素直になりたい
玲央は、1ヶ月経っても退院しなかった。
「玲央、退院はいつなの?」
いつものように病室に入り浸っている萌がふいに聞くと
「知らない。」
とだけ玲央が 素っ気なく答える。
「まだ、痛い?」
包帯もはずれ、赤みは引いたが まだまだリアルな玲央の腕の傷。
ずっと触れられなかった傷を、ようやっと話題にすることができた。
「たまに、突っ張るみたいに痛いよ。でも、それよりさ…」
玲央は言葉を区切り、自分の腕を見つめる。
「頭おかしいから、退院させないんじゃん?」
玲央が投げやりに笑った。
「そんなの…うちもだし。うちも、狂ってる。」
萌はドキドキしながら答える。
玲央以外には絶対に言えないこと。自分が狂ってるなんて、おかしいなんて、誰にも知られたくない。こんな風に心の中がざわざわしていることを誰にも悟られたくなかった。
病室の空気が少しだけ重くなる。
心の中をさらけ出してしまいたい衝動と、受け入れてもらえるかと不安になる気持ち。
2人は 一言一言、お互いの反応を試すように、言葉をつなぐ。
「なんか…さ。 なんで、萌はここに来たの?なんで、って ずっとわかんなかった。だってその、顎だって ざわざわだって、うちのせいじゃん。敵じゃん。大っ嫌いでしょ。ムカついてんでしょ?」
玲央の突然の追及に、萌は目を見開いて驚いている。
「嫌いだよ。大っ嫌いだよ。毎日言ってんじゃん。玲央だって うちのこと大っ嫌いっていつも言ってんじゃん。」
「だから!だからわかんないんだって。嫌いなら来る意味ないじゃん。来なきゃいいじゃん」
玲央はずっと疑問に思っていたことをここぞとばかりにがぶつける。
「嫌いだよ…。」
萌の目に涙が溢れて、その白い膝にポタポタ落ちる。
「嫌いだけど!てゆうか嫌いに決まってるし!!大っ嫌いで、ムカついて、恨んでて、全部、玲央のせいだしっ…」
声がつまる。鼻水まで溢れて 思わずティッシュを掴む。
「でも…ここでだけ、息が苦しくないの…」
言いながら、萌はだんだん自分の気持ちが見えてくる。
その尻尾を見逃してしまわないように、見失わないように、しかしゆっくり、萌は見え隠れする自分の気持ちを言葉にする。
「ずっと…苦しいの。誰のことも信じられない。怪我したら みんな優しくなって、話してくれるし、彩芽と苺は前みたいに友達してるけど、誰の言ってることも信じないし、でも嫌われたくないから、もう独りになりたくないから、みんなの機嫌取りして、ウケてるフリしたり、良いことばっかり言って…」
萌は大きく溜め息をつく。
そして大きく息を吸い込んで言い放つ。
「もー疲れたのっ!!」
玲央はまだ腑に落ちていない。
「それがなんで、うちのとこにくることになるわけ!?」
玲央は言いながら、胸の奥からボコボコ湧き出てくる気持ちに気づきかけている。
しかし 靄のようなその気持ちを言葉に置き換えることが玲央にはできない。
「そんなの自分でもわかんないってば。でもなんか知らないけど!なんか知らないけど…玲央と話したかった」
萌の涙をみて、言葉をきいて、玲央は泣き出したかった。見栄もプライドも全部壊して捨てて、わんわん泣けたら楽になれるのに。
それでも、玲央は泣くことができない。
窓の外に視線をのがし一生懸命 涙を押し込める。
玲央は素直な萌が羨ましくなった。こんなに心の内を さらけ出してくれる萌に対して 自分は素直になることができない。
話したかったと言われて嬉しいのに、ここにいると苦しくないと言われて、認められたようで泣きたい程に嬉しいのに、また、クールなフリをしてしまう。
どうしても鎧を脱ぐことができない。
泣いてる萌を上から見下ろすというスタンスを崩せない。
(私も。私も、萌と話せて嬉しい。私も、私も…)
玲央は声に出そうと心の中で何度も繰り返したが、とうとう言葉にすることは出来なかった。