番外編 陽斗の日常
陽斗の日常と言いつつ陽斗視点ではない
ある日の調理実習
「痛ッ!」
「だ、大丈夫?」
「指切っちゃった・・・」
どうやら女子生徒の一人が包丁で指を切って出血してしまったようだ。
そこに一人の男子生徒が近づく。
「ん」
「え?」
「絆創膏。よかったら使ってくれ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。気を付けなよ」
そう言って彼は自分の班へと戻っていった。
どこか落ち着きのある雰囲気の柔らかい良い人だと彼女は周囲に語り、恋の始まりだなんだとからかわれるのだが、はっきり言ってただの余談である。
同日、陽斗の班
「わっ、沢田君料理上手なんだね」
「本当だ、すごい!」
「そうか?」
トントントンと包丁をリズムよく振っていく陽斗を見て女子2人が賛辞する。
「普段から作ってるの?」
「夕飯は大体俺が作ってるな」
「へ~。いつから作るようになったの?」
「3、4年前くらいかな」
「それならこんなに上手なのも納得だなー」
「でも大変じゃない?」
「まあ、確かに楽ではないけど、嫌じゃない。
いつもおいしいって嬉しそうに食べてくれるやつらがいるからな」
陽斗は勇太と優希のことを思い浮かべているのだろうか。何かを慈しむような微笑みを浮かべた。
そしてそれを女子2人はぼーっと眺めていた。いや見惚れていた。
「?どうした2人とも」
「え、あ、ううん!」
「なんでもない!なんでもない!」
「?そうか」
そんな2人を陽斗は気にせず作業を続ける。
「ねぇ、今の見た?」
「うん、見た」
「・・・・すごかったね」
「・・・・ヤバかったね」
またあの顔を見たいがためにこの二人が陽斗をちらちらと見るようになるのは別のお話。
私は今日から朝日保育園に勤めることになった石原菜穂。昔から子供が好きでこの職業を選んだ。初めてなので多少緊張していたのだがそれは最初だけで、大好きな子供たちと接しているうちに緊張も解けていった。なんとかうまくやれたと思う。
そして今は夕方、子供たちの迎えに親御さんたちが来る時間帯。悪い印象を持たれないようにしなくては。今はモンスターペアレントなんてのがいるらしいからね。保育園にいるかはわからないけど。
おっと、誰か来たようだ。あれ?随分と若い。制服着てるから高校生かな?お兄さんとか?
「こんにちは。ひょっとして新しく入った人ですか?」
「え、はい。そうです」
「勇太と優希の保護者です。これからよろしくお願いします」
「あ、いえこちらこそ」
歳の割りにすごく落ち着いてるなこの子。大人の私がテンパってるのに。なんだか情けない。
「勇太君と優希ちゃんですね。今呼んできます」
「はい。お願いします」
「勇太君、優希ちゃん、お迎え来たよー」
「「はーい」」
ドタドタと駆けてくる音が聞こえる。元気だなー。
「「お父さん!」」
2人がそう言ってさっきの高校生の方へ駆け寄っていく。
え、お父さんってどういうこと?その年で?
「お父さん、抱っこー」
「肩車ー」
「はいはい。よっと」
するとお父さん?が優希ちゃんを抱え、勇太君を肩に乗せる。
「これからもこいつらのことよろしくお願いします」
そう言った彼の表情は正に父親のそれだった。眼差しは温かく僅かに笑みを浮かべている。
「ほら、二人とも挨拶は?」
「さようならー」
「バイバーイ」
「あ、さ、さようならー・・・・」
彼は子供たちとともに去っていった。
「何者?」
「沢田陽斗君よ」
「うひゃっ!」
急に話しかけられて変な声が出てしまった。
「た、田中先輩」
「あの子のこと気になる?」
「はい、気になります」
「へー。そうなんだー」
と先輩がニヤニヤしてくる。なんで?・・・・・あっ!
「ち、違います!そういう意味の気になるじゃなくて・・・・」
「はいはい、わかったわかった」
そんな「もう、照れちゃってー」みたいな顔しないでください!本当に違いますから!純粋な興味!
「あの、彼って本当に勇太君と優希ちゃんのお父さんなんですか?」
「そうよ。義理でもなんでもない。正真正銘のね」
「そ、それってつまり、ふ、不良ですか」
「プフっ」
え、なんで吹き出すんですか先輩。
「いや、ごめんごめん。そう来るとは思わなかったから。あ、でもそれが一番可能性高いのかもね」
「ってことは違うんですか?」
「違うわよ。そんな風に見えた?」
「・・・いえ、全く」
「ま、いろいろあるのよ。詳しくはちょっと言えないけど」
え、教えてくれないんですか?そう勿体ぶられると知りたくなってくるんですけど。
「先輩はなんで詳しく知ってるんですか?」
「私あの子の家の近くに住んでてね。それで知る機会があったのよ」
「そうなんですか」
「うん。あ、それとさ」
「はい?」
また先輩はニヤニヤしている。なんで?
「あの子シングルファーザーってやつなのよ」
「は、はぁ」
ということは独身なのか。まあ、年齢的に結婚は無理か。じゃあ彼女さんが勇太君と優希ちゃん産んだの?でも、それだったらシングルファーザーって言い方しないだろうし。事実婚とか。ってなると母親は誰なの?それが一番の謎かも。
「シングルファーザーってさ。子供からおとしてくといいらしいわよ?」
「はっ、はぁ!?な、なにいってるですか!?」
だから、そういうんじゃないです!
それから勇太君と優希ちゃんと話したり遊んだりする度に先輩がニヤニヤしながら見てくるようになった。
普通ですから!ほかの子たちと変わりませんから!
今日は文化祭。高校入ってから初めての文化祭で不安だったけど、中学の時とそんなに変わらなくてちょっと安心した。私のクラスでは喫茶店をしている。今ちょうど私のシフトの時間が終わったところだ。
教室から廊下に出るとたくさんの人が行き来している。食べ歩いてる人や友達と話している人など様々だ。
そんななか、一人の小さな、3、4歳ぐらいの男の子が辺りをキョロキョロと見渡している。というよりおろおろとしているように見える。ひょっとして迷子かな?
そう思って近づこうとすると一人の男子生徒が私より先に近づいていった。確か同じクラスの、沢田?だったっけ。彼は座り込んで目線をその男の子と同じくらいにして声を掛けた。
「君一人か?お母さんやお父さんは一緒じゃないのか?」
「お母さんといたけど、どっか行っちゃって、探したけど見つからなくて、知らない人ばっかりで怖くて、皆おっきくてよく見えなくて」
今にも泣きそうな顔で男の子が話していく。それに対して沢田は男の子の頭にぽんと手を乗せて撫でる。
「大丈夫。きっと見つかるさ。俺も手伝うから泣くな」
優しい言葉、声、そして表情。自分に向けられているわけでもないのになぜか惹き込まれる。
「・・・・本当?」
「ああ、もちろんだ。俺は沢田陽斗。お前は?」
「・・・岡田、純」
「そっか。よろしくな純」
「・・・うん」
男の子の表情に明るさが出てきたような気がする。ほんの短い時間で・・・・沢田って何者?
「それじゃとりあえず、よっと!」
そう言って沢田は男の子を肩車する。なんだか手馴れてる?
「どうだ純。高いから周りがよく見えるだろ?」
「・・・うん」
「これならお母さん探せそうか?」
「・・・うん」
「これから歩いていくから、お母さん見つけたら教えてくれ」
「わかった」
そのまま沢田は歩いていった。
私はそれを追いかけていく。別に沢田が気になるわけじゃない。あの男の子が心配なだけ。そう、ただそれだけ。のはず。
歩きながらも沢田はなにか男の子と話している。何を話しているかまではわからないけど2人とも楽しそうだ。
その姿は兄弟というよりはまるで親子のようだ。
「あ、お母さんだ!」
男の子が指差しながら大きな声で叫んだ。沢田が指の指した方へと向かうとある女性が駆け寄ってきた。
「純!」
「お母さん!」
どうやら男の子の母親だったらしい。沢田が肩から男の子を下ろすと母親に男の子が抱きついた。
「ご迷惑おかけしました。ありがとうごさいます」
「いえ、大したことはしてませんので」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして。お母さんと会えてよかったな」
「うん!」
「それじゃ、これで」
「ねえ、お兄ちゃん。また会える?」
沢田が去ろうとすると男の子が寂しそうに問いかけた。
「ああ、そうだな。また会おうな」
「約束だよ!」
「ああ約束だ」
沢田はまた微笑んで男の子の頭を撫でた。男の子が嬉しそうにわらう。
「もうはぐれるんじゃないぞ」
「うん!」
「本当にありがとうございました」
「気にしないでください。それじゃ」
沢田はそう言って去っていった。
沢田って子供好きなのかな。知らなかった。すごく優しく接してたなあ。それにあの表情。特に目。すごく温かった。なぜか頭の中から沢田の顔が離れない。
「なあ」
「はい?って、え!?」
不意に声をかけられたので振り向くとそこには沢田がいた。
「すまん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「えっと、な、何か用?」
「いや、なんかこっち見てる風だったから」
気づかれてた!?
「あ、あなたを見てたわけじゃないから。あの男の子が心配だっただけ!」
事実そうだ。男の子に声かけようとしたしたら先に沢田が声かけただけだし。
「お、おう。そうか。なんで怒ってんのかわからないけど、お前優しいんだな」
「怒ってない!」
なによ、優しいって。そっちの方がよっぽ優しいのに。
「いや、どう見たって・・・まあ、いいか。俺に用があるわけじゃないんだな?」
「う、うん」
「そっか。じゃ」
それだけ言うと沢田は去っていった。「俺、なんかしたのかな?」なんて呟きが聞こえた気がした。
とても優しくてなんだか不思議な人。それが私が最初に抱いた彼の印象。
これが私、及川明里と沢田陽斗と初めての出会いだった。
保育園の話が書いてて一番楽しかった