家族旅行
萌は目が覚めてからも、毛布にくるまって自分の部屋で、まどろんでいると錯覚していた。
ママがパタパタ歩いてる、そう思っていたのはカナちゃんの足音だった。
「起きた?」
カナちゃんが萌を見下ろす。
玲央はまだソファで眠っていた。
「洗濯すっからさ、シャワーして着替えなよ」
さぁ脱げと言わんばかりに、カナちゃんは手を出してくる。萌が恥ずかしがって戸惑っていると
「なんも恥ずかしくない!女同士じゃん?同じ同じ!全部同じ!」
カナちゃんはケラケラそう言って笑って萌の服を持って脱がし始める。
ちょっと、あのあの、などと言っているうちに萌は全裸にされ、浴室に放り込まれた。20分後、萌がカナちゃんの髪と同じ香りのホカホカになって出てくる頃には、今度は玲央がキャーキャー言いながら服を脱がされていた。
そして脱いで気付いた、いや玲央は気づいていた。
玲央は着替えが無かった!
入院していたのだ。病院から逃げてきたのだ。
病室の戸棚には下着と、1セットの服しか入っていなかった。それらをリュックに詰め込んで、逃げてきたのだ。
「だから嫌だって言ったのに…」
玲央がキャミソールとパンツだけで小さくなって座っている。
「いつまでも着替えないわけにいかないんだし!あたしの服着なよ!」
カナちゃんは気にする様子もなく引き出しを開け、どんどん服を出して並べた。
身長156センチで、細身のカナちゃんの服は、玲央が着ても違和感が無いのだった。
「可愛いー!」
「これ着たーい!」
萌も加わって ファッションショーが始まった。
さっきまで しょんぼりしていた玲央の目も輝いている。
「好きなの出して着ていいからねー!」
キラキラ光るラインストーンで彩られたTシャツ、真っ白いレースのミニスカート、黒いギンガムチェックのティアードワンピース、ネイビーのボーダーカットソー。2人は代わる代わる着ては脱ぎ、鏡の前ではしゃいだ。
今まで着る服を全て母親から与えられてきた玲央は、こんな風に自分で自由に着るものを選ぶのは、実は初めてだった。自分のものだと錯覚していた価値観は、生まれてから今日まで母親から与えられ続けたものだという、11歳ってそんなものなのかもしれない。
「着替えたらご飯いこー!」
リビングのテーブルでお化粧しながらカナちゃんが声をかける。
カナちゃんと同じ香りの髪で、カナちゃんの服を着て、2人はカナちゃんの部屋を出た。
「どこ行こうか?」
カナちゃんが黒い軽自動車を運転して、函館の街を走った。窓から紅葉の始まった函館山が見える。通り過ぎる街路樹も、赤や山吹色に変わっていこうとしていた。
そんな自然を背景にして、青い空と明るい太陽の下にいるカナちゃんは、化粧もほとんどしていなくて 夜より幼く、健康的に見えた。
***
カナちゃんが連れていってくれたのは、函館の観光名所、赤レンガ倉庫だった。平日なのに観光客はたくさんいて、大型バスも停まっている。
「魚かー、ハンバーガーか。どっちがいい?」
「あ、うち…」
玲央が困った顔になった。
「どした?」
萌もカナちゃんも、玲央を振り返る。
「ごめんなさい、生の魚、食べられない」
そう言って玲央が謝った。
「あぁそうなんだ?いいよー!わかった!」
カナちゃんはそう答えると、駐車場に車を停めて、
ズンズン歩き出した。いつだってカナちゃんの足取りは力強く、頼もしい。
着いた店はなんと、またしてもラッキーピエロだったので、萌と玲央は、顔を合わせて ちょっと笑った。もちろんすごく美味しかったので大歓迎である。そしてなんと!ラッキーピエロ・ベイエリア店は、念願のブランコがあった!
「ー玲央!見て!ブランコ!」
萌が玲央の腕をひいて指差す。
「空いてるね 座って席とっといて」
カナちゃんがそう言ってくれたので、萌と玲央はすかさずブランコに座ることにした。
「うわー。なんか不思議」
それが玲央の、ブランコの席に座った感想だった。
そこにカナちゃんがトレイいっぱいにハンバーガーなどを載せて、歩いてくる。
「ラキピ初めてー?」
カナちゃんにそう聞かれて、2人はキョトンと目を見開く。
「ラキ…ピ?」
玲央が聞き返すとカナちゃんは笑って
「あぁ!ラッキーピエロね。略してね、ラキピ」
「あぁ!そっか。ラッキーピエロ
はラキピかぁ。あのね、前にも来たことある、家族で。玲央もだよね?」
萌がそう話すと、玲央も続ける。
「うん、うちも何回か来た。この店じゃなかったけど…」
「家族旅行かぁ~」
コーヒーをクルクルかき混ぜながら、カナちゃんは窓の外を見てそう言った。なぜだかカナちゃんの顔が曇ったような気がして、萌は話続ける。
「カナちゃんも、うちらくらいのときは家族でどっか行ったり、した?」
それは、もちろん、カナちゃんも子供の頃には、何度も家族旅行をしていたと信じて疑わない類の、質問だった。明るいカナちゃんが、楽しげに子供時代の思い出話を始めてくれると思って聞いたのだ。
だからまさか、カナちゃんが、そんな話をするなんて思ってもみなかった。楽しい話を期待していた。
「家族旅行…とかは、ないかな」
2人は、意外、という顔でカナちゃんをみた。
カナちゃんはその視線に少し困惑したような視線を返し、へへ、と笑って、話を続けた。
「家族とか、親とかいないっけさ、あたし」