梅おにぎり
病院を出た後、萌は身支度をしに一旦自宅へ戻った。
待ち合わせは二時間後に、駅。
萌はママの車が無いことを確認し、家へ入ると急いで自室へ向かった。机の一番上の引き出し、文房具が入ったプラスチックのカゴを持ち上げると、そこにお年玉の残りが隠してあった。
今年の干支、ひつじの描かれた小さなぽち袋には、一万四千円が入っている。
小さながま口の中には763円。
萌はクローゼットから一番大きなリュックを取り出し、ぽち袋、がま口、着替えを詰める。頭の中は焦りと興奮状態で混乱していて 必要な荷物がまとまらない。
そのまま一階に降り、お菓子を詰められるだけ詰め、冷蔵庫からペットボトルのお茶を一本持った。
ふと炊飯器が目に入り、萌はおにぎりを握ることを思い立つ。ママは出掛けるとき、よくおにぎりを握ってくれていた。
キッチンにはママのかけらがいっぱいで、萌の手が一瞬止まり、目の周りが熱くなった。それを掻き消すようにゴシゴシと腕で目をこすり、ラップに包んだまだ温かいおにぎりをリュックにつめ、走って家を出た。
今日は涙を我慢してばかりだ。
駅につくと、玲央はベンチに座って、ゲームをしていた。
「玲央?」
近づいて萌が声をかける。
「萌!」
玲央が顔を上げて、安心したように笑う。
萌は玲央が自分を頼りにしてくれるのが嬉しかった。
玲央と仲良くなればなるほど、萌の中の嫌な記憶が消えていくような気がする。あれは、長い人生の中のほんの小さな一部なのだと、少しだけ思える時がある。
前にママが そう言った時は納得出来なかったけど、玲央が笑ってくれると、素直に、「そうかもしれない」と思えた。あれはちょっとした、間違いだだったのだと。
「どうする?どこ行けばいいかな?」
2人は大きな電光掲示板の前に立った。
切符の自動販売機の上に、大きな地図になった運賃表があった。読めない漢字がたくさんある。中央に大きく“さっぽろ”とある、これが現在地だ。さっぽろから右に何個かいくと、“江別”。おじいちゃんの家だ。いつもは車だけど、ママと何度か電車で行ったことがある。
そしてさっぽろから、ずっとずっと左に行った最後に、“函館”を見つけた萌はハッとした。
「函館!玲央、函館は?」
萌は目を輝かせて玲央を誘った。
「函館?どこ?」
「一番左の端っこ!」
萌が指を差す先を玲央が見つめる。
「あぁ~いいかも。ハンバーガーのお店、おいしかったなぁ。」
「うちも!前に何度か行ったんだ。温泉に泊まってさぁ。」
テーブルの椅子がブランコになった店内で、向かい合って座る2人を萌は想像する。
2人は地図の端の函館を見つめてはしゃいだ。地図の一番端っこということは、終点なのだろうと萌は考える。北海道の端っこまで逃げる。なんともドキドキするシチュエーションだ。
その函館の文字の下に、5720円(2860円)とある。
「うちらは小学生だから、2860円だね。大丈夫?」
玲央が聞く。
「うん、少しなら、持ってきた。」
萌はそう答えた。本当は、萌の財布の中の金額は、萌にとって「少し」ではなかった。でも玲央に対する小さなコンプレックスや見栄が、萌にそんな言葉を使わせた。
「玲央は?」
今度は萌が、玲央に質問する。
「うちも、持ってきた。うちは、貯めてたお金全部持ってきたよ。」
「マジで。」
萌は驚いた。それっていくらだろうと思ったが、人の財布の中身を聞くのは失礼なことだと思え、聞けなかった。コンビニで、値段も見ずに買い物する玲央を思い出すと、それは萌の想像を超える大金に思えた。萌の所持金14763円。足りるだろうかと にわかに不安になる。
「よし、切符買お!」
玲央がニコニコしている。それを見た萌も気を取り直してリュックから財布を出した。
2人は電車が函館まで直通で走ると思って疑わなかったが、どうやらそれは特急という特別速い車両のみで、2人が買った2860円の切符では 普通列車を乗り継いでゆっくり行くしかないようだった。
切符売り場や改札機の内側で何度となく道行く人に質問して、やっと長万部行きの15:38に乗ればいいことがわかった。ホームへ出ると すでに電車がホームに入っている。
古くて赤い車両に、えんじのシート。向かい合わせのボックス席に2人は向かい合って座った。
「あ、あの…お腹空かない?」
萌は少し恥ずかしがりながら、リュックからおにぎりを出し、玲央に差しだした。
「おにぎり!?え!なんでなんで?萌が作ってきたの!?」
恥ずかしい萌は黙って頷いて、ペットボトルを窓際の小さなカウンターに載せた。
玲央も真似してリュックからペットボトルを出し、萌のペットボトルの横に並べる。
おにぎりを見た途端にどちらともなくお腹が鳴り、「どっちのお腹!?」と2人の声が重なって笑った。不安で緊張していた気持ちが一気に解き放たれ、2人は涙を流して笑った。そしてその笑い声が落ち着く頃には、列車のドアが閉まり、四角く切り取られた景色たちが、動き出した。
「いただきます。」
玲央が、膝におにぎりを乗せ、両手を合わせた。萌はそれを なんだか嬉しいような くすぐったいような気持ちで見つめていた。
「おいしい」
玲央が、少し驚いた声でそう言った。
「うちさ、今まであんまり、おにぎりだけで食べたことってなかったんだよね。いっつも、卵焼きとか、ウインナーとか、おかずと一緒に食べてて。てかお弁当?おにぎりだけって初めて食べた。おにぎりって、おいしいんだね」
そう言った玲央が、おにぎりをほうばってニッコリ笑う。
「いただきます。」
萌も、両手を合わせ、おにぎりにかじりついた。
優しい塩味と、海苔の風味。素朴な梅のおにぎりだったが、2人にとっては充分にご馳走だった。