27.リビーの覚悟
開始の合図があってから、わたしたちは林の中に入った。
前世の遠足で山登りは経験しているものの、あまりいい思い出はない。なんでかというと、親がまともな靴やリュックサックを買い与えてくれなかったし、お弁当も準備してくれなかったからだ。先生たちが気の毒がって自分の弁当を分けてくれようとするんだけど、わたしはどうしても受け取れなかった。あまりにも申し訳なかったからだ。そんな状態だから山頂に到着するのは本当に大変で、毎回死ぬ覚悟をしていたことを思い出す。
「リビー、大丈夫か?」
木の根っこを踏み越えながら、アインハードがわたしに向かって手を伸ばす。このぐらいへっちゃらだって思ったけど、せっかくの接触チャンスを逃すわけにはいかない。わたしはアインハードの手を握り返した。
「ありがとうございます、殿下」
「この辺はぬかるんでいるし、転びやすいから気をつけて」
アインハードはまるで夜会会場を進むかのごとく、わたしのことをスマートにエスコートしてくれた。出会った頃と比べると別人かと思うほどのものすごい成長ぶりだ。
「殿下が一年生のときも、こちらで演習をしたんですか?」
「ああ。王立学園の伝統だからな。前回もこの辺りに魔法石が隠されていたんだ。思った通りでよかった」
アインハードはそう言って、懐かしそうに目を細める。
出発地点から三十分ほど歩いたところにある崖の近くの大きな木の幹の中を探ると、そこには魔法石が隠されていた。
「殿下のときはどなたとペアを?」
「ゼリックとは別の側近候補だ。安全面を勘案して講師陣が勝手に設定した」
「まあ、そうだったんですね」
もしも年上の女性だったら嫌だなって思っていたから、わたしは密かに胸を撫で下ろす。アインハードはそっと目を細めた。
「だが、今回は安全面は二の次に、俺の要望を通させてもらった」
「要望って、わたしとペアになることですよね? そんなにわたしとペアになりたかったんですか?」
からかうようにそう言ってみたんだけど、アインハードは「ああ」と真剣な声音で返事をする。
「これまで散々ゼリックに邪魔されてきたからな。リビーと二人きりになれる機会を作りたかったんだ」
「え? えっと……」
どうしよう。この展開はさすがに予想していなかった。
つまり、なんだろう? アインハードはこれまでもわたしと二人きりになりたかったと。だけど、ゼリックに邪魔されてきたっていう認識でいいのだろうか?
(だとしたら、王太子妃に選ばれるのも時間の問題なのでは?)
アインハードにその気がある上、わたしは今年の首席入学生だもの。学力優秀、素行も良好、家柄や容姿も悪くないのだから、誰よりも妃の座に近いと自惚れてもいい気がする。
「リビーは俺の妃になる気はある?」
「も、もちろんです! むしろ選んでもらいたいと思って、これまで努力を重ねてきたんです」
食い気味にそうこたえたら、アインハードは静かに目を細め、わたしのことを抱きしめてきた。
「よかった」
耳元でそう囁かれて心臓がドキドキと大きく高鳴る。ゼリックとは違うスパイシーなコロンの香りがして、わたしはゴクリとつばを飲んだ。
(どうしよう)
こんなにトントン拍子でことが進むなんて思ってなかった。アインハードとの交流を深められるのは、もっともっと先のことだと思っていたのだ。これからどんなふうに振る舞えばいいのか、わたしにはちっともわからない。
「リビー」
わたしの名前を呼びながら、アインハードがわたしの顎をそっと掬う。わたしは思わず目を見開いた。
(え? えええ?)
戸惑っているわたしをよそに、どんどんアインハードの顔が近づいてくる。まずい。このままいったら唇が重なってしまう。……いや、それでいいのか? だけど、心の準備がまだだし! なによりゼリックの顔がちらつくんだもの。
(わたし……わたしは……)
『殺せ』
とそのとき、頭の中でダイレクトに声が響いてきた。夢で何度も聞いたのと同じ、現世の父親のものだ。
「やめて……」
思わず耳をふさいでしゃがみ込む。すると、アインハードが驚きに目を瞠った。
「リビー? 急にどうした?」
『エルシャ、その男を今ここで殺しなさい』
今度は母親がそう囁いた。加えてパンパンという大きな破裂音が頭の中で鳴り響く。強い吐き気と頭痛に襲われ、わたしは首を横に振った。
(お願い……もうやめて)
痛い。苦しい。頭がボーッとして、自分が自分じゃなくなったような気がしてくる。体が思うように動かない。
「リビー?」
(もう嫌)
もうなにも考えたくない。このまま楽になりたい。もしもアインハードをここで殺したら、わたしは解放してもらえる?
「ダメ……」
体の中で魔力が暴れて弾け出そうな感覚がする。もはや自分では制御ができない。このままこの感覚が続けば、魔力はわたしの肉体を突き破り、アインハードもろとも爆発するだろう。もしも周りに他の生徒がいたら、被害はわたしたちだけじゃ済まないかもしれない。
「リビー?」
「お願い」
復讐が成就するのは、まだまだずっと先のことだと思っていた。誰かを傷つける覚悟なんて、わたしにはまったくできていない。
怖い。
それに、わたしがアインハードを殺してしまったらゼリックやパパたちはどうなるの? もしもわたしのかわりに処罰されてしまったら?――そんなの絶対嫌だ。
「助けて」
涙がポロポロとこぼれ落ちる。体温がどんどん上がっていき、今にも燃えだしそうな勢いだ。
「助けてよ……!」
目が霞んで前が見えない。多分だけど、アインハードがわたしを見下ろしながらなにかを必死に叫んでいる。
(わたし、このまま死んじゃうんだ)
短い人生だったな……前世よりは長かったけど、それでも短かったとそう思う。
だって、現世はすごく幸せだった。
もちろん、赤ん坊のときに両親を奪われてしまったわけだけど、新しい家族が――ゼリックが優しくしてくれたから。わたしのことを愛してくれたから。だから、わたしはとても幸せだった。
(もう一度、会いたいな)
わたしがいなくなったら、ゼリックはどうするだろう? 泣いちゃうかな。後を追うなんて言い出したらどうしよう? そうなったらパパとママがかわいそうだな。
「ゼリック……」
助けて。お願いだから、わたしを助けて。
もっと生きたい。もっと、もっと、もっと――!
『リビー!』
神様に願いが届いたのだろうか? ゼリックの声が聞こえたような気がする。わたしを抱きしめてくれているような気がする。
(ああ、落ち着くなぁ)
たとえ幻覚だとしてもゼリックの腕の中で死ねるなら本望だ。わたしはそのまま静かに意識を手放した。




