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11歳日記ーもうすぐ12歳ー  作者: ゆるゆん
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家には帰らない

「来月、学芸会だって。劇と、合奏やるんだって。嵐かセカオワか、だって。」

萌は玲央の病室に入るなり、矢継ぎ早に話す。

玲央は病室の隅の小さな洗面台の前に立って、歯を磨いているところだ。

歯ブラシを握ったその手を止めることなく萌をチラリと見、コップを手にとり口をゆすぐ。タオルで口元を拭いながら、やっと玲央が口を開いた。


「おはよん。」


「おはよ。じゃなくてー。うちの話聞いてた?」

「嵐かセカオワ?」

「そ。昨日 堀先生がうちに来てたの。帰ったらいきなり家にいたからビックリしたよ。学芸会あるし、学校・来なさいみたいな。」

「なんて言ったの?」

「なんにも。なんにも言えなかった。ママは学校行って欲しそうなのはわかっているけどさ。」

「ふーん」

玲央は力無くそう答えて、ベッドに倒れこんだ。


「玲央はこれからどうするの?」

萌はベッドの脇へ行って、玲央の顔を覗き込む。

「これから…?」

「そう。これから。学校とか、学芸会とか。いつまで入院しているの?決まってないの?」

玲央は今日まで、退院の話をされたことは無かった。退院の話どころか、学校のことも友達のことも、塾やピアノや習字のこと、これからに関わる全てのことを ママは話さなかった。


あの男のことも。


退院したら、またあの男と暮らすのだろうか?

家にはあの男が今もなお、暮らしているのだろうか?考えて玲央は目の前の萌や、病室の壁やら、ペットボトルやらに焦点が合わなくなる。



「ごめんね、考えられないよね」

明らかに様子がおかしくなった玲央を心配した萌がそう言って

「うちもそう。考えたくないよ これからなんて」と笑った。


このままじゃいられないのは、2人とも 充分わかっている。いつか、この2人の基地を出て、外へ踏み出さねばならないのだと。 

でも、それはできれば来週とかじゃなくて、来月でもない、遠い遠い未来であって欲しい。


“もう少し、ゆっくり休んでいていいよ”


神様とか、そんな誰かに、休むことを認めて欲しかった。


やっと、久しぶりに息継ぎできる場所を見つけたのだから。


「うち、家には帰りたくないの」

玲央が不意に呟く。

「家に…」

玲央の声が震える。


「家に、ママの彼氏が住んでるの。お父さんなんかじゃないからね。ママは、あいつをお父さんて呼べって言ったけど、絶対無理だったし。でね、そいつガチで最悪で。酒ばっかり飲んでて、酔っ払って…」

玲央の目から 涙が落ちる。

萌も横で、鼻を赤くした。

「酔っ払って、殴るの。毎日、本とか、リモコンとか投げてきたり…灰皿の時もあったからね。うち、ママ仕事忙しいからさ。基本あいつと2人なんだよね。」

ズズッと玲央が鼻をすする。


「ずっと我慢してきたけど、もう、嫌だ。もしママが今でも あの男と暮らすって言うなら…」

玲央の目は さっきから正面の壁を睨み付けている。

「暮らすって言うなら…?」

萌が言葉の続きを尋ねる。

「ママは うちよりあの男を選んだってこと。それならうちは、家には帰らない。」

「帰らないって…ずっと病院にいるってこと?病院に住むの!?」

「そんな訳ないじゃん。それは多分無理。今だってこんな元気なんだし」

そう言って玲央はニッと歯を見せて着ている寝間着の肩をずらした。裸になった玲央の肩には赤黒い、なにかの痕があった。

「やけど。やかんのお湯。すぐに病院行ってれば、もっと綺麗に治ったって、腕の傷の先生が言ってた。まぁ、自分でやったって言っちゃったんだけどさ、ママが可哀相で。ここ、ママの病院だからさぁ」


萌は言葉が出なかった。誰かに悪意を持って熱湯をかけられるなんて、萌には想像できないことだった。それくらい、萌は汚いものや、怖いことから守られ続けて育ってきたのだ。そんな萌は、玲央の心がまた遠く感じる。また少し、自分を恥じた。


「どうするのか、とは、詳しくはまだ決めてない。でも、あいつと暮らすのは絶対無理ってことは、もう、絶対そうだから。うん。」

玲央はそう言ってまた笑って、思いっきり鼻をかんだ。

その下品な音に2人で吹き出して笑った。


「カウンセリングの先生が言ったんだよ。自分を大切にしなさい、って。自分は宝物だって。それが本当なら、殴られたりする奴のとこに帰ったらダメっしょ。」

笑った玲央は少し得意げで、なんだかすごく、かっこよかった。


「うち、どっかに逃げるかも」


「えっ!?」

萌は目を丸くする。

「どっかって!?どこ!」

「だーからぁー。わかんないっつの。考え中」

「えぇ…」

もう萌は何を言ったらいいのかわからない。

「どこに行ったって、あいつと暮らす以上の地獄はないと思うし。大丈夫。逃げる。」

玲央は一言一言、決意表明のように話す。

「萌も行く?」

行かないよね、というかのように、玲央は笑って問いかける。その目は 怖いこと、悲しいことをいっぱい見てきた、深い茶色だった。

その茶色の目が(一緒にきて)と訴えているように萌には思えた。


「うちも行くわ」


萌も決意した。玲央を1人にしない。


「逃げよう、地球の果てまで」


2人の胸には小さな炎が燃え、パチパチと火の粉が弾けて飛んでいた。


(リセットするんだ)

萌はそう思った。苛められた惨めな私を誰も知らない場所で 一からやり直し。これはリセットボタンだ。


玲央と萌の間にあの日芽吹いた新芽は、少しずつだが根をはり、双葉になり、空に向かってどんどん伸びようとしていた。

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