17.フランソワーズの思惑
王立学園だけあって、学園内はとても広く美しかった。前世で通っていた小学校とは比べ物にならない。ただ、そこかしこに警備員がいるわけではないらしく、まったく人とすれ違わなかった。その上、校門から校舎まで相当な距離があるそうで、わたしはフランソワーズ様の後ろを小走りでついていく。
「まさかこんな形でゼリック様の妹に会えるとは思わなかったわ」
と、フランソワーズ様が言う。
「わたしもあの場で兄のクラスメイトにお会いできるとは思っていませんでした。あの、もしかしてフランソワーズ様はシュベリーヌ公爵家のご令嬢ですか?」
「ええ、そうよ」
こたえながら、フランソワーズ様がグッと胸を張った。
シュベリーヌ公爵家の現当主はジルヴィロスキー王国の国王の叔父にあたる。つまり、アインハードとは親戚で、かなり高貴なご身分だ。門番がかしこまるのも当然――というか仕方がない。わたしはほぅとため息をついた。
「お会いできて光栄です」
「そうでしょう? そう思うのが当たり前よね」
フランソワーズ様は言いながらこちらを振り返る。わたしは思わずその場で立ち止まった。
「けれど、あなたのお兄様はそう思っていないみたいなの。自分がこの世で一番偉いとでも思っているのかしらね?」
「え? えーと……」
ゼリックに限ってそんなことはないと思う。ただ、必要以上に誰かを褒めたり持ち上げたりしないタイプってだけで。むしろゼリックはいつだって謙虚だし、素直で優しい人だと思うんだけど。
(なんだか急に雲行きが怪しくなったような……)
不穏な空気を感じつつ、わたしはそっと胸に手を当てた。
「わたくしね、ゼリック様に言ったのよ。『あなたをわたくしの婚約者にしてあげる』って。だけど、あの男はなんてこたえたと思う? 『妹がいるから婚約者はいらない』って、そう言ったのよ?」
「ええ!? それ、本当ですか?」
まさかそんなやり取りが行われていたとは。わたしは目を丸くしてフランソワーズ様を見つめ返した。
「信じられないでしょう? ゼリック様はわたくしの婚約者に選ばれるということがどれだけ名誉なことなのか、ちっとも理解していないの。たかが伯爵家の令息に声をかけてあげたというのに、まさかあんなふうに断られるなんてね」
フランソワーズ様はわたしを見下ろしながら眉間にシワを寄せていく。強い怒りの感情を感じ取って、ゾクリと背筋が震えた。
(待って。この状況、ものすごくまずいのでは?)
校門からも校舎からも遠く離れ、わたしたちは二人きり。なにかあっても、誰もわたしを助けてくれない……というか気づいてもらえない状況だ。
「あ、あの! わたしやっぱり出直します。お兄様もいきなり来られたら困ると思うし……」
急いでそう言ったものの、フランソワーズ様がわたしの手をグイッと引く。それから至近距離へと迫ってきた。
「許せないのよ。わたくしとあなたを天秤にかけたあの男が。ねえ、どうして? わたくしと結婚をしたら、ゼリック様は公爵家と縁付くことができるし、今よりももっと大きな力と名誉を手に入れられるのよ? それなのに、どうしてあなたのために婚約を断ったりするの? あの男はいったいなにを考えているの?」
「わ、わたし……」
そんなこと、わたしだって知りたい。
ゼリックはどうしてわたしにこだわるの? どうして公爵令嬢からの誘いを断ったりするの? どうして自分の幸せを一番に考えないのよ!
フランソワーズ様は大きな宝石のはめられた指輪をわたしの頬へと近づけてくる。冷たい感触に頬と背筋がヒヤリと震えた。
「もしもこの綺麗なお顔を傷つけたら、少しはゼリック様も考えを改めてくれるかしら? 傷物の妹より、公爵令嬢のほうがずっと価値があるって気づくと思わない?」
「ひっ……!」
どうしよう。とんでもないことに巻き込まれてしまった。
(まさかフランソワーズ様がそんなことを思っていたなんて)
心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。
「お願いします! やめてください! 顔に傷がついたら困るんです! どうか、どうか……!」
顔に傷がついたら絶対に王太子妃には選ばれない。そんなことになったらわたしの復讐計画が頓挫してしまう! なにがなんでも回避しなければ。
「あら、困らせたいからやってるのよ? お願いされたところでやめるわけがないでしょう?」
フランソワーズ様はそう言って笑いながら、指輪をわたしの頬にすべらせる。恐怖から涙がじわりと瞳に滲んだ。
「わ、わたしが! 兄を説得します。フランソワーズ様と結婚するように伝えますから! どうか!」
「あのね、そんな次元はもうとっくに過ぎているのよ? わたくしは既にゼリック様と結婚したいとは思っていない。ただ、あの男のプライドをズタズタにして、傷つけてやりたいだけなの。大事に思っている妹を傷つけられたと知ったら、ゼリック様はどんな顔をするかしら?」
「で、でも! そんなことをしたらフランソワーズ様も無事では済まないのでは?」
普通に考えて、誰かを故意に傷つけたら傷害罪に問われる。わたしが然るべきところに訴えたら、フランソワーズ様だって困るに違いない。
「あら? わたくしは公爵令嬢よ。このぐらいのこと、簡単に揉み消せるんだから。だいたい、悪いのはゼリック様なのだし、わたくしが責められるのはおかしいじゃない?」
フランソワーズ様の目が怪しく光る。冗談じゃなく、本気でそう思っているみたいなところが恐ろしい。
(だけど、本当に事実を揉み消せるとしたら?)
相手は王家と縁の深い公爵令嬢だもの。たかが伯爵家の令嬢一人を傷つけたところで、大したことはないのかもしれない。なんの罪に問われることもなく、抗議をすることも許されないのでは?
――そうなったら、わたしは泣くことしかできない。
頬に傷が残れば、王太子に嫁いで復讐を果たすという目的も、生きる意味も、未来への希望も、全部失って引きこもる未来しかないだろう。
「嫌……」
こんなところで終わりたくない。第一、毎晩夢に現れる現世の両親はどうすればいいの?
「助けて……」
怖いよ。嫌だよ。助けてよ!
けれど、わたしを嘲笑うかのようにフランソワーズ様の指に力がこもる。わたしはギュッと目をつぶった。
「痛っ! なに! なんなのよ!」
と、声を上げたのはわたしではなくフランソワーズ様だった。
(なに?)
目をつぶっていたから状況がちっともわからない。おそるおそる目を開けると、そこにはゼリックがいた。




