背中を押したら
後押し屋。
それは最近SNSで見かけるようになった自殺代行サービスである。
とは言ってもマイナーな都市伝説という扱いで情報も限られている。
実際に利用したという人は少なく、あくまでも噂止まりのものばかり。
だが僕なりにかき集めた噂を要約すると一定の条件が見えてくる。
そこには5つのルールがある。
①我々は足りなかった『最後の』一押しを提供する代行サービスです。対象となるのは最大限の努力と時間を費やしても叶わなかった願い。またはそう判断した場合のみとします。
②判断基準は現場の人間に一任されております。判断の是非については一人一人異なりますのでご了承ください。個性あってこその人間なのです。
③サービスの受付は行なっておりません。こちらからお声掛けのみとさせていただきます。求める者の心を察し見出します。
④代行者はプライバシーの観点から名前と素性を控えさせて頂いております。当サービスは非公認です。追及する場合は厳しい手段を取ります。我々にも生活があるので。
⑤あくまでも願いとは自分で成就させるもの。貴方がギリギリまで頑張り踏ん張り這いつくばってもなお届かなかったほんのちょっとを我々は提供します。
以上が概要である。
書き込んだエクセルを省略化しSNSアプリのタグをモニターに開く。
『葉山耕一』と記されたアカウントのホームは初期設定のままのサムネイルを映す。
アカウント名の横には笑顔でピースをする自分の画像がいる。
木々で彩られた緑を背景に動物園で撮ったときの写真だ。
当時のカメラで撮ったものだからが画質は荒くガビガビになっている。
隣には彼女の見切れた肩が写っている。
しばらくそれを見つめたのち投稿画面を開きキーボードを叩く。
1人だけの部屋にカタカタと音が反響する。
その度に画面のみに照らされた指が細長い影となって壁をゼブラ模様に彩っていく。
『さようなら。これが僕の願いだ』
1年ぶりの、累計13件目の投稿を完了させ席を立つと荷物をまとめ始めた。
ショルダーバッグに二つ折り財布とマンションの鍵。
それと事前に書き込んだ手紙の入った封筒を放り込むと鍵を持って外へと向かう。
耕一はこれから彼女に逢いに行く。
◇
屋上へとやってきた。
太陽はまだ昇り始めたばかりで風が肌寒く感じる。
どこかで鳥が朝を喜び鳴いているのが聞こえる。
ここは耕一の住んでいるマンションだ。
仕事場所も近いこともあり数年前に購入しここに住んでいる。
安い金額ではなかった。
連れもここを痛く気に入っていたのでそれほどほぼほぼ即決に近かった。
また運は悪い方ではない。
おかげで30階建ての内上から2階目の部屋を選ぶことができた。
周りもビルが多いが景色はいい。
朝は青い地平線が建物を際立たせ。
夕方にはオレンジ色の夕日が壁を染め上げる。
彼女はいつも窓からこの景色を眺めていた。
よく飽きないものだ、といつも耕一は思ってはいたものだ。
落下防止用のフェンスの前までやってくると靴を脱ぎ始める。
綺麗に揃えた横に財布と鍵を同じく揃えてゆっくりと置いた。
顔が潰れては警察も仕事が大変だろうという彼なりの配慮だった。
フェンスを乗り越えて床の縁に足を乗せる。
眼下には道路とそこを走る車がミニチュアのように見える。
先程まで心地よかった風は嘘のように厳しく肌を叩きつける。
「やはり来てくれたんですね、代行屋さん」
フェンス越しに気配を感じて振り返らないままその人物に声を掛ける。
屋上のドアを開ける音も、足音ですら聞こえなかったがそこにいる確信はあった。
「はい、ちょうど投稿を観ましたので来ちゃいました」
若い女の声だった。
思わず振り返る。
そこには10代後半と思われる黒いパーカー姿の少女がいた。
フードは被っており手はポケットに突っ込まれている。
ボブカットの黒髪は服装と同じくカジュアルな印象を受ける。
「30歳くらいのおじさんが来るかと思ってたよ」
「こちらも人手不足なんですよ。あなたみたいな人が多いから」
さらっと嫌味を口にする。
だがそれもどこかやんわりとしている。
「まああの書き方じゃあな、みんな頼るよな」
「あなたは違うって言いぶりですね」
「そもそも自殺代行は受け付けていないんだろ?」
「アッハ!なんだ知ってたんだ。じゃあなんで呼んだんですか?」
「確実に死ぬために」
少女はキョトンとした顔をする。
自殺志願者は何人も見てきたがどれも意志の弱い雑魚ばかりだった。
この男のように死ぬことに全力を注ぐ人間は初めてだった。
「失敗は嫌いなタイプなんだ。それに何かあった時のために証人もいて欲しかった」
「呆れた!あんたみたいなキマッたおっさん初めてだよ」
クールな印象はどこへ行ったのか少女は腹を抱えて豪快に笑う。
女の子というより少年なのではないかと思うほどである。
「そこまで言われちゃうと試したくなっちゃうなぁ……怖くはないの?」
「全く」
「楽しみはないの?」
「ない」
「なんで死のうと思ったの?」
「美由紀に会うために」
「ミユキ?もしかしてSNSの――」
他の投稿も見ていたのだろう、彼女は何かを察したようだ。
話聞かせてよ、と打って変わって落ち着いた様子で尋ねてきたので今までの経緯を話すことにした。
これから彼女には自らの身勝手な自殺に巻き込ませるのだから。
自分には理由と経緯を話さなければいけない義務があると感じた。
「交通事故だった」
静かに語り始める。
◇
あの日はとても天気がいい土曜日だった。
横で爆睡中の美由紀を腕からどかしてカーテンを開けると紫外線のカットされた朝日が差し込んできた。
ビルとの隙間から見える青空は絵の具のチューブから出したような綺麗な一色。
これで絵を描いたら売れるだろうなと浅はかな気持ちを抱いたのを覚えている。
いい天気ね、と美由紀が寝ぼけたままの頭を起こしながら毛布から這い出てくる。
眩しさで目が開いていない。
俺は外を眺めながらおはよう、と言葉を返す。
「ねえ耕一、今日はお休みなんでしょ?こんなにいい天気なんだからどこか出かけましょうよ」
「この前行きたい店あるって言ってたよな。買い物をしてそこでランチとかどう?」
「いいわね、やった!早速準備するわ」
先ほどの寝ぼけ眼はどこへ行ったのか途端に飛び起きて洗面台へと駆けて行く。
さながら忍のような身軽さを感心しつつ見送ながら微笑んだ。
彼女の背中が見えなくなったと同時に。
ベッド横の丸テーブルに置いていたスマホが着信音と共に振動する。
デフォルトのままの着信音が寝室を包む。
液晶画面は自分の会社の後輩の名前を映し出している。
たしか彼は今日休日出勤で他の会社へ会議に行っているはずだった。
「もしもし」
『先輩?よかった起きてた!』
後輩は安堵の声を漏らす。
声質からどうやら切迫した状況なのがスピーカー越しからでも伝わる。
「お前これから山田とアトラス社に会議じゃなかったか。まさか問題か?」
『そのまさかです。いま先方まで来たんですが山田から連絡が帰ってこないんです』
耕一は向こうに聞こえないように浅く長いため息をつく。
こうしたトラブルは日常茶飯事だが今回の会談は規模が規模だけに大失態だ。
電話の向こうの彼は耕一も昔から目にかけてるため優秀なことは把握している。
彼1人だねでも十分会議は円滑に回るだろう。
しかし問題は回る回らないではなく礼儀的にどうかというものだ。
当初の予定と違い1人欠けているのだ。
『うちの商談には代理も立てられないのか!』
そう思われても仕方ないだろう。
この業界はシビアだ。
会議の内容以外に注意が行かないように気を付ければ些細な疑念を生むことはない。
疑念は更なる疑念を呼ぶ。
この小さな気遣いがスムーズに事を運ぶコツなのだ。
ここで上司である耕一に即座に報告した後輩はやはり優秀であった。
幸い耕一の家から先方までは近いため今から向かって共に出席すれば事は収まるだろう。
だが今日に限ってタイミングが悪い。
ふと背中に気配を感じて振り返る。
壁に腕を組んでもたれかかっている美由紀がこちらを見つめていた。
洗顔した直後なのか顔は潤っていて髪も後ろにかき上げたままだ。
どうやら今の会話はすべて聞かれていたらしい。
美由紀は耕一を目を見つめたまま無言で頷く。
行ってこい。
言葉などなくともお互いの事情は瞬時に理解できた。
「待ってろ、すぐ行くから」
電話を切り美由紀の方へ駆け寄る。
「昼前には終わる」
「ちゃちゃっと片付けてきて」
軽く唇を重ねスーツを取りに行く。
朝食を取りに行く暇はないのでコンビニで済ますことにする。
支度は慣れたもので10分後には玄関にいた。
「終わったら駅前で」
「待ってるわ、いってらっしゃい」
付き合いの長い2人には長い言葉は必要なく。
軽く唇を重ねて耕一はドアを抜けた。
それが最期の会話となった。
◇
会議は無事に終わった。
先方も今回の商談には満足したようで思った以上の感触を得ることができた。
「先輩ありがとうございました。今回は本っ当に助かりました」
「お前は何も悪くないじゃないか。この状況でよくやったよ、おめでとう」
「先輩のおかげですよ。今度奢らせてください」
途中別れてから約束の駅へと向かった。
すると喧騒に紛れて遠くからサイレンが鳴り響く。
事故でもあったのだろうか。
そう思いながら目的地に向かっていくと音がどんどん近くなってゆく。
不安が募り始める。
ここの角を曲がれば集合場所である駅前の広場だ。
意を決して曲がるとパトカーと救急車が見えた。
いつも彼女はあのベンチで待っているがその場所に彼女は見当たらない。
携帯を掛けるも繋がらない。
すでに3回も電話を掛けるも繋がらない。
嫌な予感が胸を過ぎる。
サイレンがやけに五月蝿く耳に刺さる。
大通り沿いで事故があったらしく人盛りができてある。
耕一は人混み目掛けて飛び込み野次馬をかき分ける。
不安は的中した。
救急車の前に辿り着くと美由紀が横たわっていた。
数人の救急隊員がすでに処置を始めている。
「美由紀…!」
「離れてください!!」
思わず妻に駆け寄るも隊員に阻まれてしまう。
「おい…まさか…」
頭から血を流し顔色が悪いことが肩越しにでも分かる。
「やめてくれよ…おい…」
素人目にも分かる重傷。
目の前が真っ暗になってくる。
「なんで…」
ここから先は口にするのをやめた。
◇
「あのとき仕事なんかしないで一緒に出掛けていれば変わったかもしれない。何度もそう思った」
少女は経緯を聞いたことを後悔しているような悲しげな表情を浮かべている。
見てられなくなり後方を見やると幾度も眺めた都内の景色が広がっている。
ガラス越しではないこの風景は憂鬱になった空気に一時の開放感を与えた。
「あんたが死んだら奥さんは喜ぶと思う?」
「多分怒っただろう」
生きていればな、と付け加えられた。
「……」
冷たい言葉が少女の胸を差し反論ができなかった。
「立ち直りたかった。でも過去は変わらないし時間が立っても心の穴は塞がらなかった」
「私は自殺代行なんかじゃない……だからあんたの手伝いも後見人もごめんだよ。それにまだ見定めるのは終わってない」
「なんだって?」
「私たちは過去に戻れる」
「冗談はやめてくれ」
「後押し屋はいわゆるリセマラ」
「やめろ…」
「同じチャンスを繰り返して最適な…」
「やめろって言ってるだろうが…!」
耕一の怒号がビルに反響して響き渡る。
だが一瞬で正気に戻った。
「すまない」
「信じろって方が無理だと思う」
「お前が嘘を付いていないのは分かる。だが本当なのだとしたら妻の死を止めることはできないのか?」
「いくつかルールがある。できないことはないだろうけどかなり難しい。でもあんたが死ぬのだけは防げる」
なんとなく察しは付いていた。
できるなら既にやっていてもおかしくなかったし後押し屋なんていう土壇場の帳尻合わせなんてやらないはずだ。
彼女の言っていたリセマラという単語。
リセットマラソン。
ソーシャルゲームでレアなキャラクターやアイテムを手に入れるため運要素の高いミニゲームをリセットしては繰り返すものだ。
手に入れるまで何度でも、何度でも。
普段ゲームをやらない耕一だがそういうものがあることは知識として知っていた。
「何度も遡っても、ってことか。俺は何度繰り返したって説得される気はない」
「分かってる。でも見過ごせない」
「なんでそこまでするんだ?」
「職権濫用、私がそうしたいから」
「なんだそりゃ」
唐突な台詞に思わず呆気に取られてしまった。
この一瞬の間がついさっきまで冷え切っていた空気を和ませた。
なんだかイライラしていた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
2人して目が合うとつい笑いが込み上げた。
「それとね、私は以前こうやって救われたから。誰かのためになることをしたかった。だから諦めないよ」
それだけ聞いて耕一は再びビルの外側へと向いた。
「名前だけでも聞かせてくれないか」
「彩花」
「ありがとう、彩花。話を聞いてくれて。次の俺によろしくな」
その顔に刻まれていたのは満面の笑みだった。
少女には恐らく見られてはいないだろう。
死の恐怖や絶望ではなくこれから彼女に会いに行けるという幸福のみだった。
一歩踏み出した。
地面を失った身体は重力に従って自由落下を始める。
重い物が下に落ちる、頭が徐々に下を向き地面が頭上に見えてくる。
空気がまるで落下を止めようとしてるみたいに壁となって抗ってくる。
ああ、やっと終われる。
『ほんと馬鹿ね』
地面ともあと1秒も満たないというところで声が聞こえた気がした。
それは紛れもなく彼女の声だった。
まったく、もっと早く会いに来てくれよ。
耕一は微笑んだ。
◇
絶対に止めてやる。
屋上に1人残された彩花は涙ながらに決心した。
その顔には苦悶の表情が刻まれている。
この仕事を始めてから人が死ぬのを見たのは初めてだった。
目の前にただ一つ残された整理された革靴が痛々しい。
私も救ってみせる。
命の恩人である『あの人』と同じように。
そのためにこの仕事をしているのだから。
そうして彩花の長い時間の旅が始まった。
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