玲央のお小遣い
萌は小さながま口を持っていた。
ピンク地に白の水玉が色白な萌によく似合った。
「かわいい」
玲央が褒めると、恥ずかしそうに
「ママが作ったの」
と萌は笑った。
「ふ~ん」
玲央はそう呟いて無関心を装ったが、心の中では驚いていた。玲央にとってがま口は、財布は、お店で売っているものであり、手作りするという概念が無かった。
その小さながま口に、ちょっとの小銭。
それを大切そうに数えながら、買うものをゆっくり選ぶ萌に、なぜか玲央は惹きつけられるものを感じた。理由はわからない。
わからないが、羨ましいような気がした。
玲央は財布の中を数えることをしない。
いつもある程度の金額が入っていて、玲央が買い物するくらいなら、足りなくなることなどないからだ。足りないな、などと感じる前に、ママがいつも
「買っておいで」
と千円札をくれる。
消しゴムが欲しいと言ったら千円、お昼買っておいで、と千円、夜勤だからね、と千円。
玲央は夏目漱石の青い顔が嫌いだ。
玲央も、財布の小銭を大切に、数えてみたくなった。
でも自分の財布には大嫌いな夏目漱石の青い顔ばかりだと思い出して数える気はすぐに失せた。
萌と中庭に出ると、秋の日差しが入院中の玲央には眩しかった。
もうすぐ太陽が、一番高く登る。
座ろうとしたベンチに赤トンボが止まっているのを見つけると、萌は忍び足になった。
(え?捕まえるの!?)
玲央はまた萌に驚かされる。指先に赤トンボの羽を挟んだ萌は自慢気にこちらを振り向いた。その無邪気な笑顔。
「いやいや、こっち持ってこないで」
つい、キツい口調になってしまう。
萌は一瞬にして眉をひそめ、パッとトンボを空へ離した。トンボも、萌の笑顔もあっという間に2人の前から消えてなくなる。玲央はなんだか悪いことをしたようで、
「虫好きなの?」
と玲央は努めて笑顔で、聞いた。しかし萌は
「いや、別に」
と答えただけだった。
(怒ったのかな)
玲央は少し悲しくなる。
ほんの少し前には絶対に有り得なかった感情が、玲央の中に生まれていた。
萌の気持ちを推し量るなんて。
むしろ 萌が嫌がることをわざわざやり、萌を泣かせ、傷つけてやりたくて仕方なかったのに。
まさか自分が、萌を気遣うなどとは。
そんな自分が恥ずかしくなって、玲央はコンビニの袋をわざと乱暴にガサガサ探った。
「いっぱい買ったんだね」
萌がこちらを見る。
「そう?食べる?」
玲央は唐揚げを萌に差し出すと、萌は一瞬戸惑ったような顔をして、しかし「ありがとう」と言って唐揚げをひとつ、指で摘んだ。
(トンボ捕まえた指で)
玲央は虫が嫌いなのだった。
しかし当の萌は全く気にする様子もなく、今度はその手で イチゴミルクにストローを刺している。
「萌はそれだけ?」と聞くと、
「お腹空いてないから」
と答え、すぐに
「お小遣い、そんなにないし」
と 萌は付け加えた。
そして
「月、500円だもん。」
と下を向いて、小さな声で呟いた。
「え!!?500円!?」
驚いてつい、大きな声が出てしまった。
「声大きい!玲央!」
だって500円。さっき玲央がコンビニで支払った金額が500円ちょっと。それが1ヶ月の全部なんて。
「うちなら足りないわ」
正直な感想だった。
「だよね。玲央は?」
萌に聞かれて、改めて玲央は自分の“お小遣い”について考える。
(ママがいつも、お財布から出して渡してくれる千円札。テーブルの上に置いてある千円札。あれ全部が私のお小遣い?)
「うーん。月とか、決まってないかも。ちょこちょこくれるんだよね。お金。なんか買う?とかなんか買っておいで、とか。」
「え、ちょこちょこ…いいなぁ」
萌が呟く。
いいのかな?
そりゃ、お金ないより、お金ある方がいいけど…玲央は考える。
でも、ママが冷たい千円札を渡してくれるとき、玲央は少なくとも“嬉しい”とは思っていなかった。だってそれはいつも、玲央が“悲しい”とき“寂しい”とき、差し出されるものだったから。
そしてその千円札では、玲央の悲しい、と寂しいは治せなかったから。
テーブルの上に千円札だけ置いてある時は、治るどころか、寂しい悲しい気持ちが倍増した。
ママが玲央から目を逸らして千円札を渡す。
千円札は、ママの“ごめんね”の代わりなのかもしれなかった。
でもね、ママ。
いっぱい買い物しても、いつも喉が渇いたし、欲しいものを買いたいと思っても、玲央の欲しいものは、どこにも売ってなかったんだよ。