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花まつり

 “北の王国の湖の街”と聞けば、誰もが同じ街を思い浮かべる。

 大山脈の北の端、それはそれは美しい湖のほとりにある、世界に名高い交易都市。


 そんなレーミアの街の中央広場では、今日も朝早くから市が開かれていた。


 活気に満ちた広場を子供たちが走り抜け、あちらこちらから呼び込みや値切り交渉の声がする。吹き抜ける風は爽やかで……にもかかわらず、陰気なオーラをふりまく異物が1人。

 手入れの行き届いた長い髪からは、なぜか水が滴り落ちている。


「いつまでそんな不景気な面さらしてるんですか、ご主人さま」


 主人の放つ空気感にうんざりした少年が、雇い主に声をかけた。

 その雇い主はというと、先ほどから己の不機嫌を隠そうともせずに、立ち並ぶ行商人の馬車を観察している。今日は新顔が1人、おそらく東方からの武器商人だろう。


「ちょっと、聞いてます?」


「聞こえているとも…なんだって俺が、朝から水をかぶらなきゃならないんだ」


「日頃の行いでは?我らがレーミアの守銭奴商会長殿。大店の店主なのにケチとか、もはや罪ですよ、罪。お嬢様のいたずらも、きっと神からのご指示でしょう」


 主人の青年のぼやきに、少年がするどく突っ込みを入れる。

 青年はそれを聞き流し、新顔の行商人から東方の弓を受け取った。相手に渡したのは言い値の6割。売り手はどこか悔しそうだったが、周囲にいた普段この街を訪れる面々から、唐突に、謎の、無駄に気持ちのこもった祝福を受けて、目を白黒させている。

 その光景を尻目に広場の中央へ歩き出しながら、口のうまい買い手の青年はつい数秒前までの態度が嘘であったかのように、それはもう爽やかに笑った。


「貧民感覚が抜けなくて悪かったね。おかげで今も貯金がたんまりだ」


「盛大に溶かしたばかりの人がよく言いますよ。僕の記憶じゃその財布も、もうあと本当に少ししか残ってないはずですが」


 青年はその顔にうさんくさいほどの笑みを張り付けながら周囲を確認している。その口から出る返事はない。


「給料減らすのだけはやめてくださいね」


「それは働き次第かな。…よし、張り紙も活気も口止めも十分。昼には仕入れに出てる奴らも帰ってくることだし、俺たちは店で最終準備といこうじゃないか」


 主人は後ろの従者へくるりと回り、さらにうさんくさい笑顔で、一言。


「拡声魔法。あと早く髪を乾かせ魔術師見習い」


「自分でやればいいじゃないですか」


 魔術の使えない主人に対し、従者もまたとってつけたような笑顔を向ける。


「できたらわざわざ連れ歩かないさ。…はぁ、お前のそのみごとなカネ(・・)色の髪が濡れればよかったんじゃないか?権力に屈した裏切り者め」


 途中から魔法に拡げられた声に、広場中から笑いと野次が聞こえてくる。


「文句は姫様にどうぞ。…はい、範囲限定の拡声結界、できましたよ」


「よくやった」


 少年の髪をくしゃりとかき回し、壇上へ。

 「やめてくださいよ、子供じゃないんだから」などとぶつくさ呟いているが、いつものことなので華麗に無視をきめこんだ。


「改めまして、朝市へお越しの皆々様!いよいよ明日はレーミアの花まつり、その記念すべき第1回!住人も行商も旅人も、存分に楽しんでいくといい!ついでにうちの商会もよろしくな。

 花代は全部俺持ちだから、参加者は遠慮なく、できれば夜明け前に受け取りに。城勤めの方々は、くれぐれも主役にばれないように頼む。城下の皆も今日は静かに。

 明日の夜明けが開始の合図だ!盛大に祝って、我らが姫様を驚かしてやろうじゃないか!」


 広場の人々が、明日への期待を投げかける。若き店主の後ろ、従者の少年は誇らしげな笑顔を浮かべて仕事場へと帰っていった。

 目の前で、乾いたしっぽが揺れている。






 湖の街、中央広場。昨日と同じ通りの入り口に、昨日と同じ主従の姿。

 従者の少年は、どこかそわそわと周囲を見回している。


「気になるのなら、とっとと先に行ってしまえばいいのに。たしか、飛行も使えただろう?」


 いつもは椅子に掛けられたままの制服をきっちり身に着け、髪をセットされた青年が、隣の少年をからかった。これにムッとした少年の方も、今日は正装である商会の見習い服の袖に腕を通している。


「おお神よ、私の主人は従者を試しておいでなのです。そうでなければ、直前になって人手不足に気づくなどという愚行(・・)、なさるはずがないでしょうから」


 二人は今、商会の従業員代表として花を配っている。見習いがこのような仕事をさせられるなど、少年は聞いたことがなかった。


「いつものことながら、信じてもいない神に祈るんじゃない」


「おお神よ、主人はついに信仰心までも失われてしまいました。そうでなければこのようなこと、口が裂けても、ええ、雷に打たれようとも、できるはずがないでしょうから」


「いや待て、まつんだ、悪かった、俺が悪かったからその手の雷を消し…ッ⁉」


「天罰です」


 空は少しずつ、着実に明るさを増していく。






 朝日が差し込む2階の一室。

 美しく着飾った彼女は少し緊張して、鐘が鳴るのを待っていた。


 城の、外。ここ数年見てこなかった、彼女のものよりもずっと、ずっと広い世界。


 澄みきった鐘の音が、レーミアの街に響き渡る。


 彼女は一歩踏み出して、外とこの部屋とを隔てる扉を押し開けた。






 わっ!、と、音。


 風が広場を、バルコニーを吹き抜けていく。


 眩しい光。人の笑顔。そして、




 花、花、花。




 そこは、黄色と白のお花畑だった。






 彼女が驚いた顔をして、皆が成功を笑いあう。彼女もつられて満開の笑み。ドレスの裾が、花びらのようにひらひらと揺れる。


「なんだ、やればできるんじゃないか」


「こういう時くらい素直になればいいのに」


 広場の外れから、ひねくれ者の商会長が中央を見やっている。空になった荷車の横で、結局最後まで付き合った従者は、主人の態度に苦笑した。


「本当に、いい景色ですよ」


「俺がお膳立てしたんだ。成功するのは当然だろう?…うん、空の青がよく似合っている」


「でも、よかったんですか?花代に広報代に衣装代、おかげでこっちは素寒貧ですよ」


 少し笑って、茶化すように投げかけられる言葉に。


「あとのことはまた考えればいいさ。喜んでいいのか微妙なところだが、うちの店は倒産との戦いに慣れてもいることだし…」




「それに、」


 得意げな顔が、ふっと緩められて。


「あの笑顔が見られただけで、おつりは十分もらえているよ」


 小さくつぶやいた言葉を、風がやさしくさらっていった。

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