被害者と加害者
10月5日(月) 晴れ
今日は病院の日。
水野萌、11歳は学校を休んで、ママの車で病院へ行く。
萌は 先週の図工の時間、同級生の女の子に彫刻刀で顔を切りつけられた。
萌はその時、床や、版画の板や、同級生や自分、とにかくみんな真っ赤だったのをよく覚えている。
いや、真っ赤というよりは 想像よりちょっと暗い色だった。
萌は、血って、思ってたより真っ赤じゃないんだと、
そう、思ったのだった。
血はたくさん出たが、傷は浅かったし、傷も残らないで綺麗に治るから大丈夫、とママは萌に話した。
しかし 傷の消毒に何回か病院に行かなきゃならないのと、その時に 心のお医者さんと、お話ししなければならないとも、つけ加えた。
心についた傷の手当ても、しなければならないのだと。
(カウンセ…ナンとか…)
ママは心配して萌に色々聞いてきたが、当の本人は さして 自分の心の具合を把握していないのである。
心についた傷。萌は胸の中にあるはずのハートの形に彫刻刀が刺さって バラバラに割れるのを想像する。
「終わったら、電話して」
母親はそう言って、総合病院の中の診療内科の前まで一緒に来てくれた。
萌は1人でなんて絶対イヤだったが、お医者さんと2人きりで話をしなきゃいけないのだと、ママと看護士さんとに言われたら、イヤとは言えなかった。
いつから、赤ちゃんみたいに嫌だ嫌だって泣けなくなったんだろうと萌はぼんやり考える。
心の傷の手当てなんて言ってたけど、この嫌な気持ちだけで充分、逆効果だと萌は思う。
怖くてドキドキして、ママの手をギュッと握った。
ママは大丈夫だよって肩をギュッと抱き寄せてくれた。ママの匂い。お化粧と、髪につけるやつとボディソープとクリームと、そんなのが全部混じったいい匂い。
知らないお医者さんと話すより、ママにくっついてる方がずっとずっと癒されるのに。
「水野萌ちゃん」
ドアの向こうから おじさんの低い声がした。
心臓が ギュッと半分くらいに潰れた気がする。
萌はママに背中を押されて立ち上がる。
ドアを開けたママは「よろしくお願いします」と頭を下げて、萌に小さく頷いて また、大丈夫って言って ドアを閉めていった。
「初めまして」
大きな机に座ったこの人が先生なのかな?
もう、おじいちゃんみたい。髪が真っ白で、とにかく顔が好きじゃない。
なんか怖い。
絶対 私の心の手当ては この人には無理!
萌はこの人と2人きりになって30秒で、この人を嫌いになったし、帰りたかった。
「水野萌ちゃん。座っていいですよ」
先生に机の前の椅子を薦められて、静かに腰を下ろす。
「萌ちゃん こんにちは。」
「こんにちは」
「今日は?お母さんと2人で来たのかな。萌ちゃんは何人家族だっけ?」
先生は 紙になにか書きながら萌に質問する。
「マ…お母さんと、お父さんと、私の三人家族です。」
「いつもはママって呼んでるのかな。それならいつもと同じに話していいんだよ。」
そう言われたので萌は
「ママとパパと私の三人家族です。」
と言い直した。
その後も とりとめのない質問が何個か続いた。
(これがカウンセなんとか?これで心の治療してるの?どうして事件のことは聞かないのかな?)
やっぱり萌には よくわからないのだった。
私を刺した、玲央も、この先生とカウンセなんとかしてるのかな。
萌は「被害者」だったけど、みんなは可哀相とか大丈夫とか優しくしてくれたけど、それ以上に陰で噂したり、ジロジロみたり、いじめられっこ、って言った。学校全体のみんなが、萌がいじめらていたことを噂した。可哀相って言われる度、見下されているような、バカにされているような気持ちがして恥ずかしがった。
それと同時に、玲央も学校全体から非難を浴びまくっていた。いじめの首謀者。母子家庭。再婚。頭オカシイ。同級生を刺した加害者。
いじめられて最後には刺された萌も、いじめのリーダーになって萌を刺した玲央も、結局同じように陰口を叩かれ、阻害される。
少なくとも私は被害者なはずなのに…
「萌ちゃん?」
先生に大きな声で呼ばれて、萌は我にかえる。
カウンセなんとかの途中だった。
「先生、玲央もここに、来てますか?」