玲央に会いにいく。
翌日、萌は学校には行かず、バス停の前に立っていた。朝のバス停には何人かの高校生と、通勤客、そしておばあさんが2人、駅前行きのバスを待っている。
萌は1人でバスに乗ったことが無かった。いつも車で移動するため、道路にも詳しくない。
通学路の途中で足を止めて、玲央に会いに行きたいとバス停へ向かったまでは良かったが、このバス停から市立病院へ行けるのか ハッキリわからず、だんだんと不安になってきた。
でも昨日の夜から、明日学校が終わったら病院へ行くと萌は決めていたのだった。そのためにお財布を通学カバンにしのばせ、頭の中で 放課後真っ直ぐバス停へ向かうことやバスに乗ることを何度もシュミレーションしていたのだ。
しかし朝になり、通学路を歩いていたら、急にたまらない気持ちになって足が止まってしまった。学校での友達との会話、休み時間、机を合わせての給食。その全てを思い浮かべて吐き気がした。
足は自然、バス停へ向かった。
萌は勇気を出して おばあさんに話しかけた。
「あの…このバス停から、市立病院へ行けますか?」
「あら、はい。大丈夫、市立病院へ行けますよ」
おばあさんは穏やかに笑って答えてくれた。
「ありがとうございます」
萌が礼をいうと
「1人で偉いね、学校の前に病院行くの?」
とおばあさんは言った。
「あ、はい…」
萌はなんだか どう話していいかわからず、下を向いて黙ってしまう。
会話はそこで終了してしまったが、結局おばあさんはバスに乗る際も「このバスよ」と教えてくれ、降りる停留所も教えてくれた。
降りる時には
「はい」
と 飴を握らせてくれた。
乾いてシワシワのおばあさんの手は温かくて、近づくと お線香みたいな匂いがした。
(あのおばぁちゃんは、私が苛められてたことを知らない…)
萌はこんな時でも、そんな風に考えてしまう。
萌にとって苛められたことは、人生最大の恥なのである。その恥が学校にも家族にも知れ渡ったのだから、消えたいと思って当然だろうと萌は考える。
(全部リセットできたらいいのに…)
太鼓の達人でフルコンボに失敗したとき、リズム天国でメダル獲得できなかったとき、萌は無理だと思った瞬間すぐに、リセットボタンを押して再スタートした。
リセットボタンさえ押せば、全て帳消し、またやり直すことができたのに。萌の毎日に、リセットボタンは無い。もう無理、と思っても、電源を切ることはおろか、タイムもできない。
毎日毎日 きっちり朝はやってきて、足がもつれたままの萌に太陽が容赦なく《立ち止まるな》と先を急かす。
まだ、昨日を消化できていないのに。
昨日どころか、一昨日も先週も先月も、突然みんなに無視されたあの日からこっち、全部まだ、萌は理解も納得も受け入れも、なにもできていない。できていないのに、もつれた足を懸命に動かし続けていくしかなかった。
萌のそのもつれた足が真っ直ぐ迷うことなく、玲央の病室に辿り着いた。
今日もドアに小さな袋を見つけた萌はそれだけで涙が溢れそうになり息が詰まった。精一杯感情を鎮めて、深呼吸する。
小さな袋に勇気をもらって萌は、病室のドアを叩いた。
しばらく待っても返事がないので、萌は静かにドアを引く。
ベッドに、玲央らしき誰かが横になっているのが見えて、萌はドキドキしながら、近づいた。
枕元まであと1メートルというところで、玲央が萌に気がつく。
玲央が元々大きなその目を大きく見開いて怒鳴った。
「なに、なんであんた」
萌は構わず、近くにあった丸椅子に腰掛けた。
「ちょっと!なに座ってんの!?」
玲央の視線が萌の手元にうつる。萌の手には、玲央がドアに貼り付けた袋が握られている。
「マジふざけんなや返して!!!」
玲央はまた怒鳴り、萌の手から袋を奪い返そうとするが、萌はサラリとかわす。
玲央は頭にきて枕元にあったペットボトルを萌に投げつけた。
「なにしにきたの!?ガチでキモい!!!帰れや!」
玲央が怒鳴れば怒鳴る程、萌の心は鎮まっていく。胸のつかえがとれていく。
(玲央は私に気を使わない。言いたい放題だ)
今の萌にはそれが嬉しかった。
「なに笑ってんの!?」
玲央は真っ赤になって怒ったが、萌は笑いが止まらない。
玲央が怖かった気持ちも、玲央死ねと願った自分も、笑いと一緒に消えていった。
消えて無くなったのかと思う程、萌の心臓は静かだった。