夢旅夢世界
「ただいまー」
マンションの扉の鍵を開けて室内に向かって言う。
靴をぬぎ、続いてリビングにつながる扉を開けると
「パパ、おかえりー!」
保育園に通う愛娘が、動画を見ていたタブレット端末から少し顔を上げて言った。
キッチンからは、機嫌の悪い妻の怒鳴り声が聞こえてきた。
「朝の食器、そのままにしてたでしょ? 夕飯作り始める前に片付けから始めるの、時間の無駄なんだからちゃんとやってよね! 私は保育園の送りで朝は手一杯なんだから!」
「ごめん、ごめん。気をつけるよ」
帰りざまに怒鳴られたことに少しムッとしながらも、波風立てるとお小言が長くなるので素直に謝る。その態度は軽くあしらわれたと気に食わない様子だったが、夕飯後の皿洗いをかって出ることで、その場をおさめる。
「今週末のことだけど、覚えてるよね」
「あー。うん。デイニーランドね」
「あ、ちょっと! しぃっ!」
妻が人差し指を立てて自身の口元に持っていく。どうやら、まだ子供には秘密にしているらしい。
大金払って一時間以上の行列に並んだ末に三分で終わるアトラクション、俺の普段の昼食、一週間分のお値段の園内レストラン。
そんなことに暇と金を使うなら、スマホゲームに課金して、日がな一日ゴロゴロとしていたい。
まあでも、デイニーランドみたいなテーマパークはそんなに頻繁に行くものでもないし妻と子供は喜ぶ。
本音は隠してニコニコ家族サービス。満員電車に揺られて会社から疲れて帰ってきても、共働きだからちゃんと家事は分担。保育園に迎えに行くことだってある。
ちゃんといい夫、いいパパしてると思うよ。
けど、自由が少ないことや理不尽に妻になじられることに我慢ならないこともある。
そんな時の俺のストレス解消方法は、寝ることだ。
もう少し正確に言うと、夢を見ることだ。
どういうわけか、俺の見る夢は、まるで現実かというほどに鮮明だ。
ベッドで眠りについて次に目が覚めた時、まるで別の世界に転移、転生でもしたような感覚になる。時に鳥になって自由に空を飛んだり、時に宇宙旅行に行って宇宙ステーションですごしたり、時にきれいな浜辺で美味しいお酒を飲みながらただ静かに海を眺めたり、時には銀行強盗になって大脱走劇を繰り広げたこともある。
平々凡々な俺が現実ではおよそ経験できないであろう刺激的な体験か、とてもリラックスできる癒やし空間で過ごす時間か。さて、今日はどんな夢が見れるのか。
「あれ?」
目が覚めると、見慣れた部屋だ。うまく夢が見れる状態にならずに変に目覚めてしまったか。
ふと窓を見るとカーテンから光が漏れている。もう朝だということは、つまり今日は夢を見ることなく爆睡してしまった、ということかもしれない。
「疲れが溜まってたかな」
まあ、こんなこともある。残念な気分になりながらベッドから起き上がった。隣のベッドは空で綺麗に整っている。妻はとっくに起きているらしい。
しかし、それにしてはリビングのほうが静かだ。寝室から出てみると、カーテンは閉めっぱなしで電気もついておらずに、薄暗い。当然のようにキッチンに妻が立っている様子もない。
カーテンを開け、電気をつけてみると昨夜よりも部屋は散らかっていてキッチンには食器やコンビニ弁当のガラが山盛り。同じ家なのにまるで違う家のようだ。
「ああ、なるほど。これはちゃんと夢なのか」
俺はため息をついた。これは、たまに見るやつ、現実に近い系の夢だ。実際に自分が知ってる風景や人物が出てくるけど、なんだか荒唐無稽なやつ。
でも、今求めてるのはこれじゃなくて、もっと現実離れしたやつ。
俺は寝室に戻ると、もう一度眠ることにした。夢の世界で眠ると、次の夢の世界に行けるのだ。
ものすごい寒さで目が覚めた。寒すぎて身動きすらとれない。そしてすぐ目の前にはなにか窓のようなものがあった。少し首を回してみると、何やらカプセルのようなものに入っているような様子。
直後、プシューという、空気が勢いよく流れるような音がした。そして、カプセルのようなものの蓋が開く。
俺が起き上がると、周囲から「わーっ」と歓声と拍手が起こった。
白衣や作業着を着た何人もの人たちが、口々に「おめでとう!」やら「成功だ!」やら言い合っている。
白衣の一人が、カプセルから出ようとする俺を助け起こした。
「博士は今、50年のコールドスリープから目覚めたんです。覚えていますか? 僕ですよ!」
「ええーと?」
覚えているはずがない。これは夢なのだから。
「ははは。無理もありませんね。博士の助手だった頃、僕は26歳でしたから。もう立派なおじいさんです」
「ということは、お前、佐伯か!」
頭に浮かんだ適当な名前を言うが、目の前の人物はとても嬉しそうに、「はい! そうです!」と返事をした。この辺が夢の都合の良いところ。なんとなく、話が良い感じに進んでいく。
それから、不治の病であった自分が治療法が確立されるまでコールドスリープされていたこと、眠っていた五十年の間に起こった技術革新による飛躍的な文明の進化や、未曾有の大災害による街並みの一新、そのほかいろいろなことを教えてくれた。
車椅子に乗せられて外に出ると、確かに、まるでアニメや映画で見たような未来都市が眼前に広がっていた。これから、俺はさっそく病院に連れて行かれるらしい。
俺が眠っていた研究所から病院まではさほど遠くなかった。
とりあえず病室に入るのかと思いきや、到着したのはいきなり手術室。あれよあれよと手術台に乗せられて、身体を拘束される。
「ん? どういうことだ?」
「博士が、コールドスリープ前のことを覚えてなくてよかったです。大変スムーズにここまで連れてくることができましたから。」
佐伯が答えた。
「いやー、正確には博士は僕の方。あなたは五十年前、死刑囚だったんですよ。で、死刑執行の直前にね、私どものラボが裏ルートであなたの身柄を譲り受けて、コールドスリープの実験体になってもらったわけです」
「はあ、まあ、そう言う設定なのはわかった。で、なんで手術台に拘束されたんだ?」
「コールドスリープ状態で五十年が経過した人間の身体がどうなったのか、隅々まで調べるためです」
会話をしている間に、周囲では着々と手術っぽい準備が進められている。 佐伯も、いつの間にか手術着になって、手にはメスやノコギリのようなものを握っている。
「え、麻酔とか……」
「いろんなことを調べたいのでねぇ……。例えば、細胞の状態とか、神経のつながりとか……」
これは、ヤバそうだ。夢だから痛みはないかもしれない。でも感じないとも限らない。実際、現実のようにリアルに痛みを感じた夢もあったのだ。
なんという悪夢だと思いながら、俺は必死に目をつむり、とにかく寝てしまうことにした。
次に目を覚ますと、魔法陣の上にいた。
「おお! 勇者様が召喚されたぞ!」
周りには魔法使いのような服装をした人たちがいっぱいいる。なるほど、今度は異世界ファンタジー系か。
勇者召喚に沸く周囲の登場人物。俺は手厚く歓迎されてたくさんの資金と装備をもらって、いざ、冒険に出発。
そういえば、今流行りのステータスだとかスキルだとかはどうなっているのだろうか。ちょっと照れた気持ちになりながら、試しに小声で「ステータスオープン」と言ってみた。
思った通り、目の前にホログラムのように投影されたステータス画面が出現した。表示された数字は、なんとまあ、軒並み低かった。スキルも今のところ特にこれといったものはない。
「うーん……。チート無双系じゃなくて、序盤は苦労する系のストーリーということか」
夢が始まって即、愉快爽快とはいかないようだ。
しばらく歩くと、モンスターが出てきた。これはおそらくスライムだ。俺は、剣を構えようとする……が。
「お、重っ!」
持ち歩くのはともかく、まず片手で鞘から引き抜けるものではない。なんとか刀身を出して両手で柄をにぎっても、思うように振り回すことなどできない。
「ステータスが低いってこういうこと⁉︎」
そんなことをしているうちに、スライムがこちらに攻撃を仕掛けてきた。体当たりしてきたそのゼリーのようなモンスターは意外と固くて、俺は簡単に吹っ飛ばされてしまう。
なんとなく、HPが半分くらい減ったような感覚がする。慌ててそのへんに落ちていた良い感じの木の枝を拾い、必死にスライムを叩いてやると、ようやく勝利した。
「最序盤のスライムでこんなに苦労するのか……。うーん、なんかなぁ……。今はこういう夢は求めてないというか……」
何とかかんとか次の町に到着すると、俺は真っ先に酒場に入った。
もう、この世界はいいや。ここで豪遊して、もらった路銀を使い果たしてしまおう。で、さっさと次の夢に行くのだ。
浴びるように酒を飲み、異世界の美味しい酒の肴をつまみ、女の子を近くに寄らせて金を握らせ……。まあ、そんな感じで散々楽しんだ後、俺はいつの間にか泥のように眠った。
パチパチとほおを叩かれて目を覚ます。
「おい。お客さん。起きてくれないかね」
「う〜……」
二日酔いの頭痛に唸りながら、俺は起き上がった。
「もうさっさと出ていって、宿にでも戻ってくれないかね」
よく見ると、先ほどの酒場だ。しまった。「次の夢の世界に行きたい」と強く願わないまま寝てしまったから、また同じ世界に留まってしまったようだ。
「お支払いもきちんとお願いしますよ」
「ああ、もちろんだ……って、あれ?」
探しても探しても、大金が入っていた袋が見当たらない。なんなら、剣も他の荷物も見当たらない。
「お支払い、お願いしますよ」
「それが……盗まれてしまったようで……」
「そんなこと、信じられんね。初めから無銭飲食を狙ったんじゃないかね?」
「いやいや、そんな、そんなわけがない!」
「ともかく、払えんなら役所に突き出すまでだ。まあ盗みは良くて鞭打ちか……」
刑罰など、とんでもない。俺は最後まで話を聞かずに逃げた。とにかくどこでも良いから眠ればいいのだ。そうすればこの世界ともおさらばできるのだから。
その後、何度も何度も寝ては覚めての繰り返し。そうして、いろんな夢の世界に行った。しかし、今夜はどういうわけか、どんな夢を見ても最終的に悪夢に繋がるのだ。
「もう、夢はいいや。現実の世界に帰りたい」
いいかげん辟易としてきて、俺はつぶやいた。
『夢の世界を完全に終了しますか?』
頭に直接響くように、声が聞こえた。
「ああ、もう起きようかな」
声に答えるとすぐに、あらがえないほどに眠たくなった。
帰ろう。平凡だけど、幸せな日々に。
アラームの音で目が覚めた。寝ぼけたまま、音を止めようとスマホの画面を触ると、『おい、何やってるんだ! 仕事始まるぞ!』と声が聞こえてくる。
一気に目が覚めた。アラームだと思ったものは電話の着信音だったようだ。
「すみません、今すぐ行きます!」
叫ぶように返事をして、慌ててクローゼットを開けてスーツを着る。
「おい! どうして起こしてくれなかったんだよ!」
妻に向かって大声で言いながら寝室を出ると、部屋は薄暗い。
「なんだ、今日は出かける用事でもあったのか? それにしても部屋は散らかってるし、俺のことは起こさないし!」
イライラしながら朝の身支度はそこそこに家を飛び出す。
会社に到着して、セキュリティカードをカードリーダーにかざす。
だが、エラー音が鳴るばかりで入ることができない。
「すみません、エラーみたいなんですが」
受付に申し出ると、しばらく待つように言われる。
「あの、申し訳ありませんが……」
受付の女性が言いにくそうに俺に話しかける。
「このカード、弊社のものではないようです」
「いや、そんなバカな。俺は確かに、ここの社員だ」
「ええ、在籍されていたこともあったようですが……。すでに退職されているようです」
「はぁ⁉︎」
どういうことだ? 間違いなく、昨日まで毎日通っていたはずなのに。
それに、この会社の上司でないのならば、今朝の電話はいったいどこから?
俺は着信履歴を確認する。発信元は会社の番号ではなく「佐伯さん」と、個人名で登録されてあった。俺は佐伯さんに電話してみた。
「あの、すみません。ちょっと記憶が混乱していまして……。あなたは誰で、私はどこに仕事に向かえば良いのでしょうか……」
『あ? 何寝ぼけたこと言ってんだ? もう代わりの奴手配しちまったよ。もう明日から……いや、今日から来なくいいからな! 寝坊で現場に遅刻するようなやつはいらねぇんだよ』
質問に答えてもらえないまま、一方的に電話を切られる。
途方に暮れるとはこのことだ。今日の仕事はどうやらなくなったようだし、ひとまずは家に帰るしかない。
家に帰って、俺はホッとした。ああ、なんだ。まだ夢の中じゃないか。
衣服やゴミが散らかったリビング、掃除の行き届いてない洗面所、洗い物や弁当ガラが積み上がったキッチン。これは、たまに夢で見ていた光景だ。
そうとなれば話が早い。俺はまっすぐ寝室に向かい、スーツのままベッドに横になる。眠って、今度こそ現実へ帰ろう。
目が覚めた。現実の世界に帰ってきたはずだ。
妻子のいる暖かい家庭。よく懐いてくれている娘、たまに機嫌を損ねるけれど優しくてよくできた妻。週末にはテーマパークに行って……。
はやる気持ちで寝室を出たが、目に入ってきたのは散らかったリビングだった。
俺は脱力して、ソファに座り込んだ。夢の世界から、抜け出せなくなっている。こういう時は、どうすれば良いんだっけ? 俺は、ソファの前のローテーブルに積んである手紙類に目を落とした。ほとんどは物件のチラシやダイレクトメール、水道屋のマグネットなどだ。その中に
『いろんな夢を渡り歩きリアルな体験ができる「夢旅夢世界」』
そんなキャッチコピーが書いてある封筒があった。なんだか嫌な予感がしながら、封筒の中身を見た。
封筒の中には、夢の世界を渡り歩くことができるサービスの説明が書いてあった。俺がまさに体験していたことだ。
そのサービスが提供する装置、ワイヤレスイヤホンのような形の機械を耳につけて眠ると、特殊な電磁波で脳波を操作してリアルな夢が見れたり、好きなタイミングで夢を切り替えたりできるのだとか。
俺はおそるおそると、耳を触った。ポロリと、イヤホンのような装置が落ちる。聞こえ方に違和感がなかったので、今までまったく気が付かなかった。
そして、いろんなことを思い出してきた。幸せな夢に、あまりにどっぷりと浸かっていたので、現実のことをすっかり忘れていた……いや、夢と現実を完全に混同して、夢の方を現実だとすっかり信じ込んでいたことに、気がついたのだ。
現実の俺は……仕事を言い訳に家事をサボり、子供を言い訳に女をサボる妻に、ほとほと愛想が尽きて、会社の若い部下と浮気をしていた。残業だ出張だと嘘をついては女遊び。
けれども結局は全部バレて、慰謝料を取られ、子供を取られ、養育費も一括で取られ、残ったのはこの、ローンがほとんど残っている分譲マンションだけ。友人も去った。あげく、会社にも浮気のことがバレて居づらくなり退職。その後は転職もままならずにバイトや日雇いで食い繋いでいたのだ。
住所があるだけマシだが、他は何もかも失って、気力もなく精神的にキツイ時期、この『夢旅夢世界』を知ったのだ。
現実だと思っていたものは、俺が浮気もせずに良い夫、良いパパをしていた世界線だったということだ。
俺は、はぁ、とため息をつくと、床に落ちた「夢旅夢世界」の装置を拾った
END




