背中を押したら
この世には不可解なサービスが多く存在する。
これは必要か?誰が利用するんだ?
そんな数多くのコンテンツの中で、特に不思議な代行屋が存在する。
後押し屋、最大限の努力を費やした者に最小限の手助けをする代行サービス。
実際に利用したという人間は稀だ。
それにマイナーな都市伝説という扱いのおかげで情報も思うように集まらない。
あくまでも噂止まりのものばかりだ。
だがSNSなどを活用して彼らのことを調べていくと、少なからず実在することが分かった。
かき集めた噂を要約すると、一定の条件が見えてきた。
これは俺がかき集めた彼らの『5つのルール』である。
◇
①我々は足りなかった『最後の』一押しを提供する代行サービスです。対象となるのは最大限の努力と時間を費やしても叶わなかった願い。またはそう判断した場合のみとします。
②判断基準は現場の人間に一任されております。判断の是非については一人一人異なりますのでご了承ください。個性あってこその人間なのです。
③サービスの受付は行なっておりません。こちらからお声掛けのみとさせていただきます。求める者の心を察し見出します。
④代行者はプライバシーの観点から名前と素性を控えさせて頂いております。当サービスは非公認です。追及する場合は厳しい手段を取ります。我々にも生活があるので。
⑤あくまでも願いとは自分で成就させるもの。貴方がギリギリまで頑張り踏ん張り這いつくばってもなお届かなかったほんのちょっとを我々は提供します。
◇
以上が概要である。
葉山は情報をまとめているワードを省略化して、SNSサイトをモニターに表示する。
『葉山耕一』と記されたアカウントのサムネイルは初期設定のまま。
アカウント名の横には笑顔でピースをする自分の画像が示されている。
若い頃、動物園で妻と撮ったときの写真だ。
当時のガラケーで撮ったものだから画質は荒い。
ガビガビになっていて分かりにくいが、隣に彼女の肩が見切れている。
しばらくそれを見つめた後、投稿画面を開いて入力する。
リズミカルなタイピングの音が部屋に響く。
彼以外、誰もいないベッドルームに虚しく反響した。
カーテンから漏れた朝日が彼の手元に差し込んでいる。
照らされた指は巨大な細長い影を幾数も作り出す。
キーボードを叩くたび、ゼブラ模様が前後に入れ替わり壁面を彩った。
『さようなら。これが俺の願いだ』
1年ぶりの、おそらく開設してから数回目の投稿を完了させる。
席を立ちたがら事前に準備していた荷物をまとめ始める。
愛用の二つ折り財布に、マンションの鍵。
それと事前に書き終えていた手紙の入った封筒をポケットに放り込む。
ふとモニターの横に置いてあった写真を見つめた。
アカウントと同じ写真。しかし、ここには2人の笑顔が収められている。
ここに置いて行くのは可哀想だ、大切に持ち上げる。
これから耕一は亡き妻に逢いに行く。
◇
昼の3時頃、屋上へとやってきた。
強烈な風が葉山を出迎える。
愛用のスーツが忙しなくバタついている。
太陽はまだ登っているが風が冷たい。
まるで肌を突き刺す氷の槍のようだ。
どこかで鳥が鳴いているのが聞こえる。
こんな寒さでも喜んでいるようにビルに反響する。
地上の音が上がってこない分、余計に目立っている。
いいところに部屋を買ったものだ、葉山は改めて自分自身に感心した。
そう、今いるのは耕一の住んでいるマンションだ。
職場も近いこともあり数年前に購入した。
当時は新築であり、安い金額ではなかった。
だが妻もここを痛く気に入っていたので即決に近かった。
またその年は運も良く、上から2階目の部屋を選ぶことができた。
2人して大いに喜び合ったものだ。
この地域はビルが多いが景色はいい。
朝は青い地平線が建物を際立たせ。
夕方にはオレンジ色の夕日が地上を染め上げる。
彼女はいつも窓からこの景色を眺めていた。
よく飽きないものだ、といつも耕一は思ってはいたものだ。
落下防止用のフェンスの前までやってくると靴を脱いで整える。
横に証明書の入った財布と鍵を同じく揃えてゆっくりと置いた。
顔が潰れては警察も仕事が大変だろうという彼なりの配慮だった。
ぎこちない姿勢でフェンスを乗り越える。
先ほどから強かった風は更に厳しく葉山に襲いかかる。
まるで彼を押し返そうとしているようだ。
抗いながら眼下に目を凝らす。
道路にはミニチュアのように無数の車が走っている。
すると、フェンス越しに気配を感じた。
ここの住人は滅多に屋上に来ないことを知っている。
まさか本当に来てくれるとは。
「本当に来てくれるとは思わなかったよ、代行屋さん」
振り返らぬまま後ろにいるであろう人物に声を掛ける。
屋上のドアを開ける音も足音も聞こえなかった。
だがそこにいる確信はあった。
「はい、ちょうど投稿を観ましたので来ちゃいました」
若い女の声だった。
予想外の人物に思わず彼は振り返った。
そこには10代後半と思われる黒いコート姿の少女がいた。
手はポケットに突っ込まれている。
ボブカットの黒髪は服装と相まってキッチリした印象を受ける。
「30歳くらいのおじさんが来るかと思ってたよ」
「こちらも人手不足なんですよ。あなたみたいな人が多いから」
さらっと嫌味を口にされる。
だがそれもどこかやんわりとしている。
「まあ、あの書き方じゃあな」
「あなたは違うって言いぶりですね」
「そもそも自殺代行は受け付けていないんだろ?」
「あは!なんだ知ってたんだ。じゃあなんで呼んだんですか?」
「確実に死ぬために」
少女はキョトンとした顔をする。
そして、次第に嫌悪感を顔に表していく。
俺のように死ぬことに全力を注ぐような人間を見るのは初めてのようだ。
「失敗は嫌いなタイプなんだ。それに何かあった時のために証人もいて欲しかった」
「……呆れた。あんたみたいなキマッたおっさん初めてだよ……」
クールな印象はより深く。少女は静かに失笑する。
最近の女の子にしては落ち着いた印象のせいか少年なのではないかと錯覚してくる。
「そこまで言われちゃうと試したくなっちゃうなぁ……怖くはないの?」
「全く」
「楽しみはないの?」
「ない」
「なんで死のうと思ったの?」
「美由紀に会うために」
「――ミユキ?もしかしてSNSに映ってた……」
アカウント写真に気付いていたのだろう、彼女は何かを察したようだ。
話聞かせてよ、と打って変わって落ち着いた様子で尋ねてきたので今までの経緯を話すことにした。
これから彼女には自らの身勝手な自殺に巻き込ませるのだから。
自分には理由と経緯を話さなければいけない義務があると感じた。
「不慮の事故だった」
静かに語り始める。
◇
あの日はとても天気がいい土曜日だった。
横で爆睡中の美由紀を腕からどかしてカーテンを開けると紫外線のカットされた朝日が差し込んできた。
ビルとの隙間から見える青空は絵の具のチューブから出したような綺麗な一色。
これで絵を描いたら売れるだろうなと浅はかな気持ちを抱いたのを覚えている。
いい天気ね、と美由紀が寝ぼけたままの頭を起こしながら毛布から這い出てくる。
眩しさで目が開いていない。
俺は外を眺めながらおはよう、と言葉を返す。
「ねえ耕一、今日はお休みなんでしょ?こんなにいい天気なんだからどこか出かけましょうよ」
「この前行きたい店あるって言ってたよな。買い物をしてそこでランチとかどう?」
「いいわね、やった!早速準備するわ」
先ほどの寝ぼけ眼はどこへ行ったのか途端に飛び起きて洗面台へと駆けて行く。
さながら忍のような身軽さを感心しつつ見送ながら微笑んだ。
彼女の背中が見えなくなったと同時に。
ベッド横の丸テーブルに置いていたスマホが着信音と共に振動する。
デフォルトのままの着信音が寝室を包む。
液晶画面は自分の会社の後輩の名前を映し出している。
たしか彼は今日休日出勤で他の会社へ会議に行っているはずだった。
「もしもし」
『先輩?よかった起きてた!』
後輩は安堵の声を漏らす。
声質からどうやら切迫した状況なのがスピーカー越しからでも伝わる。
「お前これから山田とアトラス社に会議じゃなかったか。まさか問題か?」
『そのまさかです。いま先方まで来たんですが山田から連絡が帰ってこないんです』
耕一は向こうに聞こえないように浅く長いため息をつく。
こうしたトラブルは日常茶飯事だが今回の会談は規模が規模だけに大失態だ。
電話の向こうの彼は耕一も昔から目にかけてるため優秀なことは把握している。
彼1人だねでも十分会議は円滑に回るだろう。
しかし問題は回る回らないではなく礼儀的にどうかというものだ。
当初の予定と違い1人欠けているのだ。
『うちの商談には代理も立てられないのか!』
そう思われても仕方ないだろう。
この業界はシビアだ。
会議の内容以外に注意が行かないように気を付ければ些細な疑念を生むことはない。疑念は更なる疑念を呼ぶ。
この小さな気遣いがスムーズに事を運ぶコツなのだ。
ここで上司である耕一に即座に報告した後輩はやはり優秀であった。
幸い耕一の家から先方までは近いため今から向かって共に出席すれば事は収まるだろう。
だが今日に限ってタイミングが悪い。
ふと背中に気配を感じて振り返る。
壁に腕を組んでもたれかかっている美由紀がこちらを見つめていた。
洗顔した直後なのか顔は潤っていて髪も後ろにかき上げたままだ。
どうやら今の会話はすべて聞かれていたらしい。
美由紀は耕一を目を見つめたまま無言で頷く。
行ってこい。
言葉などなくともお互いの事情は瞬時に理解できた。
「待ってろ、すぐ行くから」
電話を切り美由紀の方へ駆け寄る。
「昼前には終わる」
「ちゃちゃっと片付けてきて」
軽く唇を重ねスーツを取りに行く。
朝食を取りに行く暇はないのでコンビニで済ますことにする。
支度は慣れたもので10分後には玄関にいた。
「終わったら駅前で」
「待ってるわ、いってらっしゃい」
付き合いの長い2人には長い言葉は必要なく。
軽く唇を重ねて耕一はドアを抜けた。
それが最期の会話となった。
◇
会議は無事に終わった。
先方も今回の商談には満足したようで思った以上の感触を得ることができた。
「先輩ありがとうございました。今回は本っ当に助かりました」
「お前は何も悪くないじゃないか。この状況でよくやったよ、おめでとう」
「先輩のおかげですよ。今度奢らせてください」
後輩は興奮気味に続ける。
「にしても相変わらずとんでもない記憶力ですね。向こうの部長が温泉マニアだったなんて忘れていましたよ」
「昔から記憶力だけは自信があるんだ。いくつかおすすめを探しておいてよかった」
「おかげで会話がスムーズでした。付き添いが葉山さんで本当によかったです」
◇
途中別れてから約束の駅へと向かった。
すると喧騒に紛れて遠くからサイレンが鳴り響いている。
事故でもあったのだろうか。
そう思いながら目的地に近づくにつれ、音もどんどん大きくなっていく。
ここの角を曲がれば集合場所である駅前の広場だ。
意を決して曲がるとパトカーと救急車3台が見えた。
いつも彼女はあのベンチで待っているがその場所に彼女は見当たらない。
携帯を掛けるも繋がらないすでに3回も電話を掛けている。
嫌な予感が心拍数を格段に上げていく。
サイレンがやけに五月蝿く耳に刺さる。
大通り沿いで事故があったらしく人盛りができてある。
耕一は人混み目掛けて飛び込み野次馬をかき分ける。
不安は的中した。
救急車の前に辿り着くと美由紀が横たわっていた。
数人の救急隊員がすでに処置を始めている。
「美由紀…!」
「離れてください!!」
思わず妻に駆け寄るも隊員に阻まれてしまう。
「おい…まさか…」
頭から血を流し顔色が悪いことが肩越しにでも分かる。
「やめてくれよ…おい…」
素人目にも分かる重傷。
目の前が真っ暗になってくる。
「なんで…」
ここから先は口にするのをやめた。
◇
「あのとき仕事なんかしないで一緒に出掛けていれば変わったかもしれない。何度もそう思った」
少女は経緯を聞いたことを後悔しているような悲しげな表情を浮かべている。
そんな姿を見ていられなくなり後方を見やると幾度も眺めた都内の景色が広がっている。
ガラス越しではないこの風景は憂鬱になった空気に一時の開放感を与えた。
「あんたが死んだら奥さんは喜ぶと思う?」
「多分怒るだろうな」
生きていればな、と付け加えられた。
「……」
冷たい言葉が少女の胸を差し反論ができなかった。
「立ち直りたかった。でも過去は変わらないし時間が立っても心の穴は塞がらなかった」
「私は自殺代行なんかじゃない……だからあんたの手伝いも後見人もごめんだよ。それにまだ見定めるのは終わってない」
「なんだって?」
「私たちは過去に戻れる」
「冗談はやめてくれ」
「後押し屋はいわゆるリセマラ」
「やめろ…」
「同じチャンスを繰り返して最適な…」
「やめろって言ってるだろうが…!」
耕一の怒号がビルに反響して響き渡る。
だが一瞬で正気に戻った。
「すまない」
「信じろって方が無理だと思う」
「お前が嘘を付いていないのは分かる。だが本当なのだとしたら妻の死を止めることはできないのか?」
「いくつかルールがある。できないことはないだろうけどかなり難しい。でもあんたが死ぬのだけは防げる」
なんとなく察しは付いていた。
できるなら既にやっていてもおかしくなかったし後押し屋なんていう土壇場の帳尻合わせなんてやらないはずだ。
彼女の言っていたリセマラという単語。リセットマラソン。
ソーシャルゲームでレアなキャラクターやアイテムを手に入れるため運要素の高いミニゲームをリセットしては繰り返すものだ。
手に入れるまで何度でも、何度でも。
普段ゲームをやらない耕一だがそういうものがあることは知識として知っていた。
「何度も遡っても、ってことか。俺は何度繰り返したって説得される気はない」
「分かってる。でも見過ごせない」
「なんでそこまでするんだ?」
「職権濫用、私がそうしたいから」
「なんだそりゃ」
唐突な台詞に思わず呆気に取られてしまった。
この一瞬の間がついさっきまで冷え切っていた空気を和ませた。
なんだかイライラしていた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
2人して目が合い、つい笑いが込み上げた。
そうか、この少女もちゃんと笑えるんだな。
その笑みに哀しみが籠っているのを見て罪悪感を微かに感じた。
少女は思いを馳せるように続ける。
「それとね、私は以前こうやって救われたから。誰かのためになることをしたかった。だから諦めないよ」
その決意を聞いた後、耕一は再びビルの外側へと向いた。
これ以上彼女を見ていたら決意が鈍ってしまいそうだったから。
「名前だけでも聞かせてくれないか」
「……彩花」
「ありがとう、彩花。話を聞いてくれて。そしてごめん、次の俺によろしくな」
俺の顔に刻まれていたのは安堵の笑みだっただろう。
死の恐怖や絶望ではなくこれから彼女に会いに行けるという安心を感じていた。
彩花には見られていないだろう、こんな顔を見られるわけにはいかない。
ゆっくりと一歩を踏み出す。
地面を失った身体は前のめりに倒れ、重力に従って自由落下を始める。
空気がまるで壁と抗ってくるがそれも焼石だ。
ああ、やっと終われる。
『ほんと馬鹿ね』
地上まであと1秒も満たないというところで声が聞こえた気がした。
それは紛れもなく妻の声だった。
まったく、もっと早く会いに来てくれよ。
幻聴でないことを祈りながら耕一は微笑んだ。
◇
絶対に止めてやる。
屋上に1人残された彩花は涙を流しながら決心した。
その顔には苦悶の表情が刻まれている。
この仕事を始めてから、いやあの日以降から人が死ぬのを見たのは初めてだった。
目の前にただ一つ残された整理された革靴が見ると胸が痛んだ。
私も救ってみせる、命の恩人である『あの人』と同じように。
そのためにこの仕事をしているのだから。
何度でも何度でも。
代行屋の方針に反したとしても成し遂げてやる。
私の目の前で死ぬなんて絶対に許さない。
そうして彩花の長い時間の旅が始まった。
気に入っていただけたら⭐︎評価お願いします!




