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姉様に続いて、何を言っているのか全く分からない。目の前の男が何やら熱く語っているのは理解できるのに、きちんと聞こえているのに、何一つ、頭に残らない。右から左に抜けていく。
兄上か姉様に事情を聴きたくても、なんとなくそんな空気ではない。怒り心頭、とはまさにこのことか。
近くにいるはずの一角兎の群れへの威嚇、というのであれば分かるような分からないような、であるが、怒りの対象はこの何を言っているのか全く理解できない男に対してである。
というか、本当に、誰なんだ。どうして、兄上も姉様もここまで怒り狂っているのか。
一角兎の群れをあそこまでにした理由はこの男、ということなのだが、まだ情報が繋がらない。
「あの、兄上、姉様。この男、誰なんですか?」
「イルヴィッツ伯爵の孫よ。一年前の王都で開かれた夜会で、ラヴィニアに一目惚れしたらしいわ」
「……はぁ」
私は会ってないのに? という疑問で頭がいっぱいになるが、会ってないよね?
あの日は、兄上からミハエル殿下に、第一王子、第二王子とは関わりのない、あるいは距離を置いている貴族たちを紹介されていた。私はその横で、殿下の婚約者(一応)としてあいさつをしていたわけだが、その中にいなかった、と思う。
私は記憶力に自信があるわけではないので、もしかしたら挨拶している可能性はある。しかし、そもそも兄上が殿下に紹介していた貴族がどういう人たちなのかということを考えると、挨拶はしてない、よなぁ。普通に考えると。
「それで、なぜ、一角兎の群れの爆誕に……?」
「もちろん、貴女のビロードのように美しい黒髪には、傷一つない純白の毛皮がよく似合うからですとも! それに、毛皮は高値で売れるので、その利益で貴女をますます美しく輝かせる装飾品を送るのにも最適ですからね!!」
……うん。なんもわかんない。
戸惑いすぎて、男の後ろにいる兄上の顔を見るも、兄上は理解できない、と表情で物語っている。
ひとまず、落ち着いて考えてみよう。
私の黒髪に、一角兎の毛皮がよく似合う……うん、いきなり分からない。
毛皮が高値で売れる……これは、まぁ、事実なので、理解はできる。
私に装飾品を贈る……? 分からない。なぜ。婚約者に贈るのならば理解できるけれど、私にとっては初対面……というか、王都の社交界って、挨拶を交わさない限り、知人として数えることはないって聞いた気がするんだけど、気のせいだっただろうか。
「えっと……世迷言はとりあえず置いておいて、私は、どうしてここに呼ばれたんですか?」
「この愚か者が、ラヴィニアがいないと、一角兎を繁殖させていた場所を教えないというのよ。このだだっぴろい草原を当てもなく探してる場合でもないから」
「その繁殖場所、なにかあるんですか?」
「あの群れ、異常に大きいでしょう? あれ。このバカが変な薬を使ったらしいの。その薬を探しに行く必要があってね」
なるほど、確かに群れが異常に大きいのはなんでだろうとは思っていたけれど。その変な薬? とやらを使った影響で、大きくなったのか。
姉様の言葉に男を見ると、男はとても嬉しそうに笑った。
「すみません、こうでもしないと、ラヴィニア嬢とお会いできないかと思いまして。いやー、まさか、あの一角兎たちがそんな群れを拡大させていたとは露とも知らず。申し訳ありません。いま、ご案内しますね。……あ、すみません、ちょっと、僕の首にかかってる青い石に魔力込めてもらっていいですか」
「なによ、これ」
私を下がらせた姉様が、言われた通り、首飾りを持ち上げる。革紐には黒と青、二つの石が括られており、それは見た感じ、何の変哲もない、ありふれた宝石――サファイアに見える。
「あ、そこに研究所までの転移陣を刻んでいるんです。いちいち転移魔法展開するのも面倒だったので。魔法を展開するの凄く遅いんですよ、私」
「なんだと?」
「……なんですって?」
何気なく言われた一言に、兄上と姉様が驚愕し、私は意味が分からなくて言葉を頭の中で反芻する。
――いちいち転移魔法を展開するのが面倒だから、転移陣を刻んだ???
……え、どうやって!?
もちろん、道具に魔法を付与することはある。しかし、その製作過程は非常に難しく、専門の職人が存在しているほどである。
姉様に渡された通信具も魔法を付与された道具である。自分で魔法を使わずとも、対の通信具を持つ相手と遠隔で会話ができるので非常に便利ではあるが、その分、製作難易度は高く、非常に高価なものだ。
不可能ではないが、転移魔法ともなれば、その製作は更に難しくなる。我が家ではみんなほいほい使っているが、一般的には転移魔法は非常に難易度の高い魔法なのだ。
故に、面倒だから、と簡単に作れるものではない。
しかも、今の言い方的に、自分で作った、ってこと?
優秀な魔道具職人は、すなわち有能な魔法使いである。当たり前だが、自分で魔法を使えないと道具に付与できない。
もしかしてこの男、そうは見えないけど、相当な実力者なのだろうか? と頭の中で警戒段階を一つ上げる。兄上と姉様も、男を見る目に先ほどよりも警戒心がにじみ出ている。
「えぇ、だって、面倒じゃないですか。同じ場所に行くのに毎度、陣を描くの。要領は通信具と同じですよ。入口と出口を固定するんです。あ、ちなみに黒い方は僕の部屋への直通です――あっ」
黒の石が男の部屋へ転移するためのものと聞いて、姉様がすぐさまそれを奪い取る。もちろん、逃亡させないための処置ではある。
兄上が拘束している以上、転移のための魔法陣を展開したとしてもすぐに妨害はできるが、転移魔法の陣を刻んだものを経由した場合、どれほど素早く転移できるか分からないので、当然の反応だった。
「もー、逃げませんよー、せっかくラヴィニア嬢と会えたのに! あ、一人用として設計してますが、一応、範囲は少し広めに作っているので、四人なら固まって体の一部を接触していれば多分大丈夫です!」
「……もし嘘ついてたら、ただで済むとは思わないことね」
「もちろんですとも! オルトマン直系の皆様を前に、無謀なことはしませんよ」
ニコニコと笑うその様子は、嘘をついているようには見えない。しかし、事実を語っている保証はない。
兄上と姉様がいるならまぁ、仮にどんな場所に飛ばされてもなんとかなるから、いっか。そんな風に考えていたら、姉様がサファイアに魔力を込め始めた。
すると、すぐに足元に見慣れた魔法陣が広がり――次の瞬間、見知らぬ場所に転移していた。




