幼馴染は浮いている
あいつはいつも浮いている。
いきなり何だ、と思ったかもしれない。だが、そのままで聞いてほしい。私の幼馴染、ヨミナ君は浮いている。
『浮く』といっても『悪目立ち』という意味の『浮く』ではない。物理的に浮いているのだ。
彼がこうなった理由は、はっきりとは覚えていないが、多分あの時だ。
私たちが小さかった頃、木に風船を引っかけたことがあった。
その頃の私たちでは明らかに届かない高さに引っかかった風船をヨミナ君が取ろうと何度もジャンプしていたところ、ヨミナ君の手が風船に届いた。
取った、と思ったその時、ヨミナ君は私の膝くらいの空中に着地した。
そして、今も空中に足が着いた状態になっている。
「おはよう、安芸さん」
こうして当たり前のように挨拶してくるが、彼は浮いている。
「ヨミナ君……またちょっと浮いた?」
あの時から少しずつ浮いていくヨミナ君だが、高校に入ってからは浮いている高さがどんどん高くなっている。現に最初は私の膝くらいまでしか浮いてなかったヨミナ君は今、足と私の顔が同じ高さにある。
「いやー、どうだろう? そんなに浮いたかな? あ、そうだ。先週借りた本返すね」
ヨミナ君がバッグから本を取り出すと、彼の筆箱が一緒に落ちた。
「「あ……」」
彼の落とした筆箱は彼の着地位置を通り過ぎ、私の立っている地面に落ちた。
ヨミナ君は自分の足と同じ高さに手をつき、落ちた筆箱を見ている。
「もぉー、しょうがないなぁ……」
仕方がないので拾ってあげる。
「あはは……ごめん」
彼の気弱な笑顔が、私の嗜虐心を刺激した。
「……次、何か落としたら、スカートで登校してもらうから」
「え!? じょ……冗談だよね……?」
「かわいい下着、穿いてきなさいよ」
「えええ~……」
昇降口から一番近い階段。
「ほら。昨日まで七段目で足が着いてたのに、今日は八段目じゃん」
今朝、私が指摘した通り、ヨミナ君の浮いている高さは少しずつ高くなっている。それを私はいつもこの階段で確認する。
ちなみに、地面の高さと平行というわけではないので、少し高い所に行けば、ヨミナ君は足が着くのだ。
「え? そうなの?」
そうなの? って……本当に能天気な奴だ。
「安芸さんはよく見てるね~」
そう言ってヘラヘラしているヨミナ君に、私は少しイラッとした。イラッとしたから、階段にも拘わらず、彼の肩をグイッと後ろに引っ張った。
「ちょ……何するのさ」
「だって、ずっと見下ろされてるの嫌だし」
ああ。これでやっと、並んで歩ける。
翌日、ヨミナ君は学校を休んだ。遅刻かな、とも思ったが、結局、六限目まで来なかった。
どうしたんだろう? と思っていると、窓の方からコンコンと音がした。
音のした方を見ると、ヨミナ君がバツが悪そうな顔をして小さく手を振っていた。
「お……おはよ~……」
私たちの教室は三階なので、窓のところまで浮くには、まだ日にちがあると思うのだが……
一瞬、そんな考えが脳裏を掠めたが、そんな事は、窓の外にいるヨミナ君の顔を見て吹き飛んでしまった。
それと同時に、なぜだか笑いがこみ上げ、私は吹き出してしまった。
「ぷっ……あはは! 何それ!? 一日でどんだけ浮いてんの!?」
「あ、あはは……」
大笑いする私を見て、苦笑するヨミナ君。
ヨミナ君は浮いている。それも日に日に高く浮いて、今はもう校舎の三階まで浮いてしまった。ヨミナ君は、このままもっと高く浮き続けて、私から離れていってしまう。
そう思うと、私は窓を開け、ヨミナ君に抱きついていた。
「うわっ……! どうしたの、安芸さん?」
「……嫌だ…………」
「え……?」
「私、これ以上ヨミナ君と離れるの、嫌だ!」
そう言って泣く私を、
「…………うん」
ヨミナ君はずっと抱きしめていてくれた。
気がつくと教室の机で寝ていた。ヨミナ君の姿はない。
「あれ……? ヨミナ……君?」
そうして、ヨミナ君の名前を呼んだ瞬間、私は走り出した。思い出してしまったからだ。夢から覚めたと同時に、幻想から醒めてしまったからだ。
ヨミナ君が浮いたあの日。いや、ヨミナ君が浮いたと思い込んでいたあの日。風船を取ろうとして木に登ったヨミナ君は、風船を取った喜びでバランスを崩し、地面に落ちた。打ち所が悪かったため、病院に搬送された時には既に手遅れだった。
私は走った。屋上に向かって。階段を一段飛ばしで駆け上がり、屋上への扉を開け、勢いそのまま屋上へと駆け込んだ。
「……ヨミナ君!」
私は彼の名前を呼んだ。もう、この世にはいない彼の名前を呼んだ。
高い空の端っこに、ヨミナ君が見えたような気がした。
ヨミナ君は今もどこかに浮いている。