんや委員長はニコニコ笑顔だし、ラピスなんか感動でウォンウォンと泣いている。
穂波に至っては、街路灯に登って吼えているではないか。
「……よぅ」
俺はちょいと照れながら、皆を見渡す。
そう言えば、御褒美の約束があったのぅ……
オッパイやら尻やらキスやら……ま、それは後のお楽しみとして……
「真咲。……ゴクローさん」
腕を組んでおっとこ前な感じで佇んでいる、謎の覆面姐さんこと真咲さんに、俺は感謝の気持ちを込めて軽く頭を下げた。
何しろ、彼女のおかげで優チャンは一年を棒に振らずに済むのだ。
感謝しても、し切れないのだ。
「ん…」
と、真咲さんは僅かに頷く。
「しかし、まさか洸一が優勝するとは……少し驚いたぞ」
「はっはっはっ……俺もだ。自分の事ながら、ちょいと驚いているわい」
「ふ、洸一らしいな。……ところで、優貴はどうしている?」
「ふにゃ?さぁ……さっき雑誌の記者連中に捕まっていたからのぅ。その内、戻って来るんじゃないか?」
「そうか。優貴も、学校は違うとは言えまどかの愛弟子の一人だからな。今年の全国大会の有望株として、マスコミの的になっているのだろう」
「ふ~ん……ってゆーか、そうなのかぁ」
さすが、まどかブランドは注目の度合いが違いますねぇ……
って、一応俺も、アイツとは関わりがあるんだけどなぁ。
「洸一は何か取材を受けなかったのか?格闘経験も殆ど無いのに優勝したんだから、それなりに注目されると思うんだが……」
「一応、取材はされたぞ。いきなりカメラマンとかに囲まれて、『勝利の秘訣は運ですか?それとも八百長?』とか何とか聞いてくるから、思わず笑顔でネリチャギを極めてやったわい」
ま、そんなこんなで、新人戦の幕は降ろされた。
俺は優勝し、優チャンも3位入賞。
世間様に顔向けできる、立派な記録だ。
で……
この後の予定としては、喜連川邸にて梅女の生徒を交えての祝賀パーティーが催される事になっているのだが……
御褒美は、その時に貰えるのだろうか?
洸一チン、試合場に立った時よりも、ちょいとドキドキしているであります。
ピンクな予感がするであります!!
「うひひひひひひひ……」
おっと、自然に笑みが零れてしまうわい。