変化幻影
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「もう夕方かぁ」
「日が暮れるの早くなったよね〜」
帰宅途中で、学ランに身を包んだ昇が遠くの山々に沈みかけている夕日を眺めながら呟いた。その呟きに反応したのは小中と同じ学校、さらに入った高校まで一緒という、いわゆる幼なじみの早紀だ。
家庭について言えば、昇は父親が他界し、早紀は両親のもとから離れて一軒家に一人暮らししている。
夏の名残が少しだけ残っている生暖かい風が二人の肌を伝い、季節はずれのセミがじわりと一節だけ鳴いた。
「そういやこんな時期だったよな」
「なにが?」
「小学生のころ、お前が『化け犬見た〜』って騒いだの」
声色を変え、半歩後ろを歩く早紀の真似をする。
「し、しょうがないじゃない、小さかったんだから!」
「その次の日だったよな、事件が起きたのって」
「そうだったっけ……?」
事件。それは早紀が化け犬騒ぎを起こした次の日、隣町の中年夫婦が殺されたという事件が広まった。女性は頸動脈が切られ、男性は鋭利な牙や爪で肉をえぐられて死んでおり、二人の住む街では集団登下校を義務づけられた。
「ていうか! 昇また私の真似したでしょ!」
「なにをいまさら……って痛い痛い」
早紀は持っていたカバンを持ち上げ、昇の頭上に落下させていた。
昇は頭を腕で庇いながら逃げる。距離が離れたら立ち止まり、まだ早紀がカバンを振り回してきたらまた逃げる。二人はそんな行動をしながら帰って行く。
「んじゃな」
「また明日ね」
早紀の家の前で別れ、昇は自分の家へと進路を変える。しこたま殴られた後頭部をさすりながら、夕日を背にして歩いている。二つめの角を左に曲がると、犬の散歩をしているスーツ姿のおじさんとぶつかりそうになった。犬は赤いリードをぐいぐいと引っ張り主を急かし、おじさんはそれに全く動じないで散歩を続ける。
――散歩かぁ。仕事帰りなのに大変だな。……尻にしかれてるかも。
そう思いながらもおじさんに道を譲り、昇が柴犬のボロボロになった首輪を目だけで追ったそのとき、
「種を……」
「え?」
思わず声に出てしまった。周りが静寂に包まれていなければ聞こえないようなか細い声、それが昇の耳に届いて顔を上げると、スーツ姿のおじさんも柴犬も角を曲がったらしく姿が見えなかった。
「種……? 何のこっちゃ」
それほど長くない髪をいじりながら、腹の虫が鳴く。昇は辺りを気にして誰もいないことを確認すると逃げるように帰っていった。
「ただいま〜」
母親に帰宅の合図をする。『お帰り』と事務的な感じが拭えない返事が奥の台所から伝わってきた。
昇はその言葉を右から左へと聞き流して階段を上り、引き戸タイプのドアを破壊するがごとく元気よく開け放つ。机の上にカバンを無造作に置き、全身の力が抜けたようにベッドへ飛び込んだ。ごろりと仰向けになり、腕で目を覆う。
――あー眠っ! とりあえず何にもすることないし寝るか。
そう思いたつと行動は早く、五分と経たぬうちに昇は夢の中へと旅立った。
◆ ◆ ◆
「う〜ん、今何時だ?」
昇が目を覚ますと、部屋は既に真っ暗だった。手触りで頭上にある目覚まし時計をつかみ、時間を確認する。長針は八を、短針は九と十の間を、それぞれ指していた。
「うぉ、俺四時間も寝てたのか。……寝過ぎだなどう考えても」
頭をボリボリと掻いてから立ち上がり、学ランを脱いでハンガーにかけ、タンスから早紀にもらった私服に着替える。一段飛ばしですっ飛ぶように階段を駆け下り、台所の扉を開ける。
「母ちゃん飯〜、っといないのか」
テーブルの上にはすっかり覚めたカレーと一つのメモがあった。メモには『町内会の会議に参加するので出かけます』と書かれていた。しかし会議というのは建て前であり、飲食店を徹夜で闊歩するものだとアキラは知っていた。
メモをくしゃりと丸めてからゴミ箱に投げる。きれいな弧を描きながら入り、昇はガッツポーズを決めた。
カレーを口へと運びながらテレビの電源を入れ、見始める。
『次のニュースです。今日午前二時ごろ、北町で幼稚園児を対象に……』
「ニュースかよ。俺はバラエティーがみたいんだ」
喉を慣らしながらカレーを飲み込んで、チャンネルに手を伸ばす。違う局にしようと指を動かすとポケットの携帯が振るえていた。画面には早紀の名前が書かれている。
昇は肩と耳で携帯を器用に挟みながら通話ボタンを押す。空いた手で局を変え、テレビの画面はバラエティーへ。
「もしもし? なんだ?」
『の、昇! 助け』
電話の向こう側で何かが壊れる音がし、通話は遮断された。
昇はスプーンをぶん投げ、蹴破るような勢いで玄関の扉を開けて外に出る。鍵を閉めるなどということも忘れ、一心不乱に駆ける。帰宅の時に似た生暖かい向かい風をその身に受け、各虫の大合唱を背に早紀の家へ急いだ。
早紀の家につき、チャイムを必死に鳴らす。一回、出ない。二回、出ない。三回、出ない。四回、出ない。昇は心臓がかなりの速度で脈打つのが分かり、さらに焦る。
――くそ、出ろ出ろ出ろ出ろ!
チャイムを六回ほど押し、昇にとって永遠とも思えるような数十秒が過ぎると、ドアが開いた。
昇がドアを開けた存在に殴りかかろうとすると、
「あれ、昇。どしたの?」
「え?」
早紀だった。まだ着替えていなかったのか、セーラー服だ。海苔せんべいを片手に、きょとんとした顔で昇を見る。
「早紀、お前俺に助けてって電話を……」
「え、私昇に電話なんてしてないよ」
意見の食い違った二人は同時に携帯の発着信履歴を見る。昇の携帯に早紀の名前はあったが、それは三日前のものだった。
「あれ、おかしいな」
「あははっ、寝ぼけてたんじゃない?」
「にしてはリアルなんだよなぁ……」
携帯をズボンにしまい、苦笑いする。
「ほら、夜も遅いし帰った帰った!」
早紀は何か言いたげな昇を反転させて背中をグイグイと押し、石垣を下ろしていく。
「お、おぉ、邪魔したな」
早紀に気圧されて昇は自分の頭を責める。夢から完全に覚めていないのかもしれないと昇が思い始めると、携帯のバイブが作動した。発信者は、早紀だった。
――え、早紀? ここにいるのに。
現状を説明しようと昇は首だけで後ろを振り返って、携帯を落とした。
自分の幼なじみの顔が、いや首が、ありえない方向へと曲がっている。それは生物として、人間として、『生きている』などという考えが一掃されるほど不気味だった。
「ぅ、うわぁ!」
昇は逃げようと足を動かす。が、足がもつれてその場へへたり込む。そのまま後ずさりし、早紀であって早紀でない者の接近を拒んだ。
道というのはそれ程広いわけじゃない。恐怖により大声が出せない昇は必死に逃げるが、ついには向かい側の塀に行くてを遮られてしまった。
「く、くるな……」
昇の瞳に涙がこみ上げ、奥歯は振るえ、肌は羽をむしった鳥のようにざらざらで顔面蒼白。
早紀は首からおびただしいほどの血を吹き出しながら一歩、また一歩と近寄ってくる。昇の携帯を踏み潰し、自らの携帯も取り出して握りつぶす。
「ノォボォルゥゥゥゥ……!」
獣のような、低く唸るような声を出しながら手を伸ばしてくる。時が経つに連れただれ始めている手に昇は顔をつかまれ―――――。
◆ ◆ ◆
「ぅあぁあぁぁあ!」
布団をはねのけ、全身汗だらけの昇は肩で息をする。
「ここは……どこだ?」
辺りを見渡す。ピンクのベッドに白い天井。タンスの上にある豚の貯金箱、机の上にある昇と早紀が写ってる写真立て、年期の入った木製の机。一週間ほど前に来た、早紀の部屋そのものだった。
腕で気持ち悪いほどの量の汗を拭い、時計を探し始める。すると、扉がゆっくりと開いた。
「あ、やっと起きた。もう、うちに来たと思ったら急に倒れるんだもん。とりあえず私の部屋に入れたけど……」
「早紀……? 本当に、お前なのか?」
「? なに言ってんの、頭打っちゃった?」
早紀は自分の額と昇の額を合わせようとベッドに座って顔をよせる。どう行動すればいいか迷った昇は、とりあえず離れようとしたが体がそれを拒んだ。
早紀の額がくっつく。早紀の体温や体重、優しい香水の香りがほのかに伝わってくる。
――この香水、俺があげたやつ……。
早紀の匂いで目が虚ろになった昇は考えるよりも先にタバコ一本分の距離もない位置にいる早紀の腕をつかみ、引き寄せてから抱きしめる。
「きゃっ! ど、どうしたの昇」
「本当に……本当に早紀なんだな」
「だからなんなのよさっきから」
「よかった……」
昇はただただ『よかった……』と『悪い夢だった……』と振るえる声で何回も呟き、強く抱きしめる。
最初は驚いていた早紀だが、すぐに微笑んだ。そして、昇の耳元で小さく呟き返す。
「ノボルゥゥ……」
そして次の瞬間、部屋中に血が飛び散った。
◆ ◆ ◆
住民が眠りにつき闇と静寂が世を支配する時間。早紀の家の駐車場の真ん中に、スーツ姿の男が柴犬を撫でてから抱き上げ、
「また失敗……か。難しいものだな、『人体変化』は。体が種の変化に耐えきれない。改良が必要だな」
無邪気に顎を舐める柴犬を地面に下ろし、内ポケットから小さめの袋を取り出す。その中にある青い一錠のカプセルを手に取り、柴犬の口の中へと放り込んだ。
「また前のように、処理を頼む」
スーツ姿の男は踵を返し、街灯の少ない闇のほうへとその姿を消していった。 カプセルを飲み込んだ犬は唾液を撒き散らしながら唸り、横倒しになる。全身が痙攣していたが一分ほど経つと何事もなかったかのように立ち上がり、開いている窓から早紀の家へと侵入する。二人のいる部屋へと足音もなく近づき、そして――――。
誰もいない早紀の家。一日中つきっぱなしであったテレビは朝のニュースを流し、ポストは新聞を受け入れた。健康のために走り出す老人を見下ろすように小鳥たちが電線に降り立つ。その中の一匹が、二階の窓を外から眺める。
そこには目を丸くして頸動脈を切られた昇と、鋭利な牙や爪で体中を引き裂かれた早紀の死体が、仲良くかぶさっていた。
第一発見者は、こういうだろう。『変死体だ』、と。
いやぁ、ホラーって難しいもんですねぇ。夏ホラーを除き、もう書けないと思います(笑
にしても読み返して、ありふれた作品だなぁ……と(泣
次こそはオリジナリティ溢れる作品を生み出そうと思います!